FUCK YOU GOD!
できることならば救いの手を
27TH STAGE: I can never understand how sorrowful he was in.
リナリーの嬉しそうな顔の後、私は暫く涙を止められなかった。止め方もわからなかったけれどそれ以上にその必要を感じなかった。リナリーにわざとコムイさんを呼んできて欲しいと頼んで離れてもらったから。
心が乱れることはなく寧ろ穏やかなままで、優しいという気持ちがあるとするならこんな感じなのだろうかと考えた。
しとしととまるで雨のような心地。
溢れる涙の分だけ心を肥やし豊かにするような、それはこの私というヒトの世界において欠いてはならない要素で、枯れ果ててひび割れ、水を欲していたそれを満たしているようだった。
「は、……っ……」
笑みにも似た吐息が出た瞬間、無性に泣きたくなる気持ちが出てくるのを感じる。胸の奥は苦しく、心臓が潰れる直前にそんな圧迫はなくなるのに息をする度にまた苦しくなる。だと言うのに苦しい心臓の一部分でどこか晴れやかさを感じていて不思議な気分だった。
「鞠夜」
リナリーの細い足音と共に聞こえてきたその声に顔を上げる。自然と顔は緩んでいて、眩しい彼女の姿に目を細めた。
楽しいことなど無い。
けれど口元は緩く笑みを作っているのに気付く。
書類だらけのそこをほんの少しだけ整理した机の上にはまだリナリーの入れてくれたレモンティーが残っていて、それを一気に喉に流し込んだ。
飲み干し、喉の奥に残る僅かな温もりに心臓が痛んで、直ぐに心地良い緩さに包まれた。
「紅茶、有り難うリナリー」
笑んで、カップを彼女に返す。司令室から送り出すと、廊下で待っていたのだろうか、コムイさんが入ってきた。
「不謹慎かもしれないけど、安心したよ」
「?」
「だって鞠夜君、ここに来て一回も泣いたこと無かったろう?」
苦笑と共に告げられた言葉。それを一度振り返り、私はぼんやりとそうでしたかと聞いていた。
――あの、腹の奥のヘドロが溢れてくる心地は、泣きたいと、形容すべきものだったのかもしれない。
アレンの言葉が浮かんでくる。
【顔が、泣いてるんです。いつも。泣きそうな顔をして】
あれはいつのことだったっけ。もう随分前のことのような気がする。
もうずっと前から、私は泣きたかったのだろうか。
【何かに耐える様にしているのを、僕は知ってる】
嗚呼アレン。
私は耐えていたのではなかったよ。
ただ単に怖かっただけだ。
自分が目を背けているものが何時私に追いついて、私はどれほど臆病者か突き付けてくるのが怖くて、だから私はそれに対してもずっと怯えていたんだ。
自分ばかりが救われたがって、そんな資格はないのに、ただただ誰かが私のことを気にかけてくれるのを待っていたんだ。
だと言うのに私はアレンにしたように好意を邪魔だと振り払って他人を傷つけて甘え続けて、どれだけ自分に与えられる好意が尊いものなのか考えもしないままで、とてもではないけれど、優しくして貰えるような人間じゃない。
捨てないで。
すてないで。
みすてないで。
傷つけても傷つけても許してくれる存在がずっと欲しくて、だからもしかすると神様という存在を一番感じたかったのは私だったかもしれない。
私は、イエズス・キリストや、聖女なんかじゃない。
私は、それらの存在が欲しかった、ただの人間だ。
「鞠夜君?」
コムイさんの少しばかり心配したような顔が見えて、私は何故か微笑んでいた。
「すみません、少し考え事を。――……大丈夫です。任務の報告をします」
月の綺麗な夜だった。……月を見るのは何時ぶりだろう?AKUMAとの対峙は夜が多く月も出ていた気がするけれど、あまり覚えていない。
多分AKUMAとの戦闘で粉塵が舞っている風景が目に染みついている所為だろう。
しん、と静まり返った景色から、静寂が聞こえていた。
緩く吹く風の心地良さ。服が揺れる感触。木々が擦れ合う音。湿った土の匂い。生き物の立てる声。
世界はこんなに、鮮やかだっただろうか。
イノセンスの中は余りにも暖かみが無くて、ただただ雨の降りしきる光景と、雨の匂い、ずぶ濡れの土を踏みしめる感触しか覚えて無くて、静寂すら聞こえてこないほど静かだった。
「鞠夜君、いいかい?」
上品なノックの音がして、コムイさんの声が響いた。どうぞ、と扉を開くと、小さな箱を持った姿が視界に入る。
「持ってきたよ。あまり詳しいことはわからなかったけれど、これがAKUMAの一部であることには変わりないはずだ」
「……――そうですか」
コムイさんの持っている白い箱には、丁寧に――嗚呼そうだ聖堂に並べられた棺のような雰囲気だった――あの黒い石が収められていた。
私はそれを手に取り、両手で包み込む。
あのAKUMAが待っていたものは本当のところ何だったのだろう。もう、推測するしかないけれど。
この石がある限りあの子どもは待っていたものと会うことはないだろう。
歪な形。
光に照らせば如何様にも輝きを変える不思議な石。
救う、などと、そんな綺麗なものじゃない。
以前アレンが言っていた。
AKUMAは悲しい存在だと。
弱い人間の狂気にも似た感情の果てに、愛する人間を殺しその皮に縛られる魂の叫びが聞こえるのだという。
仕方のないことなのかもしれない。
生来ヒトとは弱いものであるから、死んだ人間にとって残された人間の苦しみを推し量ることなどできはしまい。
そう言った形で生まれたAKUMAは悲しみの塊だ。
悲しみは癒さないといけない。
悲しみは、放ったままではいけない。
きちんと悲しみから逃げずに、かといって、立ち向かうのもいけない。
悲しみは、受け止めなければ。
AKUMAを、受け止めなければ、ならない。
例えるとすればAKUMAは人間が受け止めきれずに逃げてしまった悲しみから生まれた歪みだ。その歪みは放っておけば何時か、人間を破壊し尽くしてしまう。
私、みたいに。
だからもし、そんな悲しみを私が受け止めてやれるなら、受け止めよう。
AKUMAを作ってしまった人間の代わりに。
全ての人間の悲しみを受け止めるなどと、そんな大層なことを望んでなど居ない。
何時か、そうしたように。
AKUMAをこの腕で抱くことなら、できるのだ。
受け止めることが、それしか、私にはできない。
手の中の石は淡く光り、そのまま消えた。
じわりと掌から独特の暖かいような、熱いものが染み入り、そこで初めて、泣きたくなっているのだと気付いた。
AKUMAの弾丸や攻撃は、悲しみの片鱗だったのだろうか。
だからあんなにも身体は熱くなって、『泣きたい』気持ちになっていたのだろうか。
「……これで終わりです」
「本当に、良かったのかい?」
「ええ。AKUMAの破壊はエクソシストの仕事でしょう?」
コムイさんを見上げると、コムイさんは少し困ったように笑っていた。
「欲を言えば、もうちょっと研究してみたかったよ」
「残念でしたね。私は人の嫌がることをするのが大好きなんです」
「ちぇー」
口先では酷く残念そうにしながら、コムイさんの表情は変に嬉しそうに見えておかしかった。
「それじゃぁね、おやすみ。いい夢を」
「お休みなさい。……コムイさんも」
「有り難う」
まだ仕事が残っているのだろうコムイさんは科学班のある方へ歩いていった。
それを見送り、暗闇だけが残るまで待って、扉を閉める。
AKUMAの悲しみは誰にも理解されないだろう。
悲しみを誰にも理解されずに居ることはきっと苦しいだろう。
そう言う苦しみを、切ってやれるのは善いことなのかもしれない。
浄化できなかった、否、消化できずに現世に留まり続ける悲しみの塊を壊すのだから、確かにエクソシストは神の使徒と言えるのかもしれない。
エクソシストにAKUMAは救えない。それでも。
この世界は綺麗だ。だから悲しい。
あの世界も、綺麗だったのかもしれない。だから悲しかったんだ。
もう恐らくは二度と戻ることはできないのだろう。世界というものはそうそう都合良くは作られていないから。
逃げ出した世界へは戻れない。だからせめてこの世界では逃げまいと、努めたい。
多分この感情は歓びだ。そしてきっと傲慢の表れ。
小さな私という人間程度の存在が世界に対してできることなど皆無に等しい。
それでもその存在意義を求め今こうして多少なりとも持つことができたから、私の中の傲慢さはその分大きくなっている。
他の人間には出来ないと言う優越感が歓びの裏には潜んでいて。
――……やはりアレンやリナリーのようにはなれない。
あんな、綺麗な人にはなれない。
そう思えばまた心臓が圧迫されて、だというのに惹かれる思いもまた強くなった気がした。
そう言えば、最後にアレンに会ったのは何時だろう?
もそりと、心温い内にとベッドに潜り込み目を閉じる。
記憶の中のアレンはその姿も声も何もかもが曖昧で、人の記憶は頼り無いのだと改めて思う。
再び昇ってくるのであろう朝日をこんなに心待ちにしたことはない。惰眠を貪り目覚めるのが億劫に感じられた日々は暫くは来ないだろう。変な自信があって、吐息が零れた。
元気だろうか?今は何処にいるのだろう?任務に出ているなら何時帰ってくるだろう?
顔が見たい。あの穏やかな声も。
できれば、ティムキャンピーは遠慮したいけど。
2008/05/04 : UP