光の旋律
「目覚めよ、リオン・マグナス」
その声が聞こえて、かつてのリオン・マグナスは意識が浮上するのを感じ取った。少し呻き、今まで感じなかった重力に反して、上体を起こす。
少年はそこで、自らの姿を見た。
漆黒の衣を纏い、反して不気味なまでに白い骨の、被り物。身なりを確認すれば、レイピアの類だろう、細身の剣と、護身用なのか短剣が腰に据えられていた。
『……どういう事なんでしょう?』
少年が背中に違和を感じた瞬間、それは喋った。さぁな、と少年は息をつく。
「何にせよ……死に損ねたか」
『そんな言い方はよして下さい』
少年の声に、剣は諫めるように、語気を強くした。少年は上辺だけの謝罪を述べ、薄暗い辺りの様子を伺った。どうやら何処か広い室内の上部のようだ。円柱のようにのびる部屋の、少し出っ張った場所に、少年は横たわっていたらしい。
「……」
静まりかえり、辺りからは何も聞こえなかった。ただ空気が存在する音と、少年の血潮、呼吸が響く。衣擦れの音も酷く大きく聞こえた。
「……シャル」
『はい?』
少年は、片膝を抱えて、骨の仮面から除くその目を伏せた。
「僕は……最後まで彼女に甘えてしまっていたのかも知れない」
唐突な言葉に、剣は少しばかり困惑した。少年は言葉を選び、考え、自分の中で整理しているようだった。剣は続きを待った。
「彼女に全てを語って僕の身の上を話した所で……。僕は彼女から何を得たかったんだろう?……彼女が拒絶しなかった今までを良いことに、僕の暗いものを彼女に押しつけて、僕は彼女の気持ちは少しも考えなかった。敬意を抱きながら、僕は彼女に一方的に自分の過去を押しつけた。……………シャル、僕は後悔はしていないんだ。ただ、18年経った今でも……いや、身体と思考が戻った今、改めて自分の行動を恥じている」
『……』
そう。少女が対等でありたいと願った少年への想い。少年もまた少女に、同じ思いを抱いていたのだ。だからこそ、まるで同情を誘うかのような一種の甘えを、少年は恥じていた。
「時代は変わった……。僕は何故あの時せめて彼女だけでも突き飛ばして、生かしてやれなかったか、考えている」
一緒に死んで欲しいなどと言うことはなかった。ただ、少女が望んだことを、少年は叶えてやりたかった。必死に、少年だけに向けられていた想いを、少年は。
ただ、それが正しかったのかどうかは、少年にも分からなかった。
「自己嫌悪など、とうに慣れていたと思っていたのに」
『……坊ちゃん』
剣は、少年に取られ、その目の前にかざされた。そしてそこから、少年に語りかける。
『それは違いますよ。恥じる必要なんて無いんです。人間は誰だって、自分のことしか考えられないものです。利害が一致して手を組むことを、友人だとか仲間だとかと言う言葉で、まるで綺麗なもののようにしているだけです。人間は、考える生き物です。だから、綺麗で嬉しい気持ちも持っているし、汚くて、誰にも見せたくない気持ちも持って居るんです。両方、同じくらいにね。……ただ、汚いものばかりに目がいってしまうだけで』
その言葉は、かつて劣等感に苛まれたシャルティエ自身の、心から感じた言葉だったのだろうか。だが、その言葉に嘘はなかった。
『余裕があって、初めて人間は自分以外の他人に、優しさを見せることが出来ます。手を、差し伸べることが出来ます。あの時きっと坊ちゃんと莢は、どちら共に余裕が無かったんです』
「そうかもな……」
少年は苦笑した。少し、真っ白な骨が動いた。
「何にせよ、所詮は死人だ。与えられたのは既に死を殺した永久の時か、ごく限られた時間か、どちらかだろう。……きっと、それだけでは到底足りない。でも、今こうして存在している僕に意味があるのなら、それは―――――」
少年はそこで、剣を仕舞った。
気配がする。二つ。随分と賑やかい。高い声と、男の声。
「……」
少年は少し身構え気配を絶った。瞬間、開け放たれた階下の扉。直ぐに扉が閉まる音が聞こえ、しかし先ほど少年が感知した気配は、部屋の中に。
「だぁーかーらぁっ!誤解だっつーの!」
「もう聞こえないよ、ロニ……」
そして少年は、その人声にある単語を見いだし、姿を見せることになる。
Event No.33 軋む歯車裏の疑惑
莢とアルフレッドがハイデルベルグを出て、もう二日ほど経っていた。アルフレッドがいるお陰だろうか、それともハイデルベルグを出る直前確認した地図の御陰だろうか、手探りで進むようにしてハイデルベルグに着いたのとは違って、二人は順調にダリルシェイドに向かって進んでいた。
途中小さな小屋があり、二人はそこで休ませて貰ったのだが、莢はこれ以上ないほど焦った。小屋の主は彼のチェルシー・トーンであり、以前の御転婆さは激減したものの、危うく莢の名を出されそうになったのだ。何とかマリアであることを説明して、その時は事なきことを得たのだが。
不安だな、と莢はクレスタにいるというルーティを思い浮かべた。
「見えた。あれがダリルシェイドだよ」
莢はアルフレッドの声で、意識を目に向けた。そしてその目からは、アルフレッドが説明したように崩れ去ったダリルシェイドが、寂しく佇んでいたのだった。
莢はアルフレッドを見上げて、アルフレッドが息をつくのを見て、走り出した。莢の剣の腕を認知したアルフレッドは、その後に続いて走る。
莢の視界の中で、全壊したダリルシェイドが大きくなる。巨大な城はもう跡形もなく、大方は外殻に埋もれてしまったのだろう、街の面積は明らかに小さくなっていた。
「……」
暫く走ってその場所まで行くと、莢は立ち止まった。悲痛な顔をしている住民。否、今は難民と呼んだ方が良いのだろうか。
「大きな街だったから……」
莢の後からやってきたアルフレッドは、活気に充ち満ちていたのを砕かれ、復興する気力も残っては居ないのだろう、と街だったその場所を一望した。
莢はそれに何も言わず、真っ直ぐに、城のあった場所まで歩いた。
「マリア?」
アルフレッドが訝るのも構わずに、城の周りにあった堀を確認して、そこに掛かっていた橋の残骸も確認して、莢は飛んだ。危なく揺れる瓦礫を、次々に踏み越え、城の、謁見の間があっただろう場所まで。
瓦礫の合間から褪せた、赤い布が見える。莢はそこで拳を作った。その拳は、真っ直ぐに下がった莢の腕の一番下で、小さく震えた。
「……」
城は嫌いだった。だが、莢の記憶の中にあるのは、国のため、人々のために城を支えていた七将軍と、悪い足にも関わらず、如何なくその才気を発揮した、セインガルド王の姿だった。それは飽くまで莢の中の記憶であり、実際に莢が彼らの働きぶりを見ていたというわけではなかった。しかし、莢はそれでも、やるせなかった。
もし生きていたら、もし記憶が早くに戻っていたら、こんなことにはならなかったのではないか?しかし莢は実際に生きては居なかったし、外殻が落ちてくる場所を的確に当てるなど、出来るはずもなかった。
これで、良かったのだ。皆は最善を尽くし、そして死んでいった。名誉ある死だ。褒め称えられるべき、死だ。
だが、それがどうしたというのだろう。
名誉も何もかも全て、後に残った者達が判断して飾られてゆく、虚偽に過ぎない。
誰も七将軍やセインガルド王の人柄を知っているわけではないし、そしてそれは世界の敵であったヒューゴ達にも言えることだった。
莢は、やるせなかったのだ。
人はこうも簡単に自分たちに必要な事実をすくい取り、自分たちの必要な伝説を作り上げてしまうものなのだと。
死というものは、人を神格化なり、美化なりと、それなりに飾ってしまうものだ。
死とは、飽くまで死であるに過ぎない。ただ、人はそれで納得しない。
今の時代に語り継がれる、18年前の物語。それはそのようなことを全て含んだ、そんな伝記だった。
「……どうした?誰か、大切な人でも?」
莢の行動に慌てたアルフレッドは、莢の側まで来ると、そう声をかけた。莢は、少しの間答えられなかった。だから、黙っていた。
「……」
アルフレッドも、黙る。莢はその場で、手を合わせた。
戦いの場に赴く立場だからと言って、早くに死ぬわけではない。突発的な事故で死ぬ確率の方が、莢の居た場所では多かった。兵力とは飽くまで国同士の威嚇の手段に過ぎず、それは武力にはなり得ないものの筈だった。そんな世界は哀しすぎる。だが、この世界もまた、哀しい気がした。
否、きっとどの世界でも、どの社会でも、真実はいつの間にか伏せられていて、それは実は世界の暗黙の了解で、莢はそれを知らずに育ってきただけなのかも知れない。だから今こうして、作られた歴史と、その上で成り立っている世界を見て、愕然としたのだ。
「……御免なさい、もう一つ、行きたい場所があるんです」
「いいよ。………大丈夫?」
「はい」
莢は小さく礼を言って、そこから去った。向かったのは城から直ぐ近くの、大きく残骸を残す場所。
「……ここ……」
「ヒューゴ邸」
莢は短く言うと、何の躊躇もなくその屋敷に入った。幾分が埃臭いのは、莢の気のせいだろうか。莢は少し湿った空気を感じた。
壊れきったその場所でも、どことなく間取りを思いだし、感じてしまうのはどうしてだろう。短い間ながらも、しかし莢はマリアンとエミリオが笑いあっていた光景を思い浮かべた。
リオンがそれを捨て、エミリオが笑う時。それは、マリアンとのお茶を楽しむ時。周囲に誰もいない状態で、名前を呼ぶ時。少し、話をする時。マリアンが笑う時、エミリオは笑った。心からの笑顔だった。安心したように、幸せそうに、エミリオは笑う。今は、莢の記憶の中で。
「マリア」
莢の頭に、温かな手が被さった。
「泣きそうな顔してるよ」
「……そうですか」
莢はそんなつもりはなかった。ただ、そんなことはないと言ったつもりの言葉が驚くほど弱く聞こえ、俯いた。アルフレッドは、黙って莢の頭を撫でた。
「……………?」
俯いた莢の下に、何かが見えた。莢はそれを拾い上げて見る。本の切れ端のようだった。アルフレッドも不思議そうに、それを見る。湿っているが、殆ど乾いているようだ。インクは水で滲み、殆ど読むことは出来なかった。
しかし莢はその切れ端に、懸命に目を通した。そして、その目を見開く。次の瞬間、莢はかつてヒューゴの書斎になっていた場所を記憶で探り、その場所に積もる瓦礫を退けようとしていた。
「なんかあった?」
少し驚いたアルフレッドの声。だが莢は、取り敢えず瓦礫を退けるように言って、その下を見つめた。もしかすると、もう18年も経っているのだ、本などと言うものはとうの昔に誰かが持ち去って金に換えているかも知れない。風化して崩れ去っているかも知れない。それでも莢は探したかった。
「……!あった」
そして、莢は見つけた。少し大きな瓦礫に覆われるように、散らばった本の切れ端を。内容はてんでバラバラだった。だが莢はその中から見た。
「これだ……」
「何?」
莢が手にしていたのは、ソーディアンに関する本だった。始めに莢が拾い上げた切れ端には、ソーディアンの核となるコアクリスタルの文字が浮かんでいた。莢はそれを見て、アタモニ神団の奇跡と、かつて莢が体験した奇跡とを照らし合わせた。そして最終的なパーツは、ソーディアンによる昌術だった。
それもこれも、レンズが関係している。レンズの所有によって、奇跡の力とやらが使えるのならば、それはソーディアンの扱う昌術と、根底を共有するものであるはずだ。
「………」
莢はその紙に目を通した。そして見終わると、ふと、笑う。
「アル、私達も奇跡の技、使えますよ」
そうして集めていたレンズが役に立つ時が来た、と息をついた。アルフレッドは首を傾げ、どういう事か尋ねる。
「つまり………。……ここを離れてから説明しますね。クレスタはここから東でしたっけ?」
「?あ、あぁ……」
「じゃぁ、行きましょう」
莢は言って、少しばかりの食料を配給員の者から買うと、アルフレッドにも渡して、歩き出した。アルフレッドは何がなんだか分からないまま、足を動かした。
そうやって暫く歩いて、二人は二つほど、橋を渡った。もう良いかな、と莢はアルフレッドを振り返った。
「さっきの話ですが、アタモニ神団の言う新しいレンズの使い方、と言う言葉が、キーワードだったんです。アタモニ神団が使う奇跡の技、と言うのは……レンズを使っての、かつてのソーディアン達の技、昌術を扱うことです。連射は出来ないし、必要なレンズの数も威力に比例して増えると考えて良いでしょう。
そして……推測するに、聖女とやらが使えるその奇跡は、恐らく集めた大量のレンズを用いて起こしているものと考えて相違なさそうです」
「……なるほどな。その方法が外部に漏れないようにしていることからも、神団の奴等がレンズの必要性を一般人からはないように見せて、それで居てレンズによって使用出来る昌術の力で信仰心を沸き立たせることが出来る。信頼は上がる一方…」
アルフレッドは顎に手をかけて、少しばかり唸った。
「……でも何でそんなことを?それじゃまるで、アタモニ神団が地位とか権力だとか言ったものを強めるための工作みたいじゃ………」
「工作なんですよ」
莢は、言い切った。
「明らかに怪しいです。私の知っている知識はきっとアルよりも少ないでしょうけど、私の持っている情報全てをかき集めても、怪しさは一目瞭然です。神団でも昌術が使えるのは多分、訓練を受けた人だけだと思います。ソーディアンが、普通の人には扱えないのと同じように」
ソーディアンの場合は、高純度のレンズ故か素質の面が強かったみたいですけど、と莢は言った。アルフレッドは感嘆して
「疑いもしなかったな。宗教だと思って全然無関心だった」
「そこが狙いなんかも知れません。ですが、レンズが一所に集まりというのは良くないことです。さすがに18年前の神の眼よりも凄いレンズはないと思いますが、数が数となると、それも怪しいですし」
「……だから陛下は、集めたレンズをアイグレッテに持っていこうとされなかったのか」
アルフレッドは推測して、莢はそれに多分ですけど、と肯定の意を示した。
「兎に角、人を救って幸せにする、だなんて言うのは上辺だけなのかも知れません。もしかするとそれも目的の一つなのかも知れませんが……聖女とか言う人が本当に一番に目指すものは、きっとそれではないはずですよ」
莢は言って、
「……ますますアイグレッテに行かなくちゃ行けないような気がしてきました」
フィリアと話が出来たら、と莢は口の中だけで呟いた。アルフレッドはそんな莢の様子を見て、
「じゃ、俺はその旅のお供を仕りますか」
「え?………あ、そんな、良いですよ、私の深読みかも知れないですし」
「いいや。何より面白そうだし。……マリアの考え方とか着目点があんまりに意外性があってさ、もっと側にいて、それに触れたいんだ」
自分の面倒は自分で見るようにするから、とアルフレッドは笑う。
「……死んじゃっても文句は言えませんよ?」
「うあ、死ぬのは御免だな」
アルフレッドは顔をしかめて、その為には昌術とやらの練習をするべきだな、と歯を見せて笑った。
そこから、クレスタに着くまでには数時間かかった。日没が近づくと共に二人は走り、何とか夜の帳が降りる頃にはクレスタの街に足を踏み入れることが出来た。
「ふぅ……じゃぁ宿を取りましょうか」
莢は無駄だとは知りつつも、そう聞いた。当然アルフレッドが出した答えはNO。
「はいはいそれは却下でーす。無駄な経費は使わないんだろ?」
「……」
「よって俺の孤児院に来る。これ、決定事項な」
ファンダリアの国民から徴収した税金使うか、と尋ねられ、莢は卑怯者!と声を上げた。出来るだけ干渉は無しにしようと思ったのに、これではまったくと言っていいほど、その決意は無駄なものになるじゃないか。莢は思いながらも、税金をくだらないことに使う気にはどうしてもなれず、渋々、アルフレッドの後についてクレスタの街を歩くのだった。
クレスタの奥、割かし広い場所にそれはあった。大きな、しかし古びた建物。
これがルーティ達の居る家なのだと、莢は建物を仰ぎ見た。
「入って。……ルーティさん!」
アルフレッドは家に入ると、ルーティの名を呼んだ。莢はまずい、と言う顔をしたが、それよりも早くルーティは顔を見せていた。
「アルフレッドじゃないの!」
「ただいま帰りました、ルーティさん。と言っても仕事の途中だけど」
アルフレッドは笑う。しかしルーティはアルフレッドの側までやってくると、驚きと心配の表情を消した。
「馬鹿!」
「いてっ!」
そしてアルフレッドをど突いた。莢は思わず吹き出しそうになる。
「まったく!ロニと言いあんたと言い!!どうして手紙の一つも寄越さないのかしら!!特にアル!!あんたが一番音信不通で、何度もウッドロウに手紙を出したのよ!そのウッドロウからは兵は皆元気にしているよ、なんてズレた返事が返ってくるし!!!」
「ははは……御免ってルーティさん。今日はお客さん……で良いんだっけ?を連れてきてるんだからさ、お説教は勘弁してよ」
アルフレッドは莢を紹介する際に確認するように莢を見て、莢が曖昧に笑うのを確認して、そう言った。ルーティはあらそうなの?と、アルフレッドに隠れるようにしていた莢をのぞき見た。
瞬間、ルーティの顔が強張ったのは、言うまでもないことで。
「ひ、久しぶりです、ルーティさん。覚えてますか、マリアです!!!」
莢は名を呼ばれる前に、そう自己紹介をした。
「そう緊張しなくても大丈夫だよ」
アルフレッドは二人の再会を知らずに、そう言って笑う。ルーティは莢を見て、しかしマリアと名乗った少女を見て、アルフレッドを見て、莢を見た。
「……まぁ良いわ。そうね、久しぶりね、マリア。さ、こっちに来なさいな。………お腹、減ってるでしょ?丁度今二人抜けてるから、二人分の食事があるのよ」
「へ?」
ルーティの言葉に、莢とアルフレッドは椅子に座りながら、疑問符を浮かべた。
「ロニとカイル。あの二人よ。まったく……ロニったら三年も音信不通で帰ってきたと思ったら、カイルと一緒に冒険に出るだなんて……あいつにそっくりで、呆れちゃうわ。少しはあたしに似てくれたら良かったのに」
ルーティは台所に立ちながら、苦笑した。その気配が少し寂しそうで、二人は敏感にそれを受け取る。
「……ルーティ、変わらないね」
「あら、そう?良く言われるわ。18年前と余り変わらないってね」
ふふっ。ルーティは笑う。だが、その笑いが微妙だと言うことは、莢とルーティしか知り得なかった。
「それでも……やっぱり18年って言う月日は、流れちゃってるのよね。あたしはもう18年前のあたしじゃないし、今のあたしは、今しか在り得ないあたしなんだもの」
「?どうしたの、ルーティさん。急に」
「何でもないわ」
余り物で悪いわね、とルーティは二人に食事を出した。ポテトサラダと、海鮮肉のステーキだった。十分だよ、とアルフレッドは言う。そうして丁寧に頂きますと手を合わせ、二人は料理を口にした。
「……本当に、大きくなったわね、アルフレッド。………マリアは、余り変わらないけど」
「……もしかしてマリア、18年前の争乱に関わった人みんな知り合いって言うんじゃないだろうな?ウッドロウ陛下も、マリーさんも知ってたし。18年前の争乱のことはやたら知ってる風な口ぶりだし」
「…………」
「…………」
「え、なに、本当なの?」
アルフレッドが、今度こそ、呆れたように息をついた。莢は取り繕うように、笑った。ルーティも、本当に変わらないわねぇ、と、笑って。
「言ったでしょ。あんたまであいつみたいな性格になったら困るって」
「えへへへ……。御免。でも、巻き込みたくなかったの」
「何言ってるのよ。あたしと………マリアの仲でしょ」
「ありがと、ルーティ」
思わず莢の名を出しそうになったルーティだったが、何とか持ちこたえて、言った。親しげに笑いあう莢とルーティに、アルフレッドはフォークを加えたまま唸った。
「何?俺除け者?」
「やぁだ、そんなんじゃないわよ。ただ……そうね、懐かしいのよ」
納得がいかないように唸るアルフレッドに、ルーティは苦笑した。
「……なぁマリア、本当は今凄い問いつめたいけど、兎に角、言える時期が来たら俺にも何なのか話してよ。その、詳しくは言えない事情って奴」
「…………。う、ん……」
「良し、頷いたね。約束な」
アルフレッドは取り敢えず、笑った。ルーティはそれを見て、少しだけ、目を伏せた。そうして、しかし、二人が料理を食べ終えると、積もる話があるから、とアルフレッドを、先に部屋に上がらせた。
「……御免ね、ルーティ」
「いいのよ」
アルフレッドが上に上がっていく気配を見送って、莢はそう言った。ルーティは、少しばかり寂しげに、しかし気丈に笑んだ。
「何でも良いわ。兎に角あたしは、今莢がこうして生きてくれているのが、嬉しくて仕方ないの。……一度死に損なった奇跡の少女だものね」
「……そうだね」
莢は、笑みを零した。ルーティは洗い物を済ませてから、椅子に座って、莢と向き合った。
「有り難う、莢。あんたとスタンと……フィリアがくれたお金でね、孤児院、立て直すことが出来たの。あの時………莢はもしかしたら聞いていたかも知れないけど、あたしはここに捨てられて、ここで育った。あたしを拾ってくれたここの院長はね、孤児と分かれば皆引き取ってしまうような人だった。だからいつも家計は火の車。あたしはレンズハンターになって世界各地をマリーと旅して……………って、この後は一緒にいたわよね。兎に角、お金に飢えてたのよ」
苦笑したルーティに、莢は笑む。
「私こそ、ルーティにはたくさん励まして貰ったよ。……あ!!」
そして、急に表情を暗くした。
「……マリアンさん……ちゃんと助かったの………?」
ルーティは莢の表情を見て何事かと身構えたが、次に莢から発せられた言葉を聞いて、あんたねぇ、と眉を寄せた。
「何?ライバルの心配しているの?」
「だって、リオン……ううん、エミリオにとって、マリアンさんは世界よりも大事だった人なの。いい人だった。綺麗で、ちょっとお茶目で、優しくて……。だから、あの後、ちゃんと助かったの?」
莢が知っているのは、18年前の騒動が終結するまでの行程と、旅をした者達のこれからだけだった。ルーティはそんな莢の顔を暫く見つめた後、
「……ちゃんと助けたわ。脱出ポットでね。でも……それからのことはあたしも知らない。オベロン社の人達は皆解雇されて、職を失って………そこまでなのよ」
そう言って、莢に謝った。それに莢は首を振って。
「ううん。有り難う。……ルーティ、あの、御免ね?」
「やだ、何よ改まって」
ルーティが居心地悪そうに、居住まいを直す。莢はうん、と一度深呼吸をして、それから
「お父さんも弟も……恋人も夫も失って、今は子どもしか居なくて……私、もしかしたら助けられたかも知れないのに。もしかしたら、私っ、私が」
「良いのよ、莢」
話すうちに自分を追いつめる莢を、ルーティは静かに制した。どちらも、微かに目が潤んでいた。
「さっき言ったわよね。カイルとロニって子が、今、冒険の旅に出る、ってここにいないこと。……カイルってのが、あたしとスタンの息子よ」
ルーティの声は、震えていた。莢もまた、込み上げてくる嗚咽を出来る限り堪えようとしていた。
「怖いのかも知れない。みんなみんな、あたしを置いて死んじゃうんじゃないかって。18年も経って……でも、あたしにとっては大事だったのよ……!リオンも、ヒューゴだって、孤児院の子達からしたら、望んでも絶対に手に入らない血の繋がりがあったんだもの……!!だから、スタンとの間に出来たカイルが……旅の途中で死んじゃわないか、凄く不安なの……。もう、誰も失いたくないのよ…………!!!」
次第に俯き、高くなる声。莢はつられるように俯いて、熱い涙が、頬を伝った。
「……ルーティ、御免ね、ごめんね……」
「だからっ……あんたが謝ることじゃないって…何度言ったら分かるのよぉっ………!」
二人は互いに泣き合って、その嗚咽は静かな夜の闇に、静かに、静かに響いていた。
「……壁、薄いのって問題だよなぁ」
その二階の廊下で、アルフレッドが頭の後ろで手を組んで、座っていたのは誰も知らない。
2005/05/02 : UP