光の旋律
静かにダイクロフトに戻ってきた皆は、悲しげに瞳を揺らしていたエルレインを一瞥した。
戻ってきたぜ、とロニが言う。俺達はお前のやったことが納得できない。だから、天地戦争時代まで行って歴史を取り戻す、と。
エルレインは止めなかった。ただ、悲観したような言葉を吐いて、悲しみに暮れていた。
ああ、そうか、と、莢は思った。
エルレインは、本当に人間を幸せにしたいと思っているのだ。最終目的が神の光臨であるにせよ、何にせよ。人間を幸福にし、導きたいと思い、そして彼女は彼女なりに人間を愛しているのだと。
しかし道は違えてしまっていた。だから、私達と彼女は相容れることはないのだと、莢は感じていた。
エルレインの背後にある神の眼の力を借りて、リアラのペンダントが光っていく。莢は光に全てが飲まれる瞬間、呟いた。
「もしも幸福というものが誰かによって与えられるものなら。私は、あなたにこそ捧げられるべきだと思うよ」
言葉の全てを空に放った時、莢は光に飲み込まれエルレインの表情を確認することはなかった。
ただ、エルレインは人間を従えたいわけではないことを、莢は了解した。意固地になりつつある彼女と、かつてのエミリオとを重ねてから、莢は、幸せになって欲しいと願えば願うほど、事態は悪化していくような気がして、少し心苦しくなった。
Event No.46 極寒の地の天才科学者
寒かった。ファンダリアのそれと似てはいるものの、それよりも強い風に打たれ、莢は目を開けた。まだ、エルレインの夢の世界にいた頃の余韻を残しながら、寒さに自分の身体を抱いた。
大丈夫か、と、莢は誰かの手のひらを感じた。ジューダスだった。困惑げに見つめられた瞳の奥には、不安定な感情が見え隠れしているようだった。莢は静かに目を伏せて、大丈夫だよと答えた。
「……どうやら……地上軍跡地のようだな」
「本当に千年前まで飛んできたのか?」
「間違いないはずよ。神の眼を使ったから」
リアラの言葉に、ロニはふぅんと呟いて。ジューダスが歩き出すのにつられるようにして、足を踏み出した。
ジューダスの地上軍跡地というのはあながち間違っては居なかった。ただ、そこは跡地なのではなく、地上軍の拠点だった。つまり、千年前に居ると言うことだった。
皆は歩きながら、辺りを伺った。軍ならではのピン、と張りつめた空気に、莢は所在なさげに身を揺らした。
「そわそわするな。怪しまれるだろう」
「だって……なんか、居心地悪くて。ジューダスは平気なの?」
「……僕は一応軍属だったんだぞ」
「あ、そっか」
莢の発言にジューダスはあからさまな溜息をついて、阿呆と叱った。莢は苦笑したが、気持ちは晴れないままなのか、余り明るい表情ではなかった。
「……突っ込んで欲しいというなら根掘り葉掘り訊いてやる。自分から僕に何か言いたいことがあるなら聞いてやる」
ジューダスは全く世話の焼ける奴だなと腰に手を当てて莢を見た。莢は、曖昧な表情で笑った。
「本当はね、帰れたんだ」
奇妙な笑みは、18年前にオベロン社の秘密工場で見せたそれと、少しだけ、ほんの少しだけ、似ていた。
「ファンダリアでウッドロウさんが襲われる直前に。私は、元の世界って言う、私が今まで生活していたところに、帰れたんだ。でも、嫌がって、留まった」
ジューダスの目が、莢を射抜いた。何故、と、その目は問いかけていた。
「嫌だった。帰れば、ここで過ごした記憶は全て、忘れてしまうって。そんなのは、嫌だったんだよ。楽しかった思い出も、悲しかった思い出も、忘れるには余りにも大切なものだったから」
莢は、悲しそうに笑った。
「恨んでないよ。恨めるはずもないんだよ。記憶喪失だった私に、皆は優しくしてくれた」
莢は言うと、急に顔を上げた。ジューダスはつられるようにして、辺りに気を配る。地上軍の拠点とおぼしきその奥から、一体のロボットが向かってきていた。
「待てー!」
その更に後ろからだろう。少女のような明るい声が響いた。姿は、見えなかった。
ロボットはロニの脇をすり抜け、皆の周りをくるくる回った。
「あんた達!そのロボット止めてくれない!」
「止めるって……どうやったら止まるんだよ!」
ロニの狼狽えた声に、ロボットはなにやらシステムを作動させる時の音を出しながら、敵の人数確認、目標スキャン中と機械的な言葉を発した。
「……壊すしかなさそうだな」
ジューダスの溜め息混じりの声のあと、ロボットと同じ方向から駆けてきた少女が、戦闘プログラム組み込んであるから気をつけてねと無責任な言葉を発して、直後、ロニがロボットからのレーザーを受けそうになった。
「アブねー!なんでこんなモンが彷徨いてんだよ!」
「ちょっと改造しようと思ったら逃げ出しちゃったのよ!良いから、さっさとそいつを止めて頂戴!」
少女の声に、ロニは半ば自棄になりながら槍を構えた。カイルも珍しく慌てて剣を抜いて構える。リアラが昌術を唱え出すと、ロボットは反応するようにしてやはり詠唱を開始した。
慌ててロニが槍を振ってその矛を叩きつけると、ロボットからシャドウエッジが降りかかり、ロニを驚嘆させた。
「なんだこりゃ!」
「カウンター攻撃で設定しておいたシャドウエッジ」
「そりゃぁ分かってるっつの!」
少女の淡々とした言葉にロニが悪態をついて、槍をまた一閃、振った。莢はそれに追随するようにして剣をロボットに突き立てた。感電、そして誘電しないようロボットから距離を取る。ロボットは少しふらつきながら浮遊していたが、最終的にショートしたのか、小さな爆発音と火花を散らしながら停止した。
「……ふぅ、驚いたぜ」
「…………………ていっ!」
「だっ!」
ロニがロボットを監察していると、少女が唐突に、ロニの頭に拳を振るった。
「なにすんだよ!」
「私のロボット壊したじゃない」
「それなら俺だけじゃねェだろ!」
「あら、女の子に手をあげろって言うの?」
少女の言葉に、ロニは莢を見た後、うと言葉に詰まった。
「さて!本当なら軍の物に手を出したとして軍法会議に掛けられてもおかしくはないんだけどぉ」
少女の言葉に、ジューダスは眉をひそめ、顔を強張らせた。
「ま!私の権限で特別に、直属の部下になるって事で許してあげる」
「……そんな権限があるのか?……このロボットを改造すると言ったな。するとこれは、ハロルド博士が発明した物なのか?」
「ああ、そうよ?」
「ならばハロルド博士の下につくというのが筋だろう。断っても良いが、軍法会議にかけられるよりはこちらの方が遙かに穏便だ。部下になると言う件も全て、ハロルド博士に会って事情を説明すべきだと思う」
会わせてくれないか、とジューダスは少女に掛け合った。少女はあっけらかんと、もう会ってるわよ、と答えた。
ジューダスは訝って、どういう事だと尋ねた。
「だから、私がハロルドよ」
きょとんとした少女の言葉に、ジューダスは目を見開いた。
「そんな馬鹿な!ハロルド博士は男性だ。誰でも知ってる。下手な嘘をつくんじゃない」
「あら、本当よ。くふふっ!ハロルドが男って事になってるって事は、私の名前は未来にもしっかり残ってるって事ね!してやったりだわ!」
少女の心底嬉しそうな言葉に、ロニが素っ頓狂な声を上げた。
「何で俺達が未来の人間だって分かったんだよ!」
「あら、本当だったの?割と冗談だったんだけど」
「……馬鹿が」
ジューダスの冷たい視線を受け、ロニが嵌めたな、と声を上げた。自分が勝手に嵌ったんだろうとジューダスは一蹴して。
「……ハロルド博士自身だと、証明できる物は?」
「疑ってるわねぇ」
少女は、ジューダスの言葉に、特に気を害した様子もなく答えた。
「あんたの背中に持ってるそれ。シャルティエでしょう。サーベル状のそれは一般的な物よりも、シャルティエ自身が使いやすいようにカスタマイズしたフォルムだから、本人以外はちょっと扱いにくいと思うんだけど?あんたの手の大きさじゃ、気を抜けばすぐに手から離れちゃうんじゃないかしら」
「……」
ジューダスが言葉を詰まらせたのが、莢には分かった。
「あんたたちが未来から来たなんて、普通なら疑う所よね。でも、今開発している最中の、しかも私がまだ頭の中でしか描いていない設計図の通りの形状であるそれを持っている点に、見ない顔。ついでに言うと、一切の防寒が見られないようなお粗末な格好。ハロルド博士が男だと思っているところ。そしてその情報が一般化していると言った点。なによりも……ここで私の名前と顔が一致しない人って、なかなか居ないのよねぇ」
にやにや笑うハロルドに、ジューダスは息をついた。
「まぁ、ぶっちゃけちゃうと直感だけどね」
明るい声に、莢は先に言った理由を全て一瞬で分析して叩きだしたものを、ハロルドは『直感』と言っているのではないだろうかと考えた。
「……そんなんでいいのかよ」
「あら、女の勘はカオス理論をも上回る、って言うじゃない?馬鹿にしちゃいけないわよ」
ロニの言葉にハロルドは笑って、じゃぁさっさと手続きをしちゃいましょうと皆を手招いた。
不承不承ながら歩き出した皆に、ハロルドは未来のことを尋ねてきた。相当気になっている様子だった。
それにジューダスが答えていると、ハロルドはある建物の入り口を指差して
「あそこが軍の司令本部に当たるラディスロウよ。入って頂戴」
言って、入り口を開けた。
皆が入りきると、ハロルドは明るい室内を見渡して、兄さんと手を挙げた。ハロルドに呼ばれた人物は、穏やかそうな顔を向けてハロルドの名を呼んだ。
「紹介するわね。本日付で私の部下になるメンバーよ。傭兵ってとこかしら?」
陽気な声に、声を荒げ反対する者が居た。部屋の中で机の上に広げられた資料とおぼしき髪と格闘していた男だった。
「こんな時に得体の知れない奴を引き入れるな」
厳しい声に、カイルが身を竦めた。しかしハロルドは全てを見透かしたように腕を組んだ。
「あら?人手が足りないってのは本当のところだし。私の護衛にするから問題ないでしょ。何よりもこの子達は戦闘慣れしているわ。ディムロス、あんただって私の護衛にまわすほどの人手がないのに頭抱えてたじゃない。この子達は足手まといにはならないと思うわ。それに、正規の軍人じゃないけど、だからこそ役に立つ場合だってあるでしょ」
ハロルドの言葉は的を射ていた。だからこそディムロスは言葉に詰まり、挙げ句に勝手にしろと奥へ入っていった。
「……怒らせちゃった?」
カイルが、恐る恐るハロルドに尋ねた。ハロルドはあんなおこちゃま気にしなくて良いのよとカイルを慰めた。
「ちょっとピリピリしてるだけよ」
「……済まないね、彼も普段は部下思いの良い上司なのだが」
ハロルドの言葉尻に付けて、カーレルが弁解した。カイルは慌てて気にしてませんと手を振った。
「紹介が遅れたね、私はカーレル・ベルセリオスだ」
地位は中将であり軍師でもあるとハロルドが口添えした。
「ハロルドの突拍子もない行動や発言も、今に始まったことではないのだがな」
ぼそりと呟いたのはリトラー総司令官だった。莢とジューダスは18年前にラディスロウで彼が素晴らしい策を講じたのを『見ていた』為、顔を知っていた。
その他クレメンテやシャルティエなどソーディアンの元になった人間とも一通り紹介を済ませ、最終的に自己紹介すらまだだったハロルドにも名を告げて、皆は地上軍に身を置くこととなった。
もともと地上軍を勝利へ導くための歴史への干渉を目的にしていた皆にとっては、好都合なことでもあった。
「……じゃ!これから私は、ここから東にある物資保管所に向かうから、あんた達、しっかり守るのよ」
「へ?」
カイルがハロルドを見ると、ハロルドはにやりと笑って。
「ディムロスのことが気になる?それとも気になるのは今の地上軍と天上軍の戦況かしら」
見透かしたような声色に、ジューダスはどちらかというと後者だがカイルが気にしているのは前者だなと答えた。
「そ。でも、あいつにはあいつの立場ってモンがあるのよ。で、あんた達にもそれは当てはまるわけ。今あんた達が気にすることは、ディムロスじゃなくって私の命を守るって事よ」
よろしくねとハロルドは笑うと、今度は莢に向き直った。
「莢にはさっきロボットを停止させた時一緒に剣も駄目になっただろうから、何かあげるわ」
「あ、有り難う御座います」
「敬語は抜きよ」
「……了解」
莢は久しぶりに本名を言われ変な気持ちになったが、ハロルドの好意に甘え、武器を見繕うことになった。の、だが。
「ちょっと待ってて」
「え?」
ハロルドはラディスロウの奥に引っ込んでしまい、莢とジューダスはなんとなく顔を見合わせ、肩を竦めた。
ハロルドを待つ間、ナナリーがふと声を上げた。
「……そういや、マリアの本名は莢なんだろ。どう呼べばいいんだい?ハロルドには、本名教えてたけど……」
「あ、呼びやすい方で良いけど……名前にばらつきがあるって言うのも何だし、莢の方で呼んで?」
「ジューダスは…」
「僕は彼女にもこの名で通した。だからこれで良い」
なんだか呼びづらいね、とナナリーが笑う。莢は今まで違う名前だったモンね、と答えた。
「それにしても……莢、あんたリオンのこと相当好きだったんだね?」
にや、と笑ったナナリーに、莢は目を瞬かせた。ジューダスを見るも、ジューダスは終始無言で居ることに決めたように莢から身体を背けていた。
「だってさ、莢の名前はリオンに利用された挙げ句に殺された、記憶喪失の愚かな女って事になってるんだ。でも莢は絶対に利用されるようには見えないし、ジューダスの夢の世界で見た光景は……」
「?ジューダスの夢の世界って……どういう事?」
莢は首を傾げた。それにリアラが掻い摘んで説明すると、莢は少し怒ったようにジューダスを見た。ジューダスは振り向かなかったが、少し居心地悪そうに身を揺らした。
「誰も傷つける人なんて居ないのに、自分で自分を痛めつけてどうするの?ルーティ達だって、そうだけど」
莢が少し俯くと、ジューダスが思わず振り返った。カイルが母さんに会ったの、と脇から尋ねた。
「アルと一緒にいた時に……アイグレッテへ行く前に、クレスタに寄ったんだ。そこで、ルーティと話をして……リオンを死なせたこと、ルーティは自分を責めてた。みんな、自分を責めすぎだよ」
溜め息混じりに言った言葉の最後を聞いて、ジューダスはお前こそ自分を責めてばかりだろうと反論した。
「ジューダスよりマシだよ」
「馬鹿を言うな。お前はいつもそうやって自分で自分を追いつめて、一人で何でも背負い込もうとしてきただろう」
「人のこと言えないでしょ!ジューダスだって18年前は自分の中に何でもため込んで一人で悩んで何も言わなかった癖に!」
莢の言葉にジューダスは更に反論しようとしたが、水掛け論をしたいんじゃないと言葉を落ち着けた。
「言っておくが、僕は後悔してるわけじゃない」
「私だってしてないよ」
噛みついてくるような莢の言葉に、ジューダスは落ち着けと息を吐いた。
納得いかないようにしている莢を見ながら、ナナリーは似たもの同士なんだねと笑った。
「自分のこと棚に上げて人のことばっか言うよりも、二人とももっと自分を大事にしな。まったく、あんた達は互いを大事にしながらちっとも自分のこと省みないんだからね」
「……」
黙り込んだ二人に、ナナリーは、好きだからそうなるんだろうけどと言葉を付け加えた。
「ジューダスだってねぇ、あたしの所に来た時はずっとそわそわしてたんだよ。きっと莢のことが気がかりだったんだろうね」
からかうような声は、ジューダスの鋭い視線をも難なく避け、莢にもたらされた。そうなの、と尋ねてきた莢にジューダスはあのままじゃ死にそうな顔をしていたからなと半ば自棄になって答えた。
「お待たせー!ハイ、莢」
「え?」
一区切りついたところでハロルドが登場し、ジューダスは救われたような顔をした。ハロルドは細身の剣を莢に手渡した。
「ソーディアンを作るに当たっての試作品なんだけど、結構上手くできたから保管して置いたのよ。ダマスカス鋼を使ってるんだけど、錆びないし刃こぼれしにくいし、しなやかだから莢にぴったりだと思うのよね」
手渡されたそれは計量で、莢の手に収まった。
どう、と尋ねるハロルドに、莢は軽いと素直に答えた。少し弧の強いサーベルだが、扱いやすい部類に入るだろう。
莢はハロルドに礼を述べてそれを腰に吊った。
「じゃぁ行きましょうか!」
景気の良いハロルドの声。ロニははいはいお嬢ちゃんと答えたが、
「私、23よ?お嬢ちゃんって歳じゃないんだけど」
というハロルドの言葉に、出発はほんの少し遅れることとなった。
2005/09/10 : UP