錯綜バイオレット

baby boy・上

 高校生活を振り返ってみると、改めてとんでもない体験ばかりをしていたと思い知らされる。授業に精を出したのは一年のうち半分ほど、なんて気さえするのだ。
 そのせいだろうか。卒業してからの日々が酷く穏やかなものの様に感じられたのは。明日香とは違うアメリカの大学に進学して数年。外国での生活にももう慣れた。言葉で不自由することもなくなった。そのことが余計に私を鈍くしていたのかもしれない。と言って、これこそが普通の生活と言うものなのだけれど。
 とにかく、久々に超常現象を目の当たりにした私は何処か非日常的なことに飢えていたのかもしれない。驚いて慌てふためくより先に、思わず笑ってしまったのだ。
「ええい、笑うなっ」
 目の前には、小さくなった準の姿。小さくなった、と言うのは年齢的なものだ。外見年齢は五、六歳だろうか。私はさほど背が高くないのだけど、それでも私のお腹くらいに準の顔がある。声も高くなって、ぷにぷにと柔らかそうな肌を触りつくしたい気持ちにさせられる。可愛がらずにはいられないような。
「ごめん、でも……その、といっても可愛いわよ」
「嬉しくもなんともないわ!!」
 準が起これば怒るほど、私の顔には笑みが浮かんでくる。ついつい頭を撫でていると、初めは嫌がっていた準も徐々にあきらめてきたのか大人しくなった。
「また準の精霊のせいなのかしら」
「こいつらは知らんと言っている」
 準はむっつりとそう答えて、それから慌てふためいたように私を見上げた。
「おい、『また』と言ったのか」
「?うん。アカデミアにいた頃も猫になったことあったでしょ」
 私が気付かないままだとでも思っていたのだろうか、準はわずかに気まずそうな顔をした。その時黙って一週間も姿を見せなかった準を私が心配するのは当然で、黒猫になった準を知らずに保護したその日も酷く取り乱したことを思い出す。狼狽ぶりがばれてしまっていたのだと後々になって知った時は随分と恥ずかしかった。そう言えばあの時を境に、私たちの喧嘩からは少しとげが抜けたのだっけ。
「あの時の猫が準だって分かってたらもっといろんなことしたかもしれないのになあ」
「……だからと言って今妙な気を起こすなよ」
「あら、分かる?」
 にこにこっと頬笑みを向けると、失礼にも準は結構な勢いで後ずさった。でもそれも小さな身体では大した距離にはならない。ぎゅ、と抱き寄せると、戸惑う準の悲鳴が上がった。
「何よ、襲われでもしたみたいに」
「されてたまるか!」
「ねえ、準」
 普段私から準を抱きしめることはほとんどない。否、皆無と言っても差支えない。まあ恥ずかしかったり意地を張ったりと諸処の事情があってのことなのだけれど、今なら話は別になる。
 主導権を握った私は準を抱いたままその頭を撫でた。隙あらば逃げようと思っているのか、準の身体には必要以上に力が入っているように感じる。
「……一回で良いから『お姉ちゃん』って呼んでくれない?」
 腕の中で準が息をのむのが分かった。そして、ゆっくりと上半身をひねって私と目を合わせて来るのを見降ろした。うん、近くで見てもやっぱり可愛い。その姿で準はこほんと咳払いを。

「何?」
「俺とお前は、恋人だな」
「うん」
「……そんな要求、飲めるわけ無かろうが」
 ジト目で睨まれ、私はことさらに残念そうな声を上げざるを得なかった。
「ケチケチしないでよ」
「そういう問題じゃない」
「一回だけ」
「ダメだ」
「私、一人っ子だから憧れなの」
「その手は食わんぞ」
「……中身は可愛くないわね」
「可愛くあってたまるか」
 結構夢見がちな割に。と思っても口には出さない。悔しいからたくさんキスをしてやると、準は顔を真っ赤にして縮こまった。
っ」
「なによ、このくらい、いつも私にしてるじゃない」
 される側になるだけでこうも違うのか、と続けようとしたけど、普段の自分を思い出してやめた。私は準にこうされると恥ずかしくてたまらないのに抵抗する気も失せてしまうのだ。人のことは言えない。
 その分、本当に準がいつも私にしてくるように仕掛けてみることにした。寝起きで整わない髪を梳いてこめかみにキス。そこから頬、瞼、額、鼻の頭へ。上唇、下唇、最後に浅く、甘く口付ける。ちゅ、と音を立てて唇が離れる頃には準の身体から力は抜けてしまっていて、とろんとした表情にほくそ笑んだ。
「いつもと立場が逆転ね?」
 頬を指先で撫でると、準はたまりかねたように目を伏せて、それでも抵抗せずにじっとしていた。いつもならこうなっているのは私の方なのに変な感じ。くすぐったいと言うか、余計に愛しく感じると言うか。勿論準の姿があどけなくて、と言うこともあるかもしれないけれど――もし準が毎回私に対してこんな気持ちになっているとしたら、それほど恥ずかしくも嬉しいことはない。
 どうして今まで私から動かなかったのだろうかと思ってしまうほど、胸の内から抑えきれない熱が滲みでてくる。このまま抱きしめて眠りたい、と惚けたことを考えていると、赤い顔のまま準が口を開いた。
「そ、そんなことよりだ!元に戻る方法を見つけるぞ」
「……どうやって?」
「どうにかして、だ」
 大体旅行中にこんなことにならなくても、と準はえらくご立腹だ。寧ろ仕事中じゃなくてよかったと考えるべきだと思うんだけど、どうも彼はそうではないらしい。
「まあ、経験上こういうのはデュエルモンスターズ絡みだよね」
「そうだろうな」
「準のカードが関係ないとなると、……場所が悪かったのかしら?」
 精霊たちが普通に過ごしているという世界があって、私たちのいる世界と繋がっているポイントが存在するらしい。らしい、と言うのは私がこの身でもって確認したことがないからだ。準はカード絡みで随分振りまわされている……もとい、賑やかな体験をしているようだけど。
「その可能性は高いだろうな。……全く、人の邪魔をしおって……」
 ぶつぶつと文句を言う準は子どもの姿のせいでかなり愛らしい。
 今私たちがいるのは太平洋の海にある島の一つだ。かなり大雑把だけれど具体的な場所は一切聞いてないから分からないのだ。万丈目グループが辺り一帯を買い占めてリゾート地として開拓したと言うから、その財力には感嘆のため息をつかざるを得ない。その上ターゲットは富裕層でスキューバダイビングやクルージングも楽しめるそうだ。
 私はこういった敷居の高そうな所は敬遠するタイプなのだけど、何故ここに来たのかと言えば発端はテレビ番組にある。準と綺麗な海の特集を見ていて、ついうっかりスキューバダイビングをやってみたい、と言ってしまったのがそもそもの始まりだった。
 私からすれば『いつか機会があれば』という程度で口にしたつもりで、是が非でも、なんてことは全く思ってなかった。でも準は私の言葉をどうとったのかすぐに自分の予定を確認すると、ここのホテルを予約してしまっていたのだ。資格なら持っているから直々に教えてやると嬉々として言ってきた時のことは絶対に忘れない。だらけ癖持ちなのにこんなことを喜んでする姿に文句なんて言えるはずがない。
 いつ資格なんて、と聞くと、時間をつくって取ったのだと告げられた。万丈目家の人間だという意識が働いているのだろう。それに相応しくあるようにと準は出来る限りのことをしていた。私と共に過ごすことよりもそう言ったことに時間を割いたことに対して準は済まなさそうにもしていたけど、やりたいようにやればいいと思う。そういうところを――ひたむきに高みを目指す姿を好きになったのだから。
 その両肩に、背中に乗っているものの重みは私は分かってあげられない。私は、万丈目のような強大な力を持つ家に生まれたわけではないから。……それでも、とても重いのだと言うことくらいは理解できる。準はそんなものを感じながらも背筋を伸ばしていられるようにと頑張っているのだ。応援しないはずがない。
 とにかくそんなことがあって、昨日チェックインをしてゆっくりと過ごし、本来なら今日こそ海に繰り出すはずだった。でも、この可愛い姿ではやめた方が無難だろう。
「……なかなか悪くないわよ?今日は子ども服でも買いに行く?」
 なんと言えばいいのだろう。子どもの準の外見は本当に良いところのお坊ちゃんと言う感じで上品なだけに、中身が大人と知っているとはいえ一生懸命悪ぶろうとしている風にしか見えない。
「そんなもの買ったところですぐ不要になるだろうが。それとも、お前は俺がずっとこの姿でいるつもりをしているのか?」
 朝起きて身体が小さいことに気付いてから準はずっとこんな調子で拗ねている。そんなにスキューバダイビングを楽しみにしていたとは知らなかった。
「そう?将来の子どもに着せれば良いんじゃない?あ、でも男の子じゃないと無理か」
「な」
 実は私が着せ替えして遊びたいのだけど、まさかそんなことを正直に言うはずがない。今回の件が解決して不要になれば、何処かに寄付だって出来るしフリーマーケットやネットオークションに出すことも出来るのだ。別にかまわないだろうに。ブランド物を買い漁るわけでもなし。
 準はまず何から言えばいいのか分からない様子で目いっぱいうろたえた後、そうかもしれないが、と言葉を濁した。
 そこに準のPDAに連絡があった。これはアカデミア時代に使っていた生徒手帳で、仕事では一切使うことのないものだ。機能としては生きているものの、ここにわざわざ連絡を入れて来るのは学校関係者か家族くらいのものだろう。
 このタイミングで、と準は小さな手でPDAを操作する。動画メールが一通届いていた。後ろからのぞくように画面を見ていると、映しだされたのは正司さんの姿だった。
『お前が宿泊している万丈目グループのホテルで頻繁に謎の怪奇現象が起こっていてな。今のところは実害もなくホテルに苦情もないのだが至急原因を究明しろ。兄者にも相談したんだが、こういったことはお前の方が詳しいと聞いたからな。吉報を期待している』
 とまあ要約すればこんなところだろうか。それを見ている間にもう一軒新着のメッセージを受信する。準は長作兄さんからだと呟いて、それを開いた。
『準か。今お前と同じホテルに宿泊している。時間があるようなら顔くらい見せなさい』
 短いものの、準をいたく気にしていることが分かる。……政治家の割に意外と暇してるんだろうか、と失礼なことを思う。
 お兄さん二人から全く方向は違うものの連絡をもらって準は嬉しそうだった。落ちこぼれだの何だのと言われていたはずなのに、好きなのだなと思う。懐が深いのだ、この男は。
「正司さんはともかく、長作さんの方は今すぐに、は無理そうね」
「ああ。だが万丈目グループの今後の為にも、早急に調べなければな」
 準はやる気だ。人に尽くされることには慣れているはずだけど、準自身は割と尽くすタイプの人間だから正司さんに期待されてることもあってモチベーションは高いようだ。
 どうせ当初予定していたスキューバはポシャったのだし、と私は出かける準備を――する前に、もう一度準を抱きしめた。
「こ、こら、っ」
「んー柔らかーい、小さーい」
「放せ!」
「でも外に行くとなるとやっぱり服は必要よね。ブランチを済ませたらまずは買い物で決まりかな」
「おい、聞いているのか」
「先に言っておくけど、全身真っ黒は駄目よ?」
!」
 さんざん好き勝手に触ってついに準が爆発するか、と言うところでその口をふさぐようにキスを。ぎゅ、と小さな手で私の寝間着を掴む感触に心が浮いた。
「……なぁに?準」
 唇を離して顔をすり寄せ尋ねると、準はまた顔を赤くして言葉に詰まっていた。これ以上やると準が倒れてしまいそうだから、ちょっと我慢したほうがいいかもしれない。
「やけに楽しそうだな」
「だって楽しいもの」
 素直に応えると、意外そうに準が瞬いた。
「お、怒らないのか?」
「何に対して怒るのよ?」
 驚き桃の木、また何か一人で突っ走っているのだろう首をかしげて尋ねると、準は私を上目遣いで伺い見るようにして口を開いた。
「その、珍しくお前がスキューバをやりたいと言っていたと言うのにだな、当初の予定はおろか、休む暇も」
 葛藤しているのだろう。私か、お兄さんからの頼まれごとか。尽くすのが好きな人種だ、とは私自身があてはめた言葉だけれど、その対象に私も入っていることが分かる。準のそういうところを感じるのは初めてではないものの、くすぐったく想うのは今になっても変わらない。
「大学生って普段結構暇してるわよ?それに、そこまでスキューバがやりたかったわけじゃないし」
「だが、お前が何か希望を言うのは滅多にないことだろう」
「まあ、口にするのはね。だってあの時見た海があんまりにも綺麗だったからさ」
 とにかく私は何も怒ってないし、準の好きなようにすればいいと言うと、準は妙に肩透かしをくらったように面喰った顔をして、分かった、と呟いた。さっきまで心苦しそうにしていた割に怒らなかったら怒らなかったでまた要らぬことに心を奪われているのだろうか。もう俺のことはどうでもいいのか、なんて。
「埋め合わせがしたいって言うのなら、私が選んだ服を着てくれない?」
「……が、それでいいと言うのなら」
「決まりね」
 リゾート地とは言えホテル以外に何もないと言うわけではもちろんなく、食料品も含め日々のものは買える環境がある。そこで必要なものを買うことにして、私たちはようやく着がえを始めて部屋を後にした。おはよう、と言うには遅い時間だった。



 アカデミア時代、準にオシリスレッドの上着を着せようとしたことがある。手っ取り早くデュエルではなくドローパンで勝敗を決することになって、負けたほうが勝った方に指定された服を着ると言うことになったのだけど、結果は私が返り討ちにあって終わった。ちゃんと取り決め通りあまり着たくもない服を着て言いたくないことも言わされたのだけど、恥を忍んだ挙句に準が言い放った一言を私はこれからも忘れることはないだろう。辛酸をなめたあの時の気持ちを思い出し、私はこれはいい機会だと思った。
 私の意図に気付いた準はいつまで覚えているつもりだと慌てていたけど、乙女心を踏みにじったのは準の方なのだから、少しでも目にもの言わせてやらないと私の気はすまない。
 そして私の目的は数年を経てついに達成されたのだけれど――
「……恐ろしいほど似合わないわ!」
 数年前準が放った言葉を自分が言うことになるとは思わなかった。
 目の前には黒いインナーに赤いジャケット、白いズボン姿の準が少々ご機嫌斜めな様子で立っている。
「人が折角大人しく着られてやったと言うのに、何だ貴様!」
 そしてやっぱり私が言ったようなセリフと準が口にする。
「ごめん、着替えよう。ここまで似合わないとは思ってなかった」
 モノクロは良いのだ。インナーの黒は準の色だから違和感があるはずもない。白いズボンだっておかしくない。――赤が、破滅的に似合わない。
 準は自分で分かっていたのだろう。だから言わんこっちゃない、とでも言いたそうに赤いジャケットを脱いだ。私はそれをハンガーにかけて、別の服を準に合わせていく。本当ならいろいろ着せて遊びたかったけど、まあそんな長い間遊んでるわけにもいかなくなったしとっかえひっかえ試着するのも店側に迷惑がかかるだろうからどうにか気持ちを抑える。
 最終的に見た目にも涼しくなるようにと白いキャップ帽、青いTシャツ、薄手の黒い半ズボン、にすることにした。赤よりははるかに似合っている。念のためにと部屋着は上下黒がいいと準が主張したから、その通りにした。……結局そうなるのね。
「これでよし。……と、そろそろお昼にする?」
「ああ」
 私は結構楽しかったけど、さんざん付き合わされた準はさぞや退屈だったことと思う。何か食べたいものはあるか、と聞くと以外にも手料理を所望された。確かに部屋はスイートルームだから立派なキッチンもついているけれど……
「いいの?本当にそんなので」
「そんなのが良いんだ」
 手間を掛けることになるが、と準にしてはえらく殊勝な発言に思わずそんなことはないと返す。
「じゃあ改めて、何が食べたい?」
 準の家はお金持ちだ。けれど今まで食において準を面倒なやつだと思ったことはない。チャーハンの中の野菜をちまちまと避けていた時は呆れかえったけど、味付けだとか、食材についてうるさく言ったことはないように思う。レッド寮に長く居たせいなのか、サバイバル経験があるからなのか、生来そういうところに興味がないのかは私にはよく分からない。体調管理もプロデュエリストの仕事だと聞くけれど付き人の苦労たるや、と同情せずにはいられないと思うこともある。
「そうだな……。炊きたての白飯と、味噌汁が食いたい」
 そんな準の口から出たメニューに、私は目を丸くしてしまった。まっすぐな目が私を見上げてくる。確かに往々にして人と言うのはある瞬間に物凄く限定されたものを食べたい、という欲求に満たされることがある。それでもこんな所にまで来てそこまでシンプルなメニューが出てくるとは思わなかった。
「ご飯はともかく、お味噌汁ならお豆腐と油揚げと、わかめ……あ、ネギ入れるわよ?大根も……あ、あと人参も!」
 二つだけではあっさり過ぎる。何かもう一品作るにしたってボリュームがない。念を押すように言うと、準は
「……分かった」
 渋い顔をして、それでも頷いた。その様子にますますもって疑問符が浮かんでしまう。
 どうして味噌汁なの、と何気なく尋ねると、私が今まで振る舞った料理は全て洋食だったから、という答えが返ってきた。そうだったっけ、と軽く振りかえる。確かにハンバーグだとかパスタとかグラタンとか、そう言ったものを作った気がする。いつも準と一緒に食事をするわけではないから私からするとあまり意識はしていなかったのだけど、もしかすると準は外でも洋食ばかり食べでもして舌が飽きていたのかもしれない。
 早速食材を買おうと歩きだす。子どもの身長では地面からの熱がすごいんじゃないかと思って抱っこしようか、と提案すると、物凄い勢いで却下されてしまった。子ども扱いされるのは嫌らしい。中身は私と同い年の大人なのだからそれも当然か。私もずっと長い間準を抱っこできるか分からないし。……その割に部屋では大人しくされるがままになってくれていたように思うけど、他に誰もいなかったからなんだろうか。
 服を買ったお店はホテル正面に大きく走るメインストリートに面していて、そこから一本大きな通りに逸れると野菜や果物を屋台で売っている市場に出る。その先には日本で親しまれている食材を一手に扱っているスーパーがあると聞いている。万丈目グループ系列のお店らしい。日本人には優しい環境になっていて、お客さんの受けもいいって。
 折角和食が良いと言っているのだからそこで買おうとそこを目指して市場に入る。買うものはお米のほかに味噌汁に入れる具材、ついでに他にも何か作れるように調味料の類やなんやかんや――とにかく買い込むことにする。
 市場はもうすぐお昼時と言うこともあって活気づいていた。万丈目グループのホテルに泊まっているような人の姿は少ないものの、私はこういう雰囲気の方が好きだからどことなく浮足立つ。
 念の為手を繋ごうか、と口を開こうとしたら、準の小さな手に引っ張られた。
「え?ちょ、ちょっと」
 何かを避けるような動きに従いながらも声を上げると、準は私を振り返ってシッ!と指を口の前で立てた。
 しゃがんで目線を合わせると、どちらともなく頭を寄せ合う。
「……どうしたの?」
「知り合いがいてな」
 見られるとまずい、と思っているのだろう顔は嫌なものでも見たようで、私はそうなの、と首を傾けた。さすがに今の姿じゃ、この子どもがあの万丈目準だ、なんて言い出す人はいないはずだ。でもその息子だと思われても仕方ないかもしれない。
 準はキャップ帽を目深にかぶりなおした。根も葉もないことで騒がれるのもメディアの露出が激しい準の世界ではよろしくないことだし、あるいは私へ騒ぎが飛び火するのを懸念しているからかもしれないけれど、用心に越したことはないと言うことだろう。
「あれ、?」
 こっそりと行ったほうがよさそうだと思った矢先、ふと懐かしい声で名前を呼ばれた。
 振り返れば、そこにはよく知る――よりもたくましくなった――十代が立っていた。卒業後行方知れずになっていたものの、まあ元気でいるだろうとは思っていた。十代もPDAを持っているはずだから連絡しようとすれば出来たし、便りがないのは無事だからだろう、なんて少々呑気に構えていたのだ。実際こうして見るからには元気に過ごしているのだろう。再会した場所が場所なだけに驚いたけど。
「十代、どうしてここに?」
「俺はちょっと頼まれごとで。がここにいるってことは、万丈目も一緒なんだろ?」
 聞かれ、どう答えるべきか一瞬返すのが遅れた。十代はその隙に私の後ろにいる準に気づいたらしく、その目がしっかりと準を捉えるのが分かった。当の準は黙って十代の視線から逃れるように顔をそらす。目は合わせていないはずだから分からないだろう。……知り合いと言うのは、十代のことだったんだろうか。
、もしかして、」
「十代、私たち今からホテルでお昼ご飯作って食べるつもりなんだけど、一緒にどうかな。積る話もあるし」
 十代の言葉をさえぎって目くばせすると、十代も何かを心得たように頷いてくれた。――とにかく、買い物を済ませよう。十代がいてくれるなら少々重くなっても大丈夫だ。

2010/08/27 : UP

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