錯綜バイオレット
17: 新しい日
「おはよう!」
まず真っ先に見せたい人なんて決まり切っていた。
彼の部屋に駆け込んで脱衣所を借りる。まあ、借りると言っても部屋に入れてもらってからは問答無用で押し入ったようなものだから許可をもらってないしそう言う言葉が適切だとは言いにくいんだけど。
肩にかけていた鞄からまだ一度も着たことのない制服を取り出す。まっさらな匂いに頬が緩んだ。感慨に耽るのもそこそこに、まず着ている私服を脱ぐ。スカートを穿き替えて、それから白い上着に腕を通りてボタンを止める。二の腕が出ているだけで少し落ち着かない。グローブをはめて、靴もシューズからブーツに履き替えた。脱いだ服は畳んで鞄に。脱衣所の鏡で自分なりにおかしくないかチェックして、ドアを開けた。
律儀にドアの前で待っていてくれた彼の前で手を広げてみせる。
「ね、ね、どうかな?変じゃない?」
くるり、と回って見せても彼の反応は薄かった。目を丸くして驚いているのは分かるのだけれど、何に対してなのかがイマイチつかめない。
まだ早朝と言える時間だ。彼は制服ではなかったけれど、黒いスラックスにシンプルな薄いブルーのカッターを着ていた。日曜日なのにしっかりしてるなァと感心する。
そう、今日は日曜日だ。そして私がブルー寮へ移動する日でもある。
先生からその報せを受けたと言うことは既にみんなにも伝えてあるのだけど、具体的な日程までは彼には内緒にしていたのだ。彼を驚かせたくて。そのもくろみは成功したけど、なんか期待してたのと違う気もする。
「……今日、なのか?」
「うん。……それで、変じゃない?ちゃんと似合ってる?」
前からすぐに答えてくれないところがあったけど、不安もあって先を急かした。彼は短く「ああ」とだけ。
「それだけ?」
もうちょっと何か言ってくれてもいいんじゃないかな、と抗議を込めて言うと、彼は他にどう言えばいいんだと息をついた。
「ただの制服だろ」
「本当に何かもっと、言うことないの?」
「……寒くないか」
「あ、慣れてないから少し寒いかな。……って、そうじゃなくって」
可愛いとか、かわいいとかカワイイとか!
何故かアカデミアの女子は同じ一年生でもスタイルが抜群にいい子たちばかりで私は見劣りするかもしれないけれど、折角、その、いわゆる恋人同士なのだから、なにかあっても良いと思うのに。後は寮昇格のお祝いとか。ああでもそれは前にも言ってくれたっけ?何度でも聞きたいくらいだけど。
悔しいやら寂しいやら肩透かしを食らったやらで、勝手に張り切って勝手に落胆した私は小さくため息をついた。
「歩は歩だろう。少々服が変わったところで言い様が……、そう言えば少し太ったか?」
「!!」
言うに事欠いて、それッ!?
酷いよ!と詰め寄ろうとすると、彼の目線が徐々に下がっていく。全く動じない様子に、私は少し期待も込めて彼の表情を観察した。
「道理で最近抱き心地がよくなったと……。ああ、制服が変わったせいか身体の線がよく分かるようになったんだな」
全く表情を変えないまままじまじと呟いて一人納得する彼に、私は何も隠せはしないのに両手で自分の身体を抱きしめた。
「も、もういいよ!あんまり見ないでっ」
「他に何かないかというから探したんだが」
彼がクス、と笑う。……わざとか!!
ぐうの音も出なくて、私は黙って彼を睨みつけた。と、そこでやっと新しい発見をする。
彼の顔が、いつもより近い。ヒールが高くなったからだろう。彼もそれに気付いたのか、ふとその眼が緩んだ。彼の手が伸びてくる。逃げることなく捕らわれ、その瞳のまま見つめられた。……恥ずかしくて俯くと、彼の指がそっと私の髪を梳いていく。今日は顔と顔との距離が近いからいつもよりも彼の呼吸を感じやすい。
この独特の空気に私は未だ慣れなくて、彼もそれを分かっているのかくすりと笑われる。何、とたまらずに声を挙げると、彼は何でもないと再び笑うのだった。
「……引っ越しは昼からか?」
「ううん、午前の内に済ませちゃうつもり。あんまり私物もため込んでないから、すぐに済むと思う」
「手伝いに行く」
心なしか彼の声は弾んでいて嬉しそうだ。……前々から早くブルーに来い、とは言われていたけど、ここまで嬉しそうにされると私も嬉しい。成績が上がったら、と自分で決めていたから今までずっとその部分で彼とは対立してたし。結局私が意地を張り通したんだけど、男ばかりに囲まれて嫌ではないのか、気にならない、オレは気にする、心配しすぎ、の応酬を幾度やったか知れない。柚月を引き合いに出してもレッド寮の防犯設備は酷いからといわれるばかりで彼は不満そうだったから。
「うーん、嬉しいけど、きっとヒマだよ?」
少し小首をかしげつつ笑い返すと、彼は不思議そうな顔をした。私はそんな彼を見て、すでに手伝ってくれる人がたくさんいるのだと説明する。
「レッド生のみんなが張り切ってるから」
「どういう風の吹きまわしだ」
「みんなこれに乗じて女子寮に入れるかも、って」
まあまずないと思うけど、私は助かるから黙っている。そう言うと彼はなかなか強かだな、と複雑そうな顔をした。
だって重たいものなんてほとんどなくて、面倒なのは往復なのだ。だから人手は多い方がいい。あえて重い物と言えばカーペットや雑誌や本くらいなものだけど、カーペットは女子寮の備品の方が質がいいから要らないし、翔くんがもらってくれることになったし、雑誌のバックナンバーや本だって要らないものはこれを機に処分するつもりでいるし。そういうものはもう整理したから、まごつくことはないだろう。
あ!でもスクラップ帳だけは責任を持って私が運ぶけど!!
「神島もブルーへ?」
「そうだよ。同室なの」
通常、というか普通女子が寮移動をすることは勿論ない。だから自然と柚月を部屋を共有することになるのだ。……そう言えば柚月と制服を見せあいっこするんだった。しかも私が朝元気というか気力のあるうちに、って言いだして、それから……一緒に写真撮ろう、って約束したんだ!
制服姿は一番最初に準くんに見て欲しかったから慌ててきたのだけど――柚月、探してくれてるかも。
「ごめん準くん、大事な用事思い出した!」
「ああ、オレは別に」
あっさりとした彼の言葉にそういや私が押し掛けただけだったことも思い出す。
「ちょっと一っ走り行ってくる!」
「オイ、走るのは……」
準くんの声を聞き流しながら急いで脱衣所に振り返ろうとした直後、おぼつかなくなった足元に身体が傾く。それを、準くんに後ろから抱きとめられる形で止めてもらった。
「……走るどころか、歩くのも気をつけろと言うべきだったか?」
「あ、はは……ありがとう」
「全く、オマエからは目が離せないな」
ため息混じりの声が耳に近い。放してもらって鞄を手に取ると、心配だからついて行くと言われてしまった。
「大丈夫だよ」
「そう言われて大丈夫だったためしがあったか?」
「それは……。……あった、かも?」
「なかっただろ」
フンと彼は勝ち誇ったように笑う。……実際その通りだと思うけれどなんだか悔しい。足を捻りでもして鮎川先生のお世話になるのも気がひけるし、今回は大人しく彼の言うとおりにしよう。
荷物を肩にかけようとすると、彼がするりとその手の中に収めてしまった。少し申し訳ないけど、折角だから甘えることにして彼と一緒に部屋を出る。黙っていても歩く速さを緩めてくれる彼に笑みがこぼれた。今は普段よりもさらに歩くスピードが遅いはずなのに。まあ、急かすとコケるかも、と思われているのだろうけど!
「やあ小鳥遊さん、待ってたよ」
「え?」
二人で男子寮を出ると、何故か後ろから声をかけられた。見ると、ブルー男子寮の入り口に以前決闘をした先輩がカメラを持って立っていた。その横には柚月もいる。柚月もブルーの制服を着ていて、イエローの頃からそうだったもののやっぱり綺麗だな、と素直に思った。イエローの時は男子用の上着を肩にかけていることが多くて恰好いいと思ったけど、今は体にフィットした制服だから元々良かったスタイルがより一層はっきりと見えた。……準くんもさっきはそんな気持ちだったんだろうか。
「柚月、探してくれてた?」
「っていうか、どうせ万丈目のところにいるだろうと思って待ってたのよ」
「……そいつは何故ここにいる」
「神島さんに写真を頼まれたからだよ」
警戒する準くんに、先輩はカメラを片手に持ちあげて苦笑する。……ニュースブログにも載せるつもりなんだろうか?
私はどんな顔で先輩を見ていたのだろうか、先輩は私と目が合うと困ったような顔をした。
「お察しの通りブログにも載せるつもりだけど……構わないかな?おめでたいニュースだし神島さんからは好きにしろって言われたんだけど」
「ハァ……かまいませんが」
「小鳥遊さんは怒らせるととても怖いと言うことは学習済みだから、あまり警戒されるとね」
そう言って、先輩はパチン、とウインクを。
――そうなのだ。私と準くんが友達から恋人になっても先輩はニュースとしてそれを取り上げなかった。理由はまあいろいろあるものの、どうも以前先輩との決闘で勝ったことで私は怒らせると怖いと言うイメージというか、それだけならまだしもそこに更に尾ビレ背ビレがついてしまっていた上に、準くんとの決闘があったことで同級生たちの間で瞬く間に『小鳥遊歩は例え好きな人が相手であろうが怒ると本気でつぶしにかかってくる怖い人』というウワサが広まってしまったのだ。
しかもその中の言葉から分かるように私と準くんの仲は普通に周知の事実となっていて、全く全てが嘘だとは言えないからタチが悪い。先輩はともかく準くんの時は私、負けたんだけどなァ。それに潰そうと思ってるわけじゃないし。
加えて、私たちの関係についても私が花束を持って準くんの部屋に行ってしまって告白したせいで、すでに将来を誓い合ったとかなんとか好き勝手に脚色されてしまっていた。……と言ってこちらは私としてもその方が他の子たちへの牽制になっていいのかな、と思うくらいにははっきりとした彼への独占欲があったりするから、案外つり合いはとれているのかもしれない。
とにかく、写真の件はブログにアップしても良いとあって先輩はものすごく嬉しそうだった。どうもスクープが好きなのではなく色恋沙汰に首を突っ込みたいタイプの人らしい。それも他人の、限定で。
バックが男子寮じゃおかしいからと促され、女子寮へと移動する。
「じゃ、並んで」
まだ人の出入りは少ないから女子寮の入り口の真ん中に立ち、柚月と二人で肩……ではなくて腰に手をまわしてピースサインを作る。何枚かとってもらった後、先輩は別に持っていたらしいデジカメをポケットから取り出した。
「これは神島さんから頼まれた分だよ」
「……ああっ!私も持ってくればよかった!」
「私のこと忘れて先に万丈目のところに行った罰みたいなもんよ」
レッド寮に行ったらもぬけの殻だったんだから、と柚月はへそを曲げてしまっている。ウウッ、携帯からでも教えてくれなかったあたり相当にお冠のようだ。
「データならいくらでも渡せるし、引き延ばすにしても先輩のカメラの方が綺麗だろうから問題ないでしょ」
「こういうのは気持ちの問題だよ」
「はいはい」
「……撮っていいかな?」
苦笑気味の先輩に、もう一度笑顔になる。折角だから準くんも入れば、と言って見たけどどう考えても面子がおかしいと断られてしまった。
写真を撮り終わった先輩が準くんを見て笑う。
「万丈目くんも小鳥遊さんとのツーショット撮ってみるかい」
「……」
さっきよりもより良い笑顔になった先輩に、準くんは逆に表情を険しくしていく。それは警戒しているようにも見えた。あの時みたいに怒りはしないけど、あまり先輩に対していいイメージはないらしい。
先輩は他意はないんだけどなァと弁解するものの、彼の固い口は開きそうにない。
「小鳥遊さん!」
不意に聞こえた小波くんの声に私はあたりを見渡した。森の中から茂みをかきわける音がして、寸分違わずそこから小波くんが飛び出してくる。
「もう荷物運び始めてるけどいいのか?……こんなのあったけど」
「あ、もう?それは構わないけど、え、それ、」
指差した、目線の先にあるそれ。小波くんが手に持っているのは間違いなくあのスクラップ帳だった。
「わあああああああああっ!!!!」
奪い取るような勢いでそれをふんだくると、小波くんの目が丸くなった。
「中、見た?」
「あ、ああ。でもただのスクラップ帳だったけど?万丈目の記事切り取ったやつ」
言わなくても良いことまで言われて、私は首まで赤くなった気がした。確かにスクラップ帳はただのスクラップ帳で、準くんにも私が彼のファンだったことは知ってもらっているから何の問題もないのだけど――最後の方が問題だ。
おろおろと助けを求めようにも準くんと目が合ってしまう。
「……そんな風になるようなものか?記事の切り出しだけで」
当の本人は真剣に分からない、と戸惑いつつ首をかしげている。いや、あの、思い出的な品物や写真が張り付けてあったりしますので……。ちゃっかり隠れ人気投票の時のエントリー写真もあったりしますので……。
「改めて本人の前で言われるとホラ、こう、恥ずかしいっていうか……ちょっとこれだけ先に部屋まで持ってく!」
「あ、オイ」
準くんの顔を見ていられなくて、荷物を入れる予定の部屋に駆け上がる。適当に枕カバーの中にでも隠しておけばバレないはずだ。
ふうふうと興奮と羞恥心を押さえ込んで深呼吸をする。……真っ新な部屋は昨日の内に柚月と二人で掃除したものの、どこか人の気配もなく寂しい気がした。それもきっとこの先の生活の中で暖かみを増していくのだろう。……最低限ながらもちゃんと人が生活している痕跡がある、準くんの部屋のように。心地良く。
意識が別の所に向かってくれたところで気を落ち着けて、下に戻る。……と、既に十代と翔くん、それに柚月の荷物を持たされているらしい三沢くんに、騒ぎを聞きつけてきたのか天上院さんまでが顔を出していた。
「……ちょっとの間に随分な大所帯になったね」
「これからもっとそうなるわよ」
まあ誰が来ようが男子なら女子寮には入れさせるわけないけどね、と柚月の手厳しいお言葉に頷きつつ、それ目当てではない四人を見る。十代や翔くんは純粋な行為で手伝って貰ってるし三沢くんもそうなのだろう。小波くんに関してはどうか分からないけどわざわざスクラップ帳だけを持ってきてくれたのを見ると、他の人には見せない方が良いと言うことは察してくれていたみたいだから結果オーライだ。余り下心があるようにも見えないし。
「人数が増えたけど、もう一回記念撮影するかい?」
「お、いいなそれ」
先輩の言葉に十代が反応する。みんなで並ぼうぜ、と荷物は入り口の脇にジャマにならないように置いて、その荷物を隠すように並んだ。入り口には数段階段が設けてあるから、顔が隠れることもない。
前列に翔くんと十代、そして小波くん。二列目に三沢くんを挟むような形で柚月と天上院さんが並ぶ。そして、三列目に私と準くんだ。
「じゃぁ撮るよ?……一足す一は?」
先輩の声に合わせて、みんなが二、と答える。
その時握られた手の温かさを、私はきっと忘れないだろう。
思わず彼を見ると彼は何でもないことのように私を見て、それから少し笑んでいて、私もそっと握りかえした。それからだらしなく顔を緩めて。
直ぐに、シャッターが切られる音がした。
錯綜バイオレット fin.
2010/09/26 : UP