運命という名の、絶望

 が、ノイシュタットでの例の子ども達の礼儀が実は、イレーヌによるものと知ったのは、ノイシュタットを発った後だった。
 ノイシュタットの貧富の差は激しい。イレーヌはそれを少しでも縮めようと以前から、努力しているのだと、リオンは言った。
 波の揺れによって軋む船内で、は簡易ベッドに身を預けた。
 海竜と出会う前に感じた嫌な予感は、未だの中で解消されずに燻り続けていた。自身には分からない。何かを忘れていることに因るものかも知れなかったし、只漠然と、神の眼という、世界の驚異を追っていると言うことから来る、不安なのかも知れなかった。
 それでもは、心臓の端から何か、黒いものが身体を犯して行くような気がして、気分が悪かった。



Event No.17 追跡再開



 アクアヴェイル付近に着いた皆は、イレーヌに別れを告げ、海を泳いでたどり着いた。
 「うわー……びっしょびしょだよ……」
 早くに陸に上がったスタンが、両手を中途半端な位置まで上げ、手を振った。スタンのはめる手袋から海水が飛ぶ。何とかして張り付いた手袋を取ると、スタンは近くの地面に腰を下ろした。
 「……これでは先に進めるものも進めんな」
 「ははは……」
 リオンがしかめっ面をして、マントを軽く握る。大量の海水が滴り、水を含んで重くなった服は動きを鈍らせた。
 リオンは一つ息をついて、辺りを見渡す。肉眼で見える範囲内に、街があるのが見えた。
 「シャル、バティスタはこの付近だな?」
 『ええ。詳しい位置までは掴めませんけど……確かにアクアヴェイル内には居ます。どこかの街に潜伏している可能性は高いですね』
 「分かった。……取り敢えずあの街まで行くぞ。情報収集もかねて、今日はあそこで休息を取る」
 服の用意もいるだろうと、リオンは先に歩き出した。
 他の皆も街で休めるとあって、足取りは軽い。ただ、つい先ほどまで泳いでいた所為か、速度は遅かった。スタンに捕まるようにして陸まで上がったフィリアなどは、特に遅かった。
 「………ねぇ、シャルティエ?」
 『何?
 「バティスタって今動いてる?」
 はリオンの横で、その腰に吊られたシャルティエを見た。シャルティエはリオンの腰から答える。
 『ううん。もう今は動いてないよ』
 「……死んでないだろうな」
 『それも大丈夫です。そのくらいの微々たる変化は常にありますから』
 シャルティエの声に、とリオンは息をつく。船で過ごした約四日ほどは、モンスターとの戦闘も、何も出来ない状態にある。
 リオンは丁度良いと、動きづらい状態にもかかわらず、積極的に出てくるモンスターを倒していった。はそれに習って、同じように剣を振る。
 海水に奪われた体温は次第に戻り、しかし予想以上の湿度はリオンや、そしてルーティを閉口させた。
 「………あっついわねぇ……」
 思わず、ルーティの口からそんな言葉がついて出た。カルビオラとはまた違う暑さ。まとわりつく湿気はモンスター以上に鬱陶しい。
 中途半端に体温を受けて温まった衣服は、先ほどよりも一層肌触りが悪いような気がした。
 街は徐々に大きくなる。夜の帳が降りて、もう間もない頃だった。街の灯りが数えられるほどに近づく。達はその街へと足を踏み入れた。
 「静かだね……」
 「もう夜だからな。………まぁそれだけではなさそうだが……」
 取り敢えず今日は宿を取って休むぞというリオンの言葉に促され、兎に角皆は休息を取ることとなった。
 数日間何もしないでの、久しぶりの戦闘。そしてその前の水泳と、体力を削ぐ要素は十二分にあった。
 皆は一度部屋に入った。こぢんまりとした宿だった。他に客も居ない。
 は部屋に備え付けてあった風呂に浸かり、服を手早く洗った。浴衣というアクアヴェイル特有の寝間着を纏い、服を部屋に干す。それが終わった直後、ドアがノックされた。開けるわよ、と問われ、はうんと返す。現れたのはルーティだった。
 「ー、宿の人がご飯出してくれるってさ」
 行かない?と食堂の方を指差すルーティに、は微かに笑んだ。
 「あ……ごめんルーティ。私もう疲れたから休むね」
 「そう?…あんたリオンと同じ事言ってるわね……。まであんなになっちゃったら、あたし嫌だからね。あんな奴二人もいらないわ」
 くしゃ、と歪められた顔に、は苦笑を零した。ゆっくり休みなさいね、とおやすみの言葉を投げかけられ、もおやすみ、と返してベッドに横になった。


 朝日が昇る前に起きたは、静かに身を起こして軽く運動を行った。それから少し街を出て、モンスターを相手に身体を完全にほぐす。そして朝日が昇る頃にレンズを回収して、街に戻った。
 「あ、リオン。お早う」
 同じように体を動かしていたのだろう。宿へ入ろうとするリオンに、は片手を上げた。リオンが早いなと声をかけ、そうでもないよとがその側に立った時、くぅ、との腹から音が鳴った。
 「……………………………………」
 居たたまれないほどの、沈黙。リオンの口は歪んでいる。
 『いい音だね、
 苦笑気味なシャルティエの声色に、の顔が初めて赤くなった。
 「……お早う、シャルティエ。リオン、笑うならそんな必死に我慢してないで、いっそ笑い飛ばして欲しいよ………」
 「それは悪かったな」
 く、と、これで最後だとばかりにリオンは喉で笑った。そしてふと、顔を常からのやや不機嫌そうな面に戻した。
 『さっき体を動かした後に街で少し情報収集をしたんだけどね』
 シャルティエが先ず、そう前置く。それに続いて、リオンが口を開いた。
 「バティスタの名を聞いた」
 「―――え?」
 の眉が寄せられた。追われることを承知で居るならば、そのように簡単に、名前など出てくるはずもないだろう。
 バティスタは自らの名を隠そうとしていない。それは何故か。その必要を感じていないからだ。は、拷問の後の、あの夜の会話を思い出した。
 【………それでも、俺はもう戻れない。自分の選び取った道を進んでいくしかないのさ】
 クソくらえだと吐き捨てていたバティスタの姿が、の脳裏に蘇る。あの時バティスタは、グレバムの居場所を絶対に吐こうとしなかった。
 今こうしてバティスタの名が出ると言うことは、グレバムはここよりも遠い場所にいるのではないのか?
 「……バティスタはおとり?」
 はリオンに尋ねた。リオンはさぁなと答える。
 ここにいても仕方がないと、二人は朝食を取るべく食堂に入った。
 「僕が一番気になったのは、バティスタの名が出たタイミングだ」
 既に用意された食事に手をつけながら、リオンはそう言った。
 「どういう事?」
 も同じように手をつけながら、不審そうに眉を寄せる。リオンはやや声を潜めた。
 「旅人なり冒険者なりを装って、アクアヴェイルの近況をそれとなく聞いた。、アクアヴェイルの地図は船の中で見せたな?アクアヴェイルの北東に位置するのがこの街だ。ここはシデン領にある。そしてここから南西にある、モリュウ領という場所だ。奴はそこにいるらしい」
 「――――――モリュウ?」
 「ああ。しかも、だ。奴はモリュウの領主になったらしい」
 リオンの言葉に、は息が詰まりそうになった。何とか咳を繰り返し、そんなことで動揺してどうする、と言うリオンの言葉を貰った。
 「………領主、って………そんな、簡単にはなれないでしょうに…」
 「奴のことだ。何かしでかしたんだろう」
 「……………………ところで、それ、誰から聞いたの?」
 「早起きの婆さんだ」
 ずば、とリオンが言い切った。おおよそ世間話の大好きな、井戸端会議でもするおばあさんなのだろう。はへぇと乾いた声を返した。リオンは気にもせずに、それからと続けた。
 「アクアヴェイルは島国故に、各領の行き来は船に限られる。だが……船は出せないと水夫に言われてな」
 モンスターが頻繁に出るようになったらしいと、リオンは茶をすすった。
 「それが朝に仕入れた情報だ。スタン達を起こして、何とかモリュウに行く手だてを考える。まだもう少し情報がいるがな」
 てきぱきと食事をしながら話を進めて行くリオンに、はただただ簡単の息を漏らすばかりで、はぁ、と息をついた。
 「………凄い手際が良いんだね」
 「これくらい当たり前だ。僕はさっさとこんな任務は終えてしまいたい」
 あと一息のようだしな、とリオンは一息入れた。
 も湯飲みに手をかけ、そっと口に含む。
 「それで、だ」
 腹も満たした所で、リオンはまた口を開いた。
 「さっき言ったように、各領同士で行き来が出来ない今、シデン領は確実に物資がない。話を聞くついでに交渉した行商人からはあり得ない金額をふっかけられたりもした。よって、お前の武器も道具も、モリュウで買うしかなさそうだ」
 そこまでリオンが言い終えると、丁度ルーティとマリーがお早うと食堂に入ってきた。そこで、ルーティの顔が一度歪む。
 「げ」
 「なんだ」
 むす、とリオンは何か不満があるのだったらさっさと言えとばかりに、ルーティを見る。
 「……、昨日も言ったけど、此奴と生活サイクル一緒なんて冗談止めてよね」
 ルーティの言葉に、は昨夜の言葉を思い出し、苦笑。
 「フン。お前達のようにだらだらしているよりは余程健康的だ」
 「不健康そうな肌してる奴に言われたかないわよ」
 「何か言ったか?」
 脅すように、リオンが遠隔装置をちらつかせる。ルーティはなんでもないわよと言うと、席に着いた。マリーは既に朝食を食べている。
 「スタンはあの調子だけど、フィリアはまだ辛そうだったから起こしてないわよ」
 「かまわん。だが昼までには起こせ」
 リオンの言葉に、ルーティは軽く驚いたように目を見開いた。
 「……なんだその顔は」
 「いや……あんたが構わんとか言うとは思わなかったから」
 意外そうなルーティの言葉を、リオンは鼻であしらって。
 「女司祭は兎も角、頭に関してスタンを宛にする方が間違いだ」
 リオンの言葉に、は苦笑した。特にフォローしなかった辺り、もそう思ってはいるのだろう。体力や力では、マリーと同等かそれ以上のスタンでも、知恵となればやはりそれなりに違ってくるものだ。
 「でも、何とか手段を考えとかないとね」
 「?なんの話?」
 ルーティがふと、眉を寄せる。は先ほどまでリオンと共に話していた内容を簡潔にまとめ、ルーティに伝えた。
 「……なるほど、ね。じゃぁあたしとマリーもあたってみるわ。情報収集するなら、人数居るしね」
 朝食を食べたら軽くマリーと手合わせをして、それからすぐに行くわとルーティは朝食にあやかった。
 とリオンは、先に行っていると宿を出た。
 「………なんだか……バティスタが早く来いって言ってるみたいで、変な感じがしない?」
 「……。否…………」
 リオンはの言葉を否定しようとして、少し考え込んだ。足は動かしたまま港へ向かっているものの、何かを組み立てるような考え方だった。
 「……そうか……」
 ふと、リオンの口がいびつに歪んだ。
 「奴等は神の眼を盗んだ。何故か?世界を支配するためだ。神の眼の力はソーディアン達が取り乱すほどに大きい。その力を持ってすれば、どんな国家もその力の前に崩れ去るだろう。そして、世界を支配するのに最も簡単な方法………。は何か分かるか?」
 は少し考えた。そして、分からないと答えようとした所で、リオンの笑みに気付いた。
 「………漁夫の利を得る…………」
 「そうだ。巨大な勢力…この場合は国同士に互いの戦力を削ぎ落とさせる。そして消耗しきった頃にまとめて叩く。これが一番良い。自分たちが戦わなくとも、勝手に潰れていく。そして……世界の勢力と言えば、先ず筆頭に来るのはセインガルドだ。そしてそれに敵対するアクアヴェイル。ファンダリアも王国だが……あそこは特別だろう」
 ファンダリアという地名に、は少し懐かしさを覚えた。だが、リオンは何を持って特別と考えているのだろうか、尋ねた。リオンはあそこは平和主義だと短く答えた。
 「自国の民の安全を第一に考える。今の王が良い例だな。その息子も、知識や見解を深めるためと各地を放浪していると聞く。………まぁ、元々放浪癖があったようだが……」
 リオンはそこで言葉を区切り、最後に
 「そんな国だ。戦争に介入してくることはまず無いだろう。最低でも自己防衛に努めるにとどめるに違いない」
 まぁ王が変わればどうなるかわからんが、と締めた。
 「兎に角、アクアヴェイルは戦争を引き金を起こすには持ってこいだ。僕はバティスタが囮だとは思えない」
 「そっか……」
 は腕を組んで、息を吐いた。
 「どうした?」
 「ん……。ちょっと、怖いかなって」
 力無く、は笑う。リオンは微かに、目を見開いた。だがは、早速詳しい話を聞くために、水夫達をあたった。リオンが話を聞いたという、早起きのおばあさんにも。
 そうして、また少しだけ組み立てることは出来た。
 アクアヴェイルの島々を縫うようにある浅瀬にモンスターが出始めたのはつい最近で、それには恐らく神の眼の力が関わっているだろうと言うこと。
 それに追い打ちをかけるように、バティスタの政策で、アクアヴェイル全体が物資不足になっていると言うこと。
 モリュウでは、民を護るはずの兵士達が、民を傷つけているらしいと言うこと。
 総じて、バティスタの印象は悪い。
 だが、各領を往来する手段について、いい話は聞けなかった。
 「………何かないか……」
 客員剣士といえども、ここはセインガルドではない。目立つ行動も当然出来ない。強行は無理。
 一見八方塞がりになった所で、ルーティの声が聞こえた。
 「ー!良い情報持ってきてあげたわよ!」
 明るい顔と声からして、聞き出したのは往来の方法だろう。後ろのマリーの表情も明るい。はリオンの顔を見て笑った。

 案の定、ルーティとマリーが聞いてきた情報は、モリュウ領への行き方だった。どうやらこの付近に、モリュウへ続く海底洞窟があるらしい。
 「フィリア、大丈夫?」
 はドアをノックして、はいと返事を聞いてからドアを開けた。
 「はい、おかげさまで……。ご迷惑をお掛けしてしまって……」
 「全然。それよりも、これからまた歩くことになるけど、大丈夫そう?」
 「ええ。大丈夫ですわ」
 ベッドに腰掛けていたフィリアは、もう普段の服に戻っていた。寝間着はきちんとたたまれ、はそうかと笑う。フィリアはクレメンテを持つと、と共に部屋を出た。
 食事を取り、はこれからのことをフィリアに告げる。途中スタンとリオンが食堂に戻り、二人の食事を待って、皆はシデン領を発った。

200-/--/-- : UP

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