FUCK YOU GOD!

最初の想い
24TH STAGE: He has always blessed what I am today.

 何か、おかしい。
 何がと問われても答えることは出来ないが、前を行くリルの背中も地を踏みしめる感触もそして何より完治するはずのAKUMAによって攻撃された腹部がじくりと痛む。最早傷は完全に塞がり手の施しようもない。身体の内側から滲み出るような痛さなのだからリルに言っても仕方がないだろうと私は無言で足を動かしていた。
 初めは違和を違和と思うこともなかったが良くなった視力でも補えないほどの、それは事実という物質的なものではなくもっと感情的な、完全に私の感覚という主観的で曖昧な心地の悪さ。それを自覚した直後の不快感と言ったら無かった。
 AKUMAの技の一つだろうかと考えて直ぐにそれはないと首を振る。知りうる限りこう言った空間や次元に関する現象は全てイノセンスが引き起こすものだ。あの白い空間が良い例であり、そもそもAKUMAの能力は殺傷性に優れていて幻覚のような回りくどい方法はとらない。もっと純粋な能力で、それはレベル2であっても変わりない。これは確実に言える。
 そしてやはりこの場合の違和はイノセンスが引き起こしている。まだ見ぬ、マグ・メル現象を引き起こしているそれ。
『イノセンスあるところに奇怪あり』
 普段と変わらぬ声色で何時か聞いた声を思い出した。そう言ったのは誰だっただろうか、兎に角イノセンスを回収しないことには任務は終了しないしこれはまさに絶好の機会と言えるものの、長い時を経て様々にその姿を変えているというイノセンスを見つけることそのものが非常に困難だ。
 リルの後を追いながら、知れず溜息が漏れた。
「疲れた?」
 笑いの色を含んだ声だけが響く。否と答えるとリルはまた口を開いた。
「少し気になることがあってね。どうもきみが目を覚ます前に連絡をとった探索部隊の様子がおかしくて」
「……」
「少し声が震えていたんだ」
 僅かに低くなったそれを気にすることもなく私はその背を見続けていた。
 リルは人に表情を見せる人間だったと記憶している。リルに限らず、私の知るエクソシストという人種は自らの顔を周囲に見せるように振る舞う傾向にある。
 故に先ほどから一度も振り返らないリルに違和を感じるのも無理はない。あのユウでさえたまには人の顔を見てものを言うのだから、違和どころか不信感が芽生えない方がどうかしている。
 恐らくは顔を見せるのではなく、そうして周囲に目を向けることでAKUMAに背後を取られないようにするための一つの対策なのだろう。アレンは除外するとして、普段AKUMAは人間の皮をかぶりそれはエクソシストであろうと見分けがつかない。だからAKUMAをおびき出すためにエクソシストは目立つ団服を着るのだと説明を受けた。エクソシストに攻撃を仕掛けてきたならば、AKUMAだと、そう言う判断しかないのだ。
 攻撃されるのを待つしかないのだから周囲を頻りに確認するのは至極当然のことで、その為に人の顔を見て話そうと首を振る行為は自然で有効な手段と言える。
 それが無いと言うことはつまりどういう事なのか。考えるまでもない。
 問題は何時イノセンスの領域の中に入ったかと言うことだ。ミランダによればイノセンスが発動している空間の中でもAKUMAは存在できる。彼女の場合は街の中の時がある日時で止まったのだと聞いた。
 では、今回は?
 ミランダの時と同じく今回のイノセンスも詳しい話は分かっていないものの、時間や空間に関するものと見て良い。情報が極端に少ないのは体験者がことごとく口を閉ざしている所為だ。今私の居るこの空間も、マグ・メル現象に遇っているとしてそれは一体どこで起きているのか。以前の話ならばふらりと行方不明者が街に戻って来るというから、この空間が私の脳内での空想に過ぎず、身体は依然として海の中、と言うわけでは無さそうだ。そうであれば既に死んでいる。
 マグ・メルは海の上に出てから遭遇するものだと言うことからタイミング的には私が海に落ちてからなのかそれともあの白い空間以降なのかだ。
「見えた。戻ってきたよ」
 リルの声で私は意識を戻した。そこでようやくリルが私を振り返る。その表情には少しも疑わしい所などない。この違和はリルが振り返らないことのみで、足の覚束無さは単なる思い違いかも知れないと思うほど小さく、ましてや疼く傷は原因不明でわけが分からない。
 街が見えて、そこへたどり着くまでには大して時間もかからなかった。


「――このッ、悪魔め!」


 さて、誰の言葉だっただろうか。
 不意に刺さったそれは鋭さに反して、嗚呼そうだあまりの激痛に痛みを感じない時のようにどこか他人事で、だから私はくずおれることはなかった。
 変わらぬ潮の匂い。濡れ鼠のまま私は馬鹿のように立っていた。AKUMAとの戦闘で半壊したはずの街並みが粉塵一つ無い綺麗な空気を保ちまるで何事もなかったかのように佇んでいるのを見て遠くマグ・メルを確信する。
 この空間は、現状は、紛い物であって本物ではない。
 だと言うのに向けられた目と表情と言葉達は本物と寸分違わず私は虚をつかれたように固まるしかなかった。
「大方リルを連れて行こうとしたんだろう!?」
「落ち着け、どういう事だ」
「それからイノセンスを奪って破壊するつもりだった!」
 目の前にいるのは探索部隊の一人。一人だけ怒気を持ち私を見る目は間違いなく人を憎む類のものだ。リルが宥めるが勢いは一向に落ちなかった。
「お前は悪魔だ!ダークマターを素手で掴めたり、AKUMAの攻撃が全く効かなかったり!平気でオレ達を見殺しにし、ノアを庇うようなことを言ったり!」
 何故知っている、とは言わなかった。
 身に覚えがないとも言わなかった。
 教団には探索部隊の方が圧倒的に多い。それはそうだろうだからこそエクソシストと言うだけで大切に扱われるのだから。だからまさにエクソシストにとっては壁に耳あり障子に目ありでどこで誰が何をしたなどと言うことは瞬く間に広がる。それが真か偽かは問わない。必要があれば誇張され脚色されるだろうそれは個々の感情の中の話で当事者であるこの場合の私の意思とは全く関係がない。
「それがどうした」
「そもそもお前は初めから怪しかった!箱詰めで送られて身元にしたって元帥の証言しかなかった!元帥からの手紙だって元帥からのものかどうか怪しい!」
 最も突かれたくない一点を突かれて私は黙り込んだ。ちらつくのは捨てた世界。身元など証明できるはずもないのだここは私の生きるべき世界ではないのだから。
 目の前の人間は続けた。
「お前はエクソシストなんかじゃない!神の使徒であって良いはずがない!殺すべきはノアの一族!世界のために必死になっているオレ達をくだらないと吐き捨てるお前は悪魔だ!血も涙も誰一人として見たことがない!人が死んでもどこ吹く風だろう!この、化け物!」
 私を指差し怒鳴り散らす人間しかもう見えなかった。濁流のように体内を暴れ回る感情の波はどうにか口を閉ざすことで押し留める。それでも口元が震えて濁流は理性を押しやって、頭の中では奇妙な文字の羅列ばかりが流れてそれが意味を持たないことに安堵すら覚えた。
 何が分かる。
 神の使徒?端からそんなものになった覚えなどこちらもない。
 悪魔?この世にそんなものが存在すると思っているのか馬鹿馬鹿しい。AKUMAでさえ結局は人間が作り出した愚かな恥の塊ではないか。伯爵は人間を利用しているだけで最後の引き金を引くのは常に人間だろうそれをくだらないと言っただけ。自らの過ちを他に移してそれはまさに恥の上塗りでしかない。
 ――化け物?
 何も分からない癖に。
 何も知らない癖に。
 何も知らない、分からない私が生きるためにはこの道を歩むしかなかったんだ。たどり着いて直ぐの場所で意識を失い気が付けば教団の中で私を受け入れたのは教団の方だ。
 そうしてエクソシストなのだと言われそれは枷になった。逃げ出しても直ぐに捕まえられたのだろうあの室長の目はあの時少しも笑っては居なかった。
 他にどう生きれば良かった。イノセンス保持者と言われた以上教団は私を手放すつもりなど毛頭無いのだろう?
 お望みならばノアでもAKUMAでも味方になってやるさ。私が教団にいるのは偶々。そうだ、偶々だ。
 その偶々の中でアレンと出会いあの銀灰色の瞳の中に見えた小さく輝く砂のような光の粒たち。世界の救済などではなくひたすら贖罪のためAKUMAを破壊する姿に打ちのめされたんだ。
 聖女を望んだわけではないそんな綺麗な生き方が出来るほど私は善い人間ではない。
 ただ、アレンについていけば救われると思ったんだ。
 ――だからそう。救われたかったのだ、結局は。
 汚い人間であることも。そのまま生きてきたことも生きていることも、生きてゆくことも。アレンと同じように歩んでゆけば何時か許されるのだと思っていた。
 そんなはずはないのに。
 アレンは許されたくてAKUMAを破壊して居るんじゃない。エクソシストとして在るんじゃない。それでも彼は綺麗だった。だから、焦がれた。

「お前なんか消えてしまえばいい!死んでしまえばいい!」

 そうして突き出されたのは一体何だったのか。
 刃物にも見えたそれは深々と私の腹を貫いた。
 AKUMAの攻撃を一度も恐れたことはなかったのに、どうしてか何の変哲もないそれが、酷く怖かった。





 拒絶したのはどちらが先だったのだろう。

 積もっていく不満は隠さなかった。連日ニュースで流れるのは汚れきった大人の不正。膿を出すのだというその膿は酷くなるばかりで癒える予感すらなく、その口で子どもに清くあれ正しくあれ善くあれと言う矛盾が理解できなかった。大きな夢を抱けと、夢を見る隙もないほど冷めた目で将来を見つめなければならない現実を作ったのは誰だ。個性を尊重すると言っておきながら勝ち負けに拘ったのは誰だ。
 何もかも不愉快だった。世界は汚く人間という毒に犯される地球は哀れだった。懲りもせず戦争をする人間は愚かと言うには下等すぎてヒトに対する嫌悪感は募るばかりで平然と人の心を踏みにじる言葉を吐けるその神経を疑った。それでも自分がヒトであることから逃れられるはずもなく私は周りの人間と同じくらい自分も嫌いだった。

 捨てたのはどちらだったのだろう。

 未練などと言うものはなかった。夢見たのは美しい世界で。
 家族に言うことは何もなかった。私が消えることで泣くのだろうかと想像して全く出来ないことに思わず声をたてて笑った。
 不満だらけで要ると思ったものはなかった。いつも何か不満があって、人を見た目だけで論って愉快がる子どもを見下して見下して平静を保った。そんな同レベルの自分がやはり嫌いだった。
 何もかも嫌だった。だから捨てたんだ。
 そうして生まれ落ちた世界でやはり人間は汚いままで立ちつくすしかなかった。初めて気付いたヒトで有ると言うこと。私が人で有る限りその汚れきった世界から逃れることは出来ないのだと痛感してあの世界を捨てた意味とは何だったのだろうとそれは後悔にも似た自分の行為の無意味さへの苛立ちだった。

 見限ったのはどちらだったのだろう。

 自分から見限って捨てたと言い張って、実のところ私はただ単に逃げたに過ぎない。世界の理不尽さも不平等さも受け入れて生きていくことに我慢ならずにこんな世界は要らないとさも捨てるフリをして。
 ただ逃げた。
 不満だったのは自分が世界にとって取るに足らない存在で、私が死んでも世界は回り続けることを知ったからだ。ヒトというのは小さくて一人で出来ることなどたかが知れていると知ったからだ。だから生きる意味が全く分からなかった。意味を持たない自然の有りように焦がれて、だと言うのにそれも気にくわなかった。意味のない自然のサイクルの中でそれならば何故私は生まれてきて生きて死ぬのだろうと疑問が募って全く意味などない自分の生に苛立った。

鞠夜

 ……不満?それは『不満』だったのか?
 小さな自分の存在に苛立ちさえ覚えたのは、そうして何かでもって名を馳せると野心さえ抱いたのは、本当は誰かに認めて貰いたかったからではなかったか。
 馴れ合いを拒んだのは、拒まれることに恐怖を感じていたからではなかったか。
 淋しいという感情など、どうして持っているはずがないと思っていたのだろう。
 人恋しいと思ったことなど無いと、どうして胸を張っていたのだろう。
 淋しくて恋しくて、仕方がなかったのではなかったか。
 それを満たせないのだと知って諦めたんだ。家に帰ればおかえりと声がしてたくさん抱きしめて貰って参観日には親が後ろに立っていて、それが叶わないのは仕事の所為で仕方のないことでどうしようもなくて生きていくためには仕事をしなければならなくて我が儘を言っても決して覆ることなど無くて諦めるより他はなかった。駄々を捏ねることはなかった。親の前では良い子で通して良い子だねと親が頭を撫でてくれるのを待っていた。聞き分けがよくなければ私は要らなくなり捨てられるのだと思っていた。
 それは最初の欲求だった。
 諦めて鈍くなった私は自分の想いがどこにあるのかと言うことにさえ無頓着になっていた。
 馴れ合いを好む他人を見下して嫌悪したのは親や人から愛されているのだと自信を持っている姿が悔しかったのだ。私が抱けない感情と幸せそうな表情と愛されているという自信を当たり前のように持っている他人を見るのが悔しくて、だからそんなものは必要のないものだと捨てるフリをした。端から、持ってなど居なかったのに。
 所詮生に意味など無く、それなのに生きていることを無条件に許され、その事に不安を感じたことのない他人が酷く憎かった。
 最初の欲求は満たされることはなくて、満たすには私はもうそんな子どもではなくなっていて、だから一生満たされることはないのだろう。
 淋しかった。
 でも、認めたくなかった。認めたら泣いてしまうのだと思っていた。そしてそれは馴れ合いを好む弱い人間と同じだと言うことだった。だから拒んだ。私は他の人間とは違って強い人間なのだと思っていたから。

 そんな風に思い上がった私が一番、醜く低俗で、嗚呼そうだ、まさに『最低』の人間だったのだ。
 ――世界は果たして本当に汚かったのか?それは私という視点から見て出した答えであって客観的事物を証拠とする『事実』ではなかったはずだ。





 この世の全てに意味など無く、人間という動物がただ単に各々で評価しているだけだ。だからそれらを取り除いてしまえばやはりただそこに有るのみで自然は、世界は一度も私を拒絶したことはなかったのだ。
 当然と言えば当然だ。自然や世界に意思などなく、受け入れも拒みもしないのは当たり前のこと。
 それに勝手に苛立っていたのは私。
 それでも取るに足らない自分の小ささに、生の無意味さに、苛立ったのではない。
 本当は怖かったのだろう?誰からも必要とされていないことが。
 ただ酷く臆病だったのだ。
 臆病だったから拒絶して知らないフリを決め込んだ。
 馬鹿で下等だったのは他でもない私で、だから私より穢れたものがこの世にあるはずもない。

鞠夜

 この世の全ては美しく、失ってよいものなど何もないのだ。
 それは自然がただ有るだけという虚無にも似た事実をヒトが自身のために慰むもので。
 今はただそれだけが救いでもあった。

2008/02/27 : UP

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