錯綜バイオレット

01: 思い起こせば

、アンタまたそれ見てるの?ホンット飽きないわね」
「……うん。今まで、いつもこれを見て頑張ってきたから……」
 友達に呆れられてもこのスクラップ帳を見るのだけはやめられない。ここにはたくさんの彼の笑顔。私はこの笑顔に長い間励まされてきたんだから。そしてこの笑顔は、私の原点であるあの約束へと導いてくれるのだ。
「本物がすぐ近くにいるんだから、卒業すればいいのに」
「ウッ……!これだけは無理なの!そ、それに私、この時の笑顔がホントもう大好きで……!」
「自分で作ったスクラップ帳見てニヤニヤするなんて怪しすぎでしょう。……今の彼じゃ不満なわけ?つっけんどんな態度はともかく、顔は良いわよね」
「う、ん……近寄りにくいし。それに、大体話しかけたところで何を話せばいいか分からないし……」
のタイプは癒し系年下タイプってことか。しかも超子ども」
「ちょ、ちょっと柚月!からかわないでよ!」
 もう!と言いながらスクラップ帳で顔を隠していると、万丈目くんが教室に入ってくるのが見えた。あ、そう言えば次の授業はオベリスク・ブルーと合同の実技だったっけ。なんて思いながら、いつも通り一人で背筋を伸ばして歩く彼を目で追う。
 柚月はそれに気づかないみたいにまだ話を続けていた。
「じゃぁはどんな人が好きなのよ?」
「エッ!?そ、それはあの、……や、優しくて、笑顔がすごく可愛くて……」
 もごもごと呟きながら思い浮かべるのは幼い彼の姿だ。
「それってまんま、丸藤翔じゃない?」
「もーっ!だから、違うったら!私が好きなのは、」
「好きなのは?」
「うっ……だからその、うう……」
 柚月のニヤニヤ顔を恨めしく思っていると、万丈目くんがこっちに歩いてきた。
 目が離せなくて、じっと彼の顔を見る。精悍な顔立ちは入学当時から見てきた険しい表情と言うよりも、どこか落ち着きのある静かな表情に見えた。つい最近彼のデッキから光と闇の竜が現れてから、彼の表情が心なしか柔らかくなった気がする。
 と思っていたら、バッチリ目が合ってしまった。
「……!」
 ドキリとして、不自然に顔をそらして柚月の顔を見つめてしまう。そのまま万丈目くんは私たちの近くを通り過ぎてしまったけれど、これ以上彼の姿を目で追うことは憚られた。
「何よ?」
「う、ううん」
「まぁでも結局はまだまだ小さい王子様にお熱なのね」
「もう、その話止めない?」
「本物がすぐそこにいるのに写真、しかも過去の写真でしか満たされないアンタが哀れで仕方ないのよ」
 そう言われるとぐぅの音も出ない。
 だって、ずっとずっと好きだったのだ。あの、可愛い男の子が。幼い頃に見た笑顔が。
がそれから卒業できるのと、この学園から卒業できるのと、どちらが可能性として高いのかしらね」
柚月、酷い……」
「自覚症状はあるんでしょうが。どうにかしなさい」
 ウウッと呻いて、それでもやっぱり私はスクラップ帳の陰に隠れるしかないのだった。



『楽しい決闘をしよう』
 幼い頃の、小さな約束。今まで一度も忘れたことはない。私の中の大切な思い出。辛い時も悲しい時も、挫けそうな時も、私を奮い立たせてくれた。いつだって約束した男の子の笑顔が目の奥に焼き付いて離れない。それを励みに今日までやってきた。だからこそ、晴れてデュエル・アカデミア入学までこぎつけたのだけれど――……
小鳥遊ッ!待てと言ってるだろう!!」
 どうしてその男の子に、こんなすごい剣幕で追いかけられてるの!?
「オイ!」
「ッ」
 ゼェゼェと、およそ可愛いとは言い難い息遣いで私は立ち止まらざるを得なかった。強く腕を掴まれてそのまま校舎の壁に押し付けられる。背中に広がるひんやりとした感覚が心地いいなんて場違いなことしか思い浮かばないくらい、私の体は熱かった。
 それもこれも原因は全て、今目の前でオベリスク・ブルーの制服に身を包んだ男子生徒・万丈目準にあるのだけれど。昨日目が合って以来、こうやって暇があれば追いかけっこの連続だった。
 なぜか?分からない。私が聞きたいくらいだ。あれから物凄く睨まれるようになってしまった。私も私で癖のように彼のことを目で追ってしまうものだから、自然、彼と目が合う頻度は抜群に高くなった。嬉しいやら悲しいやら。けれどあんまりにも彼が怖いので、彼に呼び止められるたびに駆け出してしまう反射が新しく出来た。
 時には女子トイレに逃げ込む作戦もしてみたのだけれど、どうしても授業の後の移動時間で彼の行動範囲内に入ってしまうとこうやって追いかけられるのだ。怖くて怖くて逃げていたけど、お昼休みになってとうとう運悪く捕まってしまった。
「……ハァ、一体、なに?万丈目、くん」
 何とか息を整えながら私は彼を見上げた。私と違って、彼の息はさほど乱れていないように見える。
「オマエ、なにか隠しているだろう」
「な、なんのこ」
「分からんとは言わせんぞ。ずっと前からオレのことを見ていただろう」
 なんて自意識過剰な!と言いたいところだけれど、彼の言っていることは真実だから仕方がない。仕方がないのだけど、私の行動はどうも彼にとっては非常に嫌なことらしい。
「大体、やましい事がないならなぜ逃げる」
 ぐ、と彼が私の腕を掴む手の力が強くなって、私は思わず身をよじった。もちろんそんなことで彼が手の力をゆるめるはずはないのだけど。
「……そんな風に怖い顔で追いかけられたら、それでなくても物凄く睨まれてたんだし、誰だって逃げるよ……ッ」
 半ばやけになってそういうと、彼は私をひたと睨みつけた。それから一つ息を吐いて、私の腕を放してくれた。その代わりに両手を壁につく。私を挟んで、逃がしはしないとでもいうかのように。
「とにかく、オレの質問に答えてもらうぞ」
「……なに?」
「……」
 自分から切り出しておきながら万丈目くんは少し言い淀んだ。けれどすぐに口を開いて
「闇の決闘を知ってるか」
 何か意を決したような硬い表情で、その言葉を口にした。
「闇の……?」
 何かの冗談でないことは分かる。そもそもそういう類のことは言いそうにない人だから、きっとこれも真剣に聞いてるんだろう。
「あの、それって、一昨日の黒い霧に包まれた決闘のこと?」
「……!そうだ。オマエも見えていたのか……。見たところアイツらの仲間には見えないが、精霊のカードを持っているのか?それとも、オマエもアイツらと同じようにカードを奪うのが目的か」
 彼の顔は険しいままだ。
「あの……」
「何が目的でオレを見ていた」
 矢継早に聞かれて、私はどれから答えたものかと考えあぐねた。何か分からないが彼は何か大きな誤解をしているようだ。
 もうずいぶんと整った息で私は一度深呼吸をすると、切り出した。
「あの、万丈目くんは覚えてないかな」
「何をだ」
「私たち、まだもっと小さかった頃に、決闘をしようって約束をしたんだよ」
 決闘盤も持ってなかった頃の話だ。まだM&Wが、カードゲーム程度の物だとしか思っていなかった頃。それ以上でも以下でもなく、カードを並べて決闘していた頃。
「私、万丈目くんが決闘者になるって決めたすぐ後に引っ越しが決まって、そのお別れのときに言ってくれたよね。『次に会うときは必ず決闘しよう』って。『楽しい決闘をしよう』って。それから後、万丈目くんが活躍するのを、私はずっとテレビや新聞で見てた」
「……」
 なんとなく気恥ずかしくなって、私は目線を下げた。
「万丈目くんを見てたのはね、アカデミアに入学した時から気になってたことがあるから。ジュニア時代ずっと一緒だった光と闇の竜を、アカデミアでは一度も見たことがなかったから……。いつでも一緒にいたでしょ?」
 あんなに一緒に楽しそうにしていたのに、というと、万丈目くんの息が詰まったのが分かった。
「それにあの変な決闘の時……。万丈目くん、血が出ていたよね?遠くからだったけど、私、見たの。決闘が終わったらなんともなさそうにしてたし、相手も倒れるしでうやむやになっちゃってたけど……あの、大丈夫なの?……って、その、聞きたかったと言うかなんというか、あの勝手に心配してただけなんだけど……」
 気づいたら今まで言いたくても言えなかったことをここぞとばかりに口にしていた。
「……万丈目くん?」
 黙り込んだ彼を見上げると、彼はなんとも形容しがたい表情で私を見ていた。
「……あの?」
「オマエ、遊城十代のハネクリボーも見えるのか」
「え?あ、うん」
 答えると、万丈目くんはなにか少し考えるように黙って、一つ息をついた。
「オシリス・レッド……天性の引きの悪さが足を引っ張っていると言ったところか。決闘者としてはかなり致命的だぞ」
「!もうっそんな変なところばっかり覚えて……!」
「あの引きの悪さは忘れられん。その強情さもな」
「――ッ!私だって分からなかったくせに……」
「そのことは謝る。……それにしても、何故今まで黙ったままだったんだ?入学後オレだとすぐに分かったんだろう」
「それは……その」
 さっきよりも万丈目くんの声に厳しさはなくなっていたし私も緊張がほぐれていたけれど、私は返答に困ってしまった。これを本人に言ってしまってもいいものか――……
「?おい、どうし」
「あー!いた!!!と、万丈目!」
 言おうか言うまいか迷っていると、よく知った声が聞こえた。少し視線をずらすと、こっちに走ってくる十代の姿が見えた。その後ろには翔くんも見える。
「万丈目!何が何だかしらねーけど、こんなとこでいじめるのやめろよ!」
「な、オレはただ」
「何言ってるんスかアニキ。どう見ても万丈目くんがちゃんを口説いてるところでしょ」
「ハッ?」
 急に賑やかになったなった場に、私と万丈目くんはそろって固まってしまう。その間にも十代と翔くんはやんややんやと話し続ける。
「ハァ~?翔、オマエこそ何言ってんだよ。こんな人気のないようなところでを逃がさないように壁に追い詰めてるんだぜ?こうまでするからには万丈目にも理由があんだろうけど、見過ごせねーよ」
「だからァ、アニキのいってるシチュエーションはそのまま……あっ!もしかしてもう二人は付き合っててボクたちすごいお邪魔虫なんじゃ」
「しょ、翔くん!何言ってるの!」
 違うよ!と抗議してみるも、たしかに二人の言うようにここは人気のないところだ。逃げるときに誰かにぶつかったら危ないと思ってわざと人の少なそうなところへと走ってたから。それに、私はまだ万丈目くんと壁の間に挟まっていて普通の雰囲気じゃなさそうなのも、まあ、事実と言えば事実だ。
「くだらん。オレは小鳥遊に聞きたいことがあっただけだ」
「ホントかよ」
「ホントだよ、十代。私が逃げちゃったから、こんな場所で話すことになっちゃっただけで」
「まあ、万丈目も誰かをいじめたりするような奴じゃないとは思うけど……」
 まだ納得しかねている十代に念を押して、とにかくいじめではないことをアピールすると、何の話をしていたのか尋ねられた。
「例の件についてだ」
「例の?」
「……気付け。オレとオマエが見えるものについての話だ」
「!ああ、そういやもハネクリボーが見えたっけ」
 こそこそと話し合う二人に翔くんだけが一人ついていけないような顔をしている。……まあ、カードの精霊が見える、なんて言ったら頭がおかしいだろうと思われちゃうし、たとえ友達でもなかなか言える話ではないよね。
「あの、それで、昔の話をね、その、せっかくお話できたから……」
「!そっか、、万丈目のこと昔っからスゲー好きだって言ってたもんな!」
 良かったじゃん、話が出来て!と笑う十代に、これっぽっちも悪意があるわけじゃないことは分かる。分かるんだけどっ
「あ……ぅ……」
 万丈目君と目が合ってしまって、どうしようもなくまた身体が火照ってくるのが分かる。
「ち、違うの万丈目くん!あっ、いや、違わないけど、違うの!」
「落ち着け」
 万丈目くんは落ち着き払っていて、逆にそれでもっと焦ってしまう。
「万丈目くんのことはお別れした後もずっと応援してて!ふ、ファンというか、その」
 どう言えばいいか分からなくなってしまって、自然と顔が下がり、彼の青い制服を睨みつける形になってしまう。
「……憧れっていうか……万丈目くんがオベリスク・ブルーの制服を着てるって分かった時、ジュニア時代の活躍が認められたみたいで、自分のことみたいに嬉しくて、誇らしくて……。私も、頑張ろうって気持になるから。私、ずっとそうやって万丈目くんに励まされてきたから……!」
 ぐい、と無理やり顔をあげると、万丈目くんの静かな顔が視界に飛び込んでくる。
「わ、私にとって特別、なの。そういう、意味、デス」
 十代と翔くんがいるのにとんでもないことを口走ってしまったとは思うものの、これが私の気持ちだから仕方ない。
「……そうか」
 クールに処理されるかと思いきや、意外にも至近距離で見た万丈目くんの顔は柔らかかった。――そう、小さかったころの面影がはっきりと分かるほどに。
 あ。
 トクトクと胸に暖かいものが広がっていく。スクラップ帳の写真を眺めていた時と同じ感覚。

「……アニキ、ボクたち本当にお邪魔虫みたいッスよ」

 ひそ、と翔くんの声が聞こえて、私たちはハッとなった。万丈目くんが私から離れる。心なしか慌てているように見えるのは気のせいだろうか。
「そ、そう言えば十代、翔くん、どうしてここに?」
「ああ、そうそう!オレさー明日の小テストやべーんだよ。筆記は点数よかったろ?だから教えてもらおうと思ってさ!」
「そういうこと……。翔くんは筆記の心配はなさそうだけど?」
「ボクはアニキについてきただけだから」
 にこ、と笑う翔くんに、小さい頃の万丈目くんの笑顔が重なる。
「それじゃ、夕食の後私の部屋に来てよ。就寝時間まで空けとくから」
「おうっ!サンキュー、恩にきるぜ!」
「どういたしまして」
「そんじゃ、邪魔して悪かったな!」
「だっ!?」
 邪魔って何よ邪魔って!と言おうとしたけど、既に十代はその場から遠く走り去っていた。翔くんの小さな背中もさらに小さく見える。元気なことは良いけれど、ハラハラドキドキの連続で少し疲れた気もする。そういや、まだお昼ごはん食べてないっけ……。
「……まだ昼休みが終わるまで時間がある。邪魔したな」
「え、あ、ま、まって!」
「?」
「あ、あの、あの変な決闘の時の怪我は大丈夫……?」
「……ああ。オマエが気にすることじゃない。オレが言ったことも忘れて構わない」
 万丈目くんはそう言って一度も振り返ることなく、青い制服をひるがえして歩いて行った。十代たちとは違う方向に。その背中が見えなくなるまで私はずっと見つめて、その場に立ち尽くしていた。
 今まで見ていた同じ背中なのに、今までとは違う気持ちだった。
 やっぱりまだ話しかけにくいけど冷たいわけじゃないみたいでホッとする。
 彼に掴まれていた部分が熱い。それはまだ壁に残る冷たい感触と相まって、余計にそう思えた。

2010/06/13 : UP

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