運命という名の、絶望
「…………どうしてもか?」
「うん。どうしても」
リオンが苦しげに眉をひそめたが、莢は構わずに答えた。
先程一行はノイシュタットに到着し、イレーヌ邸へと足を運んだばかりだった。
リオンはまず莢の頭の上に乗っていたティアラを外し、バティスタの頭に付けた。
何も知らない人間が見ればそれは滑稽だったが、ティアラの意味を知る一行には、これからリオンが何をするのかを薄々感づいているようでもあった。
拷問。
ティアラを頭に付けると言うことは即ち、相手を逃がさないようにするためでもあり、リオンが持つ遠隔式の機動レバーによって電流を流すという拷問にかけられることを意味した。
リオンは莢だけにはバティスタを拷問にかける自分の姿を見て欲しくなかったのだ。
しかし、莢にも思うところがあった。
「………一人よりも二人の方が心強いと思わない?」
心強い、と言う部分だけをいくらか強調して莢は言った。リオンだけに、リオンには拷問などと言うことをさせたくない。
そう言った気持ちが隠されていた。
リオンはそれでも苦々しく分かった、と小さく呟くように言うと、莢に背を向けてバティスタをイレーヌ邸の一室へと連れて行った。
莢はその後ろ姿を悲しそうに見つめていた。
「……何故あなたは一人で背負い込もうとするの……」
何度か思い、口にさえしたその言葉。
それは背伸びをし続ける子供に対する母親のようで、愛する人を見守る、狂おしいほど健気な少女のようでもあった。
Event No.15 確立
「………いい加減に楽になったらどうだ?」
「ぐぅ……っ……貴様等、に言うことなどなにも、な、い……さっさと、殺…せ……」
バティスタの言葉にリオンは軽く舌打ちすると、電流を操作するレバーを動かした。
「っっ……ぐぅぅうううぁああぁあああああ!!!!!!!!!」
嫌に耳に残る声を上げ、身体に流れる電流から逃れるようにバティスタは身をよじった。
「吐けと言ってるだろう!さぁ、グレバムの居場所を!!」
拷問風景をフィリアと共に見守る莢の視線は、リオンの顔に注がれていた。
拷問している方が、拷問される方より辛い顔をしている。
少なくともそれは、仲間の前で拷問という行為をすることに多少の抵抗を持ってくれているのか。
それとも、ただ単に疲労しているだけなのか。
それはリオンのみが知っていたが、生憎聞ける雰囲気ではなかったために、莢はずっと黙っていた。
「………リオン、そろそろ休憩したらどう?」
莢がそんな声を掛けたのは、それから暫く経ってからのことだった。フィリアが今にも泣き崩れ、ともすれば気を失ってしまうのではないかという頃。
勿論それが第一にあったが、拷問を勧めて行くに連れ酷くなるリオンの表情の方が気になってはいた。
「そんなことをしている暇があるんだったら」
「だから、何のために私が居るの?少なくとも、私は拷問を見るためだけに居るんじゃないのだけど」
そんな悪趣味はもってないよと言う莢を見て、リオンは怒ったように、目を見開いた。
「……お前が、やるのか?これを?」
これというのは今しがたリオンが使っていた、今は拷問道具で。それは「拷問をする」と言うことを指していた。
信じられない、と言ったような顔と、馬鹿にしたような顔と。その他様々な表情がリオンの顔に入り乱れていた。笑っているような、そうでないような。
奇妙な表情だった。
「そう。私がやってる間、リオンは休んでて」
莢はそう言うとリオンから拷問器具を引ったくった。リオンは慌てて取り戻そうとしたが、船での戦い、加えて拷問をしていたことも手伝って、多少よろけた。
「ほら。そんなんじゃ出来ないでしょう?フィリアになんか任せられないしね」
そんなことをしたらそれはフィリアを拷問にかけているのと同等だ。莢は含みのある視線をリオンに向けた。しかし、リオンは拷問器具を奪い取ると、ため息をついた。
「………いや、これ以上やっても此奴は吐かないだろう」
「?どうするの?」
「それはまた後だ。………取り敢えず部屋を出ろ。フィリア、お前もだ」
リオンの言葉に、莢は少し悲しそうに眉を寄せ、それから頷いた。フィリアも莢に肩を抱かれながら、何とか動いて部屋を出た。
リオンは部屋に鍵をかけると、フィリアの容態を気遣う莢に声を掛けた。
「莢、話がある。少しいいか」
「うん」
莢はフィリアを別の部屋まで送ると、暫く休むように言って、またリオンのもとへと戻った。
「……バティスタ、の事だよね?」
「ああ。あいつは泳がそうと思う。あいつはきっとグレバムの元へと行くだろう」
リオンの言葉に、莢は何も反応しなかった。薄々は予想していたのだろうか。莢はただ単に頷くと、短く返事をした。
「莢ーっ入るわよー」
部屋に入ってきたのはルーティだった。日も暮れかけ、皆が戻ってきたのだ。
「一緒にお風呂はいらない?旅の疲れも落としたいでしょうし」
フィリアももう誘ってあるからと、ルーティは勤めて明るく振る舞った。フィリアを気遣っているのだ。そして勿論、莢のことも。
莢はルーティの誘いに二つ返事で承諾すると、軽い着替えを持ってルーティと共に部屋を出た。
「なんか今思えばこうして大勢でお風呂入るのって初めてよね」
「ああ。まずこんなに大きな風呂はなかったからな」
まだそんなに日を共にしていないはずであるというのに、皆はどことなく「仲間」だった。信頼関係であるとか、そう言う以前に。
「あら?フィリア、そんなに恥ずかしがらなくても良いじゃない」
「わ、私…誰かと一緒に入浴するのは初めてで………」
恥ずかしがるフィリアを莢が柔らかく誘った。
「そんなに緊張しなくても良いよ。私も初めてだし。……今までの生活の違いかな?フィリアはずっと神殿にいたから」
「莢はきっと聖職者ではなかったんだろうな。そうだとしたらフィリアと同じ反応をしているはずだ」
記憶が無いというのは致命的だったが、記憶をなくす前の生活というのはこういう微妙なことで左右される。染みついてしまったものは、案外記憶が欠けても残っているものなのかも知れない、とマリーは続けた。
「うー………でも、記憶を取り戻すのも、凄く怖いよ。マリーは、怖くない?」
肩までしっかりと湯船に沈めると、莢は目線を落とした。
「そうだな…。私にはルーティが居るからな。たとえ私が誰であっても、ルーティが居るなら、それで良いと思う。ルーティなら私が誰であろうと、ずっと傍にいてくれる」
マリーは自信たっぷりに言い切った。ルーティはただ微笑むだけであったが、莢はマリーとルーティを羨ましく思った。
「私にも居るかなぁ……。誰であっても、ずっと一緒にいてくれる人」
「は?」
三人の声がユニゾンした。
「何いってんの?あのくそ生意気なリオンが居るでしょ?」
「そうだぞ」
「そうですわ」
三人が声を揃えて言うと、莢は目を丸くして、苦笑して見せた。
「うーん……私はそうだったらいいなって思ってるんだけど…ね?リオンだし」
マリアンさんもいるからと莢が続けると、ルーティは反論した。
「それがどうしたって言うの!そんなのは莢の魅力でどうにかなるわ。いざとなったら略奪愛よ」
「…ルーティさん、少し話がそれてますけど……」
マリーは笑うだけで、ルーティはフィリアの言葉も耳に届かないのか、莢はその後暫くルーティの言葉を延々と聞かされ、少しのぼせかけた。
皆が寝静まった頃、莢はバティスタが監禁された部屋の中にいた。
「……どうした?」
最早身体的にも、精神的にも限界を超えているはずであるというのに、バティスタは莢に向かって不適に笑った。
莢はそれに答えず、部屋にあった椅子をバティスタの前に置くと、それに座った。
バティスタは莢の一連の動作を見つめていたが、莢が椅子に座ると話しかけた。
「お前は何故ここにいる?」
それは莢の立場の事なのか、莢自身の事だったのかは分からなかった。
「……あなたは、何故グレバムの下についたの?」
莢はバティスタの言葉には応えず、逆に質問をした。バティスタは不服そうだったが、口を開いた。
「グレバム様の考えに共感しただけだ。神とは、己自身がなるものだとな」
「けれど、それはグレバムのみの話でしょう?」
「ああそうだ。……俺はもともとそんなに信仰心があったわけじゃない。聖職者という立場の時は、良くフィリアの世話をしていたがな。
…………あいつは、純粋すぎると思わないか。世界があいつみたいな奴らばかりだったら、さぞ平和だったろうよ。
まぁ…………そんなことを言っても仕方のないことだがな」
莢は、バティスタが吐き捨てるように紡ぐ言葉に耳を傾けていた。この男は世界に絶望している、と。ある意味での、世捨て人ではないかと。
そして、分かっている。
リオンの泳がせようと言った言葉。
恐らくバティスタは、それと知ってグレバムのもとへ行くだろう。
「俺はそんな中で暮らしてきたが、常日頃から自分が解らなかった。居るかどうかも解らない神に仕え、神の教えを説く。
それには一体何の意味があるのか。いくら教えを説いても人間は争うことしかしない。自分達の領土を侵されてなるものかといきり立っている。
そんな世界の中で、自分は何故存在しているのか。果たして自分自身に何か価値はあるのか。生きている意味はあるのか、と」
静かだった。
バティスタの疲れ切った声は、寝静まったイレーヌ邸に、少しの哀しさを伴って響いた。
「……生きることに、自分が存在することに意味はないと、思う。そうでしょう?
価値はあるのか、なんて、それこそ自分自身ではなく赤の他人が評価するものだよ。自分が死んだ後でね。
けれど人は理由が欲しくて、それがないと絶望してしまう。自分自身が解らないのはきっとあなたが純粋だからだと思う。
純粋すぎて、世界のことがまるで自分のことのように悲しくなったり、憤りを感じたりするんだと思う。
それは自分が何でも背負い込もうとする証拠だよ。あることを一線引いて遠くから見ることが出来なくて、衝撃が直接自分に降りかかってくるから。
それが自分が解らなくなることに繋がっているんだと思う。自分と世界、他人との区別を付けるのが出来ないから、自分自身さえも解らないんだよ。
自分と他人が居て初めて、自分と他人を区別する。その区別というのは何か比較になるものがないと出来なくて、区別することによって自分と他人を分け、自分が解る。他人というのは勿論自分自身じゃないから、違和感を感じるでしょう?何を考えているのか解らないし」
莢は考えながら、懸命に言葉を繋いだ。バティスタは莢を見て、ほんの少しだけ穏やかに微笑んだ。
「つまり、俺が純粋すぎる所為で何でも受け入れてしまい、世界さえも受け入れようとするから、自分自身が解らないんじゃないのかと言いたいんだな?」
「多分。自分のことのように受け入れようとするのは、フィリアも一緒。
でもフィリアとあなたは違う。フィリアもいろんな事を受け止めようとするけれど、それは自分を確立させた上でのこと。
いろんな事を受け止めようとするフィリアを、あなたは純粋って言ったよね?
だったら、世界の惨状を自分のことのように受け止めて心を傷つけるあなたは、もっと純粋なんだよ。
傷つけられて、傷つけて。人はそうやって生きていく。でも、そんな傷をすべて受け入れてしまったら、あなたは壊れてしまう」
「………それでも、俺はもう戻れない。自分の選び取った道を進んでいくしかないのさ」
バティスタは妙にスッキリとした表情で笑った。莢も、切なそうに瞳を揺らして、精一杯の笑顔を送った。
そして椅子を元の場所に戻すと、黙って部屋を出た。鍵をかける音がしても尚、バティスタは笑っていた。
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