心恋相語れり
(1)
歴史を変えようとする時間遡行軍と、それを防ごうとする時の政府との戦争は終わる兆しどころか、勝ち筋さえ見えない『闇』との戦いだった。時の政府側には力を貸してくれる付喪神がいるとは言っても、既に彼らを降ろした幾万の刀剣が折れたことだろう。そしてそれ以上に多くの刀剣が打たれ、今も尚、付喪神たちは戦に身を投じている。審神者なる者の数は増減を繰り返しながらも戦力を育て、その胸に守りたいものを抱えて日々を送っている。――もっとも、守りたいものを持っている審神者がどれほどいるのか、定かではない。心の中に支えとして置いていたものがなくなることだってあるだろう。今、私がそうであるように。
長い戦いだ。これからもそうだ。だから、はっきりと誰が悪いわけでもなかった。あえて言うなら戦争が悪い。憎むべき対象はあまりにも多く、恨むには審神者の勤めに手応えとも言うべき充足を覚えていた。
「申し訳ないが、もう貴女の務めが果たされるのを待つことができない。弱い僕を許してほしい」
だから、そう言って深く頭を下げた彼を、責めることはできなかった。
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「婚姻の予定、なくなったんだって?」
「相変わらずの物言いね、あなた」
初めて手ずから鍛刀した短刀は薬研藤四郎だった。元々の気質もあってか、極端に主従を感じさせないこの刀は、今となっては私の本丸には欠かせない存在だ。あと、変に腫れ物扱いしてこないのも助かる。というのがたった今分かった。
「今話すことならこれしかないだろ。こっちは恙無く。大将に合わせられるように午前の支度は終わって、待機してる。内番は予定通りのメンツで回してるぜ」
「そう。助かる」
昨日は元々、かねてより交流を深めていた婚約者との逢瀬の日だった。けれど、まさか以降の予定が崩れるほどの事態になるとは。早々に本題を切り出されて、各方面へ話を通すことに追われてゆっくりするどころではなかった。細々としたことは全て放り投げてどうにか帰ってきたが、実家で一泊することになってしまったのは計算外だった。今後暫く今回の件で呼び出しだの入電だのがあると思うと気鬱でしかない。こんのすけが適当にあしらってくれないだろうか。無理か。
「私もこれほどへこたれずに役目を果たせるとは思ってなかった。しかもこの本丸も、あなたたちも、今更他の人間に任せようとは思えなかったからね。遅かれ早かれ、同じことにはなっていたでしょう」
「他に好い女ができたわけじゃないのか」
「もしかしたらいるかもね。でも、どちらにせよ私は縋るほど感情的になれないことが分かってしまったから」
就任当初こそ刀剣の数は本丸の規模に対し少なすぎるほどだったけれど、彼らが人の身を得て言葉を話し、心を持ち、それらを通わせ共に暮らすことで、私の心が極端に不安定になることはなかった。噂程度だが、心の健康を害(そこな)った者もいると聞く。だから審神者としての資質云々以上に、環境への適性が高かったのだと思う。やり甲斐も感じていた。
それは幸か、不幸か。
少なくとも二年は過ぎた。その間、かねてより結婚を前提にしてきた彼はずっと私を待っていてくれた。気遣ってくれた。
平時であっても、警察官や自衛官のような職に就くパートナーを心配する人は多くいるだろう。その心労は計り知れないなと、客観的にさえ感じるのだ。実際のストレスは推察する以上のものに違いない。
彼は、私を心配し続けることに疲弊したのだ。
そして審神者を辞めるつもりのない私はこれからも彼にそれを強い続ける。彼の心に安らぎを与えられるほど、私の力は大きくなかった。もはや、ともに歩いて行くことはできないのだと分かってしまった。
たった二年で、と思う人もいるかもしれない。けれど、彼が私に心砕いた分が報われるほどには、私は彼に返せるものを持たなかった。それどころか、それこそたった二年で結婚を考えていた相手から別れを切り出されてそれに応じるほど、私は今の生活を心地よく感じていたのだ。不義理をしたというのなら、明らかに私の方だった。
「それで、話の分かる女になったと」
「別に、取り繕ったつもりはないけど。……円満というには、私は彼を疲れさせてしまっていたし」
どうでもいい存在になっていたわけでもない。だって今、確かに心に空虚を感じている。歴史を守るという大義はほとんど意識しなかった。ただ、彼との未来を思って審神者になった。これまでの思い出と信頼、今抱えている思い、そしてそれらが積み重なってゆくこれからの全て。大きな可能性の一つを失ったのだから、喪失感くらいあって当然だ。恐らく、彼も似たような気持ちでいたはずだ。……そうであってほしい。
「ま、どう転んでも自棄をおこさないなら、俺としては文句はないんだが」
「あなたはそうでしょうね」
「俺が大将と見込んだ御仁だ、心配はしないさ。……とはいえ、いざとなればどこにでも連れてってくれ。邪魔にはならん」
「覚えておくわ」
からりとした懐刀の言葉が目に染みた。私の思いに、歴史を守るという大義に寄り添ってくれる刀剣たちがいることの心強さ、互いに応え合う喜びを手放せない。だから、彼の幸せを私の中に見いだしてもらうことを止めた。
彼は自分の心の弱さを謝罪したけれど、彼の心に寄り添えなかったのは私も同じ。
だから、泣きたいほど淋しくなるだなんてお門違いだ。
「早速だが今いいか? 昨日大将が帰ったら迎える予定だった一振りが鍛刀部屋にいるんだが」
「そうね。そうだった。行きましょう。まだうちに揃ってない刀剣男士だといいのだけど」
乞われ、共に鍛刀部屋へ向かう。
私の本丸は多くがそうであるように、大敗を喫したこともなく順調に成果を上げている。検非違使に手こずることはあれど、時間遡行軍に対しては良い戦績を残してきた。審神者同士の横のつながりもそれなりにあり、相互扶助で盛んに情報のやりとりなどもしているから、極端な情報不足ということもあまりない。手探りで戦っていたという最初期の先達のことを思えば、これ以上ないほど恵まれていると思う。
それでも、刀剣男士たちを揃えることは難しかった。同じ名の刀剣男士は身体や記憶は別であるものの、意思疎通や状況把握などの問題から同じ部隊で出陣することはできない決まりがあり、ある程度ばらけている必要がある。だが、鍛刀すると言っても私自身が刀鍛冶の仕事をするわけではない。資材の分量を決めてそれを式神に打って貰うのだ。刀種によって縁(えにし)を結びやすい配分はあるが、私と付喪神が直接示し合わせて一振りの刀として成ることはない。同じく、戦場から依り代となる刀を持ち帰るのも私ではなく刀剣男士達だ。
私の仕事は、審神者としての力によってそれら刀を励起させ、付喪神を刀剣男士として降ろすことにある。そして彼らの持ち主として、この本丸という軍を率いて指揮を執ること。
「さて、……留守の間待っていてくれてありがとう」
部屋に入って、鍛刀の式神から出来上がった刀を受け取る。大きさと形状を見るに、打刀か太刀だ。この刀種が部隊にいると安定度が凄まじい。どちらでも喜ばしいことだ。思わず顔の筋肉が緩むのを感じた。
鞘に納められたそれに祝詞をあげ、付喪神を迎える。
審神者として刀に触れて、迸る力が桜の花びらになって散るその向こう。静かに私を見据えてくる初めての顔、その刀の姿に、まず歓迎の笑みが、喜びが湧くはずだった。
「……大倶利伽羅だ。別に語ることはない。慣れ合うつもりはないからな」
「 、」
落ち着いた声、佇まい、そして言葉の内容が。道を分かったばかりの彼と重なって、胸をきりきりと締め付けた。
それは、間違っても喜びなどではなかった。
「大将」
「っ、ああ……。ごめんなさい、大倶利伽羅。この戦い、この本丸においてあなたを指揮することになる審神者です。顕現してくれてありがとう。感謝するわ」
薬研藤四郎に小突かれて、どうにか言葉を紡ぐ。大倶利伽羅――事前に得た情報としては、当初太刀扱いだったがその後打刀に訂正された一振り――は已然として凪いだ表情で私を見下ろし、そして私の近侍へと一瞥をくれた。
「俺は薬研藤四郎だ。必要な案内は俺がやる」
「分かった」
「大将、今日は早いとこ切り上げて、上手い飯食って風呂入ったら寝た方がいい。前田に話しとくよ」
「……ごめんなさい」
「気にすんな。言ったろ、自棄起こさないなら文句なんてないさ」
軽く薬研に背中を叩かれる。そのまま二振りを見送った。大倶利伽羅は静かに私を見たが、目礼を返すと、そのまま黙って薬研の後をついていった。その背中が見えなくなると、私は胸に去来する感覚に膝をついた。
「ははは……」
情けなかった。
私は、私が思っていたよりもずっとずっと、あの人のことが好きだったのだ。
今になってじくじくと胸が痛む。息が上がる。ひ、ひ、と呼吸が乱れて、気づけば涙を止めることができなかった。なにも今になって、溢れてこなくてもいいのに。嗚呼、大倶利伽羅は黙っていたけれど、不安に思わなかっただろうか。顕現して直ぐの審神者の様子がおかしいなんて。
「大丈夫、だいじょうぶよ」
式神に気遣われて、一度大きく深呼吸をする。良くも悪くも敏い者が多いこの環境では、泣いたことはきっとすぐに分かってしまうだろう。極力、本丸の中を動かずに今日は書類を裁くことにしよう。へし切長谷部を呼びたいが、今回は止めておいた方がいいかな。何があったかを隠したくはないし、かと言って事情を放せば渋い顔をするに決まっている。まずないこととは言え、婚約者……元、婚約者への悪感情や未練など見せてしまえば、圧し切りに行ってしまいそうだ。
それはそれで長谷部を止めるのに必死になるだろうから気がまぎれるなと思いつつも、とてもそんな気にはなれなくて、私はゆっくりと立ち上がった。
心を柔らかく解くのは夜になってからにしよう。せめて陽が出ている間くらいは泣かないように努めなくては。
まさかここまで低い目標を掲げる日が来るとは思わなかった。こんな形で、あの人を深く想っていたことを思い知らされるなんて、思わなかった。
2020.02.15 pixiv同時掲載