運命という名の、絶望
誰かが誰かの名を呼んだ気がした。
その頃には既に、白化粧は赤の色にとって変えられ、伏した身体は急激に熱を失いつつあった。
銀の髪に雪焼けの肌を晒し、そこに倒れてから随分と時間が経っていることを伺わせた。
そんな静かな場所で、しかし、声が響いていた。
「……っん、のっ!」
「虎牙、破斬ッ!」
金属を叩く音がする。気味悪く擦れ合い、ぶつかる音。
「ッ……獅吼、爆炎陣!!!」
金の髪が踊る。構え振り回した剣は炎を纏い、兵士を焼いた。辺りには、おぞましいほど美しい鮮血と、やはり恐ろしいほどどす黒い血が、場所を構わず、雪を染め上げていた。
「ウッドロウさん!」
莢が身体を揺する。莢の恩人は、今はもう既に冷たくなっていた。右脇腹から出る血は留まることを知らず、雪を紅く染め続けている。
止血を、と言った莢は、自らの服を脱いで、青年の身体に当てた。同じくかつてこの青年に助けられたスタンは、毛皮を被せ、その身体を背負った。
「急いで戻ろう」
「うん」
二人は必死に青年を解放すべく、立ち上がった。客員剣士は、それを長めながら立ちつくしていた。
「リオン、どうしたの?」
莢に呼ばれ、リオンは歩き出した。兵士達の死体を一瞥して、辺り一面に広がる、紅い色を見てから。
Event No.24 凍る身体と
莢達がウッドロウを助けてスノーフリアに戻ると、ルーティとマリーが外に出ていた。リオンは何をしているんだと窘めたが、莢とスタンは構わず、宿に駆け込んだ。スタンに割り振られた部屋のベットに横たわらせ、傷口を確認する。
鎧と剣、弓を外してその下の服をめくり上げると、右脇腹に、確かに傷を負っているのが確認出来た。身体も冷え切り、顔色は良くない。
莢はスタンに、宿の人に頼んで何か暖房器具を借りてきて、と頼むと、入れ違いに戸惑ったように入ってきたルーティに回復を頼んだ。
恐らく矢が刺さったのだろう。フィリアには傷口を見せないようにして、莢はウッドロウの衣服を緩めた。
「莢、そいつは何者だ?」
「え?……あ、私がこの辺の森で倒れていたのを、助けてくれた人だよ。それからまた同じようにして、スタンが………ええと、密航してたんだっけ?それで脱出ポットに乗って落ちた所を助けられて……。スタンがダリルシェイドに行こうとしてたのを聞いて、私も一緒に連れて行って貰ったの。ウッドロウさんとはジェノスで別れたけど、入れ違いにマリーさんに会って、あの神殿でルーティに出会って………」
「そしてハーメンツの村、か?」
「うん」
「名前は?」
リオンが尋ねた。莢はウッドロウのフルネームを答えた。
「……………間違いない。面識はないが、ファンダリアの皇子だ」
リオンはそう言うと、湯たんぽを借り受けてきたスタンが、ベッドにそれを置くまでを待った。ルーティの昌術も終わり、リオンは立ったまま
「……そう言えば三人で何処に行ってたのよ?」
と言うルーティの質問に答えた。その間に行っていた考察のことも。
ウッドロウが王族かそうでないかは本人の口から聞けばいいとして、兎に角、彼が起きるのを待つ必要があるな、とリオンはまとめた。
「ファンダリアの人間…………しかも兵士に追われるほどの人間ならば、ハイデルベルグがどうなっているか聞けるかも知れない。意識が戻るのはまだ暫く経ってからだろう。場合によってはウッドロウとやらを連れて行かなければならないかも知れない。それを考慮して、今は身体を休めろ。僕はオベロン社に言ってレンズを換金してくる」
無駄な体力は使うな、とリオン入って、部屋を出た。莢とスタンは二人してベッドの脇で、ウッドロウの容態を気にしている。皆何をするでもなく、なんとなく部屋に出るのは憚れるような気がしたのか、その場に立ったまま。ルーティが、口を開いた。
「……その人、莢を助けた人なんだって?」
「うん。………気さくで優しくて……いい人」
「頼りになるし、弓も剣も使えるんだ。そんな人がこんなに傷ついてるなんて、よっぽど大勢の兵士に追われてたんだろうな……」
スタンが重い溜息をつく。フィリアとマリーは互いに顔を見合わせた。
「莢さんもスタンさんも………お二人とも、少し休まれた方が宜しいと思いますわ…」
二人のこと。恐らくモンスターとの戦闘ではなく、ウッドロウを見て憔悴しているのだ、とフィリアは感じた。莢が自分なりに計算して行動しているのを十分心得ているフィリアが、今は休むべきだと口添えするほど、莢は自分のことを後にしているに違いないと、そう思った。
誰かに言われなくとも、莢が自身の体調を理解していることは皆分かっている。スタンは元々その正義感でもって無茶な行動を起こしがちだが、莢は違う。
「……でも……今はウッドロウさんの側にいたい、から………」
「そうですか……?無理はなさらないで下さいね」
フィリアの言葉を受けて、莢は苦笑した。何かと無理はするな、とリオンに言われているのを思い返したからだった。
それにはスタンも同意したが、莢は恩人が危ないのに自分だけ休むことは出来ないと、ずっとその側を離れなかった。
「……まだこんな所に集まっているのか。早く戻れ」
オベロン社の支店から帰ってきたリオンが呆れたようにそう言うまで、皆はそこから動かなかった。渋々引き上げて行くのを見ながら、リオンは莢とスタンにまた、声を掛けた。
「自分の体調とさっき僕が言ったことを考慮した上でなら、好きなようにしろ。ただ騒ぐなよ」
リオンはそう言って部屋を出る。莢とスタンは顔を見合わせて、笑った。
それからウッドロウが目を覚ましたのは、一夜明け、もうそろそろ陽も高く登ろうかと言う所だった。結局その側で寝てしまった莢は寝惚け眼で、朝の挨拶をした。ウッドロウは苦笑して、しかしそれに答えると、現状を把握しようとした。
「ここはスノーフリアです。ここから南西の森で倒れていた所を、私達が見つけて………兵士が剣を振ろうとしていたので、割り込みました。私達が見つけた頃既にウッドロウさんの意識はなかったんですが、取り敢えず私達が貴方を発見してから、半日経ってます。今はお昼前」
莢はそこまで一気に言ってしまうと、一通りの自己紹介をして、リオンが口を開いた。
「ハイデルベルグはどうなっている?」
「……」
ウッドロウはしばし、沈黙を引いた。しかし直ぐに口を開くと、今の現状を伝えた。
突如やってきたグレバムに城を占領され、王家から信頼の厚かった部下の大半は殺されたこと。現王であったウッドロウの父は既に殺されていること。少しでも謀反を起こす可能性があると見られた者は、その場で兵士達に殺されていること。今ではウッドロウを指示する者は皆、城の隠し部屋に非難し、苦しい生活を強いられていると言うこと。助けを求めるべく、ウッドロウは単身、ハイデルベルグから飛び出したのだという。部下を置き去りにして心苦しい思いはあったが、何よりもその部下達に信頼を寄せられ、裏切ることは出来ないという、決死の思いで。
「グレバムが……巨大レンズを運び込むのを見た。ハイデルベルグ城は既に奴の拠点だ。そして………我がケルヴィン王家の家宝も………」
ウッドロウは歯がみした。拳を作り、苦しそうに顔を歪める。
「そうか………神の眼がハイデルベルグに」
『そして家宝と言えば確か……』
『イクティノスか!』
リオン、シャルティエ、そしてディムロスの言葉を受け、ウッドロウは頷いた。
「ソーディアンマスターとしての資質はあるが、イクティノスは今現在、天地戦争が元で、酷いダメージを受けているらしい。私が何度話しかけても、その声を聞くことはなかったよ。……そしてイクティノスはハイデルベルグ城に安置されていた。今は既にグレバムの手の中だ」
嘆くように呟かれた言葉。リオンは溜息をついた。
「神の眼とイクティノスを手にしたグレバム、か。まぁ……ここまで来ればさほど変わらないだろう。奴に世界を渡すつもりはないし、そうはならない」
「そのための私たちなのですから」
幾分か励ますようにして言われた、フィリアの言葉。ウッドロウは有り難うと礼を言うと、身を起こした。莢が慌てて抑えようとしたが、ウッドロウはその手を優しく取って、笑みを零した。
「大丈夫だ。それに……今は一刻を争う。所で、私の傷を癒してくれたのは?」
ウッドロウは当たり前のように、自らが水先案内人を務めると言い出した。そしてルーティとアトワイトに礼を言って、完全にベッドから降りた。手際よく鎧を付け、刺していた剣を確認した。
「あ、じゃぁ俺とリオンで毛皮買ってくるよ。数足りないし。さっき取ったレンズのお金で、十分足りるよな?」
「ああ」
珍しくスタンが指揮を執って、リオンがそれに頷いて、スタンと共に部屋を出た。ルーティ達も立つ準備をするため、一度部屋へ戻る。莢はそれを見送って、ウッドロウを見た。
「……チェルシーやアルバさんは大丈夫でしょうか…」
「ああ、それは心配ない。無闇に外には出ないように元々厳しく言っていたし、あそこは外部からの情報が入りにくい。私も城を出てからトーンの小屋には言ってないから、まず大丈夫だろう」
「そうですか……。良かった」
莢は安心したように微笑んで、
「ウッドロウさんもご無事で良かったです。一瞬、もう危ないのかと思いましたが、こうやってまた、生きて会うことが出来て嬉しいです」
「私もだ。……敢えて聞こうとはしないが、こうも上手くソーディアンマスターが集まって旅をしているとは、驚きだな」
やや感慨深そうに、ウッドロウは笑った。莢も笑って、マリーには声が聞こえない旨を説明した。そしてウッドロウが声を聞くことが出来ることにも触れた。
「スタンを助けてからディムロスを持っていったのは……話そうとなさっていたんですね?」
「ああ。まぁ身分も名乗らなかったから、不審者も良い所だったろう。何も話してはくれなかったよ」
苦笑したウッドロウは、さてと言って、弓を取った。
階下に降り、それぞれ毛皮を受け取ると外に出る。
「ティルソの森……私が追われていた森だが、あそこは既にグレバムの占領下にあると言っていい。私を捜す兵士達も大勢居るだろう。少し遠回りになってしまうが、危険を避けるに越したことはない。ティルソの森の北にある、凍った大河の上を行こうと思う」
「大河って……大丈夫なんですか?」
「ああ。あそこは特に凄まじい寒波が常に留まっている場所でね。大河の上を歩くことも可能だ。滑るが、兵士達に見つかって戦闘を繰り返すよりは余程安全だ」
ウッドロウはそう言うと、先頭に立ってスノーフリアを出た。
「ねぇ……サイリルって知ってる?」
歩きながら、ルーティは後ろから、声を掛けた。
「知っているよ。スノーフリアからティルソの森を抜けた方角にある」
ウッドロウは答えた。ルーティはそう、と言うと、少し俯いた。スタンがどうかしたのかと尋ね、ルーティはマリーを見た。
「マリーが……スノーフリアで少し、記憶の断片を見つけたみたいなのよね。それで……どうしても行きたいんだけど……」
「……」
伺うように、ルーティはウッドロウよりも、リオンを見た。リオンは長く、息を吐いた。何か考えているようでもあった。
「迂闊に行動に移るのは良い判断ではないな。大人数となれば尚のこと」
「じゃぁ……」
「ウッドロウと僕、莢にフィリアで先にハイデルベルグに潜り込み、探りを入れておく。その間にお前達はサイリルとやらに行ってこい。マリー一人では心許ないし、どうせ言ってもお前はマリーについていくだろう。スタンは勝手な行動をされては迷惑だからそいつらについていけ」
「フィリアは何なのよ?」
「こいつにサイリルとハイデルベルグを急いで移動させるのは得策じゃないと判断しただけだ。それにそっちにいるのは体力であって、何も何か作戦立てる必要はないんだ。文句はあるか?」
「無いです……」
スタンは苦笑して、じゃぁ大河を抜けたら一度別れようと話をまとめた。ウッドロウは少しペースを上げるぞ、と告げ、少し歩幅を広げた。
ウッドロウの言う大河まで、そう時間はかからなかった。
「スタン君」
「はい?」
ここが大河の入り口だ、とウッドロウは言って、スタンを手招いた。そして腕輪のようなものを手渡した。
「これは………?」
「ソーサラーリングだ。ここにレンズをはめる。………スタン君、あの氷の固まりに向かって、ここを押してみてくれないか?」
ウッドロウは手際よく操作方法を押して、スタンが直ぐにそれを実行した。瞬間、レンズを取り付けたヶ所は熱で紅く燃え、光線が氷の固まりを貫く。その熱で、氷が崩れた。
「極寒の地、ならではのレンズ活用法だろう?」
「はぁぁぁー………。凄いですね!あんなに大きかったのに……粉々に砕けてる」
スタンは感動したように溜息をついて、足元に注意してくるんだというウッドロウの言葉に続いた。
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