光の旋律
白雲の尾根に入って、どのくらい経ったろうか。霧は深すぎ、前進することを阻む。それでもなんとかゆっくりと、皆は進んでいた。船の修理はそう簡単には出来ないと思いつつ。その所為か幾分落ち着いて歩けたのは、良いことだったのかも知れない。
先頭を切るカイルが、突如走り出すから。
「カイル!またお前は一人で突っ走りやがって!!」
「だってさ、だってさ、興奮しない!?なんか見たこともないようなものが見られそうで…」
「っ…馬鹿野郎、お化けなんて居るわけ無いだろ!ンなモン見なくて正解だっ!」
「誰もお化けが見たいなんて言ってないよ」
白雲の尾根の中、ノイシュタットを目指して三日目の昼頃。
その日五回目となるカイルの暴走に、ロニの声が響いた。
「ロニ、お化け嫌いなの?」
「ばっ、かやろ、リアラ、良いか?お化けなんてものは存在しないんだ」
「あ、何か影が」
「ぎゃぁー!?」
情けない声を上げるロニに、リアラとカイルは忍び笑った。しかし。
「………なぁ、マリアとジューダスは?」
アルフレッドの声でふと、我に返り。
長い長い沈黙を経て、ぽつり。
「……居ないな」
ロニが、そう言った。
「ええっ!じゃぁ直ぐに探しに行かないと」
「待てぇい」
わっし、とロニはカイルの肩を掴んだ。でなければ今頃カイルはまた、霧の中に身を躍らせ、皆の視界から消えていただろうから。
不服そうにロニを見上げたカイルに、アルフレッドは落ち着け、と促した。
「無闇に動いて更に迷ったらそれこそ面倒だよ、カイル。白雲の尾根に入ってからジューダスの剣技をみたけど、そう心配することもないみたいだったし……。マリアは、お墨付きで心配要らないしね」
「へっ、別の意味でマリアがアブねーんじゃねぇか?」
「ないない。ロニじゃあるまいしさ」
嫌みったらしく言ったのを、アルフレッドは即座に否定。そして
「兎に角、俺達は俺達でノイシュタットへ。行き先が同じなら絶対にまた合流出来るだろうから」
マリアも新しく興きた村以外はよく知っているようだったし、と付け加えて、取り敢えずこれ以上迷わないように、とカイルの肩を叩いた。
Event No.37 霧の中の交錯
さて、はぐれた、と言うよりは置いてけぼりなるものを喰らってしまった二人はと言えば、至って普通にノイシュタットを目指そうとしていた。
はぐれてしまったものは仕方がないし、という莢の言葉に、ジューダスも頷くことで同意する。
「……こんなに濃い霧、見たことがないな」
呟いたジューダスに、莢はそうだね、と相づちを打った。
「ノイシュタットのさくら、綺麗に咲いているかな。……あの子達、元気かな」
感慨深げに、莢は呟いた。ジューダスは暫く間をおいて、分からない、と答えた。
「外殻はノイシュタットにも容赦なく降り注いだ。港があると言うことはそれなりに復興した証拠だろうが……。あの子ども達が生きているかどうかは、まったく推測出来ないな。ただ……」
「ただ?」
莢は、先を促した。ジューダスは言った。
「あの貧富の差が激しかった街が復興したんだ。どういう理由にせよ、前のノイシュタットとは、違うだろう」
そうして、黙々と歩く。莢は、その隣を。
『そう言えば、莢。あのアルって奴はなんなの?』
不意にジューダスの背中から、声が響いた。
「……え?」
莢は一瞬、顔を彷徨わせた。そしてそれから、シャルティエの名を呼んだ。疑問系で。
『酷いよ莢、僕の事忘れちゃってたわけ?』
「ごめん……。でも、そっか。シャルティエとセットじゃなきゃ、おかしいよね」
莢は軽く謝って、ふふ、と笑った。
「シャルティエも居たんだね……。…良かった」
『ありがと、莢。僕も莢が生きていてくれて良かったよ』
シャルティエの言葉に、莢は苦笑した。
「……今、私は生きてるのかな」
そうして漏らした言葉。ジューダスは流さなかった。
「僕は、死後18年の世界を見てきた。恐らく偏った知識ばかりだろうが……そして、僕を蘇らせた聖女は言ったんだ。英雄としての歴史を与えてやろう、裏切り者よ。と」
莢は、眉を寄せた。
「……聖、女?」
「ああ。……アイグレッテの、エルレインと名乗る奴がそうだ」
「……」
莢は、絶句した。ジューダスは構わず続ける。
「僕は一度死んだ。でも、こうして……今の状態をどう呼べばいいのか皆目見当もつかないが……一応、生きている状態なんだ。莢も同じだろう。今ここでこの瞬間、呼吸をしている。考える脳がある。心臓が動いている。……それを、実感出来る。幾ら何者かの手で意図的に弄られたものだとしても、僕たちは、生きて居るんだ」
そしてジューダスは、つと、仮面の下で笑った。莢には見えなかった。
「そう、僕たちは生きている。……意志が、在る。自分で考え、行動することが出来る……。だから、僕は18年前に失ったものを護りたいと思う。誰にも邪魔はさせないし、誰の指図も受けない。僕は僕であって……そう、僕は僕を貫く」
その言葉に、莢は、少し俯いた。18年前に失ったというものの中には、莢自身も含まれているのだろうか、と。
「僕は18年前の世界に存在した、莢、お前を殺してしまった」
ジューダスはふと、莢を揺すぶった。実際に揺さぶったのではなかった。揺れたのは、莢の心だ。つまり、その言葉は莢を動揺させた。
咄嗟のことで、莢は否定の言葉を出すことが出来なかった。
「お前は何もしていなかった。賞賛されるべきなのは莢だった。僕はあの時莢の手を払ってでも―――」
そして
「お前を、生かすべきだったのではないかと思う」
そう、言った。莢は胸を捕まれた気がした。嗚呼彼は、私の心臓を面白いように弄んで、からかっているのか、と。そう思った。
莢の言葉が出てくるまで、辺りは静寂に包まれていた。草を分け足を踏みしめる音が響く。
「……それならエミリオだって、生きるべきだった。私は運命やシナリオだなんて言うくだらない言葉に縛られて、あの時あなたが生きると言う選択肢を捨ててしまった。………エミリオが私を殺したというなら、私はエミリオを殺したんじゃないかな。本当は、生きて生きて、生き抜いて欲しかったのに。……生きて、マリアンさんを助けて、皆で、笑って、楽しんで、悲しんで、悼んで、戦って、……エミリオに、笑っていて欲しかったよ。マリアンさんと、お茶をしている時みたいに、一緒に笑っていて欲しかったよ」
莢の声は震えていた。ジューダスは歩きながら、その仮面の下で目を見開いた。
思わず名を呼ぶのも憚られてしまうほど、ジューダスは何も言えはしなかった。
「あそこで私が生きようって言えば、エミリオはその手を取ってくれたかな?あの時私が一緒に死ぬ為の手じゃなくて、エミリオ自身で護りたい人を、大好きな愛しい人を救いなさいって、説教していたら……エミリオは、生きてくれたかな?」
莢の声の震えは、酷くなった。
「……っ私の……私の言葉でも、エミリオに何か、……なんでも良いか、ら…伝えられた、かな。生きよう、て…言い続けたら……っ少しくらいっ……」
嗚咽が、混じった。莢は涙を堪えながら、それでも鼻をすすって、涙声のままで。話している所為で我慢も出来ずに、堪えきれずに涙を拭った。
「……莢……」
ジューダスは、足を止めた。
「届けたかったよ……。届いて欲しかった。掠ってくれるくらいでも良かった。無理だって分かってても、最後まであがくべきだった……!生きて、笑っていて欲しかったよ、幸せになって欲しかったよ……。エミリオは、幸せにならなくちゃ。エミリオだって、幸せになれるんだよ。なって、いいんだよ。辛いことばかりだったなら、残っているのは、幸せばかりのはずだから……」
莢は言葉にならないようなブツ切れた言葉で、ジューダスに頭を下げ、謝罪した。
ジューダスは、そんな莢に掛ける言葉を知らなかった。彼にとって言葉はそれほど深い意味を持たなかった。人と通じるには彼は若すぎ、そして暗い感情の中ばかりで育ちすぎた。だから言葉などは陳腐なものに過ぎず、皮肉や嫌味によって簡単に人を操れる、都合の良い道具だった。そして大切にしたい言葉達は、皆揃って彼の心中でのみ膨れあがってしまった。外に吐き出すことなど到底許されなかった、病んでいた少年の心中。伝えたいと願った言葉達は、決して彼の口から発せられることはなく、思いばかりが膨らんで彼を苦しめた。
しかし今、彼は言葉を欲していた。否、言葉という言葉なら、生きてきた歳月よりも遙かに知っていたはずだった。しかし今彼の中で、どの言葉もやはり陳腐な気がした。何かかけるべき言葉があるはずなのに、気持ちばかりが先行して言葉が出てこない。
ジューダスは、もどかしそうに顔を歪めた。
「…………顔を、上げてくれ」
唯一、絞り出したのはそんな言葉。
言葉の薄っぺらさ、と言うものが、これほど苦しいものだと、彼は知らなかった。
何か熱いものが、穏やかに胸に広がって行くのを、感じていた。
「そんな風に言うのはよしてくれ。僕は最後まで僕であり続けることはなかったんだ。いつからか諦めていた。マリアンが居て、それ以上を望むのはおこがましい気がした。………それは、最期までそのままで、僕は諦めたままだった。………でも」
彼の胸を満たしていく感情はなんだったのだろうか。
「……僕にとって、世界はマリアンだった。世界の中で、マリアンだけは鮮やかだった。でも、僕は莢に出会って、世界というものの色を見た気がした。世界で色が付いているのはマリアンだけではなくて、………」
ジューダスは、頭を振った。
「僕は果報者だった。気づけなかっただけなんだ。莢からたくさんのものを貰った。スタン達からも、たくさんのものを貰った。……僕は、色のある場所にばかり囚われて、気づけなかっただけなんだ。だから……そんな風に自分を責めるのはよしてくれ」
痛かった気がした。どうしようもなく、嬉しい気もした。勿体ない気もした。
自分を想っているのだと、言ってくれた彼女。その彼女の言葉は、嘘ではないのだろうか?同情などではなく、彼女の言葉はまさに、文字通りの言葉なのだろうか?
ジューダスは、そうだと良い、と思った。
自分を想い、泣き、あまつさえ、幸せを願うなど。……笑顔を、望んでいたなど。
しかし直ぐ、それは彼の中で、温まったまま、固まった。
それほど想われるには、自分は分不相応だと感じていた。そして、彼は莢から差し出された手を、握ったのだ。それは、初めて彼が莢を見た瞬間だったのかも知れない。
その手を取った彼は、莢の言葉にどうしようもなく心打たれた。しかし、それ以上に呆然とした。
既に彼女は、彼に手を差し伸べることをしなくなっていたから。
彼女は、彼の中に在るマリアンという存在を認めて、そして、手を、引いてしまっていた。マリアンに代わる者など彼の中には存在し得ないのだと、悲しく笑って。
彼はそして、それを感じてから、どうしてよいか分からなくなった。怖くなった。無条件で出された手が、もう出されない恐怖。
マリアンという存在を、否定することは出来なかった。しかし、莢が同じ、もしくはそれ以上だと表現する言葉も、見つからなかった。
ただどうしようもなく、彼は、呆然としたのだ。
「……僕は……」
もし、手を伸ばせば彼女は、掴んでくれるだろうか。ジューダスはふと、考えた。
自身を戒め、痛めつける。そうして当然のことを、彼はしたのだ。彼が自覚していた。しかし、込み上げる欲求は捨てられなかった。
そして、気付いた。今まで自分が彼女に対してしてきたことは、果たして許されるのだろうか、と。それを訊けないのは、自分の中で彼女に甘えたいからだと。
「僕は、どうしようもない愚かな人間だ」
ジューダスは自嘲気味に笑った。今度は、莢は違うと否定した。早かった。しかしジューダスはそれすら、払いのけた。
「……なんにせよ、僕は……僕よりも、莢がこうやっていることの方が大事なんだ。せめて今度は、あのアルフレッドと一緒に、ファンダリアで平和に暮らせばいい」
傷ついたのは、どちらだったのか。恐らく、両方。
その日、二人は野営をした。慣れていた。
『……アルフレッドって奴が莢とどんな関係か、結局聞きそびれましたね』
莢の寝息を聞きながら、シャルティエは言った。
「ああ…」
ジューダスは燻る火を木の枝で突きながら、目の端で莢の姿を捕らえた。
『…仲、良さそうでしたね』
「だろうな。もう随分と長い間、一緒に居るんじゃないか」
にべもなく、ジューダスは答えた。シャルティエは少し、言葉を選ぶように間をおいた。
『坊ちゃん』
「なんだ」
『僕は時効だと思いますよ』
シャルティエの言葉に、ジューダスは黙した。先を促していた。
『あんな……敢えて莢を遠ざけるような言い方は止した方が良いと思います。莢のためにも、坊ちゃんのためにも。坊ちゃんだって、求めて良いんですよ。求めて、掴んでも良いはずです。幸福を』
火の粉が爆ぜる音がして、ジューダスは木の枝を置いた。
「……シャル、お前もそう言うのか」
『言います。たかだか剣風情が、マスターの幸せを願ってはいけませんか?』
シャルティエは茶化すように、しかし真剣に言った。ジューダスは、それには答えなかった。
「僕は幸福を手に出来る様な人間じゃない。……寧ろ、掴むべきはアイツらの筈だろう」
死んだ友人の笑顔が、浮かんだ。妙に鮮明で、ジューダス自身戸惑いを隠せなかった。
『そんなこと無いです。誰だって、幸福を掴む権利はあるんです。例外なんて無いんです』
「……だが、それが世界に許されるかどうかは別の問題だ」
ジューダスは言った。苦汁を舐めたような、精一杯の声だった。シャルティエは主人の葛藤を感じながら、何を言うことも出来なかった。
浅い睡眠、そして意識の浮上。ろくに眠れもしない状態が続きながら、ただ静かに、夜は更けていった。
翌日、二人は野営の跡を消した後、また黙々とノイシュタットを目指した。丁度白雲の尾根の中腹当たりにいるだろうとジューダスは予想して、洞窟に入る。もとは炭坑だったそれは、二人に道を開いてくれた。
「……」
莢は、感じていた。ジューダスが苦しんでいるのを。ただ、何がどう苦しいのか分からなかった。手を差し伸べたくとも、出来なかった。自分の言葉は所詮、彼に届きはしないのだと、ひしひしと、感じていたから。
少し痛かった。けれど莢は、それでも良かった。良かったと思えるようになりつつあった。
ジューダスが、莢を振り払ったのは悲しかった。しかしジューダスにはリオンやエミリオが居て、それらはきっと、死んでないと思った。それは少なからずジューダスの中で居て、今のジューダスを構成しているのだと、感じていた。
彼が彼らしく生きてゆける。それは、とても良いことだと、莢は感じていた。
ただそれと同時に、自分の欲求や思いは永遠に叶いはしないのだと言うことも、薄々感づいていた。それは、とても悲しいことだった。
二人は黙々と、本当に黙々と歩き続けた。モンスターと戦闘になることもあったし、かなり長い間とても静かだったりもした。シャルティエも、一言も口を出さなかった。
微妙に噛み合わないまま、噛み合うのを畏れたまま、その日は夕暮れを迎える。
「……あ……あれ、小屋かな?」
莢が声を上げた。会話の無かった中で、空気が色づいた。ジューダスはあそこで体を休める、と言うと、先を歩いた。莢も、後を歩く。その距離は少し開けていた。
「……あ!?マリアにジューダスじゃねェか!!」
「何!?」
小屋付近で、声があがった。それにつられ、二人は小屋を凝視する。
男が二人立っていた。次いで、小屋から出てくる小さな影。
「マリア!」
始めに駆け寄ったのはアルフレッドだった。莢を軽く抱きしめて、その無事を確認して、あからさまに安堵の息を漏らす。莢は少し、嬉しくなった。
「大丈夫だったか?……って、見たところ大丈夫そうだな」
「はい。ロニさん達もご無事のようで、何よりです。……アル、そろそろ放して欲しいです」
莢はしきりに頭を撫でてくるアルフレッドに苦笑した。ロニは、呆れ返った。
「こいつ……二人が居なくなったって時は、それほど取り乱さなかったくせによ」
「そりゃぁ大して心配しては居なかったけど、実際に合流して無事だって分かると嬉しいだろ」
アルフレッドは最後に莢の頭をポフ、と叩いて、莢から離れた。ジューダスは不機嫌そうに見ていたが、それはある種の自己嫌悪のようでもあった。
「でも、良かった。あと、御免なさい、オレが一人で走ったりしたから……」
ジューダスの気を振り払うように、カイルは莢の前に進み出て、頭を下げた。莢は良いんだよ、とその頭を撫でる。
「ま、次からは気をつける、って、事で、ね?」
莢は笑んで、カイルも、笑った。
ロニが、野営の準備は出来ていると告げる。二人はそれに甘えて、先に仮眠を取ることにした。
日は暮れ、辺りは徐々に薄暗くなって行く。ジューダスは夜の番をする、と言ってアルフレッドの隣に腰掛けた。アルフレッドはフードサックの中からグミを取り出し、ジューダスに手渡す。恐らく大分疲れていたのを感じての好意だろう。ジューダスは微かに舌打った。
リーネの村で買い足しておいたんだ、と交代で寝ようともせずに一人話していたアルフレッドは、急に改まった。
「……なぁ、ジューダス」
「なんだ」
ジューダスはグミを噛みながら、視線も合わせず先を促した。アルフレッドも、同じようにグミを噛みながら
「マリア、泣いてた」
「……」
呟いた。
なんでこうも察しの良い奴が必ず一人はいるのか、とジューダスは思う。
「何があったかとか聞かないけどさ、頼むから泣かさないでやって欲しい」
アルフレッドは、静かに言った。グミの欠片を口に含み、暫く噛んで、飲み込む。ジューダスは何も言わなかった。アルフレッドは、それを察すると、言葉を続けた。
「不審者全開だし、少しだけ問いかけても何も言わないし…。何か隠してるのはバレバレなんだよね。言いたくないから言わないか、もしくは言えないんだろうけど……。それなら、せめて少しでも気を抜ける瞬間とか、作ってやりたいんだ」
「……彼女を、とことん問いつめることはしなかったのか」
ジューダスは言った。アルフレッドは頼りなく、笑い声を上げた。
「出来たら苦労はしないね。俺は臆病で、他人の深い所にまで入り込んで、それを受け入れる度胸がない。でも、マリアを見てると、悲しそうな顔とか、する事があるから」
「彼女を受け入れる度胸もないのに、何も知らないのに、彼女の笑顔を望むのか?」
「マリアは誰も巻き込みたくないんだって。だったら、俺は何も知らないままでいるよ」
ジューダスは言ってから自身の傲りに気付き戸惑ったが、アルフレッドは小さく笑った。
「マリアが泣いたって事は、逆に言えばジューダスの方が色々知ってるって事だろ。……ジューダスにしかマリアを癒してやれないって場合もあると思う。でも、何も知らない俺じゃないと、例えばマリアを助けてやれないかも知れない」
その言葉に、ジューダスは黙った。アルフレッドは、グミを手渡す。それから、少しの間を置いて、アルフレッドは前言撤回、と言った。
「?」
ジューダスは訝しんで、アルフレッドを見た。アルフレッドは苦笑して
「やっぱり、撤回する。泣かさないでやって欲しいっての。……泣くとスッキリするだろ?ジューダスの前でしか泣けないなら、それも良いよ」
「……そして、僕が彼女を泣かすのは駄目なのか」
「そう言うこと。ただ、無理にでも泣かせなくちゃいけない時も、在るかも知れないけど」
アルフレッドは言うと、寝る、と言って毛布を被った。ジューダスは衣擦れの音を聞きながら、手渡されたグミをかじる。
完全に静まってから、シャルティエは可笑しそうに笑った。
『何時の時代も、莢は愛されてますね』
勿論、それは小声。ジューダスは短く肯定した。
『それにしても……カイルの英雄発言には驚きましたよ』
シャルティエの、苦笑を伴った声が響く。それが思いのほか大きく、ジューダスは窘めるようにシャルティエの名を呼んだ。
ちょっとくらい良いじゃないですか、と笑いを引きながら、シャルティエは答えた。
「しかし……先が楽しみだな。まだ成長の余地はある」
『坊ちゃんもそう思いますか?……やっぱり、叔父ですもんね?』
「シャル」
ジューダスは微かに照れたように、ふん、と鼻を鳴らした。
直後衣擦れの音がして、ジューダスは慌ててグミを噛んだ。
「……んん?……………。ジューダス?お前、今誰かと話してなかったか?」
起きたのはロニ。ジューダスは気のせいだ、と一蹴した。が、ジューダスの背中を睨むロニの視線は消えなかった。
「一つ、言っておくぜ」
「なんだ」
ロニの言葉に、ジューダスは振り向いた。
「お前が誰で、何をしようとしてるか、なんて事は問題じゃないし、どうでも良い。ただ……カイルに手を出す奴は絶対に許さねぇ」
ロニは真剣だった。しかし、ジューダスは笑った。鼻で。
「随分と過保護だな。何時までもそんなことでは、カイルがいつまで経っても成長出来ない」
「何ィッ!?」
「お前だってそんなことは分かっているだろう。何故それが出来ない」
ジューダスは、問うた。ロニは一瞬、我に返ったようにジューダスを見る。しかし、直ぐにその目は逸らされた。
「……人には色々あるんだよ」
曖昧な言葉に、ジューダスはカイルの父を思う。
「そんなに吠えなくとも、僕は絶対に、危害は加えない」
ジューダスは寝ていろと声を掛け、無理矢理にロニを布団に押し込んだ。
「……僕が、加えるわけがないだろう。あいつの、あの人達の息子なんだ……」
戻った寝息の数を確認しながら、ジューダスは顔を歪めた。泣きそうな顔だった。
ただ、聞こえるのは虫の声。
2005/05/19 : UP