恋糸結び

(5)

 その後は少し忙しかった。譲渡の話もそうだし、長い間想っていた薬研藤四郎と気持ちを交わし合い、お互いにその想いを結んだこともあって、手続きはどうする、日取りを決めよう、いやまずは宴だと、どんどん話が本丸中に伝わっていってしまい、梅鼠さんを巻き込んで宴会の運びとなってしまったのだ。勿論、梅鼠さんの本丸にはこんのすけに繋いでもらい、事の顛末を説明して連絡は入れたのだけど。その際彼女が私と薬研藤四郎の関係を、気持ちを含めて把握していたことには驚いた。
 宴会場と化した大広間でゆっくりと料理に舌鼓を打ちながら、ぽつぽつと梅鼠さんが話す。
「そもそも刀剣男士が、自分の主以外の特定の人間を長い間気に掛けること自体が珍しいもの。それも、警戒というわけでもなくね」
「確かに、そうですが」
 言われてみれば、確かに私の本丸の彼らの口から、特定の人間の話題が出ることは殆ど無い。出たとして、それが長い間続くことはなかった。
「それにしても私が審神者に就任した頃は刀剣男士と言えば40を少し越えるくらいだったけれど、随分顔ぶれが増えたものね。こちらには今どれくらい刀剣男士がいるのかしら?」
「80程度です。すみません……戦関連ならまだ言うこと聞いてくれるんですけど……」
「いいのよ、気にしないで。おめでたいことですもの。……上手くまとまってくれて良かったわ。発破をかけた甲斐があったと言うものよ」
 うう、と軽く唸るような声が出てしまう。自分の身内に知られているのはもはや今更だけれど、まさか先方に筒抜けだったとは思っていなかった。いや、主としてはそれで正しいのだろうけれど。
 熱い顔を両手で押さえていると、私の刀剣男士たちに片っ端から酒を勧められ、質問攻めにされていた薬研藤四郎が梅鼠さんの隣に座り込んだ。どか、と音を立てそうな勢いであぐらをかき、酒気のせいか少し血色の良くなった顔で口元を緩める。豪快な笑い方をするところは見たことがあったけれど、そういえばお座敷で彼と話すような機会もなく、靴を脱いで、ここまでオフな所を見るのは初めてかもしれない。なんだか新鮮に思える。
「おう大将、俺もまだ独り占めしたことねえんだ、妬けちまう」
「あらあら、急に正直になって。随分な言い方ですこと」
「大将にはもう十分情けないとこ見られてるからな。今更悋気(りんき)の一つや二つ白状したところでどうってことないさ」
 今まで、想うことを許してもらっていると思っていた。だから、今までに無くぐいぐいとした態度に私の心臓がついていけない。
 どこか熱のある瞳でまっすぐに見つめられて、気恥ずかしい。逃げるのも違うように思われて動けず、取り繕うようにお茶を飲んだ。
「私ったら、お邪魔かしら」
「いえ! そんなことは!!!」
 どちらかと言えば置いていかないでほしいという気持ちを込めてそう言うと、今度は彼の方が少し拗ねたように唇をとがらせた。
「なんだ、つれないねえ。やっぱり怒ってるのか?」
「怒ってませんっ。もう、あまりからかわないでください……!」
 この薬研藤四郎、酔ってる!
 酒が入るまでの彼は、主の目があるからかいつもよりも少し距離のある風で、なんというか仕事然としていたのに。梅鼠さんの厚意もあって、無礼講でもかまわないかしらという鶴の一声で私の刀剣男士を含めて随分砕けた場になってしまっていた。
 彼からすれば、大事な話が終わってほっとしたのもあるのかもしれない。こういうとき普段の『薬研藤四郎』がどんな風かなど、彼しか知らないのだから分かりようがない。それにまだ正式に譲渡されたわけでもないから、厳密にはまだ私の刀剣男士ではないわけで。だから、なんというか、もう少し節度ある態度を徹底するのかと勝手に思い込んでいた。……一番可能性として高いのは、梅鼠さんの許しがあるからだろう。私よりもずっと長い間一緒にいる二人なのだ、お互いに羽目を外せるラインを共有できていてもなんらおかしくはない。
 それに比べて私の方は、この年にもなって色恋沙汰なんて久しぶりで、それもこの……約十年……えっ 十年? いや、ともかく、それくらいの間、私はこの目の前の一振りに心奪われて、こっそりとこの気持ちを抱いて、時には持て余しながら、ささやかなときめきとその余韻を味わってきたのだ。こんな鮮烈で、心臓に悪いほどの刺激を次々に与えられて、色々と耐えられそうにない。
「薬研、鼻の下を伸ばすのはせめて譲渡が終わってからにしなさい」
「大将は手厳しいなあ」
「あら、受け入れ期間を設けてもよいのですよ? その間に嫌われてしまうかもしれませんけど」
「勘弁してくれや……」
 梅鼠さんが彼の意識を逸らしてくださって、ほっとする。そうして、仲の良い様子にふふと笑みがこぼれた。この人達にお世話になれて、本当に良かったと思う。
「そうだ、梅鼠さん、これを機にお手紙を書いてもいいですか? もし良ければ、お辞めになった後も」
「まあ! 嬉しいわ。私からお願いしたいくらい」
 本丸の中に、一般人は入れない。入れるのは政府関係者か審神者、研修生と、身元のはっきりしている者だけだ。それも、勝手に出入りすることはできない。
 梅鼠さんが刀剣男士を手放し退職するということは、一般人として現世に戻ると言うことだ。私も気軽に本丸のことを話したりはできなくなるけれど、このままさよならをするのは寂しい。実際に退職する日はまだ先のようだけど、その日はあっという間にやってくるだろう。彼だって、別れを受け入れる時間は必要だ。
「……大将、」
 少し恨みがましいような彼の声に、やはり驚きが勝る。こうもはっきりと気持ちを伝えてきてくれる刀だったのかと。だから、その分きっと悩んでくれていたのだろうと思ってしまって。胸の中がくすぐったい。
「正式な手続きが終わるまで……あなたにも、書いていいですか?」
「……悪いわけないさ。雅なことはよく分からんが、くれるってんなら返事はするよ。ま、逢い引きできりゃ、一番なんだがなあ」
 譲渡の手続きには時間が掛かる。審神者同士の同意もそうだし、何よりも刀剣男士が納得しているのかどうかを政府も確認するのだ。主の命令ならばと従う刀剣男士が圧倒的に多いこともあり、審神者の独断を防ぐ意味合いが強い。告白の際に彼が出したもう一振りの薬研藤四郎のように、励起する前の依り代の譲渡も、原則勝手にはできないようになっている。今回、この本丸の門をくぐる際にも、あらかじめ持ち込む旨の申請がされているはずだ。梅鼠さんの事だから、既に譲渡の話をするのだということも明かしているのかもしれない。
「譲渡までに何度か個別に面談を受けますから、その間は会えませんね。取引、洗脳、恐喝といった機会の無いように配慮されているので」
「面倒だが、我慢するさ」
 肩をすくめる彼に同意する。焦れったそうにする彼には少し申し訳ないけれど、心が繋がっているのだと思うと、私はむしろほっとしてしまった。こんな急に距離が近くなったら、恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだ。どこか艶めいた顔で見つめられて迫られたら、腰が砕けてしまうかもしれない。
「……でも、楽しみです。とても」
 小さくそうこぼすと、梅鼠さんも彼も、微笑みを返してくれた。


「主、そろそろお開きにするかえ」
「そうだね。あまり遅くなりすぎても、あちらの刀剣男士も心配だろうし」
 陸奥守の一言で、薬研藤四郎が立ち上がる。
「んー、もうそんな時間か……。名残惜しいが、お暇させてもらうかね。大将、歩けるか?」
「大丈夫ですよ」
 彼の手を取って、梅鼠さんが立ち上がる。他の刀剣男士達からやいのやいのと見送りの言葉を掛けられながら前田の案内で玄関へ向かった。
「今日はご足労いただいてありがとうございました」
「いいえ。お話ができて本当によかったわ。あなたの陸奥守吉行には丁寧にしていただきました。改めてよろしく伝えておいてね」
「はい」
 ゆっくりと歩く道すがら、梅鼠さんがはたと気づいたように手を口元に添えた。
「ごめんなさい、申し訳ないのだけど、お手洗いをお借りしてもいいかしら?」
「勿論です。前田、案内してさしあげて」
「かしこまりました」
 来客用に、玄関近くには男女兼用の洋式トイレがある。少し広めなので不便はないだろう。
 背中を見送るのもそこそこに、そっと自分の腕に熱を感じて心臓がとくりと跳ねた。薬研藤四郎が直ぐ側に立っている。いつにない距離に、自然と目線が下がっていく。彼の方を見ようか、それともなにか声を掛けようかと思案していると、腰に手を回されて、身体が跳ねた。
「ひゃっ」
 悲鳴じみた声を出してしまって、直ぐに手で口を覆う。そうっと彼を見遣ると、柔らかな苦笑を浮かべていた。
「意識されるってのはいいもんだが……慣れてくれよ? 直に一緒に暮らすんだ」
「は、はい……」
 彼が、薬研藤四郎がボディタッチをするのは、例えば励ましであったり、労いであったりする時だった。こんな、しっとりとした触れ方をするなんて、
「……なあ」
「な、なんでしょう」
 そうしてもらえる間柄なんだと思うと嬉しいけれど、それよりもずっと緊張してしまう。顔を見られたくなくて、どんな顔をしていいか分からなくて、まるで迷子のような心地になる。
 彼を前にすると、年齢などなんの意味も無いことを痛感する。落ち着かない。
 けれど、彼はそんな私の心を知ってか知らずか、不意に顔をのぞき込んできたかと思うと、そのまま顔を近づけてきて。
「っ、あ」
 そっと、唇が重なった。
 本当に、重なるだけの柔らかな口づけ。それを何度か繰り返されたかと思うと、手を取られて、指を絡められた。
 ひゃう、と咄嗟に出た声はそのまま彼の口の中に飛び込んで消え、ほんの僅か、甘く吸い付かれる。優しいような、労るような動きで指がこすれ合う。手を引こうとしても許してもらえなくて、握りこまれた後、親指の腹で届く範囲を何度も丁寧に撫でられ、その周辺の感覚が鋭敏になってゆく。穏やかなはずなのにどこか淫靡な気持ちを擽られ、意識が散り散りになる。
 指の感覚に気を取られている間にも彼の唇は私のそれに吸い付き、柔らかさにうっとりとしてしまうのに、ちゅ、と音を立てられた瞬間、ぴくんと甘い快感が生まれて、握られたままの手を握り返した。
「は、ぁ……」
 彼の顔が少し離れたのを追いかけるようにして、吐息が漏れる。至近距離で、彼が自分の唇をぺろりと舐めるのが見えた。
「……精々いい子にしてるさ。続き、楽しみにしてるぜ」
 その囁きとともに、腰に回されていた手が私の頬の形をなぞるように滑り、離れていく。ぼうっとした意識の中僅かに頷くと、彼の顔が柔らかく綻んだ。
 とく、とく、と、はっきり分かる自分の心音と、強い幸福感が混ざる。
 この手を離したくない。気づけば、彼にされたように、親指で彼の手を撫でていた。
 静かに視線が絡み合い、今までとは違う距離、表情、状況、全てに、鼓動が早くなる。
「次に会えるのが待ち遠しいです」
 答えると、彼の目が嬉しそうに細められた。そして、握られていた手が解ける。最後、お互いの指が名残惜しそうに触れて、それが妙に嬉しかった。
「ごめんなさい、お待たせしてしまって」
「いいえ、とんでもない。お忘れ物などありませんか?」
「大丈夫」
 廊下の軋む音と共に梅鼠さんと前田が戻ってくる。そうして改めてお互い良い話し合いができて良かったと頭を下げて、二人を見送った。
 譲渡の手続きは書類と面談とを繰り返すことになるので、大体三週間ほどかかる。それまで、こちらも受け入れる準備をしておこう。
「主君」
「なに?」
 玄関の施錠をして、さて大広間に戻ってもう少し楽しもうかと思っていると、前田が控えめに声を掛けてきた。
「兄弟がこちらへ来たら一週間は休めるように手筈を整えております。兄弟の部屋も粟田口の眷属の並びではなく、主君の使われている私室の近くがいいかと思いそのように手配しようかと。部屋割りは陸奥守さまともう少し詰めようかとお話をしているんですが」
「え、一週間休み? 流石にそれは……」
 既に先々の予定を既に組んでいるらしい近侍と初期刀に驚く。いつの間にそんな話を……と思うものの、宴会の前には既にしてたんだろうなあ、これ。
「いけません。主君が兄弟をお待ちしていたことは誰もが知っておりますし、ゆっくりしていただきたいというのも誠の気持ちですが、それでも新参者なのですから、兄弟には当本丸のやり方に従ってもらわなくてはなりません。そのためには皆との交流も不可欠です」
「なら、慣れてからお休みにすればいいんじゃ」
「そうなるときっと主君はなし崩し的に仕事をされると思いますよ。兄弟なら休ませることもできるでしょうが、そうやって兄弟を言い訳にするのを主君は是としないでしょう」
「う……まあ、そりゃ」
「ですので、確実に一週間はお休みをとってください。僕たちも励みますので。出陣の許可などは都度必要ですのでお手を煩わせることになるでしょうが、あらかじめ部隊の編成など指示していただければ、程度も軽くなりますし」
 既にやる気満々の前田に、ぐうの音も出ない。かろうじて「薬研藤四郎にもどうしたいのか聞かないと」と追いすがると、「兄弟には既に釘を刺してありますので」とにべもなく返されてしまった。
「……でも急に一週間休み貰っても……何をすれば……」
 現世なら、付き合いたての頃と言えばデートに繰り出したりするものなのだろうが、審神者は職業柄、出かけられる先も絞られてくるし、現世となるといよいよ見た目が大人と子どもである問題にもぶち当たる。
 となれば必然、本丸の中で過ごすことになると思うのだけれど……。
 そうこぼすと、前田は驚いたように目を見開いた。それから直ぐにこほんと前置きのように咳払いをして。
「……そうですね。そのあたりは兄弟にお任せいただければ、きちんと勤め上げるかと」
「……?」
 その言い方に違和感を覚え、ふと、あることに気づく。
『続き、楽しみにしてるぜ』
 ――彼はキスの後、そう言ってなかったか?
「まさか……! えっ、ちょ、前田!」
「はい」
「は、はやくないっ? まだそんな、だって、」
 狼狽える私に、苦笑しながら前田が言う。
「主君は、兄弟と床を共にするのは考えられませんか?」
「それは……というか、そうだったら、こんなことになってないというか……」
 はしたないかもしれないが、そういう目で見ていたことと、実際にそういうことをするのでは天と地ほどの差があるというか、段階を踏んでほしいというか!
「無理強いすることはないと思いますが、鉄は熱いうちに打てと申しますし」
 前田が全く動揺していないことに末恐ろしさを感じる。徹頭徹尾スタンスが変わらないことが逆に怖い。この調子でいくと陸奥守もそうなのだろう。え? もしかして刀剣男士の認識ってみんなそうだったりするの?
「……み、乱に相談する……」
「はい。それがよろしいかと」
 乱が一番私の気持ちに寄り添ってくれていたことを知っているのか、前田は笑みを深めてそう言った。

 その乱から、実質婿入りでしょと言われ、やれ初夜だ宴会だと再び大広間が盛り上がり、結果としてほぼ全ての刀剣男士からハネムーンよろしく休暇を歓迎されるまで、あと少し。


fin.

2020.02.28 pixiv同時掲載