光の旋律
莢達がストレイライズ大神殿の入り口まで行き事情を説明すると、衛兵は至極嫌そうな顔をした。
「お前達で今日二回目だ、中に入りたいと言うのは……。まったく……今日は礼拝日じゃない。中に入れるわけにはいかない」
その言葉に、二人は顔を見合わせて。
「じゃ、これでどうかな」
アルフレッドは、ひらり、と衛兵の前に勅命状を差し出した。胡散臭そうに見ていた衛兵は、しかし、直ぐに顔色を変えて
「し、失礼しました、どうぞお入り下さい」
そう言って、莢達を中に入れた。
Event No.35 黒の動揺
二人は敷地内に足を踏み入れ、真っ直ぐに大神殿本館へ向かった。ぱっと見て真っ直ぐにあるのがそれだろうと予測をつけ、二人は扉を叩く。18年前の壊れたそれと比べ、やはり神殿は清浄な雰囲気をそのままに、そこに在った。ただ今は何処か、質素、と言う言葉を置き去りにしているようにも感じられた。
扉を叩き、二人は中に入る。そこには穏やかな顔をした、三つ編みの女性。未だ司祭として、研究員として神殿に所属する四英雄、フィリアが居た。そしてその前には、莢と同じか、もしくは年下に見える少女の姿があった。
「……お邪魔だったかな……」
莢は呟いた。だがフィリアは莢を見て目を見開いた。莢は苦笑して、人差し指を口元に当てた。
「こんにちは、フィリア。マリアだけど、覚えてる?」
そして、お取り込み中かな、と声を掛けた。
フィリアはその言葉で何かを察したのか、勿論覚えていますわ、と丁寧に会釈をした。少女も、莢を見て、何かを言いかけた。だが、少しだけ会釈をして。
「いいえ、わたしの用事はもう済みましたから……」
控えめにそう言って、しかし、最後にフィリアを一瞥した。
「……あなたも、違うんですね」
そう、言った。ふと莢は、少女の首元に、先ほど見た聖女と同じペンダントを見つけ、目を丸くした。これは、カイルが探している少女ではないのか。
「……英雄とは必ずしも、全ての人にとっての英雄で在るとは限りません」
莢を余所に、フィリアは、少女に言う。少女は、首を傾げた。
「あなたの求める英雄が私ではないように……。あなただけの英雄は、確かに居るはずですよ。あなたが求め、頼る、その人は……きっと、何時かあなたの前に現れるはず……」
フィリアは不意に、遠い目をした。何かを、思い出しているようだった。
しかし少女は、叫んだ。
「それじゃ駄目なんです……!わたしには……時間がないんです!今すぐに英雄が必要なんです!!!!わたしだけの、英雄が……!」
顔を歪め、少女は叫ぶ。フィリアは、穏やかな顔のまま、沈黙した。莢とアルフレッドは少し離れた所で、それを見ていた。しかし。
「!」
いち早く異変に気付いたのは莢だった。その身を躍らせ、フィリアに駆け寄る。そして、声を出す間も惜しむように、莢はフィリアを突き飛ばした。襲ってくるのは、激痛。
「……チィッ………仕留め損ねたか……」
フィリアの背後に現れたのは、青い髪の男だった。莢の記憶の中で、スタンが殺される瞬間がフラッシュバックする。並行して、莢はフィリアを庇い斬りつけられた背中から、脈打つのと同時に血が溢れ出すのを感じた。
「マリア!」
「っ………マリアさん!」
アルフレッドと、少し詰まったフィリアの声が響く。青髪の男はそれには構わず、莢を斬りつけた斧で、フィリアを狙った。
「フィリア・フィリス……だな?その命、俺が頂戴する」
「くっ」
アルフレッドは剣を抜いたが、明らかに間に合うはずもなかった。だが莢は、倒れたまま血だまりの中で、短剣を抜き、男に投げつけた。男は造作もなく、それを払う。短剣が床にうち捨てられ、乾いた金属音が響いた。
「フン、小癪な…。まだそんな力が残っているのか」
急速に意識が遠退く莢に対し、青髪の男は莢に向けて、斧を振り上げた。アルフレッドが庇うようにその前に立つ。
男の振った斧は、剣を構えたアルフレッドめがけて勢いよく振られた。
「待て!!!」
その寸前に、少年の声が響いた。アルフレッドは入り口に目をやった。カイルだった。
「っマリア!?」
どうやって入ってきたのだろうか、カイルの後に姿を見せたロニは、莢の姿に驚愕した。
「なんだお前は?」
男の意識はカイル達に移った。その隙に、アルフレッドは莢を抱いて、神殿内の脇に降ろしてその腰に下げたレンズへと手を伸ばした。掴めるだけレンズを掴み、莢の背から流れ続ける血と、その傷口を見る。フィリアもそれに習うように、アルフレッドのレンズを持つ手を、包み込んだ。
「……フィリアさん……」
「お手伝いしますわ」
フィリアは一度、気丈に微笑んで。アルフレッドは頷いて、強くレンズを握りしめた。
少女は、それを見ていた。莢の傷を癒そうとする、二人を見ていた。
「……どうして……他人の命をそこまでして、救おうとするの……?」
「一々何かをするのに、理由が必要かな?」
アルフレッドは短く答えた。救いたかった。目の前で失われようとしている命を、そのまま見ていることしかできないのが嫌だった。アルフレッドの中で、また、ヴィジョンが重なる。あの時の、スタンが負傷し、死んで行く時の記憶。
「……」
少女は同じ意見です、と微笑んだフィリアを見て、黙って、手を重ねた。遠慮がちな少女の表情に、フィリアとアルフレッドは一言、有り難う、と笑った。少女はその言葉を受けて、目を、閉じる。その首もとにあるペンダントが僅かに光を発していたが、少女に習って目を閉じた二人には分からなかった。
莢が意識を失ってから、カイルとロニは何とかその場を凌ぎきった。最後の最後でカイルは剣を飛ばされてしまったが、助太刀とばかりに剣を与えたジューダスによって、何とか男に一矢酬いることが出来たのだ。
もたもたしていると人が来ると、男は二人に名を尋ね、去った。出てきた時と同じように、黒い空間の歪みに、身体をねじ込んで。スタンを殺した男は、バルバトス、と名乗った。
「……」
今、皆が居るのは知識の塔だった。そこにある大きなベッドに横たわるのは、血まみれになった服を代え、神官のそれを身に纏う、莢の身体。
少女の力を借りて、莢の身体は癒えていた。静かな吐息が響くのに、フィリアとアルフレッドは安堵した。影ながらジューダスもその様子を見ていたが、口を開くことはなかった。ただ、フィリアにその顔を見られないように、皆からは背を向けていた。
「なんで、マリアさんが……」
カイルはベッドの側で、そう零した。アルフレッドがここに至るまでの経緯を説明し、側にいたフィリアが、目を伏せた。
「私を庇ったのですわ。……仲間を庇う所は……昔と……変わってませんね」
「え?」
フィリアが零した言葉に、ロニは首を傾げた。フィリアはただ、何でもありませんわ、と微笑むだけで、ロニがそのことを追求することは出来なかった。
「……?」
「あ、目が覚めたね」
莢は、薄く目を開けて、それから呆けているのか、暫く無言だった。そして意識が覚醒してくると、ふと、勢いよく上半身を起こした。フィリアの姿を確認して、それが無事だったことに安堵の息を漏らす。
「無事で良かった」
小さく零れたその言葉。フィリアは、あなたも、と言葉を返した。
「アルフレッドさんと、こちらのリアラさんが、傷の治癒を助けて下さったのですよ」
「アルが……?……、リアラ、さん?」
莢はアルフレッドの顔を見て、それから二人よりも先に神殿に入り、フィリアと話していた少女を見た。少女は戸惑うように莢を見ていたが、莢が礼を言うと、少し、笑った。
「大丈夫か?酷い出血だったから、見た瞬間駄目かと思ったんだが……」
「ええ…。大丈夫、みたいです。有り難う御座います」
「いや、フィリアさんを庇って、だったんだろ?俺達こそ礼を言いたいぜ」
ロニは笑うと、息をついた。
フィリアは、その様子を見て笑みを浮かべた後、少女を見た。
「あなたは……これからどうされるのですか?」
少女は問われ、直ぐに答えた。
「ハイデルベルグに行こうと思っています」
「……そうですか」
少女の答えに、フィリアは少し苦笑がちに、目を伏せて。
「はやる気持ちは分かりますが……語り継がれる英雄達が、真の英雄であるかと言われれば、私はそうではないと思います。……歴史が彼を否定しても、私達が真の英雄とする人物が居るように」
言ったフィリアの顔に、哀しみの色が過ぎった。莢も同じように顔を伏せたが、
「じゃぁ、行こうよ!」
言った、カイルの言葉で、その雰囲気は一掃された。
「君はハイデルベルグに行くんだろ?じゃぁオレ達もついていくよ!きっと、オレが君の英雄だから!!」
「でも……」
「君が求めてる英雄は、きっと未来のオレなんだって、思ってる。今は違うんだろうけど……英雄は困ってる人を放ってはおけないんだ。これはきっと、そのことへの一歩なんだ。だから、君と一緒に行くよ」
カイルの言葉は、何処からそこまでの自身が来るのかと問いたくなるほどに、真っ直ぐだった。少女は納得していなかったが、カイルを見て、やむを得ずに頷いた。
「決まり!じゃぁフィリアさん、オレ達、もう行きます」
「あっ、こら、カイル!」
走って先に出て行ってしまったカイルを、ロニは仕方なさそうに苦笑して。
「すいませんフィリアさん」
「いいえ。……気をつけて」
「はい、有り難う御座います」
ロニはそう言って、少女を目を合わせ苦笑すると、カイルを追いかけた。
後に残ったのは、莢と、アルフレッドと、ジューダス。
「……?あの、あなたは行かないんですか?」
莢はふと、ジューダスに声を掛けた。ジューダスはその方だけで反応すると
「……僕はアイツらの仲間じゃない」
言って、莢が何か言うまでに、同じように去ってしまった。莢は声を聞いて慌ててベッドから降りようとしたが、上手く力が入らずに、それは叶わなかった。
「大丈夫?」
前からずっと、アルフレッドはその言葉を言っているような気がする。莢は苦笑して大丈夫です、と言うと、ゆったりとした神官の服を一瞥した。
「これ……」
「構いませんわ。着慣れていないでしょうから、直ぐに着替えてしまった方がよいかと思います」
フィリアは笑って、追いかけるのでしょう、と莢に尋ねた。
「……はい」
莢は、頷いて。アルフレッドと共に礼を言って、知識の塔を後にした。フィリアはそれを見送って、少しだけ嬉しそうに、口元に笑みを浮かべた。
「マリア?さっきの奴がどうかしたのか?」
「……、いえ、もしかしたら知り合いかも知れないので……」
「随分顔が利くんだな。アクアヴェイルから来たんだろ?」
「偏った知り合いばかりですが」
莢は苦笑した。途中、ほったらかしにされていた短剣を回収して、着慣れない神官の服に剣を吊り、おおよそ釣り合わない格好のまま、先ほどの黒衣の少年を追う。
その姿は、直ぐに見つかった。
神殿の入り口で、カイル達がなにやら話し込んでいたから。
「……あの!」
莢は何も考えずに、ジューダスの黒いマントを思い切り引っ張った。と、不機嫌そうな顔が振り向く。莢はそれを見て、間違いないと思うと同時に、若干首を傾げた。
「……分け目が逆……」
「放せ」
ジューダスからすると、明らかに他の者に訝られる発言をした莢に舌打ちをするつもりで言ったのだが、莢は素直に謝って手を放した。
被った骨の合間から覗く、アメジストの瞳。黒い髪に、声。身長、体躯。どれをとっても、ジューダスは莢の知る人物だった。やはり莢の予想は当たっていたのだ。自分は、この少年の復活に際して、その力の恩恵を受けて、蘇ったのだ、と。
「ロニ、カイル、俺達もついていくよ。さっきまた会った時に目的次第では付き合うって言ったしさ。行くのはハイデルベルグなんだろ?俺達ももうここでやることないし、一度戻ろうかと思ってたんだ。なぁ?」
アルフレッドは、莢にそう振って、莢は戸惑った風に頷いた。
「やったぁ!一気に仲間が増えた!……じゃぁ、改めて自己紹介しようよ」
「すげぇ今更だけどな」
ロニが肩をすくめたが、カイルは元気良く手を挙げた。
「オレはカイル・デュナミス!」
「俺はロニ・デュナミス」
「わたしは……リアラ」
「僕はジューダスと呼ばれている」
「俺、アルフレッド・デュナミス」
「私は、マリア…………フュステル」
カイルを順番に自己紹介を済ませ、莢はジューダスの反応を伺ったが、ジューダスは特になにもしなかった。反応があるかと思いつつの言葉だったため、莢は少し安堵した。まさか、お前が使える名前ではないと、言われると思うと少し、怖かったから。
「よーし、じゃぁこの先のアイグレッテ港からファンダリアのスノーフリア港まで一気に行くか!」
景気の良いロニの声に、つられるようにしてカイルが頷く。
「と、その前に、マリアの服、買わないと」
「え?」
「戦いづらいしね」
アルフレッドの言葉に、そう言えば、とロニは莢を見た。それから、直ぐに買って来ようよ、と言うカイルの言葉を受け、莢はされるがまま、アイグレッテの洋服店に押し込まれた。
波の音が聞こえる。船が海原を分かつ音がする。そして、心地良い塩の匂いがする。
莢は服を買って、今現在、皆でスノーフリア港を目指す途中。
「はぁッ!?昌術を知らないィ~?」
船室で、素っ頓狂な声を上げたのはロニ。側には頗る不機嫌そうな顔をしたジューダスと、莢、アルフレッドが居る。カイルとリアラは、ロニ曰く船上デートらしい。ジューダスは子どもの他愛のないじゃれ合いだろうがと吐き捨てたが。
兎にも角にも、部屋を出て行こうとしたジューダスを引き留めたロニは、アルフレッドと莢の昌術に関する知識に、頭が痛くなった。
不審者丸出しだが、取り敢えず敵ではないと言う莢の情報は曖昧でロニには分からなかったが、アルフレッドの方は、何故そんなことも知らないのかと言いたくなるほどに無知すぎた。
「良いか、昌術ってのはソーディアンのコアクリスタルには到底及ばないが、純度の高いレンズを使って発動させる魔法のことだ」
「へぇ」
「へぇじゃねェだろ。ハイデルベルグの兵士さんよ」
ロニは阿呆、と呟くと、
「だいたいモンスター倒して使うレンズなんか、幾らあっても仕方ないだろ。戦闘じゃ、そんな大量のレンズ邪魔になるだけだ。………ほら、これだよ。こいつを持っておけば、わざわざレンズを消費しなくても良い」
「……普通のレンズよりも、少し大きくてぶ厚いですね」
「見分けがついて分かりやすいだろ?まぁレンズの活用法は他にも色々あるみたいだが……お前ら、その様子じゃぁ、聖女の聖女たる所以って奴を知らないな?」
ロニは呆れたように言って、そして続ける。
「元々無名だったんだが……ある日突然現れて、今じゃ大司教レベルの権力保持者。んで、レンズ無しで五体不満足の人間を五体満足に変えるほどの力を持つから、現人神だの、聖女だの言われてるんだ。ちなみに、俺はレンズの寄付者優先で人々を幸福にするなんて馬鹿げた神団の一員だったわけだが………。ま、こうやって辟易してた神団から脱走出来たのは、結果オーライって奴だったのかもな」
ロニは言って、ジューダスの腕を放した。
「ま!昌術も少なからず素質が左右するもんでな、マリアが気絶したってことを差し引いても、明らかにマリアには不向きだな。まぁアルの方も三人がかりだったから微妙だが……二人とも、一応の素質はあると見た。暇があったら練習に付き合ってやるよ。コツが居るしな」
そしてロニはお兄さんの講習はこれにて終了だ、と自分自身は何処かへ去ってしまった。莢が首を傾げれば、アルフレッドは笑ってナンパに行ったんだよと説明した。
解放されたジューダスも、無言で部屋を出て行く。莢はそれを見て、その後を追いかけた。アルフレッドは閉まったドアを見ていたが、不意に溜息をついて、ベッドに身体を預けた。
「……怖いとか言って、結局は気になるんだからなぁ……んっとに……」
自嘲とも、苦笑とも取れる笑い方だった。ただ、顔は彼自身の手によって隠れ、伺い知ることは出来なかった。
莢は甲板に出て、船首近くに居たジューダスに声を掛けた。エミリオと呼ぼうかと思ったが、それも今は正しくない気がした。折角なので、リオンとも呼びたくなかった。
「ジューダス」
結局、口をついて出てきたのは現在の彼を表す固有名詞。彼も彼で、莢を見て、マリア、と声を上げた。
「……ジューダス、その服って自分の趣味だったりする?」
「馬鹿を言うな。………だが、今の僕には似合いの服だろうことは間違いない」
自嘲する彼を、莢はじっと見つめた。不意に彼の心から笑う顔を、見たいと願ったのは何故だろうか。ただ単に、見たかったからかも知れない。もしかしたら、莢を見て欲しかったのかも知れない。
「ジューダス、私、記憶が戻ったよ。18年間漂っていたあの状態の中で………あの時は意識なんてなかったから、分からなかった。でも、今は意識を存在させる身体がある。だから、分かる。記憶が戻ったことも、スタンがあんなことになったのも、あの海底洞窟以降のことも、世界のことも、それから……歴史のことも」
莢はそれを告げ、笑った。
「私は、あなたが裁かれるべき人間だとは、到底思えない」
それは、傍観者として莢が感じていたことと、何ら変わりはない言葉だった。
「世界にとって確かにあなたは敵だったよ。でも、私にとって、あなたは到底、敵にはなり得なかった。あなたは、被害者だった」
「違う」
莢の言葉を、彼は否定した。
「僕は世界の敵であり、お前の敵であり、皆の敵だった。裏切った代償は大きい。僕は……知らない間に、たくさんのものを失った。今なら幸福が何か知っている。分かる。………でもそれを知っている僕は僕じゃない。18年前に死んだ僕は、幸福を知らない。そして……世界も同様に、知らない。だから僕は過去の僕で在り得ない」
それはつまり、どういう事なのか?莢は首を傾げた。
「過去との決別。それが今の僕を作っている」
彼はそう言った。莢は、愕然とした。
「いや……決別をしたから今の僕があるわけじゃない。寧ろ……今の僕というものは、昔の僕とは確実に違う。それ故の決別……どちらかと言えば、区別に近いかも知れない。リオンとジューダスは全くの別物である、と言う」
莢は、相づちも打てなかった。打てば、泣いてしまうような気さえした。
彼は、過去との決別を決心した。つまりそれは。
莢ばかりが、彼を、彼の言う過去の彼として欲していると言うことで。彼は莢を、もう必要のないもののように言っている気がした。莢はそれに愕然とした。
そして、気付いた。
どれほど莢が、彼に対して期待を抱いていたのかを。甘い幻想だったのか、と、莢は思う。マリアンとエミリオの笑いあう光景を見ても尚、莢は彼に対する想いを振り切ることが出来なかった。そして、18年経った今でも。
思い上がりも甚だしかったのだ、と莢は自分を諫めた。愕然とした、つまりそれほどのショックを受けたのは、莢自身が、彼の中の自分はきっと、スタン達と同じように、特別な部分にいるはずだという思いを持っていたからに他ならない。
莢がもし、想い人といえども会話をこなさず、触れ合うことさえもない相手に今彼が言ったことを繰り返されても、大した反応はしなかっただろう。それほどまでに、莢は彼に対して心を開いていたし、また同時に、彼から与えられる全ての刺激に無防備だった。
「……マリア?」
莢は、眉を寄せているジューダスを見てはっとした。どうかしたのかと問うジューダスの言葉や仕草は、明らかに彼のものだというのに、ジューダスは言うのだ。
過去の僕と今の僕は同じもので在り得ないのだと。
莢は酷く、哀しくなった。寂しさに近かったのかも知れない。兎に角、悲しかった。
「……それでもジューダスはあなただし、あなた無しのジューダスは在り得ないでしょ?」
縋るような言葉に、莢は少し動揺した。こんな、惨めで哀れな台詞を吐くつもりなどなかったのに、と心中舌打ちをする。しかしジューダスは、
「そうかも知れない、でも……そうじゃないかも知れない。一度、朽ちた人間だ」
言って、頭を振った。莢は曖昧な返事に、僅かな安心と、寂しさを感じた。あの海底洞窟で、不思議なほど穏やかだった心中。そして二人は自然と手を繋いで、共に果てた。あの時は何処へ行ったのだろうか。莢には彼が遠い気がした。
「……?」
ふと莢は、違和を感じて耳を澄ませた。鼓膜を振るわせる違和。何かが響いている。低い音だった。莢は何処かで似たような音を聞いたことがあるような気がした。
「……海竜……?」
そうだ、クレメンテの安置されている海底都市に行く時の、海竜。あの時の音と、よく似ていた。
「……!来るぞ!」
ジューダスは即座に剣を構えて船首を見た。瞬間、音は質を変え、水が激しく打ち付ける音になった。それと共に現れる触手らしき物体。莢は訳も分からないまま剣を抜いた。
「これはフォルネウスと呼ばれるモンスターの尻尾だ。……数が多いな」
蠢く触手を一瞥して、ジューダスは舌打った。
「でも、尻尾ってことは本体は……?」
「さぁな。だが……こいつを撃退しない限りこの場は危ないぞ」
ジューダスは言うと、襲ってきた尻尾を斬りつけた。莢は初めてそこでジューダスが二刀流なのに気付いた。少しばかり感心しながらも、莢も片手剣を抜く。意識が戻ってまだ少ししかないと言うのに、やはり月日は経っていたのだろう。懐かしい気がした。
尻尾は思いのほか硬く、斬りつけはするものの、なかなか撃退まで追い込むことが出来ない。幸い距離を取れば攻撃範囲から逃れることは出来たのだが、
「っわ!」
尻尾から繰り出されるレーザーは、尻尾自体よりも危ない気がした。
「チッ……!きりがないな……」
巧みに攻撃を避けつつ、ジューダスは苛立った。しかし次の瞬間
「フレイムドライブ!」
リアラの声と共に火球が姿を現し、フォルネウステイル達はのたうち回った。莢はあまりの気味悪さに眉をひそめたが、フォルネウステイル達はそのまま海に戻っていった。
「やれやれ……」
「大丈夫だった?」
「あ、有り難う、リアラ」
莢が礼を言うと、リアラははにかんだように笑った。カイルは活躍出来なかったとある程度落ち込み、ロニがそれを宥めているのが見える。アルフレッドと言えば、やはり莢の腕は確かだ、と一人頷いている。莢は思わず吹き出してしまった。
「カイル君」
「?」
見かねて、莢は声を掛けた。
「今のは尻尾らしいから、また本体が襲ってくるかも………ッ」
そんな慰め方があって良いのだろうか、とジューダスは思ったが、莢が全ての言葉を言い出す前に、再び船が触れた。
「地下だ!!倉庫に現れたぞ!!!」
水夫の悲鳴が聞こえた。カイルは一目散にそこへと駆け出した。
「あっ」
莢達も慌てて走る。が、莢は思い直したように、客や水夫達を甲板に誘導し始めた。ジューダスもそれに習ってそこに留まる。力押しの男達と、リアラが居たら何とかなるだろうという読みもあったが、誘導も一人では辛いだろうことからだった。
恐怖でパニックになる乗客達を、比較的しっかりした水夫達と共にしっかりと甲板に追いやる。船内に誰もいなくなった頃、莢達も地下へ飛び込んだ。
「何これ……」
莢は思わず顔をしかめた。地下倉庫は見るも無惨に破壊され、水が酷く入ってきている。このまま戦っていても、船は沈没してしまうだろう。兎に角これ以上穴を広げられてはかなわないと、莢も戦闘に加わった。
唸る尻尾を手際よく仕留め、一本一本確実に動けなくしてから、莢達は本体に斬りかかった。
「マリア!」
「っわ……!」
唐突に、莢はアルフレッドに突き飛ばされた。が、二人の間をレーザーが通過する。莢は短く礼を言った。
「散葉塵ッ!」
カイルが、激しい突きを繰り出す。時間差で、ロニがシャドウエッジを。
「飛連斬!」
ほぼ同時に、ジューダスがフォルネウス本体に斬りかかった。間髪入れずに、莢とアルフレッドが左右から本体に突きを繰り出す。手応えを感じ、莢はそのまま上に払った。
フォルネウスの絶叫が響き、肌がビリビリと軋む。
「フレイムドライブ!」
リアラの昌術で、フォルネウスは断末魔を上げて、死んだ。爆発することもなかったし、霧のように消えることもなかった。ただ死体がその場に倒れた。
「……取り敢えずこのままだと沈没です。ここから出た方が良いでしょう」
膝元まで来てしまった水を見て、莢はそう声を掛けた。先に男を上げ、そしてリアラ、莢。莢は最後に、フォルネウスの死体を一瞥し、地下へ続くドアを閉めた。
2005/05/07 : UP