光の旋律

 レアルタへの道のりはそう、酷くはなかった。ナナリーは寒いところは慣れていないとぼやいていたが、とジューダスは神の眼を巡る騒乱に際して行き来していたし、経験としては豊富な方だと思われた。
 降りしきる雪と、積もり積もった雪。そして視界の利かない森を抜けつつ皆は黙々と――カイルはリアラを巻き込んで楽しそうだったが――歩き続けていた。
カイルの楽しげな声や諸々の音を無くせば、そこは凍てついた空間に他ならない。は、思い切り息を吐いた。冷たい空気に驚かないよう、慎重に息を吸って、また、吐いた。
「……?」
 ジューダスが不審そうな目でを見た。しかしは直ぐにその呼吸の仕方をやめてしまった。一度大きく溜息をつきたかったのだろう呼吸の乱れは、ジューダスがを見ていると直ぐに終わってしまった。
 物憂げな横顔が酷く気になったが、掛けるような言葉が見当たらなかった。どうした、と聞けば、彼女はきっと少し困ったような、寂しいような笑顔でなんでもないとはぐらかすだろうと、ジューダスはなんとなく思っていた。確証はないが、ジューダスはそんな感じがした。
 が、細い息を吐いているのが見て取れる。口から出た湯気のようなそれは、蒸気機関車のように歩を進めるの後ろへと下がって行く。その鼻が少し赤いのを見て、ジューダスはを見過ぎていることに驚いた。
 なんでもないことなのだ。と言えば、せいぜい少し他の面々よりか出会ったのが先と言うくらい。しかも今回の『仲間』は先の旅の血縁者や時代違いの人間であったが、総じてお人好しだった。
 だと言うのに、ジューダスが様子を伺うのは、殆どとカイルに限られていた。
 その心の奥底に、いつ何時が消えてしまうか分からない不安があったのかも知れなかった。しかしそれはジューダスにも分からず、ただ歩きながら自分の気持ちを弄んでいた。
 雪は、無音で降ってくる。
 降ってきた雪は積もっている雪に降り立ち、それをカイルが踏んでゆく。その後を追うように、リアラとロニが歩いていた。
 は、それらを見ながら、また、息を吐いた。
「……どうしたんだい、マリア?さっきから呼吸が乱れてるよ」
「あ、……ううん。なんでもないよ」
 やはり、とジューダスは思う。なんでもありそうな顔をしてなんでもないと、微笑を伴わせて。は声を上げた。
「少し、ジューダスと、他の仲間といた頃のことを、思い出してただけ」
 その声は、酷く楽しげだった。それが信じられなくて、ジューダスは仮面の下で、僅かに目を見開いた。
「全ての始まりは、ファンダリアだったなって。そうして今回も、始まりはファンダリアだった。ファンダリアの土地は、私にとって始まりだから……。少し、ちょっとだけ昔のことを思い出してただけ。どちらも、一人だったから」
「……ふぅん?あたしには分からないけど、マリアはファンダリア出身なのかい?」
 ナナリーの質問に、は曖昧に笑って、アクアヴェイルだよ、と取り繕った。カイルやロニ、今はここにいないアルフレッド達にはそう通してあるのだから、それで統一するより他はなかった。
「雪の中を一人で歩くのは少し怖かったな。無音の中で降る雪に、私さえも白く消されていく気がして、落ち着かなかった。色々あって、もどかしく感じたり、不安に駆られたり」
「……悪い思い出……でも、なさそうだね」
「うん。たくさん悲しいこともあったけれど、とても楽しかったよ」
 言うと、は綺麗な笑みを浮かべた。とても、綺麗だった。
「ジューダスは昔と大分変わったよね」
 急に振られ、ジューダスはの顔を凝視してしまった。
「僕が?」
「うん」
 まじまじとを見るジューダスに、ナナリーが興味を示した。
「どう変わったんだい?」
 ジューダスの制止が入るかも知れないとナナリーは思っていたが、それは入らなかった。
「広くなったよ。色々ね」
 ふふ、とが笑う。ナナリーはジューダスを見て首を傾げた。
「……どこが、どういう風に?」
 問えば、は秘密だよと笑ってジューダスに目線を移した。それは、彼にさえも秘密だった。ただ、は楽しそうに笑顔を浮かべて、腰の後ろで手を組んで、機嫌良く歩みを早めた。
「……ジューダス、今の言葉の意味、分かったかい?」
「フン、言葉の意味どころか一瞬あいつが分からなくなった」
 対してジューダスは、少し機嫌が悪そうに。ナナリーはやはり首を傾げて、二人の面白い対比を眺めていた。
 こそ変わったと、ジューダスは思う。ここまでに機嫌の良い彼女を、果たして過去に見たことがあったろうか。
 その理由は、ジューダスは勿論、以外の誰に分かるはずもなかった。



Event No.44 思惑



 レアルタに着くと、やはり先の二つの都市と同じくして、額にレンズを埋め込んだ人々が居た。彼らは外部の人間である皆を興味深そうに遠巻きから見ていたが、話し掛けてくることはなかった。
 汚れるイメージがあるのかも知れない、とジューダスは思う。しかしやたらに話し掛けられるとぼろが出る可能性もあり、それはそれで好都合ではあった。
 皆はまた同じように回復施設を利用して、街を隈無く調べ上げた。しかし、何らかの装置とおぼしき機械は見当たらず、混乱が増しただけだった。仕方なく住民に尋ねてみたが、どこかに資料室のようなものがあると聞いたことがあるという、酷く曖昧な返答しか得るものはなかった。
「……資料室、か……」
 ジューダスは渋面を作った。見当たらないと言うことは、潰れた可能性もあった。話を聞く上で彼らも様々なことを話聞かせてきたが、平和呆けのような彼らの話では、『過去を振り返り未来をより良いものにする』と言う気概は全く見られなかった。となると、資料室の意味は自然無くなるだろうとジューダスは思う。
「……」
「どうした?」
 ふと、が球体のようなレンズのオブジェを見ていることに気づいて、ジューダスは声をかけた。つられるように、皆がを見た。
 は皆の顔を見渡してから、
「このオブジェ、ヴァンジェロにも、スペランツァにもあったなって。ダイクロフトから放たれた光と関係ありそうな気がして。ほら、丁度ドームの真ん中にあるから」
「ふむ……だが今は何はなくとも資料室だな」
「……まぁ、そうだけど。カイル、ソーサラースコープ、使ってみたらどうかな?それを使えば何か……」
「そうだぜ、それがあったじゃねえか!なんで気づかなかったんだ」
 の言葉を引き継ぐような形で、ロニが苦く笑った。カイルはリアラと街の中を見渡していたが、そっか、と同意すると、スコープにレンズをはめた。ボタンを押して起動させると、薄い光の膜がカイル周辺を覆う。カイルはその光が持つ内に、とその辺を歩いてみた。
 一度目は何も見つからなかったが、根気よく続けていると、ふと、オブジェのある階段の下で、反応があった。僅かな音と共に知らされるそれに、ジューダスが辺りを見渡す。
 は側にあったツル草を退けてみた。何もなかった。
 しかしそれに習ったロニが、壁の違和感を伝えた。
「ここ、色違くねえか?」
「ホントだ」
 押せば、その壁はいとも容易く崩れ落ちた。音がしないでもなかったが、住民の関心を引かない内に、皆はその中へ潜り込んだ。
 中は薄暗く、直ぐ近くさえも見えない。互いの気配は掴めたが、進みづらかった。
 なんとか壊した入り口の光を貰い受け、足を動かす。が、声を上げた。
「何か機械がある……。ジューダス、レバー引くよ?」
「頼む」
 暗い所為で距離が取りにくく、思いのほか二人の位置は近かったのだが、次に出てきたものに衝撃を受け、それどころではなくなってしまった。
 廃墟のようなそこは、確かに資料室だったのだ。スペランツァの投影機と同じく、レバーを引くと映像が映し出された。ただし、動画だった。
 今度の投影機は音声付きだった。その声は、説明を始めた。
 天地戦争時代の話は、大まかには一緒だった。天上と地上とで戦争が起こり、ダイクロフトは、ベルクラントは破壊兵器に変わった。そこまでは。根本的に変わっていたのは、その次だった。
 本来ならば、ディムロス達が乗り込み、そして倒すはずだった天上の王、ミクトラン。その為の手段として、浮遊させたラディスロウが、ベルクラントの攻撃によって破壊されたというのだ。
 地上軍は破れ、寒く薄暗い中での生活を余儀なくされた。太陽光など、当時地表に届くはずもなく食料は潰えた。何せ太古の彗星衝突により、未だに塵や砂埃が惑星を覆い、それを許すことがなかったのだから、人々がその後どういう意味を選んだのかは、想像に難くない。
 人々は飢えていた。渇望した。そして、人ならざるものの力が、現状を変えてくれはしないかと祈った。人ならざるものとはつまり、神だったのだ。
 絶望の中で、一陣の光が見えた。それは間違いではなかった。
 一人の女性が、地上に住む人間の前に現れ、彼らにレンズを利用して生きる術を教え、そして食料も病気も、何も心配ない世界を作ったのだと。
 女性の名は、エルレイン。彼女はダイクロフトの中にあった神の眼と呼ばれる高純度のレンズを使いこなし、地上の民に清浄な空気の詰まったドームと、豊かな食料を与えた。
 なんて幸せな世界だろうと、その言葉はなかった。それが、なんとかジューダスの怒りを押し殺していた。
「……なんだ、この歴史は」
 吐き出された言葉は、憤りの影が滲み出ていた。
「地上軍、負けたことになってる」
「いったいどうして……」
 愕然とする皆に、は外の様子がおかしい事に気づいた。なにやら騒がしい。
 資料室から出ると、先ほどが見ていたレンズのオブジェの周りに、たくさんの人々が集まっていた。
「なんだぁ?」
 素っ頓狂な声を上げ、ロニが苦い顔をした。カイルは階段を上がって、その途中にあるオブジェの周りの住民に声をかけた。
 住民はとても幸せそうに笑って、答えた。
 エルレイン様から、有り難い力を授かっているんだよ、と。
 資料室の映像には、続きがあった。
 エルレインは生きるための活力になると言う光をベルクラントから発射し、三都市にあるドーム内の、レンズのオブジェに供給しているらしい。
 そして人々はそこから、額のレンズへと光を移し、生きていると。
 世界の仕組みを解した皆は、沈黙するしかなかった。
「……じゃぁ、父さんや母さんも、アルもいない?」
「それどころか、神の眼を巡る騒乱も…」
「……」
 皆が驚いているのを余所に、光を享受する作業は終わったらしい。散り散りになっていく住民を見ながら、皆は息を落とした。
「でも、分かったね。ここは現代なんだ。エルレインが、天地戦争時代に歴史を改変した、後の。多分、その瞬間私達はリアラの力で”安全な場所”に移動する途中だったから、影響を受けなかったんだよ。飛んだ先は確かに”安全”な”現代”だったんだ」
 は言うと、座り込んだ。乾いた笑いが、自然に漏れた。
 マジかよ、とロニが頭を抱えた。
「フン……あの女、とうとう僕たちの存在まで消してしまえと考えたか」
 ジューダスが言って。
「天地戦争の時代から変えられちゃ、誰も彼も消えてしまうよ」
 が、大きく息をついた。
 ジューダスの眼がカイルに移動し、真剣に何かを考えている様子の彼を映し出した。
 カイルは俯き加減に唇を引き結んでいたかと思うと、ぽつり、と吐き出した。
「……確かに、この世界は平和だと思う。怖いことなんて何もなくて、痛い思いもしなくて……でも、それって幸せなのかな?痛いことも怖いことも知らないままで、幸せって言葉を使うなんておかしいんじゃないかな?」
「カイル……」
 カイルの言葉に、リアラが反応した。
「でも、わたしは幸せだと思うわ。だって……」
「違うんだ、リアラ」
 言葉を続けようとしたリアラを遮って、カイルがリアラを見た。
 真剣な瞳はスタンを思わせ、の中で過去が蘇る。
「オレが言いたいのは、違うんだ。確かに、オレ達は痛いことや辛いこと、悲しいことや苦しいことを知っていて、でも、それと同じくらいに、楽しいことも知ってるだろ?だから辛いことは嫌だと思うし、苦しいことから逃げたいって思う。その分、楽しいことや嬉しいことは、もっともっと噛みしめたいと思う。でも、此処の人たちはそんなこと、思ったことないんじゃないかな。だったら、幸せとか、幸福とかって、本当は分かってないんじゃないかな。オレ達じゃないよ。此処の人たちが、だよ?」
「それは…」
 カイルなりの言葉に、リアラが言い淀んだ。カイルの意見を聞きながら、ナナリーがあたしも、と声を出した。
「人が死ぬ悲しみも知っているから、人が生まれる時の喜びだって、凄いんだ。何もかもが用意された世界で、エルレインの力に頼って生きてるなんて、そんなの、支配されているのと変わらないじゃないか。自分で物事を決めて、それを実践する。だから充実感もあるし、悔しい思いだって出来る。なぁんにも考えないで幸福だって生きてて……でも、それは実は、あたし達のいた世界の人達の犠牲の上に成り立っているじゃないか」
「……!」
 リアラの瞳が、驚きに揺れる。
「誰かが幸せになると、誰かが犠牲になる。人間はそうやって生きてきた。犠牲になった人間は恨みを覚え、怒りに身を震わせて憎悪を育てる。結局はこの世界だって変わらないよ。だれも、犠牲になった人のことを知らないだけで」
 が静かに締め括った。リアラはたくさんの犠牲、と言葉を吐き出した。
 そうだ、とジューダスがレンズを見た。
「この世界は、僕たちの居た世界という犠牲の上に成り立っているんだ」
 投影機を見た直後よりかは幾分か収まった怒りは、しかし以前として彼の中で燻っていることは見て取れた。瞳は鋭く、威圧感がある。
「僕はこんな世界はごめんだ」
「……私も。悲しかったけど、私達の作った過去が消されるのは嫌だよ。あの世界には、仲間が残してくれたたくさんの軌跡があったのに」
「……」
 一度、沈黙が降りた。ロニが、口を開ける。
「そうだぜ。俺は知ってる。人が死ぬ悲しみも、人が生まれて、生きる喜びも。数え切れないほどの感情があって、人間だろ?いろんな葛藤をするのも人間だ。そんなのがないこの世界は、気味が悪いぜ」
 その言葉に後押しされるように、カイルが、リアラに伝えた。
「オレはこんな世界、間違ってると思う!オレは、オレ達の居た世界じゃないと、嫌だよ。オレ達の世界がいいんだ。苦しいけど、逃げたくなるけど、それでも一生懸命に悩んで、生きてるあの世界が!」

2005/08/19 : UP

«Prev Top Next»