光の旋律

 リアラは、カイルの言葉を聞いていた。明るいだけのカイルではないのだ、とその認識を改める。カイルは、カイルなりにも考えていたのだと。
 その上で、この世界ではなく、苦しみや悲しみの絶えない世界を選んだのだと。
 リアラにはその事がよく分からなかった。痛いことや怖いことなんてない方が良いと思っていた。けれど、
【この世界は、僕たちの居た世界という犠牲の上に成り立っているんだ】
 ジューダスの言葉に、リアラは引っかかりを覚えてもいた。
 この世界は確かに『幸福』だ。
 しかし、それと同じだけの犠牲を払ったと言うことは、それだけ『幸福にはなれなかった』人々も居たと言うことなのだ。その存在がある限り、全ての人々が幸福であるとは言い切れないのではないのか、と。
 リアラの探す幸福は、エルレインのそれと違う方向を指し始めていた。人々を幸せにするために、リアラは英雄を捜していた。英雄は世界を救う。それによって人々を救う。
 けれど確かに、その英雄と呼べる人々ですら救えなかった命はあったのだ。リアラは、その人々がいる限り、完全な幸福はないのかも知れないと考えた。
「リアラ、行こう。エルレインを倒しに!!オレ達の世界を取り戻すんだ!」
 ――カイルがリアラを見た。真剣で、真っ直ぐな眼だった。今までリアラが見たことのないほどに、英雄になると言っていた眼とは違う、それよりも遙かに強い意志を持った、研ぎ澄まされた鋭い目だった。
「……うん」
 リアラの首が、縦に振られた。



Event No.45 沈んだ意識のその中の



 エルレインがいるというダイクロフトへの道を模索するのに、そしてそれが見つかるのに、さほど時間は要さなかった。エルレインを崇拝しているような人々に、彼女のことを尋ねれば良いだけだった。
 エルレイン様はダイクロフトにおわします。ここから北の山頂にある、光のほこらから、選ばれた者だけが、そこにゆけるのです。
 住民は皆そう言って、行くべき進路は直ぐに決まった。
 ジューダスはカイルよりも早くドームから出た。慌ててがその後を追う。
「ジューダス?前から機嫌悪いけど、どうかした?」
 早足で歩くジューダスの隣を歩きながら、は尋ねた。ジューダスは少し沈黙したまま歩いていたが、吹雪いた雪に少し目を瞑って、それから
「……僕たちが……いや、あいつらが築き上げてきたものを壊す者は、誰であろうと許さない。あいつには生態系も世界の理も何も関係ない。なんでもないことのように容易く歴史を好き勝手に改ざんする行為は、ヤツに限らず許されざることだろう。それを知っているからこそ、尚のこと」
 怒りにまかせたように声を荒げたジューダスは、深い雪に足を取られながら歩いて行く。も同じくらい足を取られながら、しかしジューダスの声は、吹雪に攫われて、他の面々に届くことはなかった。それに安堵さえ覚えながら、
「……良かった」
 は、そう呟いた。僅かにジューダスにも声は届いたのか、ジューダスはを伺い見た。
「スタン達は、ちゃんとあなたの中に居たんだね。大切だって、思ってくれていたんだよね?」
 酷く幸せそうに笑ったに、ジューダスは困惑した。それから酷く照れた様子で、それを仮面で隠した。代わりのように自嘲を飾って。
「僕とあいつらを仲間や友と呼ぶには、僕は汚れすぎている」
「そんなことないよ。汚れてない。綺麗だよ」
 即座に返ってきた言葉に、ジューダスが揺れた。その口が何かを伝えるために開きかける。
「ジューダス!早いよ」
 しかしそれは、後ろからやってきたカイルの言葉によって閉じられた。
「五月蝿い。お前達の方が遅いんだろう」
「とか何とか言って、実はお前が一番熱血で世界を取り戻すために燃えてるんじゃねえのか?」
「フン、馬鹿の発言だな」
 実際にその通りのくせに、とは思ったが、言わなかった。素直ではない彼を突いても更に素直ではなくなるだけだった。
 光のほこらまでは直ぐに着いた。とは言っても、山道は辛く、途中で野営を試みた。幸いにもかまくらのようなものを作れば風は凌げたため、体力を酷く消費することはなかった。
 火をつけるのもままならないため、グミを噛みながら一夜を過ごし、寝る。レアルタで回復施設を利用していたのも手伝って、疲労が翌日まで持ち越されると言うこともなく、翌朝カイル達は直ぐに歩き出した。
 山の山頂に着いたが、それらしきものは見つからず、朝の晴れた時間に辺りを見渡す。すると、太陽の光に照らされて、光る何かが見つかった。カイル達が今居る場所から、少し西にあった。思いのほか近い。昨晩は暗くて見えなかったのだろう。
「あれかな?」
 カイルが光り何かを指差すと、ジューダスは頷いた。
「他に何もないからな。十中八九あれだろう」
 雪が光を反射し、眩しい。ジューダスも仮面の下で眼を細めた。

 その光る何かは、オブジェのようなものだった。何か、転送装置のようなものにも見えた。三都市の回復施設と作りが似ている。
 その前に、人間が居た。
「なんだ、君達は」
 幾分かぞんざいな言い方に眉をひそめる。カイルはエルレインの所へ行くから行き方を教えて欲しいと頼んだ。
 門番のような男は、それにひとしきり笑うと、
「無理だ無理だ。君達がエルレイン様に選ばれた者であるはずがないだろう」
「オレ達はいけるよ。エルレインに用があるんだ」
「君達があっても、エルレイン様にはないだろうよ。ほれ、そこの円形の中心に立ってご覧。選ばれた者なら、いけるはずさ。あのダイクロフトまでね」
 勝ち誇った笑みに、カイルは笑う。そして、円を囲むように置かれた三つのオブジェの脇を潜って、その中心部に立った。アーチのような飾りの中央から、光が漏れる。男の狼狽した声が聞こえた。
 皆はそれを習って、カイルの居る側へ近寄った。次々と光に包まれる。
 光は大きくなり、皆を飲み込むと小さくなって空へと飛び跳ねた。
 地上に残ったのは、呆気にとられた男だけだった。
 あまりのまぶしさに目を瞑っていたカイルは、ふと光が収まったのを感じて目を開けた。
「う、わぁ……!」
 そこには、不安定な様子もなく浮いているダイクロフトが見える。下には雲すら浮かんでいる。
 カイルの声を受けて、他の皆も感嘆の息を漏らした。
「すごい……浮いてる」
 が感心したように呟いた。ジューダスは行くぞ、と声をかけ、カイルの背を押す。
 その前に風が吹き、皆は足を止めた。
「来たか、愚かな人間共よ……エルレイン様の崇高な目的を邪魔するものは……このダンタリオン、例外なく排除させて貰う!」
 現れたのは、飛行竜で姿を見せた老人その人だった。ダンタリオンと名乗った老人は、エルレインの側近だろうか、神官を二人連れていきなり詠唱を始めた。
「まずい!詠唱を完成させる前に叩くぞ!!」
 ジューダスが剣を取り、ロニがまず神官をのしていた。カイルはダンタリオンに真っ直ぐ突っ込んでいく。
「牙連閃!」
 ナナリーの矢が、その間を抜けて飛ぶ。ダンタリオンは矢を払うために詠唱を中断せざるを得なくなった。連続して放たれた三本の矢の内、当たりかけた二本を払い、なんとか体勢を整える。その間にカイルがダンタリオンの懐の潜り込むことに成功していた。
「食らえッ!閃光衝!」
「ぐあぁあっ!!!」
 下段から放たれた真空波がダンタリオンを襲う。は神官がダンタリオンの方へ注意を逸らした隙を狙って、もう一人を気絶させた。弓を取り払い、攻撃手段を奪う。矢はナナリーに手渡し、すぐさま応援に回ったがその必要は既になかった。
「月光閃!」
 ジューダスがのけぞったダンタリオンの真正面から、大きく弧を描いて剣を振り下ろした。
 ダンタリオンはそれを受けて身体を宙に浮かせ、そして、足場のないそこから落ちていった。
「……行こう、エルレインは直ぐそこだよ」
 間違いなく、カイル達も自分達の目的のために犠牲を積み上げて行っている。それに矛盾を感じながら、リアラはの言葉に頷いた。
 ダイクロフトへと侵入を開始する。エルレインの居る場所まで、そう長くは掛からなかった。真っ直ぐな通路を歩いていけば、見える神の眼。
「……」
 エルレインは、侵入者達の顔を見た。無言で、少し、悲しそうな顔をした。
「よぉ、よくも俺達の世界を弄ってくれたな、エルレイン!」
 ロニの啖呵がダイクロフト内に響く。エルレインの目線が、リアラに映った。リアラは少したじろいで、しかし目は背けなかった。
「愚かな……何も考えず、ただ全てを私に委ねていれば、幸福が約束されるものを……」
「それは違う!オレ達はオレ達自身で幸福が何かって考える!誰かに約束された幸福は、幸福なんかじゃないんだ。誰かに与えられた幸せは、本当の幸せじゃない!」
 カイルが叫んだ。は、それに続いて声を上げた。
「私達は、悩んで、傷つけ合って、苦しんで、悔やんで、そうやって生きてきた。それと同じほどの楽しさや嬉しさも感じてきた。幸せって言うのは、自分が求めて手にするから幸せなのであって、そこに一般定義は存在しないんだよ。なにがしあわせなのかは、私達が決めることなの」
 静かな声だった。エルレインはを見て、一度、目を閉じた。息を吐いて、また、静まりかえる。
 目を開けたエルレインは、理解しがたいといった風に眉を寄せた。嘆いているようにも見えた。
「何故……」
 苦しそうに呟かれた言葉。それに、ジューダスが
「何故、だと?そうだな……お前に全てを握られているのが不愉快だからだ。他人に踊らされるのはごめんだ」
 嘲笑と自嘲すら含んで、エルレインを睨んだ。彼女の顔が強張る。
「……お前とて……世界に見放されたお前を、本来ならば英雄と呼ばれるはずだったお前を、折角日の当たる舞台へ出してやったというのに……」
「生憎と頼んだ覚えはないな」
「蘇らされた分際で……台本通りに舞台を進めぬ輩だとは思わなかったぞ」
「それは光栄だ」
 ジューダスが笑う。
「おいおい、ジューダスがなんだって?」
「蘇らされた……?」
「ジューダスは、ジューダスだ!」
 困惑するロニとナナリーを押し切って、カイルが声を張り上げた。エルレインが、悲痛そうな声を上げた。
「お前達は行動を共にしながら、何も聞かされては居なかったのか?」
「何ィ!?」
「そこにいる男の名は、リオン・マグナス。私の手によって蘇った、本来ならば英雄となるべき男だ」
「……」
 ジューダスが黙した。信じられないと、視線が一気にジューダスに集中する。
「……じゃぁ……マリアは……」
「その女は、18年前にリオン・マグナスと共に沈んだ、高谷だ」
 は、言葉に詰まった。エルレインの、を見る目が変わっていたからだった。
「その女は異世界からやってきた。帰る手段もある。それだというのに、リオン・マグナスと果て、未だにこの世界に留まっているとは……。その女の魂がリオン・マグナスと共にあった所為で蘇ったのだ。お前は、本来ならばそこに存在することすら叶わない存在なのだぞ」
 エルレインの言葉には、ジューダスですら驚きを隠せなかった。記憶を失ったと言う発言は単なる文だったのだろうか。は、苦々しそうにエルレインを見た。
「私は……私は、それだから彼と一緒にいるのが幸せだった。彼と一緒に生きたかった。離れるなんて、出来なかった」
 胸元に手を当てて、は俯いた。
「……本当、なのかい……?」
 ナナリーが、伺うように尋ねた。
 は、頷き、そして、ジューダスは。
 仮面を、ゆっくりと外し。
「……僕は……リオン・マグナスだ」
 そう、告げた。は、違うでしょう、と呟いて。
「あなたの名前は」
 教えようとした。しかし、それは叶わなかった。ジューダスはきつい眼でを見た。そして念を押すように、裏切り者の名を、もう一度語った。
「ジューダス……マリア……」
 ロニが、困惑したように名を呼んだ。
「そんなことも知らずにいたからこそ、お前達は共にいられたのだろう?お前とて、もう一度裏切ることになるとは思いもしなかったろう。裏切りは悲しいだろう。苦しいだろう。私の腕に抱かれよ。そうすればもう、何も心配することなど無いのだ。愚かで、愛しい人間よ」
「!待って、エルレイン!」
 エルレインは神の眼を使った。光が溢れ、ロニ達の身体が消えていく。は消える寸前、ジューダスを見た。彼もまた、を見ていた。

「……」
「リアラ……お前はこんな所で、何をしているのだ」
「っ……それは……」
 二人になったダイクロフトで、声が響いた。エルレインの声に、リアラは言葉を詰まらせ、沈黙する。
「エルレイン、カイル達に一体何をしたの!?」
 俯いていた顔を上げて、リアラが抗議の声を上げた。エルレインはただ眠りにつかせたのだと答えた。
「夢の中で、彼らは永遠に幸せなまま時を過ごして行くのだ」
「……!」
 穏やかな声に、リアラは目を見開いた。そして、
「そんなのは、幸せじゃないわ!ただの夢なのよ。夢は夢だけの存在なの。幸福なんかじゃないのよ!あなただって分かってるでしょ!?」
 激しく、エルレインを責めた。エルレインはリアラの言葉に眼を細めて。
「では、お前の言う幸福とはなんなのだ?お前は人を幸福にしているか?……しては居まい。満足に己の使命もこなせぬ者に、そのような言葉は不相応だ」
「っ……。それでも……それでも、カイルはいつも一緒にいてくれたわ!幸せが何か、必死に探してる……。人間って、自分で幸せを見つける力を持っているの。わたしは……わたしはそんなカイル達が好き。だから……だから」
 必死の言葉に、リアラの首飾りが光に溢れた。
 エルレインは黙ってリアラの言葉を聞きながら、彼女がペンダントの光に消えて行くのを見ていた。
「……愚かな……」
 呟いた言葉は、誰に聞かれることもなかった。


 リアラはカイルとロニの中に飛んだ。彼らは父親の死を見つめていた。旅に出ていたと知らされていたカイルの父親、スタンは、バルバトスに殺害されていた。幼いカイルは、それを受け止めるだけの精神を持っていなかった。だから彼の父の死は、彼の中で未消化のまま無意識の奥底へ沈んでいたのだ。
 楽しそうに遊んでいたロニとカイルの夢。リアラはカイルとロニの目を覚まして、悪夢とも呼ぶべきその記憶を呼び起こしてしまったことに、多少なり心苦しさを感じていた。
 それでも、カイルは見事に、父親の死を受け入れていた。死を隠しつづけていた母親のルーティや、ロニ、アルフレッドの心を汲むまでに、カイルは成長していたのだ。

 リアラが次に入り込んだのは、ナナリーの精神世界だった。弟の死を悔い、確実に受け入れていなかった彼女は、元気な弟と共に過ごしていた。彼女はカイル達を認識すると笑顔を見せたが、ロニが、彼女の目を覚まさせた。
 これではいけないのだと。弟は実際には死んでいて、墓だってちゃんとあるのだと。
 ナナリーは受け入れようとはしなかったが、弟に生きていて欲しかったと願う、その気持ち以上に。本当は、弟が死んだという事実を、感じていたのだろう。
 ロニが墓を見せた瞬間に、ナナリーの夢は崩れた。
 死ぬ悲しみを知っているから、生きる喜びも分かるんだろ、とロニが慰めた。リアラは、それを見ながら移動した。

 次の世界は、洞窟の中だった。声が聞こえる。皆が進むと、そこには、男女が立っていた。
 男は、リオン・マグナスその人だった。女はだった。
 の顔が、歪んだ。それは、苦痛ではなく、歪められた、奇妙な笑みだった。
 カイル達はその顔に、戦慄すら覚えた。あのような顔は、見たことがなかった。
 は脇腹に触れて付いた血を見て、暫くして剣を落とした。膝を突いた。俯せに倒れた。
 その流れを、長い間見ていたリオンは、最後にの短剣を捨てた。
「……なか……」
 は、脇腹から血を流しながら、声を出した。力を入れることすらもう出来なくなろうとしていた。
「ェ……ミリ………オッ…………」
 が必死にリオンの名を呼ぶ。カイル達は訝しんだが、気にしている暇はなかった。
 は硬く冷たい地面で這い回った。の荒い息遣いと、呻きと、リオンの名を呼ぶ声と、痛みに悶え打つ音が響く。
「……わわたし……じゃ…………むり……だ、たね……。ェ………オ、あなた、の………ち、から……なれな、か………。あま、か、た……ん、だ……や、ぱり……ぃっ……しんじたく、なく、て……えみ、り、おが………わたし、を……こ、ころそ、と……おもいた、くなく、て。かおを……そむ、けて………いた、の………あなたは……だか、らっ……けし、て……そらさ、ない、で……」
 大量に流れ出る血は死の証。リオンは歩き出した。痙攣する指を、必死に伸ばしたから顔を背けて。
 リオンの足音は遠ざかる。の手は静かに、レンズの飛び散った洞窟内に。
 それから、暫く経った。
 は、もう動かない。
 リオンが去ってから、洞窟内はただひたすらに、水の音だけが響いていた。
 の荒かった息も、のたうち回る音も、必死の叫びも聞こえない。
 辺りに散乱したレンズの上に、の冷たい身体は置かれていた。その指先に当たっていたレンズが突如、光り出した。
 それは徐々に、の身体の下にあるレンズにも広がっていった。目映い、明るい光。
 あれは、とロニが目を見開いた。昌術を打つ時の光に似ていたのだ。
 の身体は一気に、その光に包まれた。
 カイル達は、その全てを見ていた。留めることなど、出来るはずもなかった。
 この夢はエルレインによって操作されたもので、それぞれが望む強い願望を表すもの。しかしこれはどうだろうか。

 場面が一度消え、また、現れた。

 今度は、対峙する四英雄と、リオン・マグナスの姿があった。そして、その背後から現れた、の姿も。
 あの光は回復昌術の光だったか、とロニは思った。が、思うだけにとどめて、その場の情景を見ていた。
「あの後、リオンが奥に歩き出したとき、寂しかったよ。ひとりぼっちで死んでいくことも、地面の冷たさも、全部全部、寂しくて仕方なかったよ。だから、そう思ったから、リオンを死なせたくなかった。一人で何でも背負い込んで、そのまま死んでいくつもりだったリオンを置いて、一人で死なせたくなかった」
 は穏やかだった。
「一人は淋しいよ。独りは、寂しい」
 その顔が、そこだけ少し、切なげに歪んだ。リオンはどの表情も見ていなかった。
「……時間稼ぎは、これで十分だよね」
 は、リオンに言った。そして、体の向きを変える。
「急いで逃げて。ヒューゴはきっと……」
 その言葉は、最後までは紡がれなかった。が言葉を言う途中で、地響きが起こり、辺りは騒然とした。
「いけない!奴はこの島ごと我々を消してしまうつもりだ!!」
「リオン、お前まさかっ……!」
「……言っただろう。僕は捨て駒だと。……行け」
 リオンは下がった。も立ったまま動かなかった。ルーティは叫んだ。
「何でよ!!あんた、マリアンって人がそんなに好きなの?だったら取り戻すわよ、絶対に!!でもそれはあたし達の役目じゃないでしょ!あんたの役目じゃないの!!!」
 それはつまり、リオンの生を願う言葉だった。リオンは微かに笑った。自嘲的な笑みだった。
「初めからこうしておけば良かったのかも知れない。……僕の存在がマリアンにとっての驚異になるなら、僕はここで死を選ぶ。僕の願いはマリアンの幸せだ」
 最後の言葉は、ルーティ達には届かなかった。
「急げ!!このままでは皆死んでしまうぞ!!」
「でもっ……リオンが、が!!!」
「ルーティ!……くっ………駄目だルーティ!」
 スタンはルーティの腕を掴んで、無理矢理に元来た道を引き返そうと身体をひねった。
 とリオンはそれを見送っていた。
「何をしている。、お前も行け」
「目標はこれで達成でしょ?……リ………エミリオの側にいさせて欲しいの」
……』
 がリオンに歩み寄った瞬間、二人の居る岩肌の上部から大量の水が押し寄せてきた。直撃を受けるように、スタン達が流されてゆく。
 ルーティの声が響いていた。しきりに。だが、それも聞こえなくなった。
「生きろ。お前まで死ぬ必要は全くない」
「嫌。……言ったでしょ?ひとりぼっちは凄く寂しいの。こんな所で独りで死なないで」
 縋るようには言った。哀願だった。
『酷いなぁ、。坊ちゃんには僕が居るから独りじゃないよ』
「シャル……」
 シャルティエの言葉を受けて、は少しだけ、笑った。
「ねぇ、エミリオ。私疲れたよ。……私を一人にしないで。あなたが死んでしまったら、私、もっと疲れてしまうよ。生きることが、辛くて辛くてたまらなくなってしまう」
 は、そこまで言うと、泣いた。リオンはの名を呼んだ。
「……」
『坊ちゃん』
 シャルが後押しするように、リオンはの頭を撫でた。
「……記憶よりも何よりも、記憶を失ってから得たものの方が、きっと大きい…。私、エミリオが好きなの……。だからあなたが死ぬと辛いよ。それを、言いたかった」
……」
 リオンは微かに目を見開いた。大量の水はもう既に、しゃがみ込んだ二人の胸元にまで達している。
「あなたが誰かを想ったように、あなたも誰かに想われてることを、知って欲しかったよ」
 は俯いたまま、顔を上げない。
「ああ……。分かったよ、大丈夫だ」
「うん」
 二人は暫くして、顔を上げた。水はもう顎まで迫っている。浮力で浮きながら、二人は微かに笑った。
「シャル、悪かったな、最期まで付き合わせてしまって」
『構いませんよ。言ったでしょう?坊ちゃんには僕が居るんです。それは、最期まで変わりません』
「ああ」
 そうして、リオンと、シャルティエは水の中へ。
 一部始終を全て見ていた四人は、ふと、息を詰めた。
「何故だ……何故お前はこのような悪夢を見る」
 エルレインの声がした。見れば、先ほどまでと共にいたリオンはジューダスとなって、そこに独り佇んでいた。
「僕は一度死んだ人間だ。そんな輩が、何を望めと?仮初めでしかないのを知りながら夢に溺れるほど、僕は自分を許しているわけではない」
 見誤ったな、とジューダスは笑った。エルレインの顔が苦悩に歪む。
「そうだ。ジューダスはジューダス以外の誰でもないよ」
「だよな。リオン・マグナスなんて、18年前の人間だもんな」
「エルレイン、あんたが夢を見させようとしたこのジューダスってヤツはね、リオンじゃないんだ」
 三人の声に、ジューダスは更に笑って。
「だ、そうだ。リアラ、マリアは……はどうした?」
 尋ね、リアラはこれからよと返した。
「そう言うわけだ。僕たちは先を急ぐんでな」
 ジューダスはもう一度笑って、リアラを振り返った。リアラは承知したように頷いて、ペンダントに手を添える。目映い光に包まれた。

 最後にたどり着いた先は闇だった。が居るはずのそこには、何もなかった。
「……どうして……」
 リアラが、困惑したように辺りを見渡した。すると、少し遠い位置に、何かが見えた。
 近くまで行くと、それが何か分かる。
「……これは……ダリルシェイドのヒューゴ邸じゃないか」
 ジューダスが呟いた。
「リオンと……あれは?」
「……」
 ロニが尋ねた先には、豊かな黒髪に穏やかな笑顔をたたえた女性。ジューダスは答えなかった。
 闇の中に浮いているように見えるその情景は、ジューダスには不可解でしかなかった。
「リアラ、ここは当人が望む一番強い願望が現れる場所だな?」
「ええ……でも、マリアが」
「ああ」
 が居ない。穏やかに笑うリオンと、女性以外に、人はいなかった。二人は幸せそうに、お茶会をしていた。
 ジューダスは一つ溜め息を零して。

 呼び掛けた。
、いるんだろう。……リオンはもういないんだよ、どこにも。お前が望んだこの光景は絶対に叶うことがない」
 違う、と闇は答えた。必死に、浮かぶ光景を守るように、闇が震える。
「違わない。……、僕と一緒に行こう。お前さえ良いなら、まやかしじゃないこの僕と共にいてくれ」
 闇は沈黙した。ジューダスは更に呼び掛けた。
「独りは寂しいと、言ったのはお前だ、。僕を一人にするつもりか」
 呆れたような、子どもをしつけるような声だった。ロニやナナリーはその声色に少々驚きはしたものの、ジューダスの説得を黙って聞いていた。ジューダスでなければ、引き戻せないと感じていた。
「僕が言うんだ、この僕が。……、行こう。僕はお前が何者であるかなんて気にしない。お前が僕を受け入れてくれたように、僕もまた、お前を受け入れるから」
 くん、と、闇が動いた。否、幸せを象徴する二人の像が、歪んで消えた。
「……行きましょう。わたし達の歴史を取り戻しに。……天地戦争時代へ!」
 リアラの声が聞こえ、ジューダスは闇から現れたその手を取った。リアラの灯した光に吸い込まれるように、それは徐々に姿を現して。くしゃくしゃに歪んだ泣き顔が、たまらなく嬉しそうに少年を見た。そして、
「……エミリオ」
 掠れた声で、その名を呼んだ。

2005/08/20 : UP

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