運命という名の、絶望

 支点は一瞬にして前へずれ、その上に乗っていた重心は一気に下へ。
 「う、わっ!」
 高谷は、思い切り、景気よく転んだ。



Event No.25 ちらつく想い



 あまりの痛さに、打ったでん部を抑えながら、は声にならない悲鳴を上げた。声にする力も、ともすれば痛みを伴うとでも言わんばかりに、音もなくその場で悶える。
 「……大丈夫か?」
 思わず、手を差し伸べたのはリオンだった。顔には呆れからだろうか、微妙な苦笑が浮かんでいた。
 は気まずそうにその手を握り、立ち上がる。毛皮越しとは言え相当な痛さに、顔は引きつっていた。
 二人の様子を見ていたウッドロウは苦笑して、雪が積もっているとは言え氷の上なのだから気を付けた方がよいと零し、は少し遅いですよ、と力無く笑った。
 「なにやってんだよ、は――~っ!」
 スタンは屈託無く笑った後、と同じように、盛大に転けた。
 「あんたこそ何やってんのよ……」
 呆れかえるルーティと、尻餅をついた二人を心配するフィリア達に、スタンは乾いた笑いを零した。リオンは、スタンにはただただ呆れるばかりで、余所見をして笑う暇があるなら前を見て歩け、と窘めた。
 「ちぇー……。リオンは本当、には甘いんだよなぁ……」
 「五月蝿い甘くなんか無い只単にお前達を評価付けした結果の行動と言動だ」
 淀み無く言われてしまい、スタンは閉口した。ウッドロウですら、只苦笑を零すばかりで、それを悟られぬよう、しっかりと前を向いて歩いていた。
 「あの二人はなかなか良い関係のようだね」
 そうして先頭を共に歩くスタンに、笑いかけた。スタンもはい、と笑みを零して、ひそひそ、二人で会話をする。
 「俺達はまだ信用されてないみたいなんですけど、なんだか、リオンがあんなみたいな接し方をしているのを見ると、やっぱ年下だなーって思いますね」
 まるで弟かのようにリオンを評したスタンを、ウッドロウは微笑みながら見た。スタン達が客員剣士であるリオンと行動を共にしている理由を聞いていたウッドロウは、そんなことはない、と首を振った。
 「本来監視下に置かねばならない君達を、敢えて別行動させると言うことは、君達がそれだけ信頼を得ていると言うことだろう」
 「いえ。このティアラ、特殊なレンズがあるらしくて、場所はシャルティエに感知されるようになってるんです。無理に外そうとすれば、感電死ですよ」
 スタンはさも恐ろしげに語った。だが、顔は幾分が綻んでいる。ウッドロウも笑って、それは怖いな、と相づちを打った。
 「………、大丈夫か?酷く打ち付けたようだったが……」
 「あー…。うん、ちょっと痛い。でも大丈夫だよ。…………多分」
 列の一番後ろでは、とリオンが、会話をしていた。盛大に転けたのをバッチリ見ていたリオンは、頭を打ってないかとも、酷く心配した。
 「グレバムを倒す前に滑って転んで頭を打って死んだと言うのは、洒落にもならないぞ」
 「ははは……。……でも、グレバムを倒してから……は……私、どうすればいいのか……」
 リオンは思わず、息を止めた。瞳はから逸れ、目線は下へ。
 「……リオン……?」
 の呼びかけにも、リオンは少しの間黙ったままだった。そうして、間をおいた後に、口を開いた。
 「記憶喪失者の面倒を見るほど、王もオベロン社も甘くはない。だが……ほどの剣の腕があれば、……前例は聞かないが、客員剣士として認められる可能性もあるだろう。そうすればまず金には困らない。まぁ……組織の下につくことになってしまうが」
 そうなれば自由は無いと思え、とリオンは厳しい口調で言った。それはどちらかと言えばに、と言うよりはまるで、何かに対する忠告のようでもあった。自由が無くなる、と言うデメリットの部分ではなく、何か別の意図する所の。
 しかしは、それでも頷いた。
 「何時までも誰かに頼っているわけにはいかないし……。家無しだし。レンズハンターも大変そうだし、私は誰にも迷惑を掛けないなら、それが良いな。自由なんて言っても、やりたいことも何も分からない私には、余り意味がないように思えるし。気楽よりも、今は取り敢えずお金を持って、安定した生活が欲しいよ」
 スタンが聞いたら吃驚するかもね、とは苦笑した。
 「……そうだな」
 リオンはそれを、相づちを打つまでにとどめた。他に何かを言おうとすれば、リオンは自分の中の何かが崩れてしまうだろうことを、予感していたから。


 場所はハイデルベルグ街。マリー達と別れたリオンは、そこに潜入していた。余り目立った動きをすると怪しまれる為、宿で一室分だけの部屋を取り、既にウッドロウはその部屋の中に隠れていた。
 とリオンは外を出て、ハイデルベルグの外観を探った。まだまだ、ハイデルベルグの住民達の心は、王家側についているようだったことに、少しの安堵を覚えつつ。
 「……ウッドロウさんが隠れてたのをおして一人で城の隠し部屋から逃げてきたんだから、どこかに城へ繋がる通路があるはず……」
 「城への進入経路はそこで決まりだ。……だが兵士達の数も把握しておいた方が良さそうだな。爆薬や武器も出来れば見ておきたい」
 神の眼の前ではあってもなくても同じようなものだが、そこに至るまでの無駄な先頭は、やはり極力避けたいというのが本音。城に侵入したとして先頭になり、騒ぎを聞いて駆けつけていた兵士達と戦っていたのでは、グレバムがまた逃亡する恐れもある。そしてそれはもしかしたら、セインガルドの首都、ダリルシェイドではないかという懸念も十分に含まれていた。それは確実に、ダリルシェイドの殲滅を意味する。
 「……衛兵でも良いから適当に様子を見る」
 リオンはそう言うと、を家々の合間に引き込んだ。幸い辺りに兵士達はいなかった。
 とリオンは暫くそこで息を潜めた。すると直ぐに、兵士達の大きな声が聞こえた。
 「へっ、こうも敵無しだと暇でしょうがないな」
 「だが、ウッドロウはまだ捕らえてないんだろう?それに王家についた奴等も、まだ何処にいるか分かってない。城には隠し通路があるモンだが、それに見当すら付けられてない今は、まだ自分の身の安全を確保した方が良さそうだ」
 神の眼があることで、己達の立場を過大評価しているのではないだろうかという兵士と、どうやらそうそう馬鹿ではないらしい兵士の声。リオンはその声が通り過ぎるのを待って、と共に、かなりの間を空けて尾行した。
 「大丈夫だって。奴が森の中に入ったのは仲間がバッチリ見てるんだぜ?それを受けて人海戦術並みに森の中入ってるんだ。もうそろそろ見つかるぜ。次あの面を拝むのは頭だけかも知れねェな」
 下卑た笑いが聞こえた。は眉をひそめた。
 「最低。神の眼が終わったら次は絶対アイツらぶっ飛ばしてやる」
 カルビオラでのそれよりもやや過激さを増した発言に、リオンは微かに苦笑した。
 「あんな低俗な奴を相手にするな。低俗に犯されるぞ」
 「それは嫌」
 二人は少し笑って、兵士達がとある建物に入って行くのを見た。生憎と城の前の通りに面しているが故に、そこまで行くのは難しかった。二人は仕方なく少し遠回りをして、その建物を伺った。中は余り、賑やかな方ではなく、閑散としていた。
 恐らくは兵士達の宿舎か何かだろう。
 「………さっき人海戦術並みに森の中に、って言ってたよね?」
 「ああ……。どうやら今城の方は割合手薄らしいな。……人捜しとは違って、その分警護に当たっている者は強者かも知れない」
 「精鋭部隊、って奴かな?」
 「まぁそんな所だろう。……ウッドロウをまだ森の中にいる者だと思っている辺り、僕たちがやったあの死体は雪で隠れたか、見つからなかったらしいな」
 淡々と、リオンは言った。もそれに頷く。少数とは言え、強いのならば先頭で苦戦することは間違いない。二人は一度、宿に引き上げた。
 「……この付近からサイリルの街までは、天候もあるとはいえ半日もすればつくだろう。体力のことも考慮すると、どうしてもアイツらがこの辺りまで来るのは明日になるな……」
 「丁度良いよ。ウッドロウさんもまだ寝ていた方が良い身だし」
 は言うと、毛皮をコート掛けに掛けた。リオンも同じように掛け、息をつく。ウッドロウは浅い眠りから覚め、首尾はどうか尋ねた。
 「どうも何も、人ではほとんど払ってあるようだ。無駄な戦闘は避けられるがその分頭の切れる奴が残っている可能性がある。城の進入経路については城の隠し通路と繋がっているだろう場所から入るしかない。
 武器の類は確認出来なかったが、何せ数が少ないんだ。武器だけがあってもそれを使う者が居ないから、無い物として見て良いだろう」
 「……そうか……」
 ウッドロウはふと、溜息をついた。それが重いものであるかは、明白だった。
 「マリーさん…何か、記憶に関するもの、手に入れていればいいね……」
 は窓の外に降りしきる雪を見つめながら、胸を撫でた。リオンが投げやりに相づちを打ち、ウッドロウはを見た。
 「……は、そうやって胸元を擦るのが癖なのか?トーンの小屋でもやっていたように思うが……」
 は声を掛けられ、ウッドロウを見て、苦笑した。
 「違うんです。なんだか……嫌な予感がして」
 「嫌な予感?」
 「はい。アルバさんの所にいた時は……嫌な予感というか、変に気持ちが焦ってしまって……何かしなくちゃいけないような気がしていて、でもそれが何か分からなくて……。旅の間はそれどころじゃなかったんですけど、それが急に来たような感じです。また、何か気持ちが落ち着かなくて」
 何なんでしょうね、とは言うと、また外を見た。
 一人蚊帳の外のような話の内容を、リオンは聞いていた。がたまに不安そうな表情をするのを知らないわけではなかったが、リオンには、それを解消してやれる術がなかった。
 「グレバムとの決戦間近で、知らず緊張しているんじゃないのか?」
 リオンはそう言ってから、自分が酷く、気休めにもならないような戯言を言ったような気がした。は、しかし、それに頷いた。
 それでも、の手が胸元から離れることはなかった。


 翌日、達はスタンと合流を果たした。ウッドロウの疲労もその頃には大分回復し、傷も良くなっていた。
 スタンはまず、ハイデルベルグ街の有様に顔をしかめた。セインガルドのストレイライズ神殿をはじめ、破壊された跡を見尽くしてきたが、グレバムも追いつめられてきたのだろう。ハイデルベルグの街は一部、破壊されていた。趣のある街並みは、街の出口付近で終わっている。兵士達の質も余程悪いのか、避難してもぬけの殻になった民の家々は、よくよく見てみると荒らされていた。
 「………早く、終わらせなくちゃな」
 『ああ』
 ディムロスの柄を握りしめ、スタンは城に行こうと言いだした。リオンは首を振ったが、それでも観光客の振りをしていればばれないだろうと言い張り、まさかグレバムによってつい先日陥落したばかりのハイデルベルグを知らず立ち寄った旅人を攻撃しないだろうと歩き出した。だが内では何よりも、今のハイデルベルグの有様が許せなかった。
 「待て。戦闘になったらどうするつもりだ?」
 「強行突破さ。決まってる」
 熱くなったのか、スタンの語尾が強くなった。はスタンの名を呼んだ。
 「スタンみたいな正義漢が、この状況で怒るのは分かるよ。でもそんなに熱くなっていたら、様子を伺おうにも伺えない。今のスタン、今にも兵士に斬りかかりそう」
 そんなことで良いの、と聞くに、スタンは言葉に屈した。
 「旅の一座か観光客を装って、城に近づく。兵士達に警告されたら大人しく引き下がる。情報が手に入ればそれに越したことはないし、元々それに期待してない無いんだから、それで文句ないよね?」
 はそう促すと、先に歩き出した。ウッドロウを庇うように歩くことを忘れるな、と言って。
 「おい、お前もか!」
 少々ご立腹のリオンは、その隣でそう呟いた。はスタンの気持ちは一応、分かっているつもりだから、と返す。
 「どちらにしてもここで動いておかないと。何時までも様子を伺っているだけじゃダメなんだし、奇襲を仕掛けて、浮き足だった兵士達を倒すのは簡単なほうでしょ。指揮を執っているのは誰かって言うのが今一掴めないけど、城に近づけばそれも分かるかも知れない」
 の強い言葉に、リオンは重い溜息をついた。
 「揃いも揃って、こんな大事な時に熱くなどなってどうする」
 「仕方ないよ。リオンにだってあるでしょ、何かに関して熱くなること」
 の脳裏に、マリアン。その文字が浮かんだ。リオンは無くはないが、と曖昧な返事を零していたが、そうこうしている内に、足は城の門が見える位置まで達していた。
 リオンは仕方なく辺りを伺う振りをした。
 「おい、そこで何をしている!!!」
 「観光でーす!」
 スタンが答えた。それほど近くはないが、遠すぎる位置でもなかった。兵士が同じように門前に立っていた兵士と何事かを相談して、それを受けた兵士が頷いたのを、は見た。
 「城は今厳戒態勢を強いている!それ以上近づけば敵襲として見なし、武力を持ってこれを排除する、心得ておくように!!」
 「はーい!!!」
 今度はが答えた。
 「……口を滑らせましたわね」
 「ああ。ファンダリアは基本的に厳戒態勢を敷くほど荒れてはいない」
 「その理由も仰らなかった所を見ると、相当警戒されていますわ」
 ルーティと、スタンは賑やかに談話する振りをしながら、リオンとフィリアの言葉に耳を傾ける。だがマリーは突如、しっかりした足取りで、城の方へと歩き始めた。それに気付いたルーティが、思わずマリーを呼ぶ。だがマリーはそれに応えず、警告を発した兵士へと近づいた。
 「さっき言った事が聞こえなかったのか!!!」
 兵士は声を上げた。まずいな、とリオンが舌打ったのが聞こえる。
 「…………お前、これを知らないか」
 遠目に、兵士に向かってマリーが剣を突き付けるのが見えた。

200-/--/-- : UP

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