FUCK YOU GOD!
明けた夜・新しい朝
28TH STAGE: Say good-bye.
朝日が眩しい。とても。
教団の森を照らし、鉄格子のようないかめしい窓から部屋と私を照らす光は弱弱しい。だというのに、私の目には優しいはずのそれが妙に痛く感じた。よく、眠れなかったからだろうか。
とにかく身なりを整えて部屋を出た。ぐるると猫が喉を鳴らすときのような音が腹から聞こえてきて、私は素直に食堂へ足を向けた。
「おはよう、ジェリー」
「あら、おはよう鞠夜!具合はどう?」
腹の虫が食べ物を求めて暴れ始めるほどの良い匂いが鼻をくすぐる。注文を言うために覗いた窓口で、私は思わぬ言葉をもらった。
「具合?」
きっと眉をぴくりと釣り上げ、私はたいそう変な顔をしていたことだろう。
「気づいてないの?目、腫れぼったいし、顔色も悪いわ。昨日はよく眠れたの?前の任務のこともあるし、しばらくはゆっくり休んで欲しいって、さっきふらりと室長が朝食がてら苦笑いしてたわよ」
忙しなく手を動かしながらあれやこれやと言葉を並べるジェリーに、自然と眉間にしわが刻まれていた。そこまで心配されるほどの存在だったことにも驚いたけれど、エクソシストは数が少ない分失いたくないと思うのが当然だろうと思いなおした。コムイさんに関しては、いろいろと失態を見せたこともあって変に心配し過ぎなんじゃないだろうか。確かにアレンやリナリーを筆頭にまだ十代のエクソシストたちもいるけれど、年齢は関係ないとコムイさんも考えているだろうし任務に関しては人情の六割から八割くらいは捨てられる精神を持った人だと個人的に思う。別に悪くいいたいわけではなく上に立つ者として当然のスキルだと思うが、いかんせん普段があんなでは悪く聞こえても仕方ないのかもしれない。
と、いうか、私は精神的には全く健全でいるし、体も特に異常はみられないし、そこまで心配されていると逆に居心地が悪い。……嬉しいのかもしれないが、どうも慣れない。放っておけば勝手に治るだろうと思われているくらいが気がねがなくていいのに。
「そんなに悪そうに見える?」
それに今仮に具合が悪そうに見えるといってもそれは単になかなか寝付けなかっただけだ。別に夜通し起きていたわけでもないし、もともと寝つきは悪い。昨日はたまたま、ようやく空が白んできたころに眠気が来たもののやはり横になっているのがいやな程度には眠る気になれなかっただけだ。そんな日もあるし、確かに快眠とは言えないものの体調を崩すほど酷くはないはずだ。
そう思って、つい聞いてしまっていた。
「肌の調子はすぐに悪くなるわよ。正直だからね」
あと、何かつきものが落ちたようにも見えるわ。
そう言われて、私は心当たりがある所為で曖昧に笑った。絶対に引き攣っていた。
結局コーンスープと甘いミルクコーヒーだけを頼むと、すぐに出てきたそれらをトレーに乗せて、私は空いている席に座った。人が比較的少ない方なのは早朝だからだろうか。
AKUMAの破壊とイノセンスの捜索は昼夜どころか24時間体制で行われているはずで、いつでもだれかしら起きている。それでもこの時間は既に就寝しているかそろそろ起き始めるかで、丁度食事をとるタイミングから外れているのかもしれない。
メニューがメニューだから特に噛むこともなく食事を終えると、部屋に戻っても暇なだけだからと私は少し歩くことにした。しばらくして科学班の側を通りがかって、私は目を見開いた。
「……おー、鞠夜か……」
歩くのもやっとだと見て分かる。リーバーさんが最悪な顔色で柱に手をついて立っていた。立っていたというより、もはや寄りかかっていたという方が正しい。
「っ大丈夫ですか!」
声をかけると、立っていることすらも辛かったのか、リーバーさんがその場に崩れた。
「あぁ……ちょっと眠気覚ましにレモンスカッシュでも飲もうかとおもっ」
「馬鹿言わないでください、そんな状態で。肩貸しますから部屋に行きましょう」
これは体を休ませてやらないとダメだと素人判断ながらリーバーさんの腕をくぐって、立てますかと声をかけた。
「いや、まだ仕事……」
「ちゃんとレモンスカッシュでも超濃いブラックコーヒーでも持ってきますから、それにコムイさん特製の睡眠薬入れられたくなかったら言うこと聞いてください」
ぴしゃりというと、リーバーさんが薄く笑った気配がした。立って歩いてもらった分リーバーさんを部屋まで運ぶのは容易かった。以前見た彼の部屋は寝られるような場所などなかったし、これから人の出入りの激しくなる談話室も行かない方が賢明だろう。
一日通してそれなりに静かな、私の部屋に行った方が休めるはずだ。
リーバーさんは私が自室ではなく私の部屋に歩いてきたことに気づくと、入るのを嫌がっていた。でも、今そんな紳士に振る舞われても逆にいいから寝ろと怒鳴りたくなる。
半ば無理やりベッドに押し倒して、靴を脱がせてよれよれの白衣もはぎとった。ネクタイは既に緩めてあったから、第三ボタンまで外してベルトもゆるめた。抵抗なんてあってないようなもの――むしろ皆無だった。ここまで起きてるなんてどうかしている。体を横にしただけでリーバーさんの意識は9割トんでいたようだった。
布団をかけ、ぴくりともしない顔を見る。こんな寝顔は見たことがなかった。寝なくてはいけないから寝ている。生理現象だから。排泄行為でもあるまいし、こんな安らげない様子で睡眠を取る人などなかなかいないだろう。
しかもリーバーさんの場合、ただ起きているだけではないのだし。
そこまで思い至って、私は部屋を出た。まっすぐに科学班のところに戻って、リーバーさんを休ませた旨を告げる。
「ありがとな」
「え?」
そこで思いがけなく礼を言われて、私は思わず言った相手を凝視してしまった。分厚いメガネをかけていて、小柄で、いつもヘッドセットを欠かさない。たしか、そう、ジョニーだ。そう呼ばれているのを何度か聞いたことがある。
「いや、オレ達ずっと班長には休んでほしかったんだけど、仕事の量とか考えるとなかなか言い出せないくらい最近詰まってて……」
言いにくそうに頭をかいて、助かったよ、と彼が笑う。
リーバーさんはとても慕われているのだと、改めて思った。科学班の仕事量の具体的な数字と、どういう風に書類が流れているのかなんて知らない私だからこそ出来たのかもしれない。科学班のことを把握している人間なら言えない状態だったのだろう。それでもリーバーさんに休息が必要なことはだれもが分かっていたのだ。
「お礼を言われるようなことは何もしてないです。あぁ、私班長みたいな仕事はできませんが、何か手伝えることがあれば言ってください。コーヒーか紅茶でも持ってきましょうか。リナリーは今いないようですし」
「ホント!?助かるよ!」
ぱぁ、とジョニーの顔が明るくなった。人懐こい顔に、自然と口元が緩む。砂糖やミルクの量はリナリーと違って知らないので個人任せになってしまうがと断って、私は厨房へ急いだ。
少し濃い方がいいだろうと、挽いた豆を多めに入れる。あぁ、一通り手伝えることが終われば、リーバーさんのところに温かいものを持っていこう。さすがに起きぬけにレモンスカッシュはきついだろう。少し甘くしたコーヒーだろうか。そういえば、私は人の好き嫌いについて全然知らないなとコーヒーを淹れながら考えた。
結局、いつまで経っても自分のことばかりなのだ。私という人間は。
コーヒーを持って行きそのまま書類の整理を始めると、コムイさんが通り過ぎようとしていた。手にはマグカップを持ち、少し眠そうに見えるが、リーバーさんに比べれば顔色はいい。恐らく仮眠から覚めたところなのだろう。
「……今日は雨かな」
「少なくともコムイさんが書類の洪水にのまれることは間違いないでしょうね」
失礼な発言ながらこうして何かを手伝うなど初めてのことなのだから仕方ない。今日くらい休めばいいのにと言ってくるコムイさんに、今はリーバーさんがベッドを使っているので無理ですと言えば、何か面白いものを見つけた時のようにコムイさんの表情が変わった。
「鞠夜君はホントにリーバー君が好きだねえ」
「まぁ、よく気にかけてもらってますから」
「じゃぁアレンくんは?」
「話が飛びすぎです」
くだらないこと言うつもりなら仕事してくださいと言えば、眠気覚ましだよ手伝ってと返される。
「アレン君は君のことをよく気にかけてたよ」
「それを言うならリナリーもじゃないですか」
「私?」
書類の整理は特別頭を使うわけではない。チェックの済んだものを片っ端から仕分けしながら会話をしていると、女の子の声が聞こえた。
目をやるとそこにはリナリーその人がいて、不思議そうに首をかしげていた。
「鞠夜、早いんだね」
「ああ、眠気なくて」
「……大丈夫?」
「無理してるわけじゃないから平気」
誰かさんと違って。
ボロボロだった様子を思い出して、私は息をついた。そのまま一時間程はコムイさんの眠気覚ましに付き合っていたが、仕分けしていた書類がある程度まとまったので、しかるべき場所に持って行った。そこにも書類の山が築かれていて、絶妙なバランスで状態を保っているそこに持っていた分を上乗せた。
「コムイさん、書庫に持って行く書類ありますか?」
「あ、そこに積みあがってるの全部だよ」
コムイさんが指さしたそこには大量の書類が私の腰ほど積み重なっていた。安全に運ぶことを考えて、三分の一くらいを適当に持ち上げる。
「助かるよ」
「別に大したことはしてないですよ」
「いいの。それが助かるんだよ」
にこにこと笑んでいるコムイさんに、私はそうですかとしか返せなかった。司令室をあとにし、書庫に書類を預ける。厳密にいえば書庫ではなく、保存用の書類を納めておく場所なのだがどちらにしても大した違いはない。管理役の人に科学班に持っていかれたファイルや本がいくつかあるから持ってきてくれと頼まれた。早い方がいいだろうと小走りで戻り、仕事を把握していそうなジョニーに本のことを聞く。
「あ、それならリーバー班長が管理してたよ」
「……」
さて、どうするか。
考えるまでもなく書庫の件は後回しにした。念のため、書庫まで戻って今日中には返せると知らせる。
「律儀なやつ」
呆れと笑いを足したような顔でそう言われ。意味もなく笑ってみるしかなかった。やはり引き攣っていたのだろうけど。
2009/03/18 : UP