光の旋律
洋なしのような入れ物に口を当て、中の液体で喉を潤す。ジューダスから受け取ったパナシーアボトルは遺憾なくその効果を発揮していた。
物資保管所の脇に崩れている大きな瓦礫の隙間には、モンスターも目もくれないのだろう。莢は一人、寒さの中で身を丸め、皆の帰りを待つ。
物資保管所から流れ出てくる毒素は確実に莢の体内に入り込み、浸食する。気分が悪くなる都度莢はパナシーアボトルを少しずつ飲んで、即効性のその効果を直に感じながらまた息苦しさが這い上がってくる嫌な気分と格闘していた。
息をするにも冷たい空気は容赦なく気管や肺に突き刺さり、口や鼻を腕で押さえて、衣服の上から息を吸った。いっそ眠れたら、と言う考えも過ぎったが、後が怖いのと、それ以上の寒さで眠気すら寄ってこない状況に複雑な思いを抱く。
結局皆の声が聞こえてくるまで、一人膝を抱えていた。
Event No.48 愛の救済を想う時
物資保管所から必要なものを調達し、皆はひとまずラディスロウの外まで帰ってきた。
「さて、それじゃ私はこれから調達してきた機材で簡単な飛行艇を完成させちゃうから。詳しい話は兄貴からお願いね」
「え」
言うが早いか、ハロルドは早々に何処かへと走り去ってしまった。莢は止めようと手を伸ばしたが、ハロルドはそれもかわしてしまっていた。
「……兄貴、って、カーレルさんだよね?」
「ああ」
確認のようにジューダスに振ると、ジューダスは複雑そうな面持ちで、去っていったハロルドの方向を見つめていた。
仮にも僕らは彼女の護衛なんだろうと零して、肩を竦める。莢は苦笑気味に笑って、兎に角、とラディスロウの中へ踏み出した。
中に入ると、直ぐに総指揮官のリトラーが莢達を見た。カイルがただいま戻りましたというと、リトラーは良く無事で、と声をかけた。同じように机の上に広げられた書類や地図と格闘していたカーレルも顔を上げ、笑みを漏らす。
ハロルドに詳しい話はカーレルに聞けと言われた旨を話すと、カーレルは苦笑しながら
「掴み所のない子だろう?」
そう言って、しかし何処か誇らしいまでに柔らかい笑みで、机の上にあった書類の一枚を手に取った。
「ハロルドが何処まで説明しているのかは分からないが、取り敢えず初めから説明しようか」
「あ、でもカーレルさんもお忙しいでしょうし、今回の作戦の趣旨の確認と、大ざっぱに私達がすべき事を仰って下さったら……」
「同感だ」
「そうか」
莢とジューダスの声に、カーレルは頼もしいな、と零してから
「今回はアトワイト・エックス大佐及びラヴィル・クレメンテ大将、そしてダイクロフト開発チームの救出になる。その為少数の精鋭部隊で天上へ向かうことになる。君達はかく乱部隊として参加して貰う。私達が彼らの救出の際に敵の注意を引いて欲しい。現場での指示は全てハロルドに従ってくれ。最終的にダイクロフトの脱出ポットで帰還となる予定だ」
説明し終わると、カーレルは私の部屋で休むと良い、と皆に言って、再び書類と格闘しだした。
これ以上居て騒がしくしているのも邪魔になるので、皆は満場一致で、カーレルの部屋へ案内されることになった。カーレルの部屋の位置は知らなかったが、その辺にいた兵士を一人捕まえるだけで十分だった。
案内されてから、莢とジューダスはどちらとも無く席を外した。疲労という疲労が余り溜まっていなかったというのもあるだろう。
静かに扉が閉まり、まだまだ騒々しいラディスロウの中。
部屋の前で、莢はしゃがみ込んで息をついた。
「……どうした」
ジューダスが脇に立ち、忙しないラディスロウの中を見渡す。莢はもう一度溜息をつき直してから顔を上げた。
「ここの圧迫感が、ちょっとね。……良く、こんな中で過ごせたね」
最後がジューダスに対する呼びかけだったのに気付いて、ジューダスは莢に目を向けないままで答えた。
「目的があったからな」
「……。でも、凄いと、思ったよ」
莢は言ってから、立ち上がった。背は壁に預けて、ジューダスと同じようにラディスロウの中を見る。
「兵士って凄いプレッシャーの中にいるって、ここに来てから感じたよ。こんな中で生きて、名前を残せた人間って凄いよ」
「……」
「あ、今はジューダスのことは置いておいてね」
「分かってるさ」
刺され、少し拗ねたような声色のジューダスは、腕を組み直して鼻を鳴らした。
莢は変わらないなぁと目線を外す。
「でも、どんなに頑張っても、何時かみんな、死ぬんだね。今こうやって生きているのに、何時かはみんな死んでしまうんだね」
なんだか不思議だよね、と莢は続けた。ジューダスは黙っていた。
「歴史を変える事って、すごく大変なことだと思う。でも、変えること自体は簡単に出来ちゃうんだ。そのギャップが、私にはよく分からなくて、許せないもののように感じる。……自分でも、整理出来ないんだけどね、でも、一生懸命に生きている人を否定してまで得る幸福って、それはエルレイン自身にとっても、意味のあるものなのかな」
「……少なくとも……エルレインは僕たち……カイル達と同じ人間としての立場ではない。どう足掻いても神の化身、あるいは神の立場から人間を見ることになる。反対にカイル達からはその神の視点が分からない。その誤差だろう」
「でも、エルレインも、今追いつめられてるんじゃないのかな。神の化身としての使命を持って、その為に彼女は居るんでしょう。でも、私達が今していることは、神の否定でしょ。私達はエルレインの存在も同時に否定してることになるよね。エルレインだって、自分の存在に意味を持てなくなることが怖いんじゃないのかな。私達が自分の存在だとか、存在する意味だとかを奪われたり傷つけられたりすることで、凄く傷ついて、怖くなって、絶望したりするように。そう言う点に於いてなら、エルレインだって私達と何も変わらないんだよ」
「だが……」
莢の言い分に、ジューダスは困惑したように眉を寄せ莢を見た。莢は、真摯な表情でジューダスを見つめ返した。
「……私達も、彼女を否定して傷つけてるんじゃないのかな」
僅かにその言葉が、ジューダスの中の何かを引き起こしたような気がした。頭の片隅にいつもある、過去という記憶の中から、それが溢れ出す。ジューダスは慌ててそれを押し込めた。
「人間じゃないからって、何かを簡単に傷つけて良いことにはならないんだ」
「だが……僕たちは……!」
ジューダスには出すべき言葉が見つからなかった。莢の言葉に息が詰まる。クラクラして、僅かに視界が歪んだ気がした。気のせいではなかった。視界が歪みきって、それが目に溢れそうになった涙の所為だと分かる前に、莢は頷いていた。
「人間同士でだって、一方方向しか見えないのに、そもそもエルレインを私達と同じ風に考えるのは間違ってるのかも知れない。確かにそうだよ。私達は人間って言う立場からしか物事を見ることは出来ないし、今更こんな事言ってもどうすればいいかなんて分からない。でも、ジューダス。私は、愛って、何も選ばないと思うんだ。ただもう無条件で愛することが、愛だと思うんだ。ありのままを受け止めるのは、愛だと思うんだよ。そう言う姿勢が、愛だと思ってる。そんな愛なんて、滅多にないことも、そうそう深く愛せないことも知ってるつもり。でも、エルレインを否定して、それで終わっちゃいけない気がするの。愛まで行かなくても良いよ。ただ、正義は何も救わないし、救えない」
莢の顔は、最後には渋面へと変わっていた。
「痛感した。正義じゃ何も救えない」
莢の言いたいところは、恐らくは世界という大きな範囲ではないのだろう。恐らくもっと、身近にある、人間だとか、そう言うことを対象に言っているのだろう。ジューダスは莢の言葉に、彼女が秘密工場でのことを指していることを汲み取った。
「正義は救えるさ。スタン達は救ったじゃないか」
「……何を」
ジューダスは答えなかった。答えに詰まったのもあったが、ジューダスは何より自分の気持ちを表に出すことに酷く抵抗を感じていたから。頭の中では、スタン達の御陰でどれだけの人が救われただろうか、と。そしてあの均衡して今にもどうにかなってしまいそうだったリオンの窮状を、様々な意味合いで崩してくれたスタンに、彼は感謝さえすれど、どうして彼らの功績を否定することが出来るだろう。
「スタンは、救えなかったよ。大事な仲間を、多分、ホントは分かってる。でも納得出来ない。知らない他人よりも優先させたい気持ちがあったこと。でも、事実として救えなかったじゃない。何も言っているのはリオンだけじゃない。ヒューゴだって」
莢はその名を紡いで、少しだけ自分の身を腕で抱えた。少し寒気がしたような気がした。しかし直ぐにそれは解かれて、
「本当の本当は、イレーヌさんだとか、そう言う人達だって、考えていることは、きっとその辺の人達よりも、きっと」
「それ以上言うな。……分かってる。分かったから」
「……。やっぱり、正義じゃ、救えないよ」
莢は俯いた。イレーヌ達は、言うなれば、そう、手段を誤ったのだ。ただその誤ったというのは多数派の意見を主体として見た際の『誤り』であって、ある意味では一度世界の破滅を望むことは、何より人間のためになることかも知れなかった。そう、その意見が、ただ、世界に受け入れられなかったが為に。
「もしかしたらあのミクトランだって」
「言うな」
言えば、行き詰まるぞ。
ジューダスは言った。莢は一度口を噤んだ。
「他を一切見えなくしてでも、突き進まなければならないんだ」
「……同じ事を繰り返すのは、動物だったら仕方のないことなのかな」
「それは何とも言い難い。……もう寝た方が良い。物資保管所から……いや、ここに来た時からずっと考え込んでいただろう」
「分かる?」
「他の奴等よりは、付き合いが長いんだ。それに莢の変化を見落とすほど鈍くはない」
「……それって私が分かりやすいって事?」
「可もなく不可もなく」
「もう、ジューダス!」
「冗談だ」
ジューダスはく、と喉で笑った。莢も僅かに、笑った。少しばかり先ほどの話は薄れかけていた。
そうだ、深く考え込んではいけない。何が『一番』かを明確にさせておかなくてはいけない。そうでなければいざというときに迷ってしまう。その迷いが必ずしも悪いものだけではないことも、彼らは分かっているのかも知れないだろうけれども。
「……確かに可もなく不可もなくだな。莢は分かりやすいと思うと裏切るように突拍子がないからな」
「え、そうかな」
「ああ。……寝るぞ」
「……ん」
二人はどちらともなく一度だけ笑みを浮かべて、そしてまた扉を開けた。
「よ!内緒話は終わったのか?」
部屋に入ると、就寝準備をしていたロニが真っ先に二人を振り返った。その声色はやや揶揄するようなものが重ねられており、莢は苦笑した。
「内緒話って言うほどの事じゃないよ」
「そうだ。……僕たちは寝る。騒がしくするなよ」
特にカイル、とジューダスは釘を刺して、騒がないよ!と心外そうに、しかし元気よく返事をしたカイルにどうだかと布団をめくった。
その様子を見た莢は、既に支給されていたらしい布団をナナリーから受け取ってジューダスの側に引いた。それから
「……今更だけど、仮面つけたままで寝られるの?」
「そこまで深くは眠らないな」
「……嘘」
「莢は眠るのか?」
「バッチリ」
「……」
暫く口を閉ざして、
「……体を起こすのに時間はかからないのか?」
「さあ。……私ここに来てから体力とか瞬発力とか、運動神経が抜群に良くなってるらしくて。そのレベルが分からないから……」
「便利だな」
感心したような声が、ジューダスの口から漏れた。莢は全然、と肩を竦めた。
「自分じゃない気がするんだよ、たまに。だからあんまりいい気はしないね」
「そういうものか……」
今一掴めないようなジューダスは、枕に頭を預けて仰向けになった。莢は背中のシャルティエで痛くないのだろうかと思ったが、まさか口に出すわけにはいかないので何も言わなかった。
「よーし、じゃぁ消灯すっぞー」
「はーい」
間延びしたやりとりがされ、明かりが消える。子どもか、とジューダスは思ったが、自分も大して生きていないことを考えて苦笑混じりに瞼を閉じた。
2005/11/01 : UP