錯綜バイオレット
02: 下心大作戦
「歩くんの引きの悪さは運命的だな」
最早感嘆の域に達した三沢くんのため息に、私はウウッと呻くしかできなかった。
引きの悪さをカバーできるようなデッキ構成について、博士と名高い三沢くんを頼って相談しに来たのは良いけれど……正直自信をなくすだけのような気がしてきた。お昼休みの空き教室に生徒の気配はない。中庭に面した廊下側から賑やかな声はするけれど、その喧噪もこの中では微かにしか聞こえない。
「歩くんが勝ちに行くためには、ロックバーン・フルバーン・心配ならウォールバーンデッキで構成したほうが手札事故の確立も減るだろうな」
「やっぱりそうなるよね……」
私の場合貪欲な壺や手札抹殺、その他カード効果で起死回生のドローを狙っても、まずお目当てのカードを引くことはできない。こればかりはデッキ構成がどうのとかはもう関係なくなってくるし、引きの悪さをカバーするためには出来るだけ手札事故を起こさないデッキを作るのが一番だ。前に十代と決闘した時は何もしないまま終わってしまったし、せめて負けたとしてもいい決闘がしたい。
並べられたカードたち。私たちは頭をくっつけるようにして唸り声をあげた。
「でも、君は本当にしたいのはバーン系デッキじゃないんだろ?」
苦笑気味に三沢くんが言う。
「勿論!私が目指してるのは、楽しい決闘なの。その上で勝ちたいのよ」
「そう言うと思ったよ。歩くんなら欠点の自覚くらいあるだろうし、それを補う方法だって知ってたと思うしね。何よりわざわざオレに相談しに来るくらいだから」
「付き合ってもらってごめんね。埋め合わせは必ずするから」
「期待してるよ」
快活に笑う三沢くんにホッとしながら私はカードの整理をした。机の上に広げている手帳には三沢くんからもらったアドバイスの数々がびっしりと書かれている。がんばった。ちょっと手が痛い。
「ああでもよかった。三沢くんが優しくて。話したことなんてなかったから、すっごく緊張してたの」
「オレは前から気になってたよ。十代とは反対の意味でね」
「アハハ……」
「そんな子にいきなり呼び出されたから驚いた。告白でもされるのかって」
くすりと肩をすくめ、三沢くんが笑う。告白という言葉にドキリとしたけれど、私もつられて笑ってしまった。
「色気のある話じゃなくてすみませんね」
「まさか!大歓迎さ。それに……万が一告白だったらどう断ろうかって思ってたし助かった」
「……三沢くん、彼女いるの?あ、むしろ彼女作らないタイプの人?」
尋ねると、三沢くんは照れ臭そうにはにかんだ。
「今のところは片思いってやつかな」
「へぇ、誰なの?って聞いてもいいかな。もしかしたら協力できるかもしれないよ!恩も返したいし」
「い、いや、歩くんにそこまでしてもらうつもりは……」
「無理にとは言わないよ」
異性に協力者がいれば心強いはず。それは三沢くんにとってもメリットになるはずだ。勿論知り合ってすぐでそこまでホイホイ喋ってくれるとは思っていないけど。……当然の反応でも、残念ではある。
そう思っていると三沢くんは少し迷った後囁くように口元に手を当てて、顔を寄せてきた。私もそれに合わせて耳を差し出す。三沢くんの口からかすれた声が飛び込んできた。
「明日香くん、なんだ」
「!そうなの」
「言いふらさないでくれよ」
「勿論だよ。応援してる」
天上院さんと言えばスタイルもよくて、美人で、決闘も強くて、まさにオベリスク・ブルーの制服がよく似合う一年生だ。そういう意味では万丈目くんも同じ言葉が当てはまるんだけど。気さくで私にも話しかけてくれたことがある。制服の色で人を見ない、人徳のある子だと思う。ただ、恋愛面には疎いという話を柚月から聞いたけど。
「三沢くん、すごい人が好きなんだね」
「ハハハ……そういう歩くんは?誰か好きな人はいないのかい?」
「私?私は……あ」
ここはひとつ、私からも話すことでもっと仲良くなろう。きっとなれるに違いない。そんな下心も芽生えたところで、廊下を歩いてきたらしい万丈目くんと目があった。廊下側の窓も入り口も開いているから、彼の上半身が私たちの方へ向くのが分かる。手を振ってみると、彼は少し口元を緩めた気がした。
「万丈目じゃないか。どうしたんだ?」
三沢くんも彼の方に向き直って手をあげた。万丈目くんは入口のドアにもたれかかって腕を組んだ。
「たまたま通りがかっただけだ」
だとしたら、どうしてそのまま歩いていかないんだろう。僅かな疑問を口に出す前に、三沢くんが私を振り返った。
「そうだ、万丈目にも聞いてみたらどうかな」
「え?」
「良いアドバイスが貰えるかもしれないよ」
「そっかな……万丈目くん、ちょっと良いかな」
「なんだ」
控えめに手招きすると、万丈目くんは静かに私たちのところに歩いてきてくれた。
「今ね、三沢くんにデッキ構成について相談してたの。もしよかったら万丈目くんも見てくれないかな」
言いながらデッキを渡すと、万丈目くんは丁寧に手に取ってみてくれた。まだ少し怖いけれど、その手つきを見ていると小さい頃と同じ、優しい人なのだなと思う。自然と頬が熱くなった。デッキを見つめる万丈目くんの目も、顔も、真剣そのものだ。
「……もっと使いたいカードを使え」
「え?」
「共に戦いたい相棒がいるんじゃないのか?もっと自分のデッキを信じてみろ。答えは自ずと出るはずだ」
綺麗に万丈目くんの手で揃えられたデッキを、私は畏まったように両手で受け取った。
「……ありがとう……」
「まあ、真理だな」
よかったな、と三沢くんが言ってくれる。私は頷いた。
「十代の近くにいていつも聞いているのに、万丈目くんから同じ言葉が出るとハッとさせられるね」
「引きの良さのせいで素直に聞き入れられないのかもな」
言われて、そうかもしれないと私は思う。十代を相談役として全く対象に入れなかったのは、今万丈目くんが言った、『デッキを信じろ』しか言わないと思ったからだ。具体的な方法を求めながら、私は本当はデッキを信じられないことから目をそらしていたのかもしれない。
「そうかもね。万丈目くんに聞けて良かったよ」
ありがとうと言うと、大したことは言ってないと返された。
「……小鳥遊。さっきいつも一緒にいるラー・イエローの女子が探していたぞ」
「柚月が?……なんだろう」
私はデッキを仕舞うと席を立った。
「教えてくれてありがとう万丈目くん。三沢くん、今日は本当にありがとう。参考にするよ」
「いつでもどうぞ。ああそうだ、連絡先教えておこうか」
「ホント?やった」
私は素早く三沢くんと電話番号、メールアドレスを交換すると教室から飛び出した。万丈目くんが睨んでいたような気がするけど、前みたいに何か私に聞きたいことでもあるのかもしれない。言いたいことがあるならまた向こうから来てくれるはずだから、あまり気にしないでおこう。
それより、柚月の用っていったい何なんだろう?
結論から言うと、柚月とはその日の夕方、夕食の時にやっと会うことが出来た。柚月の携帯の充電が切れていたらしく、本人を探すしか方法がなかったのだ。しかもお互いがお互いを探し歩いていたせいで、余計に会うのが難しかったようだ。
賑やかな食堂で私たちは手を合わせてから夕食を開始した。あたりは色とりどりの制服にあふれていて活気に満ちている。育ち盛りの年代が集まっているせいか、少し耳を澄ませばおかずの取り合いをする声が聞こえたりする。
「用ってなんだったの?」
「大地にペガサス島のDVD借りたのよ!だから歩も一緒に見ないかと思って」
「本当!?見るー!」
「決まりね。今度の日曜日、じっくり見ましょ」
「うん!」
ペガサス島と言えば今はもう手に入れにくいレアものだ。さすが博士の異名をとるだけあって三沢くんはすごい。
「明日香も誘ったんだけど、もう借りて見ちゃったらしくってさー」
「へえ、そうなの……」
どうやら三沢くんは片思いと言えど見てるだけではないらしい。頑張り次第では彼の恋は実ると言うことだ。多分、並々ならぬ頑張りが必要だろうけど……。
賑やかだけれど全寮制ならば多分普通だろう夕食を終えると、私たちはそれぞれの寮へ戻るために席を立った。いつも通りの光景で行動だ。けれど、今日は違っていた。
「小鳥遊」
「あっ……万丈目くん!」
声が上ずってしまって柚月ににやにや笑われてしまったけど、気にしているほどの余裕もない。
「この後何か予定はあるのか」
「特にないけど……どうして?」
「今日、空き教室に手帳を忘れて行っただろう」
「……!ああっ!!」
あまりにもショックが大きすぎて大きな声が出たけれど、そこは大目に見てほしい。何せあの手帳の中には今まで紙媒体のメディアに取り上げられてきたものの中でもとびきり写りが良いカラー写真――勿論今目の前にいる万丈目くんのジュニア時代の――が、挟み込んであるんだから。
「な、なか!!!万丈目くん中見てないよね!?」
「あ、ああ」
思わず声を荒げると、たじろいだ万丈目くんが半歩片足を下げた。
「オレの部屋に置いてある。後でお前の寮まで持って行く」
「え?それなら今、私が万丈目くんの方まで付いて行くよ?」
首をかしげると、万丈目くんは少し間を開けてから口を開いた。
「それだとオレの都合が悪い。今から直接寮には戻らないからな。30分後にはそっちに着くようにする」
「そっか。じゃぁ待ってるね」
「ああ」
万丈目くんはそういうと足早に去って行った。いつも通り背筋をピンと伸ばして、迷いのない足取りで。
「随分仲良くなったのねェ」
……残念ながら柚月にからかわれて完全に見送ることは出来なかったのだけど。
「早く帰っておめかししなさいよ」
「手帳を受け取るだけだよ……」
別れるまでその調子で私は寮に戻った。柚月と別れてしまうと、今度は期待で胸が膨らんでしまう。ソワソワと落ち着きなく部屋の中をうろつく。時計の針が一つずつ進んで行くのが楽しくて仕方がない。一分一秒が過ぎるごとに確実に彼に会える。しかも、彼の方から会いに来てくれる。そう思うと夢を見ているような心地になった。
五分部屋の中で待っていたけれど、待ちきれなくなって私は部屋を出た。
まだ外は明るいのに、私はもう今日が終わる気さえしている。素敵な出来事で一日を終えたいと思っているせいかもしれない。だって、一日の終わりをシメるのが万丈目くんなんて素晴らしすぎる。
どうかその素敵な時間をだれにも邪魔されませんように!と祈りながら待っていると、万丈目くんが歩いてくるのが見えた。何となく携帯で時間を確認する。まだ食堂で別れてから20分も経ってない。私からも歩いて行くと、万丈目くんは確かに私の手帳を持っていて、それを渡してくれた。
「余程大事らしいな」
「あ、はは……ちょっとね、大事な物を挟んでるから」
単に彼が来るのが楽しみ過ぎて待ち切れなかっただけなのだけど、万丈目くんには私が手帳を早く手にしたいからだと思っているようだ。その方が都合がいいので訂正はしないでおこう。
「早かったんだね。ゆっくりでよかったけど……」
「あんなに焦っていたのに遅れても良かったのか?既に待ちきれない風だったが」
万丈目くんが意地悪そうな笑みを浮かべて、私はウウッと呻いた。
「わざわざごめんね、あと、急いでくれてありがとう。……三沢くんならもう連絡先交換したから、教えてくれてもよかったのに、どうしたんだろ」
「……さあな」
あの時一緒にいた万丈目くんなら知ってるだろうことなのに、目をそらされて私は首をかしげた。特に口にするようなことがなかっただけなのかもしれないし、あまり気にしないでおこう。もし私の印象が悪かったのなら、連絡先の交換なんて話が出るはずないんだし。今日の柚月みたいに、携帯の充電がきれたとか、もしかすると何処かに携帯忘れちゃったとか、いろいろ事情があるかもしれないし。
「万丈目くん」
「なんだ」
呼ぶと、私の方を見てくれる。
「今日は、本当にありがとう。いろいろ」
「オレは何もしていない。……もう忘れるなよ」
「うん。……オヤスミ」
ホントに手帳を渡してもらっただけだったけど、私は歩いて行く彼の背中を見送って、その姿が見えなくなると同時に手帳の中を確認した。そこには変わらず彼の写真が綺麗に挟まっていた。……これを見られるかもしれなかったのだと思うと血の気が引くどころの話ではないくらいの思いがする。三沢くんも万丈目くんもいい人でよかった。
「……?」
ふと、栞のように、あるいは付箋のように手帳に挟まっている紙に気付いて私はそれを引きぬいた。少なくとも私が自分で挟んだ記憶はない。何なのだろうとそれを確認した瞬間、私は全身が総毛立った。
綺麗な字で電話番号と、メールアドレス、そしてその下に『万丈目準』と書かれていた。
紙を持つ手が震えるのを止められない。私は何度も彼が去っていった方向と紙面とを交互に見つめて、そしてたまらなくなって部屋に駆け込んだ。ひどい音を立てていたけど、それを口うるさく言うような輩はレッド寮にはいない。
携帯を両手で持つ。自然と正座になる。紙を目の前にここまで神妙になるのも、ひとえに彼のなせる技と言える。
一文字ずつ丁寧に入力する。アドレス帳に新規登録。それからゆっくり深呼吸をして、電話番号を呼び出した。そこでそう言えばまだ別れてから時間が経ってないことと、向こうが私の番号もアドレスも知らないことに気付いてメールに切り替えた。自分の電話番号とメールアドレス、名前を書いて送信先を決める。最後まで迷って、また本文を開いた。『もうすぐ電話する』と言葉を添えて、送信。
ドキドキしている。ソワソワ度がさっきの比じゃない。
取り敢えずこの紙は私の宝物だ。超レアものだ。スクラップ帳を引っ張り出して、一番新しいページに貼りつけた。頬が緩んでしまう。柚月には難しいと言われたけれど、もしかしたら本当にこのスクラップ帳から卒業する日が来るのかもしれないとさえ思えた。それくらい、どんどん今の彼を気にしてしまう。
私はこうしちゃいられないとお風呂に入る準備をしようと立ちあがった。
ピピピピピ!
「!ひゃ」
急に携帯が鳴りだして慌てて拾い上げる。
ディスプレイにはさっき登録したばかりの『万丈目準』の文字。震える手で、通話ボタンを押した。どうしよう、話すことなんて何もないのだけど。どうかどうか、上手く話せますように。
「……もしもし?」
真っ白な頭が、彼の声でいっぱいになる。
2010/06/13 : UP