運命という名の、絶望
静かだった。しかし突如、消えかけていた光が再発した。
「何!?」
『オーバーロードだ!!』
ディムロスが叫ぶ。リオンは小さなディスクを取りだした。それをシャルティエに取り付け、他のソーディアンにも付けるよう促す。
「神の眼の暴走を抑えるようレンズを組み込んだ、特殊ディスクだ。ソーディアンにそれを付けて、四方へ立て」
早くしろと、四本が四本とも急かし立てるのを耳に感じながら、それぞれが神の眼の周りに立った。
「ソーディアンを掲げろ」
掲げられたソーディアンはそのコアクリスタルから淡い光を放ち、莢の耳に嫌な金切り音を残して、暴走を止めた。
こうして、旅は終わりを迎えた。
Event No.27 笑顔
淡く浮遊するような感覚に、莢は目を開けた。
"……"
莢を伺う気配が、する。夢か、と莢は心地良さに目を閉じた。それは回転しているようでもあり、浮いているようでもあり、そしてまた落ちているようでもあった。
"……すみません……"
謝罪の言葉が響いた。莢は目を開けなかった。
"想像する以上に力は大きくなっているようです……"
何かを危惧するような、警告めいた声色だった。そこで、莢の意識は急速に覚醒へと向かう。
"記憶が戻れば……まだ旅は…………何時になるか……"
その声は、莢には届かなくなった。ノイズのような何かがその声の振動を邪魔している。莢は何を言おうとしているのか聞きたかったが、引きずり込まれるような感覚を覚えて、目を開けた。
「大丈夫か?」
リオンが、莢の顔を覗いていた。莢は上半身を起こすと、辺りを見渡した。それを受けて、リオンが息をついた。
「神の眼を鎮めた直後、突然倒れたんだ。覚えてないのか?」
「ん……痛っ……」
半分寝惚けたように莢は生返事を返したが、頭が軋んで、顔をしかめた。
「既にウッドロウ達はハイデルベルグを解放しに行った。スタン達はグレバムに寝返った兵士共の捕獲。……ウッドロウの臣下達に神の眼を運び出すよう手配を頼んだ。もうじきに来るだろう」
「……?何で帰るの?」
「グレバムが乗っていた飛行竜が確認されている。あれがあればダリルシェイドまで直ぐに着ける。神の眼を運ぶのも、陸路よりは遙かに効率が良くて危険も少ない」
リオンの説明を聞きながら、莢は起きあがった。ややふらつく身体は揺れに揺れ、肩が思い切りリオンにぶつかった。
「ごめ……」
「いや……。それよりもお前はどこかで体を休めておけ。そんなにふらついていると離陸する時辛いぞ」
「ううん……大丈夫」
莢は一度細かく頭を振った。そして大きく緩やかに息を吐いた。そしてリオンを見る。
「リオン、嬉しそう。早くダリルシェイドに戻りたいって、言ってたもんね」
「ああ。暫くは休暇も貰えるだろう」
肉体的にも、精神的にも、あまり余裕がない旅であることは確かだった。二人はどちらともなく、歩き出した。開放された城を歩いていくと、ダリスと出会った。
「身体は、大丈夫なんですか?」
莢は声を掛けた。ダリスは莢とリオンの姿を捕らえると、頭を下げて会釈をした。
「………君達に迷惑を掛けてしまったな…つい先ほどルーティという少女に傷を癒して貰ったばかりだ。重ね重ね、申し訳ない」
「いいえ、気にしないで下さい」
気弱く微笑むダリスに、莢は笑顔を作った。リオンは、ダリスに投げかけた。
「恐らくはマインドコントロールの一種だとは思うが……記憶が改ざんされた時のことは覚えていないのか?」
「面目ないことだが……はっきりとは記憶していない。矛盾を矛盾と思うこともなく、自分でもどうしたらあれほど真正面から、歪められた記憶を信じることが出来たのか……。だが、今はもう大切な記憶を共有する人が共にいる……。グレバムに操られていた事を恥じ、これからはファンダリア国王に忠義を誓おう」
ダリスは言って、微笑んだ。それから自分に少しでも出来ることがあるなら、と申し出た。莢は一度リオンの顔色を伺って、リオンが好きなようにしろと何も言わないのを確認すると、
「それよりも、ダリスさんは、マリーさんの側にいて上げて下さい。それが一番良いと思います」
そう言って、ダリスは、また微笑んだ。愛しい人を思う時の顔だった。ダリスは一時の別れを告げ、莢達に背を向けた。
記憶を共有出来る人。
莢にとっては、数少ない、大切な人。この旅に関わった人皆が。
「リオン、神の眼が運び終わるのは何時くらいになりそう?」
「大きさが大きさだからな。……まぁアイツらが帰ってきた頃には出発出来るだろう」
「それまでは?」
「僕は神の眼を監視する。莢は休んでも良いが、あちこち歩き回るほど余裕があるなら僕につき合え」
「了解」
有無を言わせないほどのリオンの声に、莢は嫌な顔一つせずに、笑みを返した。
その後二人は兵士達やマインドコントロールを受けたというダリスの件について、少し話した。戦闘能力のある者は得てして、自分がどう動けばよいか分かるもの。つまり状況を見極めることが出来る者。それはきっと、強大な力という誘惑を持ってしても、動かし辛かったに違いない。自分が為すべき事は何かを心得るものほど、手強い難攻不落の城はない。そう言う者に対して、グレバムは何かの装置を使って記憶を錯乱させたんだろう、と言うのがリオンの推測だった。
「………もう、こんな事無ければいいね」
莢は、直径六メートルほどのレンズを見上げた。今は大人しいオブジェは、二人の持つ灯りによって怪しく煌めいた。
「…………」
リオンは莢の言葉には答えなかった。答えるには安易すぎるような気もしていたし、何よりもリオン自身、それに応えることなど出来はしないと、理解していたから。
「リオン?」
しかし、莢に名を呼ばれて、リオンはレンズから目を離した。
「…………そうだな、こんな面倒はもう、二度と御免だ」
歪んだ顔でリオンがそう漏らすのを、莢は見ていた。真っ直ぐに向けられたリオンの目が、莢のそれを捕らえて放さなかった。
それから神の眼を運び終わり、スタン達が戻るのを待って、リオンは飛行竜に乗り込んだ。ファンダリア国王として私も乗せてくれというウッドロウの言葉に応じ、そして、マリーのティアラを外した。外したティアラはリオンの手によって持ち運ばれる。
「すまないな、ルーティ」
「良いのよ。それよりも……幸せになりなさいよ?」
ルーティが、笑う。それから、飛行竜に乗り込んだ。ダリスとマリー、そしてダーゼン達が見送る中、莢達はファンダリアを後にした。
莢は飛行竜の中を歩いていた。そう言えば世界一周したことになるんだな、と、少し感慨深げに、笑みがこぼれた。
莢は目的の部屋まで来ると、そのドアの前でノックをした。返事がないのは心得ているのか、そのままドアを開けた。
「リオン、大丈夫?」
慣れないのか、リオンは飛行竜の操作をこなした後、気分が悪いとベッドに入っていた。莢達が思うよりもずっと飛行竜は高性能らしく、目的地に照準を合わせると、後はそこまで自動で飛ぶのだという。
神の眼を鎮めたために眠ってしまったというシャルティエは、今は喋らない。飛行竜が物凄い勢いで飛ぶ轟音は別として、静かな部屋の中、莢は少し布団をめくって、リオンの顔を伺った。そこから覗くのは、何時にもまして不機嫌そうで、けれど具合の悪そうな疲れた顔。
莢は冷やしたタオルを、リオンの顔にそっと当てた。リオンが目を瞑り、仰向けに寝直す。
「客員剣士でも、飛行竜って、乗らないものなの?」
素朴な疑問と言った所だろうか。リオンはしかし、辛うじて五月蝿い、と声を出しただけだった。それも小さくて、何故だか頼りなく聞こえた。
同い年の少年、と言った所か。莢は不意に笑ってしまった。
ベッドの中から何か訴えるような、恨みがましい目が莢を見る。それでも莢は、笑みを隠すことが出来なかった。
「リオンって何歳?」
気分が悪いのを承知で、そう尋ねる。リオンは16と答えた。同い年だね、と莢は笑った。
「今のリオンは16歳の顔してるよ」
嬉しそうに笑う莢を、リオンは見ていた。その目が、微かに揺れた。
リオンの中で、莢と、想いを寄せる女性の姿が重なる。完全に重なりかけた時、リオンは目を閉じた。
嘔吐感と平衡感覚が崩れる違和感を感じる中で、その笑顔が崩れる悪夢。
きっと、この病みきった少年がこんなにも弱っているのは、その所為だろう。
飛行竜は程なくして、ダリルシェイドに到着した。リオンは速やかに王に謁見を申し込み、帰還の報告を兵士に告げる。次いでファンダリア国王が見えていることも告げ、城は急に騒がしくなった。
セインガルドの兵士達が飛行竜の場所まで来た後に、リオン達は城へ移動した。いい加減にティアラを外しなさいよ、と言うルーティの抗議に、リオンは王の謁見が済んでからだと告げる。
ここまで来たら何時外しても同じだろうとルーティは思ったが、電流については体験済みだった所為で、反論することはなかった。
「良くやってくれた。礼を言う」
謁見の順は、直ぐに回ってきた。そう手配してくれたのだろう。セインガルド王の前で、皆は一様に頭を垂れた。
「貴殿達は世界の危機を未然に防いだ英雄だ。そう畏まらずとも良い」
「有り難き幸せ」
リオンは恭しく、更に頭を下げた。無礼を告げ、立ち上がり、同じく立ち上がったウッドロウを前に出して、リオンは言った。
「ファンダリア王国第一王子ウッドロウ・ケルヴィン様がこの度、王位を即位され、僕たちと同行することを所望されましたので、ご同行願った次第です」
「うむ」
リオンの言葉とセインガルド王の相づちの後、ウッドロウは礼をして、名を名乗った。それに加えて、今回の騒動での神の眼の管理不届きの責任やファンダリアとの交友関係をざっと話した後に、また頭を下げ、下がった。
「ファンダリア国王よ、わざわざこのダリルシェイドまで足を運んで頂いたこと、感謝する。そして……リオン達、長旅、ご苦労。報酬はヒューゴから受け取ると良い」
「王からの労いの言葉、光栄の極み。では失礼ながらこれにて」
最後に皆はリオンに習って、深く頭を下げた。
取り敢えずはヒューゴ邸へ移動と言うことで、ウッドロウにも同行して貰い、そこへ移動することとなった。ドアを開け、今帰ったとリオンが告げると、奥から、黒髪の穏やかそうな顔をして女性が出てきた。
「お帰りなさいませ。ご用件は伺っております。ヒューゴ様がお待ちですので、どうぞこちらへ」
その声は、莢がここを発つ時に聞いた女性の声だった。
この人が、マリアン、さん。
莢は口の中で、呟いていた。綺麗な人だと、感じた。
そのマリアンに案内され、リオンは食堂のドアを開けた。そこには、大きな袋を机に置いた、ヒューゴの姿。
柔らかい笑みでやはり皆に労いの言葉を与える。だが、莢にとってその姿は、何か裏を感じるものでしかなかった。謁見の間での、恐怖の中で莢が見たあの目は確かに、冷酷に歪んでいた。
「さて……それでは約束だ。君達の自由と共に、我が国王からの好意を受け取って欲しい。これはオベロン社からの報酬も兼ねているのでね」
ヒューゴはそう言うと、マリアンに一度食事を持ってくるように言って、皆を席に着かせた。その前に、ティアラを全部外してルーティ達を解放させた。
「はーっ!やぁっと肩の荷が下りたって感じ」
「ほう、荷を感じるほどの神経があったのか」
「失礼ね!」
「はいはい、その辺で終わりね」
リオンとルーティの小競り合いを莢が諫め、改めて席に着く。
そして大きな革袋一つ一つをルーティ、スタン、フィリア、莢、そしてリオンに手渡された。マリーの姿が見えないことでヒューゴは首を傾げたが、マリーの分はウッドロウが渡しておこうと言うことで話が決まった。
革袋一つ分の報酬は、それはもう大金だった。身に余り光栄、とはこのことなのだろうか。命を賭していたものの、スタン達にとってしてみれば、この金額はただただ驚愕するばかりのものでしかなかった。
メイド達が次々に食事を運んでくる中で、スタンが唐突に、ヒューゴを呼んだ。
「あの……俺、田舎に……リーネに帰ろうと思うんです。そんなにお金も使わないと思うし……必要な分以外は全部、ルーティに渡しても良いですか?」
「え?」
意外なスタンの申し出に、ルーティは目を丸くさせた。ヒューゴは少し考える仕草をしてから
「報酬の使い道はこちらから指定出来るものではないよ。勿論だ」
「有り難う御座います」
スタンは礼を言うと、ルーティの方に、革袋を動かした。必要な分だけ、と小さな袋にガルドを詰める。それを見ていたフィリアは、私も、とルーティの方へ革袋を動かした。
「ちょ、ちょっとちょっと!」
待ってよ、とルーティは言う。スタンは不思議そうに首を傾げた。
「レンズハンターやってるくらいだから、お金、必要なんだろ?」
「スタンさんの言う通りです。お金を使わない人の元にあるよりは、必要としている人にこそあるべきですわ」
二人の言葉に、ルーティは言葉を詰まらせた。少し、頬が高揚しているのは嬉しい所為だろう。
「……なんて言ったらいいのか、わかんないけど…………ありがと、ね」
最後は少し照れくさそうに目線をそらして。けれどその目が光っていたのは、間違いではなかった。
「さて、食事をしようか。ゆっくりしていって貰っても構わないのだが、ファンダリア国王という貴殿にとっては、そうはいかないだろう」
「心遣い感謝する」
ウッドロウは会釈をした。皆は疲れ切った体を休めながら、知らず緊張していた精神を和らげた。終わったのだ。それだけが嬉しいようでもあり、また仲間との別れを意味することを思って、寂しいようでもあった。
食事の最中、ヒューゴは莢に眼を向けた。
「時に……莢君は、剣術に秀でているようだね。何でも、旅で何度も、リオンをサポートしていたとか」
「そんな……」
恐縮した莢に、ヒューゴは笑った。嫌味のない笑みだった。莢が、本当にこの人はあの容赦なく電流を流し込んだヒューゴなのだろうか、と、疑いたくなるほどに。
「君の記憶がないのは、ここを発つ前に調べさせて貰っていてね。それで相談なのだが……今後も、リオンの部下として、支えてやってくれないだろうか」
その言葉に身体を強張らせたのは、リオンだった。一瞬だけ、その顔が落ち込み、歪む。だが莢は、それを見ながらも、頷いた。莢にとって、手段はそれしかないように思えた。
「すまないね。急にリオンと同等、となってしまうと、色々睨まれるだろう?」
ヒューゴは苦笑すると、また食事を口に運ぶ。莢は構わないです、と首を振った。
「あの、私はどこかお部屋でも借りられるのでしょうか?」
「ああ。この屋敷をリオンと同様、好きなように使ってくれて構わないよ。衣食住はこちらで保証しよう」
ヒューゴの笑みに、莢はそうですか、と微かに笑みを零した。そして
「じゃぁ、私の報酬も、ルーティに」
言って、これ以上世話にはなれないと慌てるルーティを押さえ込んで、革袋を渡した。
リオンは呆れたが、満足そうな莢の顔を見ては何も言えず、そのまま黙って運ばれてきた食事を口に含むしかできなかった。
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