錯綜バイオレット
もう一人の男・上
『万丈目が頭を打って保健室に運ばれた』
PDAで柚月からその報せを聞いた瞬間、私の身体は凍りついた。一気に自分の体温が下がって心臓が締め付けられたまま止まるかと思うほど。あらゆる音が消え、身体から血の気が引いたのを他人事のように感じる。次の瞬間、私は弾かれたような速度で保健室へと駆け出していた。
全く、卒業間際にもなって何をしているのか。呆れてみるけれど、本当はもう不安と心配で仕方なかった。足が上手く動かない。いつもならもっと早く感じる自分の足が重い気がした。何度も転びそうになりながら目的地を目指す。――その前には、鮫島校長とクロノス教頭が立っていた。
ばたばたと騒音をたてながら走ってきた私に二人が気付いて、私は勢いを何とか殺して立ち止まった。
「シニョーラ小鳥遊、気持ちは分かりマスが廊下は走らなイーノ」
「……っはい……すみません……」
息が上がって苦しい。何より、校長と教頭だけがこの場にいるなんて、良い予感がするはずもない。伺うように二人を見て準の容体を尋ねると、彼らは意味深長に顔を見合わせた。その表情はとても明るいとは言えず、ただでさえ苦しい胸がよりいっそう重くなった。
「そんなに酷いケガなんですか!?」
吸った息を吐きだす勢いのまま言葉を並べたてる。意図せずに語気が強くなったけど、鮫島校長は気にしてないようだ。眉をハの字にして苦笑とも、苦渋ともつかない顔をした。
「いいや、幸いにもケガそのものは大事には至らなかったんだが……少々、困ったことになってね」
「困ったこと、ですか」
何とか息を整えて背筋を伸ばす。教頭は落ち着いてよく聞クーノ、と前置きをしてから
「シニョール万丈目は、どうやら記憶喪失の様なノーネ」
と、心配の色をにじませた声色でそういった。
「どうも中等部の頃まで戻ってしまっているようでね……。さっき十代くんや天上院くんたちも来てくれたんだが、高等部から入学してきた子たちのことは全員分からない様子で」
自分が高等部にいることも、黒い制服を着ていることも不思議がっていた、と校長は言う。と言うことは、その件に関しての説明はすでに行われたのだろう。自分が置かれた状況は理解出来ているだろうけど、中等部と今ではあまりにも彼を取り巻く周囲の人間関係が変わってしまっている。人気こそあるけれど、あの頃の様な取巻きはもう連れていないし、かと思えば友人や仲間と呼べる生徒が何人かいる。
「小鳥遊くん、記憶喪失と言っても一時的なものの可能性も十分ある。馴染みのあるものに触れると良いそうだから、君も一度彼と面会してほしい」
「……はい」
何より、今と昔ではアイツが想う人間が異なっている。
僅かに不安を抱えたまま、私は保健室に通された。ベッドには確かに準が座った状態でいて、入ってきた私を見やった。
「……君は」
その眼が見開かれる。確かに準なのに、何処か遠く感じた。それは彼の記憶が中等部時代にまで戻ってしまったせいなんだろうか、近しい相手に、私に見せてくれていたような顔ではなかった。もっともっと当たり障りのない相手にするような、壁を感じてしまうような印象を受けた。
小鳥遊くん、と呼ばれて驚く。中等部の頃から、準は私の名前を知っていたのだ。否、名前だけではなくて、顔も。
「頭、痛くない?」
「ああ、今のところ大丈夫そうだ」
笑まれるけれど、逆に距離を感じる。その顔がどこか戸惑っているようにも見えて、私は少しの心配とともにベッドの横に置いてあった椅子に腰を下ろした。痛々しいとまでは思わないけれど、頭に巻かれた包帯を見ると胸が痛むし、本人も内心では不安に思っているかもしれない。
「俺は本当に、もうすぐ高校を卒業するのか」
感慨深そうに、かつ何処か他人事のようにつぶやいた言葉を拾う。
「どういうこと?」
「小鳥遊くんの姿が随分変わっているから、それだけの時間が経っているのだと実感したんだ」
彼女の姉と言われるとそのまま信じそうだ、と言う彼の口調は酷く丁寧で、それを他人行儀だと感じる日が来るとは思わなくて、私は曖昧に笑うしかなかった。
「準さえ興味があるなら、高校に入ってからのことを全部話すけど」
一抹の不安を覚えながらもそう切り出すと、彼はじっと私を見つめた。見下すでもなく、不安げでもなく、恐らくは彼の興味でもって見つめられることに恥ずかしさを覚えて、私は首をかしげて返事を促した。
「俺は、君と仲が良かったのか?」
不思議そうに聞かれ、私は少し言葉に詰まったものの、何とか一つ頷きを返す。
「そうね。口喧嘩ばっかりしてたわ。皮肉も嫌味も言い合ったし」
思い出して、よくもまあ私もあそこまで意地がはれたものだと吹き出してしまう。彼がまさかそんな、と言いたそうに口をパクパクと開閉していたのもあって、私は自然と笑むことが出来た。今の準は昔の準で、一番この状況に戸惑っているのだから、私がショックでうろたえていてはいけない。
ベッドサイドの机に置かれたデッキに触れ、高校生の準が使っているものだと彼に手渡す。全く見覚えのないカードたちに、彼は自分が分からない、と言いたそうな顔で一枚一枚をめくりはじめた。その彼があるカードを見たところでぎょ、としてその身をのけぞらせると、急に叫び声をあげた。
「な、なんだ貴様は!バケモノか!?」
物凄く不可解そうな彼を見て、私はあることに気付く。
「もしかして、おジャマイエローのカード?」
私は何となくいるのかな、程度にしか分からないのだけど、確か準も十代やヨハンと同じように、カードに宿っているという精霊を見ることが出来ると言っていた。案の定、彼が今見ていたのはおジャマイエローのカードで、よくうるさいと文句を言っていたから、彼を心配してあれこれ喋っているのだろう。
「……ッ!やかましいッ!!!」
彼が思い切り腕を振り下ろす。この勢いではきっとおジャマイエローは床にたたきつけられてしまったはずだ。
「準!気持ちは分かるけど、もうちょっと力加減を……!」
「コイツにこれ以上の手加減だと!?気は確かか、小鳥遊くん!」
「おジャマイエローはあなたのこと心配してるのッ!」
這い上がったらしいイエローに更に殴りかからんばかりの彼の腕を掴む。
「ケガもしてるんだから、大人しくして。あなたはカードたちに好かれてるのよ」
順序立てて話をするから、落ち着いて。言うと、彼は渋々ながら身体から力を抜いた。そのままだと辛いかと思って、ベッドのリクライニングを調節してもたれてもらう。
「ベッドに座っても?」
「……ああ、どうぞ」
口喧嘩も、嫌味も、皮肉もない。私が彼を準とは別の人間として扱っているからだろうか、と思ったけど、準がくってかかるような口調じゃないからだと気づく。もっとも、今まで築いてきたものを準が忘れて――体験すらしていない状態になってしまって、なくなってしまったから、あながち他人と見ても間違いではない。それに、私と彼の関係はまさに中等部のそれなのだ。私は、彼を中等部の頃から好いていたのだから。あの頃に話すきっかけでもあれば、こんな風になっていたのかもしれない。
「じゃあ、まずあなたのデッキが変わりはじめた頃の話から始めるわね――」
カードを手にした経緯の様な形でほとんどカードの説明みたいなものだったけれど、とにかく一年の頃十代とデュエルして勝ち星をあげられなかった頃から話始めて、プロデュエリスト内定までを一通り伝えた。中等部の頃の彼からは否定したい話も多くあっただろうけれど、彼は終始落ち着いた様子で聞いてくれた。おジャマの話になると精霊たちが喋り出したらしく、その時だけは怒っていて、それがまさに準らしくて私は嬉しかった。
「このデッキは、高等部であなたが体験してきた思い出の品よ。ある意味アルバムね。そして、今、あなたが覚えていない記憶そのもの。――あなたの未来」
改めて振り返ると、なんて濃い日々だったんだろうと思う。いろんなことがあった。準はその中でうんと成長した。だから、それを覚えてない状態になってしまったことが惜しかった。
「小鳥遊くんは、その、随分俺のことを知っているんだな」
「そうよ。それだけ近くにいたってこと。そのひいき目じゃないけど、あなたの人気は確かなの。生徒からも、カードからもね」
言えば、彼はまた騒ぎ出したらしいおジャマを払いのけるような動作をしてから、私を見てはにかんだ。……それを、可愛い、と思ってしまったのは、彼の中身が年下だからだろうか。
「全く実感がわかないな」
それでも、彼はすぐに険しい表情でため息を。
「焦る必要もないでしょう。校長も一時的なものかもしれない、って言ってたし」
すぐにフォローを入れる。それから立ち上がった。
「一気に話してしまったけど、大丈夫?今日はもう、私、帰るけど」
「ああ、すまない」
「こういうときは、ありがとう、っていうのよ」
促すと、彼はありがとう、と復唱するように呟いた。明日からはゆっくり学校内や寮を見て回ればいいし、生徒たちに話を聞くのも良いだろうと提案すると、彼はわずかに頷いた。
彼が横たわれるように、リクライニングを元に戻す。
「小鳥遊くん、その」
「なに?」
さあそれでは保健室から出よう、としたところで引きとめられ、私は彼を振り返った。
「俺と君は……。……いや、なんでもない」
「?そう。なら行くわね。お大事に。……ゆっくり休んで」
「ああ」
一応恋人であることは明かさなかったけれど、聡い彼は感づいたかもしれない。それでも面と向かって訊かれなかったのをいいことに、私は取り敢えずのことは全て説明できた体を見せかけて保健室を出た。お互い好きあっているだとか、告白した後だといっても、私が準を名前で呼ぶことにようやく慣れてきたほどの日数しか経ってないのだ。言わなくてもさほど問題はないだろう。だいたい彼にしても私と付き合っているだなんて言われても面喰ってしまうに違いない。
だから、私が出来る限り支えることが出来ればいい。彼が初めての、そしてもうすぐ終わるこの生活に不自由や不安を感じないように。そのほかのことは、後回しでいい。
と言って、本当は何よりもソコを否定されるのが怖かっただけなのだけど。
2010/07/30 : UP
«Prev Next»