光の旋律

 天地戦争時代は、容赦なく寒かった。ただ、は何処か満たされた気持ちさえしていた。
 それが果たして何を意味していたのかは、分からなかったのだが。



Event No.47 彼岸と娑婆を繋ぐ声



 物資保管所までは約二日を要した。と言うのは、慣れない視界や地理であった所為で、思うように足が動かなかったというのがそれだったからだ。カイルは持ち前の余りある前向きさでそれを感じさせなかったものの、ロニなどは戦闘の際でもカイルのフォローに走り回る姿が見受けられ、若干の疲労の色が見えていた。
「……カイル、元気だね」
 が苦笑した。ジューダスは子どもだから体温が高いんだろうと言ったが、それは根本ではないような気がして、はつと、元気なその様を見た。
「スタンのあの瞬間、カイル、分かったんだね」
 道中誰とも無く精神世界の話になり、僅かに話題を攫ったスタンの死。アルフレッドはどんな気持ちだったのか考えないでもなかったが、そう言えば彼をファンダリアに置き去りにしたのはいい手だったのかも知れないとは思う。勿論、ジューダスも。
 本来ならば出会うはずのない面々の集まりなのだ。出会うはずのない時代を飛んでいる歪みは只でさえ大きい。只でさえエルレインによって完膚無きまでに歪められているのだ。これ以上大きくすれば、全てが終わってから歴史が修正されるその時の反動が怖かった。恐らく全ては何事もなく修正されるだろう。しかし修正の手が伸ばされる対象がどのような扱いを受けるか、知るはずもない。
「……、お前が異世界の人間だというのは真実なのか」
 ジューダスはの思考を遮るように尋ねた。皆が居る前では何故か話題にならなかったそれは、恐らくジューダスに託されていたからなのだろう。
 は少し沈黙を引いて、それから頷いた。
「声が、聞こえたんだよ」
 声、とジューダスが繰り返した。
 そう、声。が頷いた。少し、笑みを作った。
「それは私。私はその声。この世界に来た切っ掛けみたいなものは、多分私達には分からないものだと思う。きっとその辺にたくさん溢れていて、でも全然気が付かない何かに、私は引っかかったんだと思う。でも私は異端分子みたいなもので、この世界と調和するには、記憶を無くしてしまうより他がなかったんだと思う」
「……思う?」
「そう。今思うと、そう言うことのような気がする」
 は、わざとらしく息を吐いた。白く、息が見えて、消えた。
 の言葉は酷く抽象的でジューダスは要領を得なかった。しかしそれはなりの表現であって、その言葉達が彼女が思う最も適切な説明文なのだと思って、敢えて言及はしなかった。
「声は直接的ではなかったけど、そう教えてくれた。私が命を落とした後で。でも私は生き返ってしまった。帰ることも出来ないまま。エルレインがあなたを生き返らせた時の力に触れてしまったみたい。声はね、戻らないと私の存在が消えてしまうかも知れないと言った。正確には、歪んでしまって、何処の世界にも属せなくなってしまう、というようなことを言った」
 ジューダスが僅かに息を呑んだ。こんな事をしている場合ではないのでは、と、その声帯は震えたがっていた。しかし何故か出来なかった。
「私は拒否した。こんな、中途半端じゃ、終われないと思ったから」
「しかしっ…」
 やっとの事で震えた声帯は、力みすぎているのか、掠れた声を漏らした。
「中途半端も何も、在るべき場所へ帰らなければ、終わりも何もなくなるだろう!」
 幾分か焦りと、戸惑いと、怒気さえ含んだ声。二人の関係を察していた他の面々は、気遣うように、二人の遙か前を歩いていた。時折ナナリーやロニが振り向いて居たが、会話は聞こえていないようだった。只、このジューダスの言葉は聞こえていただろう。
 は、ジューダスを見た。その瞳を見て、怒った表情のジューダスを見て、息をついた。まるで聞き分けのない子どもに、母親がするようなそれに、ジューダスは息を詰まらせた。
「在るべき場所って、なんだと思う?」
 は尋ねた。尋ねて、それは答えを求めるものではないことにジューダスは気付く。
「在るべき場所。在らねばならない場所。そこは別に、物質的じゃなくても良いと思うんだ。一般的に考えて、とか、普通は、とか、そんな一般大衆向けの考えを通すには、余りにも私は気持ちを大きく持ちすぎた。だって私はここへ来てあなたを好きになった。向こうには私を愛してくれる親や友達がいる。でも、私とあなたは出会ってしまって、私はあなたが一番だと思ってる。そう思っている今の私が在るべき場所って、何処なのかな。私が、ここが在るべき場所だって言い張ったなら、そこが在るべき場所になる。それじゃ、駄目かな」
 ジューダスは言葉に詰まった。他からの介入をも辞さず、自分で決める。その強い意志は、エミリオのそれと酷似していた。
「……もう既にが決めているなら、僕が何を言っても同じだろう」
「流石。分かってらっしゃる」
 ふふ、とが笑って、ジューダスは歩を早めた。遠回しな主張につられて笑みさえ漏れそうだった。存在をも揺るがす一大事ではあるが、それが彼女の心からの、本心であるならば。それはもしかしたらそれで良いのかも知れないと感じていた。只、ジューダスは自分のことを棚に上げて考えた。
 本人が気付いていないだけで、もっとより良い道があるのではないかと。
 言えばはまた自分のことを棚に上げて、と言ってくるだろうから言わなかったが、今ならまだ間に合うのでは、と僅かに思いを18年前に馳せた。今は過去ではない。が一度死んでいるという事実がの世界ではどのように扱われるのか分からなかったが、家族や友人に愛されていると感じているならば、帰りたいと思うのが普通ではないのかとジューダスは思う。ましてやの思いにジューダスは応えるどころか、答えていないのだ。
 そこまで考え、ジューダスは一度頭を振った。そろそろ仲間が好奇心に負ける頃だろう。
 最後に念を押しておきたかったが、酷く無駄なことのように思え、そのまま前を見続け足を動かした。


 物資保管所に着くと、ハロルドが声を上げた。そして皆の顔をじっと見つめていたが、どうかしたのかというロニの声には、明るい調子で答えた。
「どうやら、毒素を含んだ物質が駄々漏れてるって感じ?」
「内容と声が合ってねェよ!」
 ロニが突っ込んだが、ハロルドは10分くらいなら害はないわと言い捨てた。10分以上なら危ないのかとロニが聞いたが、ハロルドは答えなかった。
 さっさと歩けば大丈夫よというハロルドに、ロニは酷く嫌そうな顔をした。ナナリーも不安そうだ。
「……ごめ……」
?」
 一人か細い声を上げたのはだった。先ほどまでは全く異常がなかったというのに、その顔色は悪い。眉はひそめられ、顔は青白く、唇の色も鮮やかな赤とは言いにくい。
 毒気に当たったのかしら、とハロルドは首を傾げた。は耐えきれず物資保管所から後退った。片方の手で口元を、そしてもう片方の手で心臓付近を押さえている。
 風の方向か、は逃げるように瓦礫の合間に滑り込んだ。ジューダスは暫く様子を伺っていたが、カイルからパナシーアボトルを受け取り、に手渡した。
 暫くここで安静にしているというに、ジューダスは頷いて。早く済ませようと皆を促した。
「優しいのねえ」
「五月蝿い」
 茶化しに来たハロルドをジューダスははね除けて、保管所に入る直前、瓦礫に目を走らせ、すぐに身を毒素の充満する室内に放り込んだ。
 部屋に充満する独特の匂いに反射的に顔をしかめる。
「こっちよ」
 ハロルドの案内で、皆は部屋の奥に足を踏み入れた。
 臭いな、とジューダスが呟いた。気にしててもしかたないわよとハロルドは笑う。苦手だ、とジューダスは思った。
「そういや言ってなかったけど、今回は天上軍の拠点、ダイクロフトに行くための小型マシン作成に必要な資材を回収しに来たのよ。今の地上軍の状況としては、アトワイトとクレメンテが天上軍に拘束されてるのね。これは元々はダイクロフト開発チームが降伏するというのでその身柄を確保するための出兵だったんだけど、それがどうやら罠だったらしいのよねえ。今は兎に角クレメンテとアトワイトの救出作戦について話し合っている所よ。作戦も大詰め、後はここから資材を取りだして、地上軍拠点に持ち帰ってちょちょいとマシンに組み込めば後はもう出発するのみ!」
 歩きながら手早く説明するハロルドに、何とかついていく。各々頭の中にある史実と照らし合わせながら。
「と言ってもマシンは完全に乗り捨てみたいなモンでね、ダイクロフトに取り敢えず辿り着けたら良いくらいの強度しかないのよ。今回は正式な出兵じゃなくて、飽くまでも二人の奪還だからね。地上軍には物資も無いし」
 戦争も大詰めだな、とジューダスは思う。ハロルドはそれから、と指を立てた。
「二人の奪還には勿論、あんた達も参加して貰うからね」
「ええ!」
 意外にも、声を上げたのはカイルだった。嬉しそうな、驚きの混じった表情とかち合う。
「戦闘にも慣れてるみたいだし、心配はしてないわよ?それにあんた達は正規の軍人登録されてる兵士じゃないし」
「……仮に死んだとしても、参加したという事実すら残らないというわけか」
「そ。切り捨て可能なら、使わなきゃ損でしょ。別にあんた達に命を賭けろって言ってるわけじゃないのよ。自由に動ける人間が居た方が、楽な時もあるって言ってるの」
 期待してるわよ、とハロルドはジューダスの背を叩いた。やはり苦手だ、とジューダスは思う。
「ねえ!でも二人の奪還って凄い事じゃないの?それにオレ達なんかが参加しても良いの!?」
 少し遅れて、カイルが尋ねた。ハロルドは笑って。
「この作戦が重大だって分かってて尚かつ、そんなに嬉しそうな顔が出来るなら文句はないわ」
 一つウインクを飛ばし、不意に身を屈めた。
 ごそごそと何かを探っている音。後ろから、ロニが覗き見た。
「何してるんだ?」
「これ。資材ってのはまだ見ぬ保管所の奥にあるの。そこはロックされてて今まで手をつけなかったんだけど、今日はそこに行くのが目的でしょ。だからロックを解除するためのキーを探してるのよ」
「……げ」
「キーもロックされてるみたいだしね。キーのロックを解除するチップが三つ要るのよ」
「何で分かるの?」
「資材が足りないとちょくちょくここに来ることになるのよ。他にも色々とすることがあるし……その時々に中を探るんだけど、前にここに来た時にチップをはめる溝が三つ並んでる箱があって。私の中で保管所の地図は殆ど完成しているから、後はばらけてるパーツをはめ込んでやればいいのよ。」
 パズルで遊ぶような声に、ロニはうげえと改めて声を出した。
「ドンだけ時間かかるんだよ……」
「あんた達次第。さ、早く終わらせたいならちゃっちゃか動くのよ!」
 きっぱりと言われた言葉に、おおと答えたのはカイルのみで。10分単位でこまめに外に出なければならない苛立ちを感じるのも、他の面々だった。


 一方は、寒い外で身を丸め皆の帰りを待っていた。
 ジューダスは、やっぱり私が居ない方が気が休まるのかな。
 呟きにすらならない思いは、の中で反響し、大きくなる。自分の想いが先立って考えもしなかったが、そう言えばジューダスにとってのの存在というのは、どの辺なのだろうとは考えた。
 せめて、仲間がいい。は思う。ジューダスの言葉の節々からして、仲間だと思ってくれているのには間違いないだろう。ただ、それがどういう仲間なのかは分からなかった。単なる知り合い程度か、はたまた。
 考えを巡らせると止まらなくなりそうで、は目を伏せた。
 そして、考える方向を変える。
 天地戦争時代。セインガルドやアクアヴェイルにも軍は存在していたが、それを強く感じたのはここに来てからだったとは思う。
 城特有の重苦しさは性に合わず、は改めて軍と言うものの重圧を感じ、今の時点でもう参っていた。そんな軽いものでもないが、特有の緊張感は、16の少女にはいささか馴染まない。精神的には18年という歳月も付加されてはいるのだが、よくもまあリオン・マグナスはそのような雰囲気の中一人生き抜いたものだと、は敬服した。大人にすらなりきれない少年は軍の中では異質極まりなかったろう。どれほど謂われのない中傷や妬みの中に身を置いてきたのか、それはには分かるはずもなかった。ただ、まだ多感な時期にそのような場所にいたなら、きっと心は徐々に荒んで、傷ついていったに違いないと、それだけはどうにか推測することは出来た。
 天地戦争時代にも、同じような人間はもしかすると五万と居るのかも知れないと思うと、は不憫なような、哀しいような、畏怖の念を覚えた。

2005/10/11 : UP

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