FUCK YOU GOD!
どうすればいい?
19TH STAGE: Which should I choose being alone or with human being?
――『異常』に気づいたのは暫く経ってからだ。なぜ少しも疑問に思わなかったのか自分に腹が立つ。
リナリーは別格だとして、アレンやユウやラビを見ていればすぐに気づくはずだった。なのに以前と変わらぬ生ぬるい日々に身を浸して感覚はより鈍くなる一方ではないだろうか。
朝。目覚めると窓から朝日が差し込み目に痛い。身を起こすと気だるい中にも程よい疲労が晴れることなく身体の内でくつろいでいるのを知る。その所為で少しばかり体を起こすのに苦労して、立ち上がったところでようやく身体はこれから一日のために欠伸をして霞みがかった意識を鮮明にさせる。
下着を着けて適当な黒のTシャツの上に団服のジャンパーを羽織る。ズボンもラフなものから団服に合わせて作られた黒いストレッチのパンツを。靴下を履いてブーツに足を突っ込む。面倒くさいがいつ任務が入り込むか分からないエクソシストは教団の中でもなるべく団服を着るようにと言われている。
朝食をとりに食堂へ向かうと、ほとんどの確率でリナリーかミランダに出くわす。軽く挨拶をして約束もないまま同じテーブルに着席。他愛のない話をして中身は十中八九黒の教団の、『身内』の話ばかりであまり興味をそそられることもない。それでもリナリーやミランダはまるで恋人の惚気話でもするかのように綺麗な笑顔で話すから私はつい相槌を打って彼女たちの口を滑らせてしまう。別にそれが鬱陶しくはないが、私から話を提供することがない所為かまるで無理をさせているようで気が引ける。その実喋っている彼女たちに救われた気持ちがして沈黙が降らないように必死で話の先を彼女たちに吐かせ続けるのだ。
それを終えて手持ち無沙汰に修練場までいくとまれにユウがいる。彼は普段外の森での鍛錬を常としているのにと不思議がっているといきなり六幻を突きつけられ私は必死で逃げる。修練場にまで来たからには覚悟は出来てんだろうなとどやされ命からがら扉の外にまで身体を連れて行く。いきなり界蟲を出されたときはかなり参った。おかげでそこら中傷だらけになって、治すのに時間がかかった。もともと私のイノセンスの力は対AKUMA用でしかなく、日常生活における怪我は回復できない仕様になっていることが最近わかり始めた。そのくせイノセンスの力を無理に引き出した適合者の疲労や、イノセンスでの――特にユウの六幻による――攻撃の傷は回復できるのだから癖が強くて困る。
することがなくなると大抵科学班の所に出向いて、書庫の鍵を受け取る。黒の教団には巨大な書庫があって、最近いい暇つぶしにとばかりそこに入り浸っていた。
だからだろうか、気づけなかったのは。
昼。昼食をとりに再び食堂へ。喧しい食堂の中でテーブルを独占して座っているアレンの隣に邪魔をする。並べられた料理の皿の一つ一つを見て、適当にちょろまかす。するとアレンが苦笑気味に注文してきたらどうですと勧めてくるがそれを面倒くさいと一蹴して、喧しい食堂を離れる。
煩い声から開放されると再び書庫へ。身体も動かさないとだめだよとコムイさんに窘められたのをあんたは少しじっとしてろと返してミスターリーバーが激しく同意する。
書庫に明かりはほとんどなくそれは恐らく紙と書物のインクを保存させるためだろうが、その所為で私は持たされたランプを頼りに本を探す。大昔の非常に貴重で重要であろうという本から何かの論文やファイリングされた形跡のない何かの報告書から、うず高く積まれた紙という紙は相当な量になる。その上薄暗い割には書庫の棚は相当な高さがあって、そのところどころにはしごが立てかけられていた。一体誰が利用するのだろうというほど利用者の姿はなくまた図書館のように司書というものの存在も確認できない。はしごに足をかけそれが軋むのを確認すると、指にランプを下げてはしごを上る。
初めは覚束無かった足取りが確かなものになる。それは自然なことだと思っていた。
夕方。夕食のためにまた食堂へ。途中で科学班の所によって書庫の鍵を返す。食堂にはたまにラビがいる。ラビは空気に溶け込んでいるのにその発色の良いオレンジとも朱とも取れるような髪色の所為ですぐに居場所が分かってしまう。彼は今一分かり難い部分があってあまり好きではないが、向こうはそうではないらしくなぜか私を見かけると声をかけてくる。彼は人が入ってくる度に何故か入り口を確認する癖があるようだ。自惚れても良いとは言ったもののどう接したものか、対応に困っているのが現状だった。
料理片手にラビのそばの席に着くと、力持ちになったなァと間延びした声で言われる。最低自分が食べる分だけでも自分で運べるようにならないとと思えばすぐだったが、私が食べる量は半端ないからラビにとってはそう見えるのだろう。それとも重い皿を片手で持つ私が女としてどうかと言う話なのだろうか。エクソシストには関係ないだろう話だがラビはどうもその手の話が好きな様子だ。
食堂から出るとそろそろ空気が寒くなってきたのを肌で感じる。熱気のある食堂とは違い廊下は冷え込み足元から冷気が這い上がる。薄暗くなっている廊下を自室へと歩いてそこで変に視界がいい事に気づく。資料室に入り浸っている所為で暗闇に目が慣れてしまったのかと思っていた。
そう。なぜそこで私はそう思ったのだろう。
書庫に通っていた日数はわずか五日ほどだ。その五日間で視力は見る見るうちによくなり、はっきりこれが異常だと感じたのが今日だ。昨日の夜は教団の中を散歩したが、なにぶん月明かりだけで十分なほど空は明るく、明かりを持つ習慣のない私は何の違和を感じることもなかったのだが、今日書庫に入るのにランプの油が切れた。そのときだったのだ。
明かりのない書庫で、何故か目が見える。本の背に書いてある題名のような細やかなものは見えないものの、棚の位置やはしごの場所、散らばっている書類の数々が見える。普通に。
「コムイさん!」
走っていった先には運よく起きているコムイさんがいた。リナリーの淹れたものだろうコーヒーが入ったマグカップを片手に書類に目を通している姿が真っ先に視界の中に飛び込んでくる。といえば聞こえはいいが、コーヒーを胃に流し込んでひたすら判子を押す作業は機械的な動作以外に何の要素もなく逆に科学半出身だという彼にとっては何の面白みのない作業であることは想像に難くない。呼べば天の助けとばかりに表情を変えたコムイさんに心中立場というものは面倒くさいものだと思いながら事情を説明すると、それはイノセンスによるものじゃないのかなとあっさり返された。体力がつき始めたこともそれに起因するのかと問えば、多分ねと軽い返答。
「……エクソシストって変人だ」
「あはは、否定はしないけど、鞠夜君もエクソシストだからね?」
軽やかな声が今はいつものように癪に障る。だが先ほど判子を押していたときの顔よりは幾分か表情も良いものであるし、判子を押す手は止まらないものの今日のところは何も言うまい。
「……アルもユウもラビもあいつらが単に異常だと思ってたのに!」
「鞠夜君って時々楽しいよね」
「もしかしてこれからもっとありえない体力ついたりするんですか!」
「そうだねー、個人差にもよるよ?」
「リナリーはイノセンスが靴だし納得できる。でもミランダにはそんな身体能力なんかなかった!」
「うん。その辺が個人差。いいじゃない、鞠夜君分類的には超至近距離タイプだから、損はしないと思うよ?」
「……そのうちあいつらみたいに異常な跳躍とか出来るようになる、と……」
それはそれで実はこっそり楽しみではあるが、しかしこんな能力をいきなり発見してもはっきり言って薄気味悪いだけだ。
「あれ?鞠夜じゃないですか?」
「……出た」
噂をすれば何とやらだ。ひょこりと顔を覗かせたアレンに、コムイさんは至極明るい声で私の能力について告げる。
「まあイノセンスのおかげだと思うよ。鞠夜君の身体はありとあらゆる部位、器官がイノセンスそのもののような効力があるからね。その力ならあるいは、鞠夜君の身体能力を上げることも可能ってことさ。つまり……おーい、リーバーくーん」
おもむろにコムイさんがミスターリーバーを呼ぶ。
「ちょっとなんか英語と日本語以外の言葉で何か言ってみてよ」
「?……Kanda es de Japon.……っていう感じスか?」
「もうちょっと」
「えー……、Me llamo Leebar, Encantado. De donde es usted?」
すらりとミスターリーバーがまるで教科書に載っている例文のような、短い言葉を告げた。発音は明らかに英語とは異なっていて、それが異国の言葉であるとわかる。初めの「カンダ」と、ミスターリーバーが自分の名前を言ったこと意外な何も分からない。それすらも聞き逃しそうなほど彼の口から出てくる言葉は皇かで、彼が言語学を専攻していたことの証明でもあった。
「うんうん、鞠夜君今の分からなかっただろう?ちなみにスペイン語」
「はあ……」
「鞠夜君は鞠夜君のままだよ、何も変わっていない。人間が生得的に持っている普遍文法は君の場合日本語と、今は英語にあたる。英語に関して君が多少の刺激のみで直ぐに慣れることができたのは、おそらく以前から英語の知識を持っていたから。でも今のスペイン語みたいなのはわかんない。それはその言語に触れたこともなく知識も持っていないから。言語を理解するにはまず知識が要る。君は確かに一般の人よりもはるかに高い身体能力を得たけれど、やっぱりそれ以外では何も変わってはいないんだよ」
まるでそれは私が私のままで良いと言うことではないだろうか。
「まあ英語は世界共通語だからね。語彙や文法構造を知っていれば、後は慣れの問題だ。僕が君に飲ませた薬はその辺を刺激するものだったんだよ。それ以外、僕は何もしていない」
「はあ……」
「……そうですよね。錬金術でも知らない言語がわかるようになる薬物なんて聞いたことないですし」
「ていうか、そんなこと無理なんだけどね。イノセンスの怪奇バリに。知識を植えつける薬物なんてありえないから。そんなものがあったら世界中の人たちはもっといろんなことを知っていて、世の中もっと平和かも」
「あはは、かも知れないですね」
「そして、僕たちは職を失うわけだね」
あっさりと告げられたコムイさんの言葉に思わず閉口してしまったのは、私が、私たちが、戦場でのみ必要とされているという、薄暗い事実の所為だ。アレンはコムイさんの言ったことに対して、大してなんでもないことのようにそうですねと相槌を打ち笑顔を浮かべている。
しかしここにいる人間は、自分たちの立場を、存在意義を失う為に働いている。そう、いつか言われた。何の利益もなく、ただそれは自分たちのいない『未来』を守るため。
不意に違和を感じた。
アレンがエクソシストとして動いているのは何よりも自分のためであると、いつだったか聴いたことがある。コムイさんも元々は、幼いころ適合者として無理やり教団に連れて行かれたリナリーのそばにいるためにこの教団に来たとか。
『個々』はてんでばらばらな黒の教団は。
ともすれば簡単に砕け散ってしまう、もろく薄っぺらい集団なのではないだろうか。かく言う私もそうじゃないか。
だが、それでも彼らが明るく悲しく此処で過ごすそれを、そんな風に見たくない気持ちがどこかにあるのを感じる。否定したくない。しかし事実だと思う。
「鞠夜?どうかしましたか?」
「……なんでもない」
なにかが崩れるのを怖いと思ったのはなぜだろう。
足踏みをした私が見えた。
利害の一致で一所に集った黒い塊。私はしかしそれだけではないような気がするのも知っている。
信じたい気持ちと、捨て切れない『可能性』の境界線が曖昧になる。
人間であることを嘆きながらそれでも、人間であるしかできない自分はどうするべきなのか途方にくれる。
口は動いた。
「ただ、眩暈がしただけだ」
2007/02/19 : UP