錯綜バイオレット

もう一人の男・中

「アニキィ、ホントにオイラたちのこと思い出せないのォ?」
 半透明の薄気味悪い『精霊』を睨み付ける。くねくねと腰を振る姿は最早視界への暴力かともいえる程暑苦しく、俺は舌打ちをして目を伏せた。頭を打ったらしいが、その所為でこんなものが見えるのだと思い込みたい。だが、どうも以前から見えていたのだと言うことはつい先ほど知らされたばかりだった。それもこんな弱小カードをエースとして使っていたらしい。俺は俺が信じられなかったし、またその話自体も疑うに足ると思っていた。
ちゃんのこともヨ。折角両思いになれたって言うのにィ」
「何だと?」
「早く思い出して上げないと、捨てられちゃうかもしれないわヨ!」
 ウインクをはじき飛ばし、今の台詞を心の中で復唱する。両思いだとこいつは言った。それも、今し方俺に、俺のデッキの説明をしていった少女と。
「あっ!でも心配しないでね。オイラがアニキのこと見捨てるだなんて絶対有り得ないから!」
「やかましいっ!カードを傷つけられたくなければ失せろ!」
 これ以上見るに耐えない姿に閉口して脅せば、目障りなヤツはすぐに消えた。もう一度目を閉じ、この場で行われた一連のやりとりを思い起こす。
 小鳥遊。彼女について俺が知っていることは少ないが、外見しか見ないようなゲスどもよりは把握しているという自負はある。身長も小さく、実年齢より僅かに幼く見える容姿はいつも男子達の馬鹿馬鹿しい下世話な目に晒されていた。彼女が良く行動を共にしている天上院くんや柚月という少女がなまじ大人顔負けのスタイルを誇っているために、よく彼女らの話題が上る時に比較対照として挙げられていた。無論良い意味であるはずがなく、興味を持ったのはそんなくだらない話を何度も耳にする機会があったからだ。
 その後よくよく彼女を観察してみると、面白いことが分かった。確かに彼女は活発で、そのことが見た目と、そして他の二人の冷静さも相まってより子どもらしく見えてしまっていた。
 しかしその瞳には他の二人を遥かに凌駕するほどの熱が込められていて、血気盛んと言えばいいだろうか、攻撃的ですらあったのだ。気の強さも折り紙付き。その点において、彼女はへらへらと何も考えて無さそうな奴らや、女子生徒の容姿にしか興味のない奴らなどよりはよほど好印象だったと言える。
 デュエルに関しても、致命的な引きの悪さを持っているにも関わらずそれに屈しない姿は最早愛らしいまでに愚かしく、俺の嗜虐心をくすぐっていた。完膚無きまでに叩き伏せ、従属させたいとまで思うほどに。恐らく機会があればそうしていただろうが、幸か不幸か彼女と闘ったことはなかった。そして自ら進んで出向くほど俺の心を占めていたわけでもなかったために、俺と彼女に接点などというものは欠片もなかった。
 しかし、今の彼女はどうだ。まるで別人だと言われてしまえば他人の空似で納得してしまいそうなほどに変貌を遂げていたではないか。あの瞳は影をひそめ、髪も伸びシルエットも丸みを帯びたせいか随分と柔らかい印象を受けた。面影はあるが性格は落ち着いていて――笑った顔は、もう大人の女性だった。
 ただその中でやはり彼女は彼女だと気付かされたのは、彼女の声色だった。落ち着き、穏やかな中に揺るがせそうもない強さが滲んでいた。それは飽くまで俺が把握している彼女に比べ、と言う前提の中での話であって確信を持って感じたことではないが、そういう印象を持つには充分だった。
「貴方は好かれているのよ。人にも、カードにもね」
 そういった彼女は自信に満ちあふれているだけではなく、どこかそれを誇りに思っているようでもあった。妙なヤツだ、と思った。羨望の目を向けられるのは快感であり、それはつまり俺が優秀であるという証拠でもある。しかし、好かれている、ただそれだけのことに何の価値も見いだせはしない。
 にもかかわらず、君もその中に入っているのか、と尋ねそうになった自分自身には驚いた。喉元まで出かかったのを何とか押さえて飲み込むことに成功した時の俺の冷や汗は誰にも気付かれなかったはずだ。
 彼女の瞳にはたじろぐほどの静けさしかなく、恐らくは初めて受けた種類の眼差しに、俺はどうすればいいか分からなかった。
 羨望や嫉妬、妬み嫉みの類ではない。失望や嘲笑でも勿論ない。かといって、俺に全く関心がないわけでもない。ただただ静かに見据えられて、酷く落ち着かなかった。それだけが確かだった。
 まさかこの俺様ともあろう男が見られているだけで落ち着きを無くすなどという失態を見せるはずもなく、傍目からは平常通りに見えただろう。しかし、そうせざるを得なかったことこそが妙に屈辱的で苦かった。――あの小鳥遊を相手に、この俺が。
 噛みつかれ怯んだわけでもないと言うのに、一体なんだというのだろう。彼女はあの挑発的で飢えた瞳を失って尚、俺の興味の対象から消えることはなかった。
 その彼女が、俺の、何だと?
 確かに彼女は唯一俺を下の名前で呼んでいた。俺に限ってそう気易く呼ばせるはずがないから、それだけの間柄なのか、俺がそう呼ぶことを許していたというのは確かだろう。
 兄さん達以外に名前を、下の名前をこうも呼ばれる日が来るとは思わなかった。彼女が口にする俺の名はなんと言うか――新鮮であり、俺をむず痒い気持ちにさせた。今でも彼女に名を呼ばせていることも、悪い気はしないのも不思議だった。だが俺と彼女が恋人だったから、と言う理由で納得するのは余りにも軽いような気がして、俺はそんなものを認めるつもりなかった。そこで別の理由でも、とは思ったが考えたところで答えに行き着くはずもなく、俺は鈍く痛んだ頭に身体を休めるのを優先させた。
 その日の夜、再び校長が訪れ俺の身の振り方をどうするかと訊いてきたが、勿論こんな事でいつまでもベッドの上に居続けるような精神を俺が持っているはずもなく、校内の案内人さえいれば後は通常通り過ごすつもりだと告げた。出来れば小鳥遊に案内させたいと申し出ると、拍子抜けするほどあっさりと話は通った。曰く、彼女になら安心して任せられる、だそうだが、俺にはよく分からなかった。真面目だという意味で解釈しても間違いではないだろうと勝手に穴埋めをして完結させる。
 彼女を側に置いておけば、あの気味の悪いヤツが言っていたことの真偽もすぐに分かる。他でもない彼女の口から俺の周囲のことを聞いたところ、どうにも記憶を失ったらしい現時点の俺の知る人間で、彼女が唯一適任だと言えそうだったこともある。天上院くんにはこんな事など任せられないし、柚月とも接点があるわけではないがいつも面倒臭いとぼやいているようなヤツだ、恐らくこの俺が言っても引き受けることはないだろう。非常に気にくわないが、それよりも今俺の気を引くのは小鳥遊なのだ。何故彼女がこんなにも変わったのか、本当に俺達は恋人という間柄なのか、それを知る機会は多いに越したことはない。相手が俺だからあの態度だった可能性だって考えられるのだ。
 その日は大事を取って保健室に一泊し、翌日、俺は保健医の許可をもらって早速彼女と行動を共にし始めた。
 特別愛想笑いをするでもなく、彼女はやはり静かな瞳で俺をその視界に入れてくる。機嫌が悪いわけでもなく、ふと目が合うことがあれば穏やかに笑み、女子には良くある甲高いしゃべり方や無駄なお喋りは一切せず、ゆっくりと歩きながら校内をめぐる時は教室の場所と、そこに思い出話でもある時はそれも話してくれた。時折酷く楽しそうに笑うその表情は柔らかく、俺は言葉もなくただ黙って見ているしかできなかった。
 それは、奇妙な感覚だった。今まで感じたことのない居心地の悪さにどこか浮き足立ってしまう。しかし、嫌悪感は全くない。こんなにも心がざわめいているというのに。
 彼女は不思議な存在だった。力むことなく俺の側にいるのに、彼女が彼女の今の思いを吐露することは全くなかった。恋人だというのならば、もっと何か、感情を爆発させろとまでは言わないが、そういうことがあってもいいのではないだろうか。俺からしてみればそんな喧しいことは避けたいし、その点で現状に不満などないはずだが、どうも釈然としない。
 俺は、俺のためではなく彼女を知るために、一人、話を聞いて回ることにした。いつもならば取り巻き達と共に行くのだが、生憎今はそれもない。ただ幸いと言うべきか、記憶を失う前の俺がお節介とお人好しばかりに囲まれていたのは今回に限り悪いはずがなかった。顔は昨日保健室に見舞いに来た面子だろうから大体は覚えている。
 授業を受けたその日、彼女と別れ一人行動することにした俺はすぐに丸藤翔を捕まえた。同じブルー寮で声を掛けるには一番易い相手だったということもある。
「あ、万丈目くん、頭の怪我は大丈夫?」
「ああ、依然記憶は戻らんが」
 中学生か小学生と言っても違和感がないほどの身長しかない翔を見下ろし、当たり障りない言葉を交わす。
「そう……ボクに出来ることがあれば手を貸すよ。それで、今日は何か訊きたいことでもあるの?」
「まさにそのことだが」
 こいつも取り巻きとは態度が違う。友人の一人らしいが、友人というものの勝手が分からない俺は、出来るだけ威圧的にならないようにすることだけ努めて口を開いた。目的がある以上それを達成するための手段はある程度、俺のプライドが許す範囲にかぎり選ばない方が早い。
小鳥遊についてだ」
「へっ」
 話を切り出すと、翔はまるで予想外のことに面食らった顔をして俺を見た。
さんのことなら、ボクより万丈目くんの方が知ってたと思うよ。何時も二人で居たから、ボクなんかは大したこと知らないんだけど……良いの?」
「それで構わん。俺と彼女がどんな様子だったかを知りたい」
 言うと、ようやく合点がいったように翔の目が瞬いた。当時を思い出しているのか、右手を顎に添える。
「万丈目くんがレッド寮にいたって言うのは聞いた?」
「この三年間のことについては一通りな」
「なら話は早いね。レッド寮に来て以降はキミ達ケンカばっかりしてたんだ。キミは威圧的だったし、さんは負けず嫌いというか、兎に角二人そんな調子で」
 まあ、意地っ張りが二人揃えばそうなるよね、などと言って翔は笑う。笑えると言うことは、いがみ合いながらも犬猿の仲ではなかったと言うことか。
「ボク達周りはいつも仲裁役だったけど、それが普通だったよ。それが二年、三年と学年が上がるごとにさんの方が大人しくなっていったかな。相変わらず口は達者だったけど、一年の頃みたいにはしゃがなくなったというか、落ち着きが出てきたというか」
「……何か、あったのか」
「キミが聞いただろう、いろんな事があったよ。で、万丈目くんのプロデュエリスト内定が決まる前後くらいからいよいよ静かに……ふさぎ込むようになった気がするなぁ。進路のことで悩んでたんだろうけど、柚月さんや明日香さんといる以外はほとんど一人で居ることが多くなったような」
 そんなに最近のことなのか、と目を見開く。続きを促すと
「今はもう元気だよ。いつもキミと一緒にいるし……言い合いもかなり少なくなったし、したとしても……なんて言うか、いちゃついてるようにしか見えない」
 ボクもうお腹いっぱいだよ、と急に声のトーンが落ちた。言いたいことはあったが、何とか押さえて一番聞くべき事を口にする。
「彼女が一人でいた時期と、その後の間になにか変化をもたらすような事があったのか」
 何気なく聞いたつもりだが、翔は落としていた肩と顔を急に振り上げ
「え!?ソコ知らないの!?」
 有り得ない信じられない寝言は寝て言えと、ありありと分かる様子で声を張り上げた。眉をひそめて何があったのかと再び問うと
「キミが!さんに!告白!したんじゃないか!」
 とやはり大声で怒鳴り散らされた。そんな大声を出さずとも聞こえていると抗議すると、ヤツも負けじと不快そうな……否、不可解そうな顔をした。
さん、そのことについては何も言ってないの?」
「初耳だな」
 さらりと嘘をついたが、珍妙なバケモノに言われて信じる方がおかしいだろうからかまわんだろうと勝手に決める。
 俺は訝って首を傾げる翔の元から歩を進め離れた。
「あ、万丈目くん?もう良いの?」
「ああ。貴様の大声で頭が痛むんでな」
 寮に戻る、と言うと、お大事にと言う言葉を背に受けた。俺の発言を不快に思うでもなく、かといってそれを真に受けて殊更に気遣うような声でもない。――調子が狂う。肩透かしを食らった気分で、俺は自室へと急いだ。恋人というのは事実らしいが、それ以上得るものはなかったと言える。……どうやら俺の方から告白をしたらしい、と言うこと以外は。


 翌日――二日目。彼女の態度は相変わらずで、俺は眉間の皺を増やさざるを得なかった。恋人というのを信じてない段階では擦り寄りの類か下心でもあるのかと思っていたが、ゴマすりの気配は感じない。今の俺を拒絶しているのか、とも考えたが、すぐにそれこそ有り得ないと頭を振った。
「頭、痛む?」
 その最たる理由は、こうして俺を見る時は揺るがない瞳も危うく涙でも零すんじゃないかと思うほどに揺れるからだ。そしてそれがより一層彼女の謎を深めていた。必要以上にまとわりつかず、ただ思い出話をする時と、俺が喧しく騒ぎ立てる精霊を叱りつける時だけは、とろけそうに甘い顔をする。
 それが気に障るようになったのはいつからだったか、確か四日目、あんまりにも喧しい精霊どもの口車に乗せられるような形で、涸れ井戸まで行った時に強く感じたはずだ。その日までに天上院くんとティラノ剣山とか言う後輩の話を聞いて、俺達は毎日のように憎まれ口を叩く全く気の置けない友人であり、そして恋仲だったのだとようやくその事実を受け入れることが出来た。
 理解はしていても、どこか納得できなかったのだ。天上院くんの口から聞く、その時までは。それほどまでに俺は彼女に一目置いていた。そして何より俺が知る中で彼女が一番誠実で信頼の置ける人物だったのは間違いない。
 兎に角、俺はようやっと彼女との仲を納得した上で涸れ井戸に向かった。そこにはクズカードが――実際にはそうクズでもないものまであったようだが――棄てられていて、おジャマカードをデッキに入れるようになったのも、俺がここでカード全てを引き取ってからのことだという。特にその部分は精霊達からやんややんやと耳にタコができるまで繰り返し聞かされた。
 しかしその場所を見ても、何の感触もなかった。井戸を覗いても、勿論カードなどない。カードの怨霊がでる、と言うウワサもあり実際にでたそうだが、俺が引き取ったらしいことでその場所はただの涸れ井戸になっていた。
 帰ろうかと踵を返したのとほぼ同時に、彼女が学校の方から駆けてくるのが見えた。
「準!その井戸、危ないからあんまり近寄らないで」
「もう用は済んだ」
「……言ってくれたら、付いてきたのに。一人じゃ危ないじゃない。もし落ちたらどうするの」
「そんなヘマはしない」
 無言で見つめてくる瞳がまた揺れているのを見て、やはり俺は最早苛立ちにも似た感情を覚えた。心がざわつくのだ。どうにも落ち着かない。
 君がそうやって心配しているのはこの俺か、それとも万丈目準の身体か。俺こそ万丈目準には違いないのに、そんな馬鹿げた問いかけをしそうになる。彼女が表情を極端に崩すのは、いつだって『彼女の愛する』万丈目準に関わる時だ。
 それは、今の俺ではない。
 その事が妙に腹立たしかった。ケンカばかりしていたという俺より、今の俺との関係の方が良好ではないか?
 彼女は何も言わない。不満も、不安も、俺に何を望んでいるのかすら。俺は、俺と何が違うというのだ。
「ここにもうカードはないはずだけど、もしかしておジャマたちに言われて来たの?」
「……ああ」
「そう。特にイエローにとっては大切な場所だものね。あなたの戦術の幅も、ここからどんどん広がっていったし」
 彼女は楽しそうに語るが、俺は当時のことを知らない、思い出せない。彼女が口にするのは間違いなく俺のことだというのに、違う男の話をしているように感じられた。――どうすれば彼女はこの俺にその顔を向けてくれるのだろう。何故俺を、あの瞳で見るのだろう。
「……準?」
 思考の海に沈んでいたせいか、反応が遅れた。
「何でもない。俺はもう戻る」
 足を動かせば、彼女が黙って付いてくる。いつもなら女子生徒をエスコートする程度はするのだが、彼女に対しては全くそんな気が起こらなかった。それほど苛立っていたのかもしれない。まさか俺が、気を許していたわけでもあるまいし。

 その翌日、早乙女レイというオシリスレッドの女子に話を聞いた。異例だらけの少女には驚いたが、その瞳がかつての彼女を彷彿とさせるほど力強いことには閉口すると同時に目を見開いてしまった。小柄な体躯に挑戦な瞳はかつての彼女そのものだった。俺とレイの関係は彼女とは異なり良いとは言えないようだったが、この少女も心配した顔をするのは同じだった。尤も、話し始めてすぐレイは顔をしかめたが。
先輩なら、いつも万丈目のこと気にしてたよ。ボクにはどこが良いのかサッパリ分からないけど、いつもボクと万丈目がするみたいにケンカしてるのに、万丈目に何かあったりするともういてもたってもいられないみたいに心配してさ」
 好きだったら普通そうだろうけど、と納得していないのが分かる言い方と表情で、レイは唇を尖らせた。
「だが、最近はそうケンカすることもなかったのだろう?」
「まあ、ボクが知る限りではじゃれ合い程度にはしてたよ。今の万丈目は、してないの?先輩と」
 一瞬卑猥な方向にも取れる問いに聞こえ、俺は振り払うように頭を振った。レイの顔が破綻する。
「おかしいなぁ……先輩どうしたんだろう?」
「それを知りたいのは俺だ」
「きっと万丈目が憎まれ口の一つも言わないから、調子が出ないのかも。ボクにだっていつもなら名前呼び捨てにしたら『さん、だ!』って怒るのに」
 難しそうな顔に、そのいつもを知らんのだからどうしようもないと返すと、いよいよレイの眉間に寄った皺が深くなった。
「えー……万丈目なんかキモチワルイ」
「貴様、つけあがるなら考えてやらんでもないぞ」
「だって!信じられないんだもん。全然違う」
「だからどうしろというのだっ!中学生で高等部にいるからには腕は確かなんだろう。俺はそこを評価している」
 大体、女子は愚か男子ともケンカなどしたことはない。とはいえ、レイが男子ならば年下であろうと倒すべき相手であり、はっきりと力の差があることを教えてやる必要があるだろう。しかし実際レイは女子だ。天上院くんほど強いのなら兎も角、敵意を持って接するには少々首を傾げてしまうところがある。
「こりゃ、先輩も大人になるわ」
「?どういうことだ」
「恋をすれば女の子は強くなる。それが愛になれば、最強ってコト!」
 レイの言わんとするところが分からず眉をひそめると、分からないならそれでも良いと彼女は肩を竦めて見せた。妙に小憎たらしいのは間違いではないだろう。
「中身が自分より年下なんだから、お姉さん役にもなるよ。先輩、面倒見良いし」
 一人納得するレイから零れた言葉が、妙に頭に残った。彼女にとって俺はなんなのか。そう考えると気分が悪くなった。


 記憶を失って六日目になり、そこまで時間が経っても彼女に変化が訪れることはなかった。彼女にとって今の俺とはどういう存在なのか。そればかりが気になって仕方がない。我慢比べではないのだから、彼女が何か言い出すまで待つつもりはなかった。しかし聞き出せるような雰囲気でもなく、俺はひたすらタイミングを計っていた。それとなく俺と彼女についての話を振っても、今まで別のヤツに聞いたものと同じ内容をなぞるかのような返答しか来ない。その上、静かながらも強い瞳を向けられると、俺は言葉を奪われたかのように喉と詰まらせてしまうのだ――否、奪われたのではなく、まるでそれが必要のないもののように感じられて。
 この想いを、どう形容すればいいのだろう。
「あれ?今日は十代に会いに来たの?」
 遊城十代と話を済ませ――本来ならばブルーが相応しいヤツだと聞いていたせいなのか、未だオシリスレッドに居続けるような男でも抵抗はなかった――レッド寮の階段を下りると、その近くで彼女がこちらに手を振っていた。膝に異常にデカい猫を載せている。近くまで行って何故彼女がここにいるのか尋ねると、ファラオに会いに来たのだ、と返ってきた。どうやら膝の上のデブ猫の名前らしい。購買部のトメさんから煮干しを貰い、与えた後なのだと彼女は言った。穏やかに笑む彼女と、その膝でだらしなくくつろぐデブ猫とを見ながら、ここで嫌味の一つでも漏らせば、かつての彼女が戻ってくるのかと考える。――そういえば、俺も彼女に対しては『いつも通り』振る舞っていない。
「十代とはちゃんと話せた?最近引き籠もりがちでさ」
 しかし彼女の方が口を開いたのが早く、その機会は失われてしまった。俺は仕方なく、十代の口から出た言葉をそのまま復唱する
「別に、記憶が戻ろうとそうでなかろうと、どうでもいい。と」
「……そういったの?十代が?」
 余りにも俺に対し配慮がないのではないか、と僅かに怒りすら滲ませる彼女だったが、俺にはヤツが何を言わんとしているか分かる気がした。
 俺は、どうなろうと、俺だ。
 記憶がこのままずっと戻らなかったとしても、恐れることなどない。どのみち俺が他の誰かに、『万丈目準』以外になり得ることはないのだから。問題など、端から何もないのだ。……彼女との関係以外は。
 今の反応で、俺は確信することが出来た。彼女は、俺が俺になるのを――記憶が戻るのを望んでいる。そして、戻る前、あるいは戻った後の俺を想っているのだと。
 痛んだ胸に気づかない振りなど出来なかった。
 俺は、彼女に惹かれている。



 さて、どこをどうしてそうなったのかについて、思考をめぐらせる必要がある。
 初めは単なる興味だった。それまでは天上院くんしか見えていなかったし、女子生徒で彼女以上の存在はいなかった。対して、彼女は確かに俺の興味をそそってはいたが、それ以上であるはずもなく、デュエルの腕も大したことはない彼女がその範疇から超えてくることはなかった。
 恋人だと言われて、成長した彼女の姿を見て、その気になったわけでもない。
 ならば、一体何故なのか。
 思い当たるのは彼女の表情か。凛とした顔が、『万丈目準』のことになると途端に無防備に崩れる。俺が受けたことのないもの。ぬるいとすら思っていたもの。心がざわめく、安らぎと呼ぶもの。――少々のことではびくともしない、揺るぎないもの。彼女の心。それを手にしたかった。俺にも与えてほしかった。俺だけが独占していたかった。
 その思いが満たされないことに対して、俺は苛立っていたのだ。俺は、他の誰でもない俺自身に嫉妬していた。
 相手は俺なのだ、張り合おうとも張り合えない。彼女の中で俺は確かに万丈目準なのだろうが、それは彼女の恋人である万丈目準とは異なる。別人として、扱われている。
 これに対し、どう現状を打破すべきかを七日目の今、悩んでいる。そこに、思わぬ話が舞い込んできたのは追い風だったのか。
「今日はパーティがあるから、その時にでも自分で何とかしなさい。お膳立てには協力して上げるわ」
 彼女について柚月にも話を聞こうと思っていたが、その柚月の口から願ってもないチャンスを手にすることが出来た。柚月の口からそれ以上語られるものはなく、俺もまた何も訊くことはなかった。
 彼女を諦める、等という選択肢は俺には初めから存在しない。記憶を取り戻すことなどより遥かに重要なことを果たすため、俺は授業終了のチャイムが鳴ると同時に立ち上がった。

2010/07/30 : UP

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