ハニー
後編
「あの、おかしくないですか?本当に?」
「ああ、綺麗だ」
時は過ぎて、夜。昼間はプロデュエリストと付き人、でもよかったのだけれど、夜はそうもいかない。子どもたちと接するときは笑顔を引き出してこそだし、相手が大人になれば、引き出したいものはお金に変わる。大体子ども相手に付き人も恋人もない。
KC、海馬コーポレーション主催とあって、昼は盛況だった。エド・フェニックスも顔を出していて、師弟一緒に子ども達から人気があったし、カイバーマンの乱入もあったりと本当に子ども向けのパーティだったと思う。
「そうだ、これは正司兄さんから」
鏡の前で、服に着せられているような私の首元に、更にとんでもないものがぶら下げられた。とてもシンプルだけど、安物のはずがない。綺麗な、黒い宝石。
「こ、これ……」
「ブラックスターサファイアだと言ってたな」
「いっ!?いただけませんッ!こんな高そうなもの!」
「もらえるものはもらっておけ。ただのプレゼントだ」
ケロっと言ってしまう彼に、住む世界が違う人なのだと思い知らされる。語呂的に考えて俺の名前を冠した宝石があってもいい、なんて憮然と言い放つ姿に突っ込む余裕はなかった。だいたいブラックサンダーなんて宝石があったら困る。破産してでも買い占めそうだ。そんなバカなことばかりが頭の中をぐるぐる回る。現実逃避をしている場合じゃない。
「でも、でも」
「首元に何かないと寂しいだろう?」
「でしたら昨日買っていただいたネックレスがありますッ」
「あれは今のドレスにはあわんだろうな。昨日のには良く合っていたが」
「……」
変なコーディネートはそのまま彼のイメージにも影響してしまう。私はほかに言葉もなく黙るしかなかった。その私に、彼の腕が差し出される。
「行こう」
私は短くはいとだけ答えて、彼の腕に手を添えた。お兄様方からすれば恋人としての参加だけれど、一応形としては万丈目さんから頂いたほんのわずかな間の休息のプレゼントということになっている。普段仕事の関係で連絡を取り合うような人も中にはいるだろうから、挨拶回りくらいはするつもりだ。
「笑ってくれ」
「え?」
急に言われ、見上げると、彼が苦笑していた。そこまで顔に出てしまっていたのだろうか、私は頬に手を当てて気を紛らわせた。
会場は驚くほど華やかだった。顔見知りの方々との挨拶がすむと、私は早々にテラスへ出ることにした。今までこんな場所に来たことなんてなかったから緊張してしまう。何より、人数が多い。デュエルのライブ会場でも多くの人々に囲まれるとはいえ、客席に座ったことはなかったから、独特の熱気に中てられてしまったのかもしれない。気付かれもさることながら単純に人酔いしてしまったのだろう。
自分の場違い感に耐えられない。いつもなら別室で待機しながら先のスケジュール調整と次の仕事の為の準備をしているのに。
「疲れさせてしまったかな、お嬢さん」
「!」
夜風に当たって気分も落ち着いたところで声を掛けられ、振り返るとお兄様、長作様が立ってらっしゃった。
「こんばんは、万丈目長作様でらっしゃいますね。私、準さんの付き人を務めております、綿部佳代と申します。……このネックレスの重みに、耐えかねていたところです」
「はは、そこまで高価なものではないのだがね」
「私の様なものからすればきっと震えあがってしまうほどのものだと……。それに、私にはとてもではありませんが相応しいものとは思えません」
「君の仕事ぶりは知っている。今まで準が大したトラブルもなくやってこれたのは君の尽力によるところが大きい」
「私はそう言っていただけるようなものではございません。今の彼があるのは彼の誠実さとカリスマ性、そして弛まぬ努力の賜です」
私の記憶が正しければ、私と彼が出会って以降、彼とお兄様方がどう言った形であれ連絡をお取りになったのは先日のお見合いの話が初めてのはずだ。
「私と準さんについて、お調べになったのですね」
「アレは、腐っても私の弟なのでね」
「……私は彼を心から尊敬しております。彼の付き人であることは私の誇りであり、幸せです」
そういうと、長作様の目が細められ、口元には緩やかな弧が描かれた。一歩前に踏み出され、私の隣に立たれる。
「アレはずいぶん長い間落ちこぼれだった。少なくとも私や正司からすれば」
何を仰るのかとハラハラしながらも、長作様があまりにも穏やかにお話になるので黙っているしかない。
「だからこそアレは我々には持ち得ない、得難いものを手にすることが出来たのだろう。……例えば、その最たるものが、君だ」
「……彼には、見る者をより高みへ引き上げる力があります。そして、惹きつける力も。私はそれをずっと目の当たりにしてきました。彼の素晴らしさに触れる度、私も最大限努力をしてまいりました。しかし、我武者羅に走り続ければ続けるほど、私よりももっと彼を高みへと導ける人がいるのではないかと思ってしまうんです。私はいつも彼に引っ張っていただくばかりで……ですから、この宝石も、私には」
「なら、私の秘書になってもらおうかな」
自然と下がった目線を引き上げたのは、長作様のとんでもないお言葉だった。先日からこの御兄弟には驚かされるばかりの様な気がする。
「何をおっしゃいますやら!」
軽くパニックに陥って言葉が乱れてしまったけど、気にするほどのキャパシティはなかった。長作様は何がおかしいのか楽しそうに笑ってらっしゃるし……。
「君は優秀だ。これからもアレをよろしく頼む」
「も、勿論です!」
勢い、背筋を伸ばして返事をすると、長作様は満足そうに頷かれた。そのご様子に、私からも笑みがこぼれる。
「佳代?こんなところでなにを……気分が悪いのか?なら別の部屋を――……」
「あ、準さん。今、長作様とお話をしていたところです」
会場内の喧騒を外れ、やってきたのは彼だった。……私がいないのを気にしてわざわざ探しに来てくれたのだろうか、と思うと嬉しくなる。
彼は長作様の姿を認めると、長作様の顔色を伺うように、首をわずかにかしげた。
「何の話か、聞いても?」
「是非、私の秘書にならないか、とな」
「!!」
彼が息をのむのが分かった。と、思った瞬間
「いくら長作兄さんでもそれだけは絶対譲れないな!大体まだ俺と佳代の契約は終わってないし、俺は佳代を手放す気は毛頭ない。……佳代、今の給与に不満があるというなら次回の契約更新の時に、好きな条件を提示してくれ。俺はそれに応えよう。……いや、その、君さえよければの話だが……。もし俺との仕事がもう耐えられないというなら」
「あの、準さん」
いきなり声を荒げたかと思うと、彼は私の両肩を思い切り掴んでまくしたてた。それなのに徐々に自信をなくしたかのように尻すぼみになっていく語気に耐えかねて、私は声をあげた。瞬間、静寂が訪れ、長作様がもうこれ以上はない様子で笑いだされた。
状況が分かってないのは彼だけで、私は苦笑交じりに彼を見上げた。
「私は、不満などないと言ったはずですよ。今以上望むことなどありませんし、あなたさえよろしいのでしたら、ずっとあなたの付き人でいたいくらいです」
「……え?」
「秘書のお話は、長作様の御冗談ですよ」
「――……」
ぽかんとする彼に、長作様はまだ喉元に笑いを引きずりつつも口を開かれた。
「準、少しは成長したかと思ったが、この手のことになるとまだまだ『落ちこぼれ』だな」
「に、兄さん」
「綿部君、正司が君にプレゼントしたそのサファイアだが、それは準への嫌がらせなのでな。是非毎日でも身につけてくれたまえ」
「は、はあ」
「それでは私は失礼する」
長作様は堂に入った足取りで会場を後にされた。優雅で乱れの無いその後ろ姿と歩く姿は万丈目さんにそっくりだった。否、万丈目さんが長作様に似ているのか。
去り際に目配せをされて、何が何だか分からず呆気にとられたままでいると、彼が私の肩から手を放してくれた。私は改めて彼に向き直る。
「あの、嫌がらせ、とは?」
「……」
押し黙る彼に伺うと、彼はムスリとした表情を隠しもせず、しばらくそのままだった。けれど頬には赤みがさしていて、私が首を傾げた頃、彼は大きなため息をついた。
「長作兄さんには、俺たちが恋人ではないことくらいお見通しだったということだ」
苦々しく言われ、私は焦ると同時に浮かんだ疑問にさらに首をひねった。
「でしたらなぜ何もおっしゃらなかったんです?」
「俺の反応を楽しむためだろうな。正司兄さんもだ」
かつがれた、と険しい表情で彼は言う。
「あの、私には全く話が見えないのですが」
「……佳代」
「はい」
ともかく彼の言葉を待とう。何か腹をくくったらしい彼を見て、私は改めて背筋を伸ばした。
「俺の、本当の恋人になってくれ」
「……は、い?」
「愛している」
真剣な眼差し。彼の黒い瞳は濡れているように見えた。白い肌は明るい場所で見るのとは違ってどこか青白くも感じられ、なのに薄く赤に染まっていて扇情的だった。今までに何度も受けてきた視線を、受け止めきれない、と思ったのは、初めてだった。
「あ、あの」
でも、今顔を、目をそらすわけにはいかない。だってそれはつまり、彼の想いを拒絶することになってしまう。
それなのに返す言葉が見つからない。それはもうずっと長い間、私の中にあったはずなのに。もう一度言って欲しい気持ちと、早く答えなければ、という気持ちとが入り混じって、咽喉で声が詰まってしまう。
「わたし」
唇が震える。夢のような心地がして足元がおぼつかない。訳も分からず涙が出そうになって、一度唇を引き結んだ。多分、今の状態が感極まるというのだろう。じっと彼を見つめていると、彼の瞳は細やかながら揺れていて、彼が緊張しているのだと理解した瞬間、案外あっさりと、言葉が落ちた。
「……私も、準さんが好きです。ずっとずっと、お慕いしておりました。でも、あの、準さんには想ってらっしゃる方がいると、以前」
「それは、君のことだ」
気付かれたくないが気付いてほしいという複雑な男心が分からんか。と、彼は少し照れた風に目をそらした。準さん、それは乙女心って言うんですよ、と言おうとして、やめた。代わりに、笑みがこぼれた。
「準さんこそ、今回の様な事を頼まれて、断れなかった複雑な乙女心を分かってください」
「……悪かった」
しゅん、と気落ちする姿も愛らしい。
「それで、お兄様のおっしゃってらした『嫌がらせ』とは?」
「……いつの間にか人を使って俺たちのことを調べていたらしくてな。俺が、君を特別視していることまで知られていたんだ」
私は全く気付かなかったのだけれど、どうもそういうことらしい。長作様からも聞いたけれど、まさかそんなことまで把握なさっていたのには驚きだ。彼が、と言うのなら、きっと私の気持ちも全て、お見通しだったのかもしれない。
「それで、俺の気持ちと、俺に君以外女性のつてがないことを知った上で今回の見合い話を持ち出して、俺に発破をかけたということだ。見合いに応えたとしても相手さえ選べば兄さんたちはそれで構わないからな。……にも関わらず、俺が君に何も言わないまま恋人『役』として紹介したから、あの宝石を君に贈った。俺がそれを見る度に、自分の情けなさを思い知るようにな。その宝石は、兄さんたちが俺の『恋人』に贈ったものだから」
「……あ、だから長作様は毎日でも身につけるように、と」
私は、嫌がらせと言う言葉さえなければ、単にこの黒い宝石が彼の眷属である証明になるからだと思っていたのだけど。やはりというかなんというか、違ったようだ。
「でも、もう違う。……俺から贈ったものではないが、受け取ってくれるな?」
彼は、嬉しそうに笑う。私は頷いて、一歩、彼に近寄った。――それは、今まで一度も到達したことのない距離。
「不束者ですが、どうぞ、これからもよろしくお願いいたします」
「……な、なあ、その言葉遣いをやめないか?」
一歩下がる彼を、同じ動作で追いかける。その内に、彼が手すりへぶつかった。逃げられなくなった彼へ、私はまた一歩踏み出し、距離を詰める。
「では、契約に同意していただけますね?」
「なに、」
ハイヒールから、更に目いっぱい背を伸ばして、彼の唇に自分のそれを重ねた。ふらついてすぐに離れてしまったけれど、代わりに、彼に抱きとめられる。彼に支えられながら、じっと見つめていると、唖然としていた顔が、笑顔に変わった。
「勿論だ」
そうして、彼からもキスを。腰にまわされた腕と、後頭部を控えめに支える手が熱い。唇が離れると、どちらともなく、震えた吐息が顔にかかった。そのまま、しばらく見つめ合う。きっと顔は真っ赤になってるだろう。でも、胸の内は暖かくて、穏やかだった。
「戻ろう。まだパーティは終わってない」
「……ええ」
「正司兄さんにも、改めて紹介しなければな」
「そうね」
くすりと笑う。今までとは全く比べ物にならない位、幸せだ。
彼が微笑みながら腕を差し出し、私は彼に寄り添い、手を絡めた。
2010/07/11 : UP