運命という名の、絶望
「ダリス隊長!」
兵士が声を上げた。ダリス、と呼ばれた兵士は、じっとマリーを見据えた。
「何者だ」
マリーは兵士の言葉を、自分の中で反芻していた。そうして、不意に納得がいったように目を伏せ俯き、そしてやはり剣を突き付けたまま、応えた。
「覚えていないか?サイリルの街で……お前は警備団長だった。全て思い出した」
その声は、ウッドロウの姿をめざとく見つけた兵士達が起こした騒ぎによって、掻き消された。
Event No.26 福音の断末魔
やれ敵襲だ、侵入者だのと騒ぐ声が、街に木霊しているのが伺えた。マリーの起こした行動によって、兵士達の警戒心を煽ってしまった事実に、リオンは眉を寄せた。
「くっ…はぁ……はぁ……。ったく、驚かせるんじゃないわよ……目聡いわねぇ」
「兵士が目聡くなくてどうする」
リオンの私的に、ルーティは五月蝿いわね、と言い返そうとした。だがそれよりも早く、莢がそれを遮った。
「マリーがいない」
「え?」
訝るように、焦ったようにルーティが駆け込んだ民家の中を確認した。確かに莢の言う通り、マリーのあの映える髪は見当たらなかった。
「何でッ!」
ルーティは悔しそうに片足を上げ、床にたたきつけた。それを見たリオンが、静かにしろと窘める。どうしろってのよ、とルーティはどうにもやりきれないように、もどかしく身体を揺すった。
「まだマリーさんを助ける方法はあるよ。……兵士の宿舎に行こう。ただでさえ人が少ない上に、ウッドロウさんを捜す為に兵士達は宿舎を出払ってる」
一石二鳥、と莢はルーティの肩を突いた。そしてリオンに目配せをすると、外の気配を伺ってドアを開けた。ドアは軋んだ音を立てたが、それは吹雪によって、幸いにも掻き消された。莢達は手早く昨日様子を見た宿舎に入り込んだ。
一階は食堂になっているのだろうか、入って直ぐに大きな部屋に机や椅子が置いてあるのが見える。リオンは
「お前達は先に行っていろ。僕は武器庫がないか確認する」
言って、莢達を先に行かせた。どうしても先を急ごうとするルーティを宥め、莢は先に一人で慎重に階段を上った。人の声はしなかった。
踊り場を経て二階に上がると、直ぐに廊下が階段に対して垂直に伸びていた。その廊下の一番端に階段があったことを嬉しく想いながら、莢は廊下を伺った。
ある部屋の前に、兵士が二人、立っていた。ご丁寧に、廊下に取り付けられた窓の外を、真っ直ぐ見つめている。甲冑に身を包んだ彼らは、防御に優れているようでその実、横方向に対する視界がやや狭くなっていた。
莢は一度階下にいるスタン達に上がってくるように言った。一人ずつ音を立てないように二階へ移動。最後にリオンが上がりきり、そこでふと、莢は、話し声を聞いた。思わず壁に耳をあて、中の様子を探る。マリーの声がした。
「もう一度言う。お前と私は夫婦だった。サイリルの街……私とお前は10年以上前に、そこで出会った」
語られて行くマリーの過去に、ルーティはただただ耳をあて、聞き入るしかなかった。聞き取り辛い声を、ルーティは聞き逃すまいと必死に音に神経を集中させる。
尋問なのだろうか。しかしもう一つ聞こえた男の声は、マリーの言葉に耳を傾けているようだった。十中八九、それはあの兵士だろう。
「それで?」
促す声。マリーはまた声を出した。
「あの頃ファンダリアは……今のように平和ではなくて、まだ各地で争いが起こっていた、動乱の次期だった。私は傭兵としてそれに参加していた。私を雇った軍は負け、私は何とか落ち延び、サイリルの街で弱っていた……。寒さと飢えと戦いで、私はあそこで衰弱して、死んで行くのだと思っていた。だが……愛剣を抱え震える私を拾ってくれたのが、ダリス、お前だった」
「面白い話だな」
ダリスはさも興味深そうに声を発した。マリーは続けた。
「お前は私を愛してくれた。だが……サイリルの街はある日、炎に包まれた。警備団長のお前は勿論首を狙われた。私だって一端の兵士だった。だからこの剣を取り、最期までお前と共に戦い、散ろうと思った。だが……お前はそれをよしとしなかった」
マリーがその時、愛おしそうに剣を撫でたのを、ダリスだけが見ていた。
「お前は妙な機械で私の記憶を奪い去った。そしてファンダリア外へと逃がした」
ルーティは、全て聞き逃さずに聞いた。口元を手で隠し、思わずマリーの名を呼びそうになるのを、必死で押さえているようだった。
「……よくそんなお伽噺を聞かせてくれたものだな。確かに私には妻がいた。もう今は死んでいる。サイリルが襲われた話も聞かない。俺は今までずっとグレバム様に仕えてきたんだ」
ダリスはやや嘲笑を含んだ声色で、そう言った。マリーは淀みなく応える。
「その妻とはどうやって知り合った。そして何故死んだ?グレバムはつい最近までセインガルドのストレイライズ神殿で、神官だった。ずっと仕えていた、と言うのはおかしい。グレバムは大司祭で、確かに民達からは慕われていただろう。だが、大司教くらいならまだしも、そんな地位に立つ一個人をそこまで慕うのは不自然だ。ダリス、違うだろう?思い出せ、サイリルのあの炎を」
「なにを………!?」
ダリスは頭を抱えた。その時彼の座っていた椅子が音を立て、莢がまず、廊下に躍り出た。続いてリオン。莢は兵士達の口を塞ぎ、短刀で、その喉を掻き切った。血しぶきが上がり、服が血で汚れた。リオンも同じような動作で兵士の息を止めてしまうと、部屋のドアを開けた。
部屋に入る寸前、ウッドロウは通りを歩き、明らかに宿舎へ戻ってくる兵士達の姿を見た。その顔が歪む。しかしルーティ達はそれに構ってはいられなかった。
「違う!俺は警備隊長だ……!ダリス様に仕えてきた!」
ダリスが吠えた。その手は腰に携えた剣に伸びた。ルーティはダリスの名を呼び続けるマリーを庇うようにその前に立ち、莢とリオンが剣を抜く。
莢が振った剣は、剣を抜いたダリスの頭身に辺り、金属音が響いた。リオンはその横から容赦なくダリスの腕を切った。吹っ飛びはしなかったものの、大分深くまで斬れたろう。ダリスはその勢いで転倒した。莢はその上に馬乗りになり、痛みから呻こうとするダリスの口を塞いだ。
「く、ぅ……」
ダリスの口から苦しげな声が聞こえた。くぐもった声だったが、しかしその目は、マリーを見上げていた。
「な、ぜ……戻って、きた……」
「ダリス……何を馬鹿なことを……そうだ、そもそも私が、お前を放っておけるはずがないんだ。お前が私を愛してくれたように、私だってお前を愛しているから」
マリーが微かに微笑んだ。莢はゆっくりとダリスから離れた。それと同時に、マリーがダリスの側まで歩き、膝をついた。命には触れない傷だからだろうか、そ、とダリスの首に腕を回し、濃い色の髪を手で梳いた。
「……とても言い辛いんだが……」
それを中断させたのは、ウッドロウの声だった。
「兵士達が宿舎に戻ってくるのが先ほど窓から。今は早くここを離れよう。ダリス殿の怪我のこともある。スタン君、君からだ。そこの窓から逃げるぞ」
「え!ここ二階ですよ!?」
「大丈夫だ。雪はそれ以上に積もっている。早く、時間がない」
せき立てるウッドロウに、スタンはその勢いに圧されるようにして飛び降りた。何か鈍い音がして、呻く声が聞こえた。だが、怪我はないらしい。莢が窓から覗くと、元気よくディムロスを振っているスタンが見えた。
早く降りるようこまねかれ、スタンが退いた瞬間を見計らって、莢が。その次にルーティ、スタンが受け止めてフィリア、ダリスを庇うようにウッドロウが、そしてマリー、リオン。
リオンが窓枠を蹴った瞬間に兵士達の声を背中に受けたが、皆はそれに構わず、ウッドロウが導くままに走った。
ウッドロウが案内したのは、とある家のとある部屋。そこのベッドを動かすとぽかりと、通路が顔を出した。
「ここだ」
ウッドロウが先にその階段を下り、一番最後に降りたスタンが、ベッドを元の位置に戻した。
「ウッドロウ様!」
小さな声で、男の声が響いた。通路は狭く、視界が余り利かない。
警戒したスタン達を、ウッドロウは抑えた。
「ダーゼンか。……彼は私の父に忠誠を尽くした臣下、ダーゼンだ。ダーゼン、神の眼を追ってセインガルドから客員剣士殿が来て下さった」
「おお!では今こそ、グレバムを討つ、その時……!」
「そうだ。……だが、先ずは奥まで行こう。ここでは何かと不便だ」
「畏まりました」
ダーゼンと紹介された男は、手持ちのランプをかざして先を歩き出した。石で整えられた通路は綺麗だが、やはり寒さを感じる。通路を暫く歩くと、急に視界は開けた。
灯りが煌々と付けられ、人々が身を寄せ合って、毛布などにくるまっている。ウッドロウはその姿を見せることで一度、民を安心させた。
ウッドロウが民一人一人に声を掛けて行くのを見ながら、莢は息をついた。
「どうした」
「……ウッドロウさんみたいな人が王様になったら、凄く、安心だろうな、って。この騒動に関わった全ての人が、争いを起こして良いことは何もない、って……何よりも平和が愛されなければならないって、知ってる。そんな人たちが暮らす国って、きっと、良くなると思ったの」
それは何よりの教訓だろう。リオンはダーゼンから譲り渡された貴重な水を口に含んだ。それを自然な動作で莢へ。
「……ウッドロウなら出来るだろう。それだけの才知もある」
莢もリオンと同じように水を飲んだが、それを終えると、酷く驚いたようにリオンを見た。何だと促したリオンが受けたのは
「リオンって、人、褒められるんだね」
と言う、言葉。リオンは心外だ、と憤慨して見せた。
「僕だって礼を言うに値すると思えば礼を言う。褒めるに値する時は、褒めるんだ」
「うん……。でも、なんだか意外な気がして」
乾いた笑いを零しながら笑う莢に、僕をなんだと思っているんだ、とリオンは鼻を鳴らした。
「……でも、私って、リオンのこと、何も知らないんだよね」
「記憶がない莢から見れば誰だってその状態だろうが」
またも淀みなく言われ、莢は苦笑した。
ダーゼン達の慎重な調べにより、グレバムの居所は既に突き止めてあった。何時か討ってやろうという悲願を一身に受け、莢達はそこを出た。
ダリスの傷の治療は民に任せ、マリーはそれに付き添って、残った。記憶の戻ったマリーをルーティはしきりに気にしていたが、いざ出発する時になると、直ぐに戻ってくるから、と笑みを見せた。
幾重もの仕掛けを、ウッドロウは手際よく解いていった。元々王族なのだから、城のカラクリには精通しているのだろう。敵もまったくと言っていいほど出ず、スタン達は迅速に、歩を進めた。
「グレバム!」
通路を抜け、壁の一部が開いた。グレバムは一瞬だけ驚いたように目を見張ったが、直後笑った。
「何がおかしいのよ!」
「クククク……神の眼、そしてソーディアンを手に入れた私に、最早敵などいない!!!」
「!来るぞ!」
グレバムが声高に笑った後、神の眼から光が発せられた。その光は渦のように大きくなって行く。
『放っておけば只ではすまないぞ!スタン、何をしてる!早くしろ!!!』
「こんな時まで怒鳴り散らすなよ!食らえ、魔神剣ッ!」
「まだだ!疾風!!」
スタンが放った剣圧と、ウッドロウの矢がグレバムに向かって飛んで行く。莢はサイドからグレバムに斬りかかろうとした。
「甘い!」
「!」
それよりも早かった。神の眼から溢れる光はグレバムの持つイクティノスの力を引き出し、風の刃が全てを打ち砕き、莢の身体に傷を付けた。
「ッ、飛燕連脚!!」
「ぐ、ぁっ……」
リオンがそれを庇うようにグレバムの足を払い、下段からシャルティエを振る。グレバムを捕らえたそれはまた浮いたグレバムの身体を上段から切りつけ、床にたたきつけた。
「リオン、避けろよ!魔王、炎撃波ァ!!」
咳き込んだグレバムを次に襲ったのは、スタンがディムロスを払った際に勢いよく吹き出した炎。しかしそれは大してダメージにはならなかった。
「っくくく……」
斬られても尚、グレバムは笑みを崩さなかった。フィリアはクレメンテをグレバムにかざした。
「サンダーブレード!!」
落雷。明らかに死に至らしめるには十分なほどの電力は、全て神の眼に吸い込まれた。グレバムに付いた傷も、心なしか浅いような気さえする。
「そんな……!」
「ふははははははッ!今更私に刃向かっても、無駄だ!!!」
グレバムは言って、イクティノスをかざした。しかし、誰よりも早くウッドロウが異変に気付いた。
「アレは………!?」
神の眼を包むほどに大きくなった光が、グレバムに向かい始めていた。驚きは皆に伝わり、その顔が次々に驚愕のそれへと取って代わる。一番近い位置にいたスタンと莢、リオンの三人は間近で、その様子を見ていた。
「な、なんだこれは!!!」
グレバムも異変に気付いたのか、自らの身体を顧みた。
神の眼から発せられている光はグレバムの身体を包もうとしていた。男の顔が歪んだ。まず、神の眼に近い左手が。次に左腕が、ボロボロと、まるでパンでも千切るように、細かく砕けて行く。
グレバムは痛みすら感じないのか、ただ恐怖にその顔は引きつった。
フィリアとルーティを庇って、ウッドロウは二人を自分の後ろへとやる。リオンですら、顔をしかめるほどの。
グレバムの肉が次々に神の眼へと向かって、消えて行く。後を追うように突き出た骨も、一節一節、崩れながら運ばれて行く。体液ですら、浮いて消えていく。グレバムは何かを取り払うように、イクティノスを握りながら、消えて行く腕を振り払うように動かし、後退った。しかしその表紙に骨折でもしたかのように、グレバムの下半身と右腕は崩れた。
「……!」
莢が息を呑んだのが、近くにいたリオンに伝わった。
もげたその部品らはすぐさま形を崩しながら、神の眼へと吸収された。後に残ったのは、宙に浮いたまま蝕まれて行くグレバムの上半身と、イクティノス。
「莢、これ以上見るな」
リオンが、そのマントで莢の顔を覆う。しかし、莢は見た。マントの布の、合間から。強すぎる光に浮かぶシルエットが、遂に崩れて消えて無くなろうとしているのを。そしてやはり鮮烈に莢の目に残る。グレバムの頭部が、分解されていく。脳が、眼球が、歯が、更に細かくなりながら、小さく圧縮されて行くのを。
イクティノスが落ちる音がした。だが、誰一人としてその場から動けはしなかった。
余りにも呆気ない終幕を迎えた。須く悪事を行った者達は全て粛清された。首謀者は、神の眼自体によって。
リオンはそれにあるものを重ね、目を細めた。その脳裏に、卑劣に笑う影が見えた。
200-/--/-- : UP