光の旋律
昨晩を過ごした空中都市の残骸。そこから見えていた山々と、その間に生い茂る密林に、皆はいた。
鬱陶しいまでに日光を通さないそこは、精神的な意味でも参るものがあり、早々に抜けてしまおうとしていたのだが。木々達はそう焦らずゆっくりしろと、皆の行く手を阻んだ。ロニの斧やカイル達の持つ剣で切り分け進もうとしていたのだが、体力の浪費が激しすぎると言うことで、 ジューダスが持っていたソーサラーリングを使って、カイルが順調に道を開いている次第である。
莢は、何故ウッドロウが持っていたそれがジューダスの手にあったのか甚だ疑問だったが、大方エルレインの仕業なのだろうと自己解決をしておいた。
森の奥に進むに連れ徐々に視界は暗く狭くなって、自然ペースは落ちていった。
森の中と言うことでモンスターにも度々出くわしたし、視界が利かないことも手伝って、後どれほどで次の目的地――そこまでの距離が定まっていない所為で体力の調整も難しかった――に着くのか分からなかった。若干の不安も皆の疲労を増大させる結果となった。
そんな折り、不意に視界が開けた。
「やったね」
ナナリーが呟いた。一時はとてつもなく暗かった森が、皆の居る場所から開けた場所を抜けて奥に、光を灯していたからだった。太陽の光だった。
誰とも無く安堵の声が漏れ、カイルが先に駆けて行く。疲労の所為か、誰もそれを咎めなかった。
Event No.43 過去か未来か現代か?
しかし、その前には大量の草が生い茂っていた。今までカイル達が燃やしてきた様な枯れ草などではなく、みずみずしく行く手を塞いでいる。
カイルがソーサラーリングを使うも、草は少し焦げた匂いを発するばかりで、一向に燃える気配はなかった。若干は黒く焦げるのだが、枯れ草と違い水分を多分に含んでいる所為だろう。火が回らない。
レンズを無駄に消費するわけにはいかなかったので、カイルは数回ソーサラーリングを使うと、おかしいな、と首を捻った。
「燃えねーな…いっちょ、斬ってみるか」
ロニが言って、斧を担いだ。草をじっと見ていたナナリーがそれを制す。目は真剣だった。
「止めときな。こいつは毒草なんだ。燃やしても麻薬みたいな強い影響力は出ないけど、微量の毒がある。カイルが今やった位じゃ痺れたり死んだりはしないから安心して良いけど、この草は葉の部分に毒を盛ってるんだ。うっかり斬って毒に触れでもしたらイチコロだよ」
「げ、マジかよ」
「大マジ。……そうだね、ここに来る途中からひっきりなしに襲ってきた狼型のモンスターが居たろう?あれの元はガルムってんだけど……ガルムの牙に含まれる油が、それはもう良く燃えるんだ。そいつをちょちょいと使って、一気に高温で燃やし尽くせば、毒も出ないし安全に進めるよ」
ナナリーがそう説明すると、丁度視界の開ける場所で良かった、と呟いた。
「ガルムは結構すばしっこいから、ちょっとした落とし穴でもあれば直ぐに捕まえられるよ。そうしたらこの森ともおさらばだ」
笑顔のナナリーに、リアラが伺う様に進み出た。
「あの……わたしは詠唱が間に合わないから、どこかで待ってても良いかな?足手まといになっちゃいけないし……」
「構わないよ。……じゃぁ女はここで待ってよう。男はガルムの捕獲と、牙の採取」
ナナリーの言葉に、嫌そうな声を上げたのはロニだった。
「俺達がやるのかよ?」
「何さ、か弱い女に素早いガルムを追いかけるなんて重労働やらせる気かい?」
「そうじゃねえよ。俺はお前がか弱いのかって……」
「……へえ?」
ナナリーの目が細められた。指の関節を鳴らしている辺り準備運動なのだろう。実は10年後の世界でナナリーの特技とも言えるサブミッション――もっと分かりやすく言えば関節技のことである――を骨身に染みこむまで喰らわされたロニは、一杯一杯だった。
「い、いや、今のはナシだ。分かった、俺達がガルムを捕まえればいいんだろ?何匹仕留めればいいんだ?」
「……。まあ良いけど。あたしの弓矢じゃ狙いがはずれた時の矢の回収が面倒臭いんだよ。そうこうしてる内にあんた達が仕留めちゃうだろうしね。ガルムは……牙の個数は五個か六個くらいで事足りると思うから、三匹くらいが打倒だね。あ、マリアは参加しても良いけど、どうしたい?」
「え、私?」
莢は急に話を振られて驚いた。ナナリー、リアラ共に参加しない理由が明確であるが、莢の武器は剣である。加えて動作も素早い。
「私は……私も休ませて貰うね。ガルム追いかけるのって結構疲れるし……森を出た時に目的地がまだ先だったら、戦力は多い方が良いでしょ。男の人の方がどうしても体力あるし……。と、言うわけで、ロニさん、カイル君、ジューダス、よろしく」
莢が言うと、男三人は頷いた。そしてジューダスがさっさとガルムを探しに行ってしまうと、ロニとカイルだけが、何故か莢の方を見ていた。
「?あの、なにか……?」
やはり参加した方が良いんだろうかと思いつつも、莢は首を傾げた。ロニとカイルは少しばかりわざとらしく、咳払いをした。カイルは、ロニを真似る様だったが。
「敬語と敬称、つけなくて良いぜ。堅っ苦しいしよ。俺達だけ敬語なんてたまったもんじゃねえ」
「そう言うこと!オレ達も呼び捨てで呼んじゃうから」
「……そう、ですか?」
「そうです。だから次から敬語と敬称抜きな」
「じゃ、ちょっと行ってくるね!」
「あ、いってらっしゃい」
莢は元気よく走り出した背中を見ながら、ノリで手を振った。暫しの、どころかたった数十分ほどの別れである。遅くとも1時間ですんでしまうだろう。
先を行ったジューダスが二人を怒鳴りつけている声を聞きながら、莢達はモンスターも警戒して近寄ってこない毒草付近に腰を下ろした。
「マリアの敬語って癖なのかい?」
森の中を走り回る音が聞こえる中、ナナリーが尋ねた。リアラも少なからず気になっている様で、莢はその質問に答えた。
「ううん。私の住んでいた国では、それが当たり前なの。初対面の人には敬語。同年代とかでも、全然面識ない人とならたまに使っちゃったりね。……敬語って余所余所しく感じるでしょ?でも不快感は与えない良い言葉遣いだと思ってて」
「つまり、わたし達と距離を置きたかったの?」
「ん……ま、ね。一線は引いておこうと思ってたよ。……これは私のルールみたいなものだから、皆は気にしなくても良いけれど」
苦笑気味の莢の言葉に、二人は納得しているのだかしていないのだかな曖昧な言葉で相づちを打って、莢を見た。
「そう言えば、マリアの髪って珍しいね。瞳も黒だし」
「ちょっと茶色がかってはいるんだけどね。私の住んでた地域では普通だよ。この辺じゃ、余り見ないけど」
莢は言うと、誤魔化す様に笑って見せた。リアラは俯きがちに何かを考えていたが、やがてそれもカイル達の威勢の良いかけ声と共に消えていった。
ガルムの牙は五個集まった。ナナリーは手際よくそれをまとめると、ソーサラーリングで点火し、毒草の中に放り込んだ。
草は勢いよく燃え上がり、皆は知らず口元を覆って後退した。
鎮火までは直ぐだった。炭になった草を踏みならしながら、皆は森の出口へと出た。数時間ぶりの太陽が酷く懐かしく思え、カイルなどは思い切り伸びをした。
「あ、あそこ……」
森を出て、見える位置だった。莢が指を指し、その方向には蒼天都市ヴァンジェロと似た様なドームが見えた。十中八九あれだな、とジューダスが呟く。
「じゃ、目的地までそんな遠くねえし、少し休憩しようぜ」
「悪くないが、遠くないからこそ早く行くべきだ。時間的にも昼前と言ったところか……空腹は食べ歩きで賄った方が良い。異論はないだろう」
「へいへいっ……。しゃあねえな、フードサックにはあんま食料って入ってねえぞ?」
「僕はグミで良い」
ジューダスは自らも補充していたのだろうグミをかじりながら歩き出した。その後を遅れまいと、カイルが。そしてリアラが。やれやれ、とナナリーが。おい待てよとロニが掛けだした。
「……」
莢は皆の後ろ姿を見ながら一つだけ呼吸を置くと、直ぐに殿を務めながらその後を追った。
来るべき別れの時は確かに存在し、それは避けられるはずもなく莢をこの世界から分かつだろう。今はまだ、その時ではないと言うだけ。
けれどどうか、今だけは。気を抜けば溢れる虚しさをひた隠し、皆と共に在ることを喜びたい。
そう、朧気ながらに思いながら。
着いたのは紅蓮都市スペランツァ。ヴァンジェロと同じような場所だった。皆はまず回復施設に向かって身体を癒してから、改めてその景観を仰ぎ見た。
紅蓮都市というだけあって、蒼天都市ヴァンジェロとは違い壁の色が赤い。まさか違いはそれだけかと疑いたくもなるが、そんなことは今はどうでも良かった。
「……取り敢えず一階には何もないようだな」
「二階へ上がってみよう」
少しでも何かの手がかりを得られたら、と癒えたばかりの体を使って二階へ上がる。ヴァンジェロの様な噴水は見当たらなかったが、変わりに何かの装置が二階の真ん中に設置されていた。
「何だ、これ?」
カイルが訝って、ジューダスがそれを見た。触っても問題はないだろうと言うことで、それのレバーを引く。すると、皆の前に巨大なモニターが突如現れた。
「なんだあ?」
ロニが素っ頓狂な声を上げたが、ジューダスと莢は18年前のダイクロフトの様な装置なのだろうと勝手に解釈すると、それを凝視した。
「……地図、だな。確かに現代のような気もするが……若干違うか……。ファンダリアの領土が減っているな」
「うん……。それにこの三つの光っている点……。ヴァンジェロにこのスペランツァ、ファンダリアのハイデルベルグ辺りのはレアルタ、だって」
莢が読み上げると、ジューダスの背中がにわかに喧しくなった。二人は慌ててカイル達を見たが、カイル達は地図に見とれている様で二人の動揺には気づいてなかった。
それに安堵しつつ、ジューダスは何だ、と呼び掛けた。その背に携えた剣がそれに応え、僅かに空気を振るわせた。
『ヴァンジェロにスペランツァ……それにレアルタと言えば、天地戦争時代の都市の名前なんです』
シャルティエはギリギリに押し殺した声で驚いていた。まさか、と、乾いた声さえ漏れている。
「天地戦争時代の……しかしここは明らかに現代のはずだ。環境が1000年前と違う」
『そうですけど……でも地図を見た限り現代でも違いますよ?』
「僕たちの疑問の原点は、あの洞窟からずっとそれだ」
ジューダスが言って、暫く考え込むために黙り込んだ。莢はそれを伺いながらモニターを見た。
機械文明の発達はまだまだ改善の余地はあるが、あのように何もない場所に画像を浮かび上がらせる装置は、莢の居た世界でもまだまだ発明されては居なかった。世界自体が違うのだから大気も惑星の歴史も違って当たり前故に、莢は凄いな、と思った。恐らくこの世界では、機械よりも先にレンズの力を応用する技術が専攻していたのだろう。それを動力に機械が動いていたのだ。恐らく建物の中の明かりなども全てレンズの力を応用しているのだろう。昌術の存在や神の実在等、少しばかり相容れないものはあったが、それでも莢が居た世界とほぼ同じような文明に、莢は親しみを感じた。
しかしここの回復施設はどうだろうか。何らかの形で脳波や神経に訴えかけ身体を癒しているのか、そもそも細胞などを活発にさせる働きがあるのか。突飛な技術に莢はついていけない部分もあった。最早あの回復施設が医療と呼べるのかすら分からない。
「……ここにはもう何もないだろう。レアルタへ向かおう。何か分かるかも知れない」
ジューダスの声に、莢ははっとなった。装置のレバーを元に戻し、画面を閉じる。また少し歓声が上がったが、ジューダスは気にせず階下へと降りた。
「ま、待ってよ、ジューダス」
莢は慌ててジューダスの後に付いた。ジューダスは少し振り返ったが、直ぐに歩みをはじめた。
「ね、ここで休憩しないの?」
莢の言葉に、ジューダスは少し間と置いてから応えた。足は止まらなかった。
「身体は癒えた。充分だろう?急げば今日の深夜にはレアルタに着けるぞ」
「深夜って……雪国の夜は厳しいよ?モンスターだって出るし」
「ここはどうにも落ち着かない。僕はせめて現代であるのに現代じゃないこの謎位解いて気持ちを落ち着かせたい」
ジューダスは言い切って都市を出た。莢が後ろを伺うと、皆もちゃんとついてきている。
「……ジューダス、不機嫌だね」
「……分かるか」
「一応。なんか口元が何時にも増して険しいから」
莢の言葉に、ジューダスは口を覆った。しかし不機嫌である理由は明かさなかった。莢も追求はしなかったし、特に聞かねばならない様な雰囲気でもなかったので、莢は少し沈黙を置いた。
「……レアルタに行って、ここがどこだか分かって、ダイクロフトの謎も解けたらいいね」
「そうだな。エルレインが一噛みしている時点で、一筋縄では行かないだろうが」
重い溜め息と共に出た言葉には、一種の呆れが含まれていた。
2005/08/09 : UP