心恋相語れり
(2)
「――で? 一ヶ月経っても未だに大倶利伽羅と上手く付き合えないと」春の景趣は立派なものだ。どの本丸でも庭の風景は同じようなものになるが、自分以外の審神者の本丸というだけで違和感があるのは、そこに住む刀剣男士たちと培ってきた経験が異なるからだろう。
「おい、聞いてるのか」
と、現実逃避をしていると、御茶請けにと出してもらった評判の羊羹を下げられてしまいそうになったので、私は慌てて頷いた。通信ではいつ聞かれるかもわからず、内容が内容なだけにみだりに口外することも憚られて、付き合いのある審神者の中でも大倶利伽羅といい関係を築けている人へ連絡を取って、相談に乗って貰うことにしたのだ。今日の近侍である平野藤四郎は連れているが、部屋の中に入れることはない。
「お恥ずかしながら」
「なるほどねえ」
婚約破棄の件も全て知っている相手のためか、緊張はしなかった。私よりも審神者歴の長いその先輩は私よりもずっと見聞が広い。人柄的にも頭ごなしに否定されることはないだろうという信頼もある。解決策が無くてもただ話を聞いてもらうだけでもと思っていたが、やはり吐き出すと心が少し軽くなるような気がして、私はほっと息をついた。羊羹と共に、お茶をいただく。
ちら、と目線を動かすと、先輩の後ろに控えていた刀剣男士と目が合った。数多の合戦場を踏破し、既に修行も経験した後の――大倶利伽羅だった。本人ではないとは言え、彼についての相談だと、あらかじめ伝えておいたのに。いつも大倶利伽羅を自慢されるが、そこまで仲がいいのだろうか。
「言いたいことがあるなら黙ってないで、こいつに聞け。俺を見るな」
私の視線をどう思ったのか、当人からため息交じりにそう言われ、挙句目を伏せられてしまった。確かにそうだ。
「……なぜ先輩の大倶利伽羅がここにいるんでしょうか」
「まあなんだ、一応考えあってのことだぞ、これも。だから恨めしそうな目で見るなよ」
「そうでしょうけど。いくら刀剣男士としての彼らが別個体だとして、他所の自分の話をされてはこちらの大倶利伽羅は迷惑でしょう」
巻き込んだ原因としてはいたたまれないが、余りにも気の毒だった。思わず憐憫の眼差しの一つも向けてしまうというものだ。しかし先輩の表情は寧ろ明るかった。
「ま! 今の段階でも収穫はある。お前が苦手意識があるのは自分の所の大倶利伽羅だけだってな」
「え?」
「とすると、そっちの本丸の大倶利伽羅も間が悪かったよなあ」
しれっと続ける先輩に、ついていけないのは私の方だった。
「どういう、」
「弱ってた所に突っぱねるような態度取られたから、そいつに対してずっと気が引けてんだろ。お前のことだ、最初で出鼻くじかれたのがずっと尾を引いてるのさ」
その通りだった。
「……心が弱くなることは誰にだって起こり得るし、いつそうなってもおかしくはない。季節が変わるだけでもなるんだ、いわんや、婚約破棄直後をや」
「はあ……」
「お前の中でそっちの大倶利伽羅は、お前の心を傷つける奴だって思っちまってるんだよ」
「そんなことはっ」
「頭の話じゃなくて、心の話」
ぐ、と、喉元までせり上がった感情がなんだったのか。それを精査しないままに押し込めた。
頭では理解している。大倶利伽羅についての情報も各所から仕入れて、どういう気質の刀剣男士なのか学んだ。多少性格に振れ幅はあるが、それは大倶利伽羅に限った話ではない。本人の弁の通り、一人を好み、群れるのを嫌ってはいるが、粗雑ではなく、寧ろ温厚だ。
「そら、現に実際に本人と話をせずに、周りから情報聞いてるんだ。心は正直さ」
「うっ……」
……刀剣男士たちがおしなべてそうであるように、彼もまた、決して誰かの心を傷つけたがるような刀ではない。
だから、問題は私にあるのだ。私が勝手に傷ついて、引き摺っているから、未だに大倶利伽羅を前にすると心が緊張してしまう。無言の間に息苦しさを感じる。その心の内を探ってしまう。多分、だから、大倶利伽羅の態度も自然と堅いものになるのだろう。
「傷つける奴ってのは言い過ぎかもしれないが、突き放されたように感じて、それが婚約破棄のことと重なって、お前の弱い所をガツンといっちまったんだろう。頭で理解してたって、心の反応は止められない。ま、恋みたいなもんさ」
……それは違うんじゃないだろうか。
思ったが、口にしたところで何が変わるわけでもない。ただ、先輩の大倶利伽羅も苦々しい表情をしていたから私の感覚はおかしくないはずだ。
「それで、厚かましい話ですが、なにかアドバイスなどがあれば教えていただきたくて」
本当に私自身の心持の問題であることが分かって、少し冷静になれた。一人で考えていると上手く付き合っていけない自分に嫌気がさして、大倶利伽羅と話をするのが億劫で、負のスパイラルが激しくて非常によろしくない。
「さて。お前もそっちの大倶利伽羅も、誰も悪くない話だと思うがね……大倶利伽羅、修行から帰った今、昔の自分に思うところはあるか?」
話を振られて、大倶利伽羅は静かに机に目を落とした後、私を見た。自分の所に顕現した彼と同じく静かな表情は、私の記憶にあるものよりもずっと穏やかで、優しく見えた。
「……出陣はしているのか」
「あ、はい。それは勿論。極力本人のやりたいことについては割り振りをある程度偏らせていて……ただ遠征も含め、出陣はマンネリ化しないように都度部隊の顔ぶれを入れ替えながら行ってます」
「そうか。……なら、そのままで問題はない」
「え、」
「刀として十分に使われているなら、気に病む必要はないと言っている。堂々としていればいい。無理に話すこともないだろう」
ゆっくりとした言葉が、染み込むように響いた。じっと私を見つめる目と感情の見えない声は柔らかく思えて、彼の温厚さが際立って見えた。
「同じ大倶利伽羅として言えるのはそれくらいだろうな。分かってるじゃないか」
先輩が鷹揚に頷く。そもそも大倶利伽羅はそんなに口数が多いわけではないし、主でもない人間に言葉を尽くす義理もないのだが。それでも、貴重な意見だった。
「ここにいる俺に聞くよりも、自分の所に降りた大倶利伽羅に直接聞け。その方が早い」
それができればここには来てないんですがそれは。
ということもできず、私は曖昧に頷いた。
「そら、お土産に茶菓子包んでやるから、帰って腹割って話してみな。また傷つくようなことがあったら、慰めてやる。というか、いっそ傷ついてこい。傷つくかもしれないのが恐くて歩み寄っていけないだけだ。ズタボロになれば吹っ切れる可能性がある」
大倶利伽羅の真摯な言葉、からの、そのものずばりな意見。その後にぶち込まれた人の心に土足で踏み入るような先輩の言葉に、私はざくざくと心を刻まれながら、縮こまって首肯するしかできなかったのだった。
先輩は傷つけ、と言ったが、大倶利伽羅にズタボロに傷つけられるほど嫌われているわけではない。……はずだ。
平野と共に自分の本丸の門をくぐると、畑仕事を終えたらしい大倶利伽羅と燭台切光忠とかち合った。今日は確か草引きがメインだったはずだ。近づいてくる二人ともが、じっとりと汗をかいているのが分かった。
「あ、おかえり。用って言うのは無事に終わった?」
「ただいま。まあ、それなりに」
「それならよかった。お風呂の準備はできてるそうだから、入ってくるといいよ。僕達も夕餉の前にさっぱりしてくるつもりだから」
「分かった。……大倶利伽羅」
彼だけを無視するのはおかしいだろうと声を掛ける。別の二人組でもそれぞれに声を掛けていたはずだし。
「……なんだ」
大倶利伽羅はじっと私を見た。その表情は静かで、なのに、初めて会った時のあの気持ちだけがリフレインして、言葉に詰まる。この一ヶ月で上手くコミュニケーションをとることができなかったのも大きい。苦手意識が育つのには十分だった。
「あの、本丸には慣れた? なにか不便があったら気軽に教えてちょうだいね」
「……」
「大倶利伽羅?」
言葉もなく見降ろされ、たじろぐ。微かに彼の眉根が寄った気がして、ぎくりとした。なにか、してしまっただろうか。
「伽羅ちゃん?」
光忠の声にも反応しない。どうしたのだろう、と疑問が膨らむ中、彼は、
「……なんでもない」
そう言いながら、私から目を逸らした。言うが早いか、さっと本丸の中へ引き上げていく。
「あっ……。うーん、主を出迎えるには確かにちょっと不適切だったかもしれないけど……。土と汗で汚れてるのは確かだし、僕も身綺麗にしてこようかな。それじゃあまた後で」
光忠が淀みなく大倶利伽羅のフォローをして追いかける。それを見送って、私と平野も足を動かした。
「……主君、」
「ねえ平野」
「はい」
「……私、別に変な事言ってないわよね……?」
不安そうな顔をしてしまっていただろうか。平野は安心させるように微笑んでくれた。
「大倶利伽羅様はあまりお話をされない方のようですので……ただ、ご自分のご意見ははっきりとおっしゃいますから。何も言われないのは、本当に、特に不便などはないということだと思います」
「そう」
平野の言葉に胸の内が重くなる。私はそんな風に、先輩が言うように、大倶利伽羅がどんな刀なのか、何も知らないままなのだ。今だってこうして平野から聞く始末。
このままでいいはずがない。今までは自分のことばかりだったが、何より、大倶利伽羅を上手く気遣ってやれていないことについて、私は事ここに至って初めて歯がみしたのだった。
2020.02.15 pixiv同時掲載