運命という名の、絶望
「船って結構退屈」
Event No.12 病み行く少年の心中
不意に漏らした莢の言葉に、僕は顔を上げた。
莢は僕の隣に立って、甲板から遠くを見つめていた。僕が莢の方に目を向けると、莢も僕の方を見て、ふわりと微笑んだ。
「………ね。リオンも、退屈じゃない?」
暖かい声と共に、そう問われ、僕は少しだけ頬が熱のを隠すために莢から顔を逸らした。
「………船の上はそんなものだ。一時の休息だとでも思っていろ」
僕がそう言うと、莢が少し声を漏らして笑ったのが分かった。
「そうだね…………。こんなに平和な風景、何時かは見られなくなるかも知れないしね」
その声が少し憂いを帯びているように聞こえて、僕はまた莢の方へと目を向けた。
莢は悲しげに眉を寄せ、海面を見つめていた。
「………本当。何時死んでしまうか、分からないもんね」
カルビオラでの神官の件を引きずっているのか?
一つ一つ区切るように紡がれたその言葉に、僕は多少の不快感を覚えた。
「何故、そんなことを言う?」
自分でもあまり意識せずに、莢に問うた。莢は軽く目を見開いて、僕の方を見た。
それは自分が先程言ったことなどまるで覚えていないかのような、戸惑った表情だった。
厳密に言えば、覚えていないと言うよりも、言ったことそのものがなかったかのような。
凄く、曖昧なものだった。
「…………え?」
案の定莢から発された言葉は僕の質問とは何ら関係のない。寧ろ逆に質問したい、と言うかのような疑問符だった。
「………何時死ぬか分からないからと、そう言ったのは莢だろう」
確認するように莢に言うと、ようやっと分かったのか、莢は淋しそうな顔で僕の顔を見つめた。
「……ん。何となく………リオンを見ていると、悲しくなるから」
それは答えになっていないようで、その実僕の図星をついてくるものだった。
僕はヒューゴの操り人形で。いわば捨て駒なのだから。
しかし、莢が「悲しくなる」とは一体どう言うことなのか。まるで僕がどういう立場に立っているかを、すべてを見透かしたような、その答え。
莢はまだ僕を見ていた。
「………………僕が死ぬとでも言いたいのか?」
口をついて出てきたのは、莢が何者であるかという質問ではなく、嘲笑。そして、精一杯の強がり。
死ぬのは、正直恐いのだろう。ただ、それがマリアンのためならば、僕は生死を厭わないつもりだから。
せめて口に出すことで、何よりもその言葉を信じたかったのは、紛れもない僕自身だった。
「分からない」
莢は言った。
「私が生きているのは、不思議の連続。……リオンが生きているのも、不思議の連続。皆生きているのも、不思議の連続。だから、分からないよ」
「……」
何かを見透かしたような、瞳。
それが、揺れていた。
僕は、もしかしたら、莢に感化されてきているのかも知れない。
感情を露わにする事。意味のない会話をする事。
莢によって、僕はマリアンと居る時では気付かなかった、世界の色を知ったから。
……失ってしまいたくは、無い。でも。
ノイシュタットに着くと、そこは以前に訪れたように、活気に満ちていた。ほんの、一部は。
早速イレーヌ邸を尋ねようかとしたところ、いきなりヒス女が走り出した。
制止も聞かず走っていくヒス女を電撃で止めようかと思ったが、その行動をを制止したのは莢。
「リオン。ルーティは逃げるために走ったんじゃないよ」
初めて見る莢の力強い瞳に多少圧倒されつつ、僕はヒス女の背中を見つめた。
莢の言ったとおり、ヒス女は直ぐ傍で立ち止まり、子供に怒鳴り散らしている。
「だから?」
怒っているのが背中からでも読みとれた。それは普段の癇癪を起こしたような声ではなく、心の底から不快だと言っているような声だった。
「偉いのはあんた達じゃなくて、あんた達の両親でしょ?悔しかったらあんた達が偉くなれば良いでしょう?」
そう言って嘲笑したヒス女に怯えた子供二人は、負け惜しみを良いながら逃げていった。
大人げないと思う反面、ほんの少し、「姉」としての影を見た気がした。
孤児院に捨てられ、親の顔も見ずに育った女。戦災孤児が増えるばかりで収入もほとんどない孤児院を救うべく、ヒス女が金を必要としていること。
身柄確保の際に調べたから、そんなことくらい知っているはずだった。知っていると思っていた。
「ね?ルーティはそんなに薄情な人間じゃないでしょう?いくら報酬があるからって、ね」
僕の腕を掴んだまま、莢が言った。
「ルーティは人が見ないような所で、本当の優しさを持っている人だと、私は思うよ」
記憶喪失で。過去のことや育った境遇など何も知らない莢が言った。
「………僕はただ、団体行動を乱すなと………」
そこまで言って、初めて自分でも気がついた。あの女の行動を、止めようとしたわけ。
僕は、電流を流してでも止めようとしたとき、何故かあの女が逃げるとは思わなかった。
逃げようとしている。そう、見えたのではなくて。
自分で言いかけた通り、僕はただ、勝手な行動をとるなと。そう。それだけ。その裏には「何も」なかった。
「…リオン、えっと……イレーヌさん、だっけ?その人の所に行くつもりなんでしょ?だったら、早く行こうよ」
僕が自分でも戸惑っているのが分かっていたのか、莢は穏やかに微笑んで、僕にそう促した。
それほどまでに顔に出していたつもりはなかったが、何となく恥ずかしくなって、僕は俯いたまま歩き出した。
自分でも気付かない内に築かれていた、小さな結晶を心に抱えて。
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