運命という名の、絶望
”思い上がってはいけない。貴方は自分自身が、この世界にとっての危険分子でしかないと言うことを、自覚しなくてはいけない。
今の現状に、満足なさい。それ以上を求めてはいけない”
Event No.16 つかぬ間の休息
翌朝莢が起きると、階下からけたたましいルーティの声が聞こえた。
おおよその見当はつく。恐らく、昨日のリオンと打ち合わせておいた、バティスタの件だろう。
「フィリア、あんたが最後だったんでしょ?」
怒気を含んだルーティの声が、寝惚けた状態の莢の耳に入る。
「ルーティさん……私がやったのではありませんわ。グレバムを捕らえ、神の眼を取り戻すこと。それがあるからこそ、私もリオンさんと莢さんと、拷問に立ち会えたのですから」
フィリアの凛とした声が響く。莢はそこで一気に目が覚めた。皆に先にフォローするのを忘れていた。莢は慌てて階段を駆け下りた。
「ストップ、ルーティ!」
「莢!」
珍しく取り乱した様子の莢を不審に思ったのか、ルーティは莢に視線を移した。その前には、フィリアが居る。
「違うの、フィリアは悪くないの」
「そうだ」
莢が眉を寄せどういう事、と問うてくるルーティに事情を説明しようと思った矢先、その背に、声をうけた。
莢が振り返ると、そこには不機嫌に眉を寄せ階段を、ゆっくりと下りてくるリオンの姿。
「まったく朝からやかましい………。貴様らは我慢の出来ない子どもか」
今までで何時になく不機嫌そうなのは何故だろうか。しかし莢はそれよりも、と話を戻した。
「あのね、ティアラには発信器がついていて、シャルティエが感知出来るようになってるんだって。それで、バティスタを泳がせてグレバムの居所を掴もうって事になって……。ごめん!彼が逃げてから知らせようと思ってたんだけど、起きるの、遅かったみたいで………」
莢の声が少し、小さくなった。少し、雰囲気が気まずく、沈黙が流れた。
「……あたしも、疑って……ゴメン」
ルーティが、沈黙を破った。気まずそうに俯いて、でも、フィリアに向かって頭を下げる。
「少しは礼儀を知っていたようだな」
ごく小さな声で、フィリアがルーティに構わないと声をかけるのと同時だった声。莢にだけしか聞こえなかったであろうその言葉。莢は軽くリオンの腕を叩いた。
と、そこで玄関のドアが開く。イレーヌが皆の顔を見るなり、笑顔を見せた。莢はふと、良い笑顔だな、と思う。
「お早う、昨日はよく眠れたかしら?」
「はい」
スタンが少し、場を取り繕うように返事をした。莢はクスリと笑みを零す。鈍感は鈍感でも、こう言う時は良いものだと。それはスタンにとっては褒めているのかどうか微妙だったに違いない。
イレーヌはスタンの返事に、また笑みを濃くして、テーブルへ着くように言った。
「朝食はしっかりと食べて、今日はここでゆっくりなさい」
「………。そうさせて貰う。バティスタの行方も、まだ暫くは揺れているだろうからな。休養は船の上でも取れるだろう。夕方には船が発つよう手配をしておいてくれ。行き先はアクアヴェイルだ」
リオンは疲れたように溜息をついて、前髪をかき上げた。
「アクアヴェイル、ですって………?」
「無理とは言わせん。………そうだな、近海の浅瀬にでも降ろしてくれればそれで良い」
「そんなことを言っても、あそことセインガルドは仲が悪いわ。見つかったら最悪、不審船として攻撃されるか、そうでなければ言いがかりをつけられて戦争よ?」
イレーヌの思い声に、思わず空気までが重くなる。それでもリオンは構わずに、席に着いた。
「構うか。神の眼がそこにあるかも知れないのであれば、結局セインガルドがアクアヴェイルからの攻撃を受けることになる。その場合僕たちに勝ち目はない」
リオンは言うと、早く食事を出してくれとイレーヌを見上げた。
「……分かったわ」
降参するように、イレーヌは手を上げて、苦笑。そしてお手伝いに指示を出すと、自らは船を手配すべくまた、外へと出て行った。
莢は、ひょこひょこと動いて、リオンの前の席に着いた。それを見たルーティは、良くリオンを前にして食事が出来るわねと耳打ちして、莢は苦笑。だが構うことなく、美味しい食事の数々を振る舞って貰える事に感謝して、手を合わせた。
食事後、リオンに自由行動を言い渡された皆は、一度、各部屋に戻ることにした。部屋数の多いイレーヌ邸では部屋を忘れてしまいがちなので、分かりやすく、固まって取ってある。
莢は片手剣とレイピアを腰に吊り、リオンの部屋のドアを叩いた。
「リオン、ちょっといいかな」
「入れ」
素早い返事に、莢はドアノブに手をかけ、戸を開く。
リオンは革製の大きな袋を二つほど揃え、立っていた。レンズを換金するついでに、王とヒューゴの取り計らいにより、旅の資金を調達しに行くのだと、リオンは言う。莢はついていっても良いかと尋ねた。リオンは一瞬、莢に眼を向け、レンズの入った革袋を持つ。
「………なんでお前はそう、僕について回りたがるんだ」
言外に、物好きな奴だなというニュアンスが含まれている。
莢は微笑を浮かべたまま、固まった。それからかなりの間を空けて
「…えっと、……分からない、けど」
愛想笑いをした。
「邪魔なら、いいや」
苦笑気味なその顔に、違和を覚えたのは寧ろ、リオン。
『坊ちゃん』
窘めるようなシャルティエの声が、リオンの腰元から響いた。
今までリオンの物言いの所為で、相手の好意は全て無へと帰していた。リオンとしてはそれで良かったし、親しいものなど作る必要性など無く、リオンにとってはマリアンさえ居たなら、後のことはほとんどどうでも良いと思っていた。だから、好意を無下に断るリオンに、相手は無論敵意をむき出しにする。リオンにとっては、それが当たり前だった。
だが、莢は違う。リオンが差し出された手を払いのけて、返ってくる反応は、弱い。歪んだ、その顔。
リオンには分からないが、それは対等の関係を望む人間ならばあり得ない反応であった。明らかに、依存している者に捨て置かれるのを怖がって、強気に出られないと言う、反応。
「―――僕についてきてもなんの面白味もないぞ」
リオンがそう言えば、莢はまた微かに笑って。
「いいの」
その心中にある、共に居たいという感覚は、何処から湧いてくるのだろうか。それは莢自身にも分からなかった。ただ、リオンの側にいることが当たり前のような気がしただけだ。だからリオンに拒絶されると、戸惑う。俗に錯覚だとか、思い込みだと呼ばれる、その感覚。
「そう言えばイレーヌの手紙に、ノイシュタットの花が舞うようになったと書かれていたな……」
リオンは不意に顎に指をかけ、ふむ、と窓の外を見た。淡い色の花びらが、地面を覆いながら、風にあおられているのが見える。
莢はわずかに首を傾げ、リオンの言わんとすることを掴もうとしたが、それは出来ず。戸惑ったような莢の態度に、リオンは息を吐いて。
「戦闘面意外ではてんで鈍いな、お前は」
蔑むような、呆れたような。そんな微妙な声色で革袋の一つを莢に持たせた。莢の顔に笑みが広がって、いくぞというリオンの後を歩く。
「イレーヌ、少し出てくる」
「ええ、分かったわ」
いってらっしゃいと、言うイレーヌに、莢は控えめに、いってきますと返し、手を振った。
イレーヌ邸を出て、花びらの舞う町中を抜ける。その間、リオンは一度、立ち止まった。
「?」
莢は不思議そうに、川の袋を両手でしっかり持ったまま、首を傾げた。リオンは莢を振り返り、溜息をつく。
「………莢、お前は何故僕の後を歩く?」
『そうだよ。隣を歩けばいいのに』
客員剣士と言うからには、一般兵を率いて歩くことはままあった。だが何か腑に落ちないと感じたリオンは、莢にそう投げかけた。シャルティエも、不思議そうに莢に尋ねた。
莢は、何でだろうと質問を質問で返すと、曖昧にリオンの横に立った。
換金と旅の資金の供給作業はすぐに終わる。リオンは莢の腰に目を留めた。
「……戦いづらくないか?」
「ん?あ……んー……。でも、恩人から貰ったものだから……」
苦笑する莢に、リオンはフンと前髪を退けた。
「物にまで情を移すな。……だが……買うならダリルシェイドかアクアヴェイルの方が良かったな……」
アクアヴェイルで用意するか、とリオンは自己完結をして、受け取った金を持ってオベロン社を出た。
「……ダリルシェイドは何となく分かるけど、アクアヴェイルの武器って、そんなに良いものなの?」
「あぁ。独特の文化で、武器の製造工程がそもそも違うんだ。戦闘に関しても、セインガルド兵達が受けるものとは違う技術らしい。確か飛び道具を多用するはずだ。防具はつけない状態に等しいが、その分身軽で、そう言う点ではこちら側は遙かに劣る」
リオンは冷静に分析して、莢にそう教えた。
「……そうだな、そう言う点ではアクアヴェイルの方が莢の利点を伸ばすことも可能……。素早いし力よりは技を取るお前には持ってこいの武器があるかも知れない」
武器屋を当たるか、とリオンは一人計画を練る。
『流石坊ちゃん、莢のことはよく見てますね』
「どう言う意味だ、シャル」
『言葉のまま、ですよ』
からかいを帯びたそれに、リオンは眉を寄せた。しかし莢はそれには気を止めずに、舞い散る花びらを受け止めると、リオンの名を呼んだ。
「ね、この花、なんて言うの?」
「………お前、僕の話を聞いていたか?」
「聞いてるよ」
心外だ、とでも言わんばかりに、莢の顔は少し歪む。だがすぐに莢の関心は手の中の花びらに移る。リオンも振ってくる花びらを一つ手に受けると、一言
「サクラだ」
そう教えた。
「さくら?」
「ああ。ノイシュタットに咲く。ここ最近は少し気温が低かったせいか、つい最近爆発的に咲き始めたらしい。………この木がそうだ。ノイシュタット中に植えてある」
リオンはベンチに腰掛け、側の木を差した。莢は遠慮がちに、その隣に座る。二人の距離は、非常に微妙な距離だった。
大きなサクラの木下で、影になり、少し涼しい、そこ。
クルクルと回転しながら舞う桜の花びらを見ながら、莢はふと思い起こした。よくよく考えてみると、カルバレイスとここの気候は大分違う。
「……リオン、念のため聞いておくけど、アクアヴェイルの気候って?」
目まぐるしい外部環境の違いに、何時身体は悲鳴を上げるとも知れない。アクアヴェイルがまた、ノイシュタットと大きく違う地だとするならば、それなりの覚悟はしておかなければ、と莢は、尋ねた。
「そうだな……」
二人の当たる風が、心地良い。
「アクアヴェイルは島国だ。……湿度が高いとは思うが…………」
言葉尻を濁すリオンに、莢はそうかと相づちを打った。その時。
「……おねえ、ちゃん」
不意に低い位置から、声をかけられた。子どもが二人。莢には見覚えがあった。記憶を探り、それはすぐに引き出される。ノイシュタットについてすぐに、ルーティが庇った子ども達だった。
「おねえちゃん、この前はありがとう。あのくろいかみのおねえちゃんといっしょにいた、おねえちゃんと、おにいちゃんだよね?」
舌足らずな男の子の声に、莢はベンチから立って、子どもに目線を合わせた。ふと笑んで、そうだよと、どうしたのという言葉を掛けた。
「あのね、ぼくたちなんにもできないけど、おれいをね、言いにきたの」
「ありがとうって。あのお姉ちゃんにも、言っておいてね」
少年の隣に立った少女も、少年の後に言葉を続けた。
莢は子供らの頭を撫でて、確かに頷いた。教養などと言う問題ではない。この子達はきちんと、礼を言うことも出来るし、理不尽に立ち向かうことも出来る。あの金持ちの子だという少女らよりも余程、礼儀を弁えている。
「確かに伝えておくよ」
莢は最後に二人と握手をして、走り去って行く子らを見送った。
『坊ちゃんももう少し愛想があれば良いんですけどねー』
「五月蝿いぞシャル」
「本当にね」
「お前もか」
笑いながらシャルティエに同意し、再びベンチに座った莢の位置は、先ほどよりも、リオンに近い。
「………帰るか」
「うん」
立ち上がったリオンに、莢も遅れて立ち上がる。
そうしてリオンの隣を、歩いた。
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