運命という名の、絶望
「初めまして、私がイレーヌ・レンブラントです」
Event No.13 船上の戦い
そう言って軽く会釈をして微笑んだのは、緩やかな長いウェーブがかった髪を惜しげもなく晒した女性だった。
莢はイレーヌを見た瞬間、頭に走り抜けていくような頭痛を感じたが、ほんの一瞬だったために、顔には出さなかった。
「謎の武装集団のことで話がある」
リオンは久しく会えなかった顔見知りに挨拶の一言も言わず、いきなり用件を切り出した。
「あれはグレバムの仕業だった。囮用に船を出してくれないか?僕らが出ていって奴らを叩く」
淡々と話すリオンに、イレーヌは苦笑して見せた。それは手の着けようのない子供を見守るような目でもあった。
「それは構わないけれど……少し、此処で休んでからにした方が良いんじゃなくて?船旅で疲れたでしょう?」
「そんな暇なんかない!早くして欲しいんだ」
リオンが声を上げた。しかし、カルビオラで休んでいない一行が疲れ果てている事は誰でも容易く分かることだった。
見かねた莢が、口を挟んだ。
「リオン。人の気持ちは、その時の内に貰っておかないと」
愛想笑いのような笑みを顔に浮かべて言う莢に、リオンは鋭い視線を送った。その顔には焦りと多少の苛立ちが見て取れた。
莢はそれが分かっているからこそ声を掛けたのだが、今のリオンにとって、それはただ単に苛立ちを膨張させるだけだった。
「………何が言いたい?」
今にも腰に携えているシャルティエを抜きそうな空気を漂わせ、リオンが問うた。
莢は愛想笑いから一転し、冷徹な笑みへと種類を変えてリオンを怯ませると、いつも通りの笑みで答えた。
「後からじゃ、貰えないかも知れない。もう、貰えないかも知れない。それだけ。人の気持ちは、その時だけしかないんだよ。良くも、悪くも」
声にはどこか悲しみが込められていないでもなかったが、それは抽象的で、しっかりとリオンに伝わることはなかった。
「―――――――一泊だけだぞ」
重々しく開かれたその口から、ため息が漏れた。
「リオン」
軽く扉が開くような音と共に姿を現したのは莢だった。リオンはベットに腰掛けていたが、軽く莢の方に目線を向けただけで、何も言わなかった。
莢もそれを意に介すこともなくリオンの横までやってきて立ち止まると、隣に腰掛けた。
ベットがそれに合わせて、揺れた。
リオンはそれを感じながら、軽く目を閉じた。
「何をそんなに苛立っているの?」
その声は至って静かだったのだけれど、静かな部屋にはすこし大きく感じられた。
リオンは少し自嘲気味に、しかし嘲笑的な笑みを浮かべて言った。
「……………何を?」
それは自分ですら分かっていないような、自問自答するかのような、そんな声色だった。
リオンは腰掛けた状態から、上半身をベットへと転ばせた。仰向けのまま、天井を見つめておもむろに口を開いた。
「さあ、な。何に対してだか、自分でも考えあぐねているところだ。莢の気分を害すようなことも、含まれているとは思う」
莢は少し身体を斜めにしてリオンの顔を見ると、言ってみてよ、と促した。リオンは相変わらず天井を見つめたまま、言った。
「莢、お前は何者だ?どこから来て、何が目的なんだ?時々不意に思い詰めたような表情をするのは何故だ?
―――――――――僕に対して、哀れむような視線を向けるのは何故だ?」
最後の言葉を言ったときには、リオンの目は莢を捕らえていた。リオンが最も苛立っている理由というのはもっと別の所だったが、
あえて口には出さなかった。
莢はそれをただ聞いていた。聞き終わっても、それは変わらなかった。
「…………それのどこが気分を害すること?」
表情は崩さないままで、莢が尋ねた。
「記憶があっても、無くても。リオンがそう思うのは至って普通なんじゃない?私だって仲間にそんな人物が居たら、そう聞きたくなるよ。
もしかしたら、記憶がないって言うの、嘘かも知れないじゃない?」
莢は一旦そこで言葉を句切り、リオンに背を向けた。
「でもそんなことをいちいち挙げていったら、切りがないことだよ。考えてる内に、きっと私だったら馬鹿馬鹿しくて止めると思う。
だって私は人の心なんて読む事なんて出来ないし。
結局のところそれは結果がどうであれ、私達が事後の中でどう動くか、どう思うかが大事なんじゃないかなぁ。
ほら、スタンとか何でも前向きに捉えようとするところあるじゃない?」
リオンからは莢の背しか見えず、その表情は読みとれなかった。
「リオンが私のことを疑ってても、信用して無くても。軽蔑、とか……いろいろしてても。
私は一応リオンのこと、信頼してるし、仲間だと思ってる」
その言葉にリオンは少しだけ半身を起こして苦笑した。
「何だ、その一応、は」
莢はクス、と笑みを漏らすとチラリとリオンを見やって言った。
「言ったでしょ。私は人の心を読む事なんて出来ないって」
時が経つのは早かった。
イレーヌが船の手配を完了させたのは明朝。
「時は待ってくれない。後れを取れば、それは死と同等だ。覚えておけ」
リオンがマントをたなびかせながら凛とした声を放った。自然と一行に緊張感が漂う。キュッと結ばれた唇からは、相応の気合いが感ぜられた。
「いよいよかぁ……よし!」
スタンは自分の頬を叩き頭を振ると、改めて海を見つめた。ルーティは何を考えているのか、スタンとは違った厳しい眼差しで、水平線を見ていた。
早くなる鼓動を押さえつけるように莢は胸の辺りの衣服を掴むと、ゆっくりと深呼吸をした。
「さぁ………………狩の始まり、だね」
そして不適に笑うと、船へと飛び乗った。
船の上では船員達が忙しそうに荷物を運搬しており、やはりその顔は恐怖からだろうか、強張っていた。
もしかしたらそれは、客員剣士が居るという微かな希望からで、そのことに対して気を緩めてはいけないという、彼等なりの気合いの入れ方だったのかも知れない。
莢は辺りを見回して、待ちきれないと行ったように身体を落ちつきなく動かしていた。
「…………どうした?」
リオンが声を掛けた。莢はへら、と締まりの無いような笑みを浮かべた。
「あー………なんか、落ち着かなくて。ヘタをすれば死んじゃうかも知れないのに、妙に嬉しく思ってる自分が居るんだ。」
変だよね、と苦笑した。
自分でもコントロールの聞かない、内面にあるもう一人の自分が笑うのを押さえつけるような、そんな不安定で、どこか不可思議な笑みだった。
それは端から見れば奇妙だったに違いなかっただろうが、幸か不幸か、皆自分の命のことばかりで、誰も気には留めなかった。
「生まれつき好戦的なのか?」
リオンは片手を顎に持ってくると、少し考えるような仕草をした。それからまた考え直したように頭を振ると、苦笑して見せた。
「分からないことを考えても仕方がないな」
それには莢も苦笑した。今度は、きちんと笑えていた。リオンの苦笑は、やはり緊張からなのか、少し強張って見えた。
船が、ノイシュタットから出る。
帆船。めいっぱいに帆を広げ、海をかき分ける。
莢達は甲板に出ていた。船首ぎりぎりの位置で、迎え撃つ。
「来たぞ――――――――――――!!!!!!」
船員の声が響き、辺りに緊張が走った。莢は小さく息を吐くと徐々に大きくなる船の形に焦点を当てた。
「…………………行くぞ!!!!」
敵船が隣接した直後にリオンが叫び、スタン達はそれに続いて声を挙げた。
莢も敵船に飛び乗ると、直後襲いかかってきた船員を一撃で伸した。念のためとどめを刺すと、それらはやはりレンズを飲んでいたのか、
霧状に破裂した。
「………幽霊船ならぬ、魔物船?」
ジョークにもならない呟きを残して、莢は甲板から中へと侵入した。
中に入ると、よもや商船が反撃に出るとは予測していなかったのか、人の気配は少ないように感じられた。
なるべく音を立てないように進むと扉が侵入を塞いでいた。
「…………なんだ貴様は!!!」
扉の向こう側の様子を窺っていた莢は、その声を聞き、振り向きざまにレイピアを振った。レイピアは敵の船員の鼻先を掠めたが、明らかにそこから流れた血の量は普通よりも少なかった。
「コレもレンズの力なんだっけ……?」
治癒、と言う言葉が莢の頭を掠め、莢は小さく舌打ちした。なるべく音を立てないようにと心がけていたが、コレで水の泡だ。
扉の向こうに敵が居るとしたら流石に危ないと考え、莢は敵がほんの少し怯んだ隙に、レイピアを腹部へと突き刺した。
「……ぐぅゥウうううううぁアアアアアあぁあぁああああアア!!!!!!!!」
体当たりするかのように刺した莢の身体に、船員の血が降りかかった。
莢はむせ返るような血の匂いに眉をひそめることなく、扉を蹴り開け、辺りを警戒した。そして、そのままゆっくりと歩を進めた。
「………莢………」
反射的に、狭い通路の壁に背を預けて声のした方を窺うと、スタンが立っていた。
「大丈夫か!?」
莢の身体に散った赤は大量だったのか、スタンは心配するように尋ねた。莢はそれに短く答えると、次の扉を開けた。
扉を開けると、この船の頭らしき人物が立っていた。
しかし他の船員達とは違い、目の焦点は合わず、身体はふらついていて、とても尋常な”人”ではなかった。
莢は深く息を吸い込むと、扉を開けた音にも気づかないそれの背後に立ち、一撃で、終わらせた。
後頭部から、莢のレイピアが、深々と貫通した。抵抗感を感じる以前の問題だった。
「……スタン、次の船に、早く行かないと。」
スタンは少し、ほんの少しだけ悲しそうな瞳を揺らすと、短く答えた。それが何故なのかは、莢には分からなかった。
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