光の旋律
――翌朝。否、朝かどうかも分からないほどの環境の中で、莢は目を開けた。
体を起こし、冷える空気に身を一度だけ震わせる。それから体温と共に冷めていく意識を感じながら、剣と防寒着を取って部屋を後にした。
ラディスロウでは相も変わらず兵士達が入れ替わり立ち替わり、忙しそうに辺りを走っていた。中には談笑する兵士もいたが、やはり莢は、気分が重いままで居た。
早く外に行こう。
理由もないまま、莢は足早にラディスロウを出た。
外の空気は寒く、しかし吹雪く様子はまだ緩い。莢は地上軍拠点から少し離れた場所で、しっかりと身体を解した後に、剣を振った。相手には困らなかった。モンスターがひっきりなしに出てきたから。
どのくらいの間そうしていたのか、莢は息が切れるほど体を動かしてから、モンスターの群れが途切れたのを見計らって、地上軍拠点へと戻った。
先ほどよりは活気づいていて、そろそろ出発の時間だろうかと思いながらラディスロウの中へ。
中には、カイル達も既に起床し、元気でいる姿があった。
「あ、莢!何処行ってたの?」
はきはきした声が響いた。莢は少し体を動かしに、と答えた。
「この寒さじゃ、上手く身体が動かない気がして」
少しだけ笑うと、そこで初めて、漆黒の姿がないことに気付いた。
「ジューダスも、かな?」
「俺ァ二人で居るんだとばかり思ってたけどな。一緒じゃなかったのか?」
ロニの言葉に、莢は頷いて、
「私が起きた時は寝ていた気がするんだけど」
言って、
「……僕のことか?」
背後から掛けられた声に、勢いよく振り返った。
「あ、おかえり」
「……ただいま」
「ジューダスも外に?」
「ああ。莢が起きた気配で意識が浮いた」
「何だ、言ってくれたら良かったのに」
「邪魔はしたくなかったからな」
「?」
「僕とお前じゃ、身体が起きる時間と解れる時間が違うだろう。どちらかに合わせていたらどちらかの調子が狂う」
「あ、そっか」
次々に飛んでいく会話に、少しばかり驚いたのはロニやナナリーだった。ジューダスが斜に構えていない姿を見るのは珍しいと。
実際ロニに対しては見下した態度を取っているのだが、それはロニの心中のことなので、誰も突っ込んではくれなかった。
大してナナリーは、普段誰に対しても、ほとんど等しく本音も思惑も漏らさないジューダスが、珍しく零したのを聞いて驚いていたのだが。それが指すところが何なのか、恐らくジューダスでさえ分かっていないほど自然に漏れた言葉の意味をすくい取って、自然と笑みがこぼれた。
Event No.49 千慮/賢者の一失と愚者の一得
皆が集まってから完成した飛行艇に乗り込むまで、そう時間はかからなかった。それまでに皆武器の手入れを済まし、必要なものを揃えておいた。
「……ミクトランって、どんな人なんだろ」
ぼそりと、飛行艇が出る前に莢が呟いた。隣に座っていたジューダスがベルトを締めたのを確認して、それに応えようとして、出来なかった。
ハロルドが出発を告げ、なんとなく口を開くと舌を噛みそうだと感じたから。
幸か不幸か、それは当たって、ハロルドの『面白いから』という理由で飛行艇が無駄に回転したりしながら空を飛んだ。
思わず莢の口から漏れた悲鳴は、先ほどの呆けたような質問の気配は微塵も感じさせない程に恐怖で引きつっていた。
空中乱舞、と言うのだろうか。少なくとも空中遊泳などと言う言葉では到底表現し得ないほどのフライトの後、飛行艇は無事にダイクロフトの一角に不時着した。ほとんど胴体着陸のようなものだったが、炎上はしなかった。
「……大丈夫か?」
余程怖かったのか、飛行艇から出た直後に膝をついた莢にジューダスは声を掛けた。
僅かにジューダスに手を振る莢は、大丈夫と言いたいのだろうが、とてもそうは見えない。
「!どうやら早速衛兵ロボットのご到着のようよ」
そうこうしている内に敵方のロボットが二体現れ戦闘になったが、莢は立ち上がることもままならないまま、そこはリアラの昌術で事なきを得た。
「……ふんふん……この調子じゃ、あんた達は問題なさそうね。それじゃ、ミッション開始ね!」
ハロルドの声に、カーレル達は先にダイクロフトの中を駆けていった。
「さて、じゃ、私達はこの先にある格納庫の中で一暴れする訳だけど……。莢、ダイジョブ?」
「……な、んとか」
よろよろと、おぼつかない足取りで莢は立ち上がった。
「……本気で大丈夫か?」
見かねたロニが声を掛けるが、莢は一度大きく背筋を伸ばして、恐怖が蘇ったのか、直ぐに身を縮めた。
「……や、怖かっただけだし……平衡感覚とかは全然大丈夫……酔っても居ないし……」
「そんなに怖がるなんてねぇ……まぁ良いわ、良いデータ採取が出来たと思えば」
「……鬼」
飽くまではつらつとした態度のハロルドに、ロニは思わず呟かずには居られなかった。
莢は最後にもう一度、とばかりに身を震わせると、もう一度大きく体を伸ばした。
「……よし、大丈夫!」
一度頬を叩いて、そう言った。
ジューダスが、朝に動かしたからだが恐怖で縮むなんてと零したが、暴れてる内にまた解れるよと言う莢の言葉に、溜息をつくしかなかった。
格納庫は広かった。階段と、少し開けた足場と、そしてはしごが、物資の合間を縫うように張り巡らされていた。
「広いな」
「ここは広い分監視ロボットが多くいるからね。ここで暴れていたら、みんなこっちに目を向けるでしょ」
ハロルドは言うと、さぁ暴れるわよと思い切り大きな声で叫んだ。
「あ、そうそう。私達もこれだけが仕事じゃないから、派手に動きつつさっさと兄貴達と合流するわよ」
「ええ!まだ何かすんのかよ!」
「当たり前でしょ!敵地にやってきたのにやることだけやって帰るなんて面白くないじゃない!」
「……判断基準はそこか」
「当然!」
張り切っているのか、はたまたはしゃいでいるのか。恐らく後者だろう。ハロルドの景気の良い声は直ぐに感知され、皆はその都度衛兵ロボットと戦うことになった。この調子で行けば囮という役割は十分にこなせるだろう。
「……莢」
「ん?」
その途中で、ジューダスは引っかかっていたことを切り出した。
「ミクトランが、どんな人間かと。行きがけに呟いていたな」
ジューダスの言葉を聞いたのは、勿論莢だけではなかった。その一瞬、誰もが莢に注目した。
「……うん」
皆の疑問の視線を受けながら、莢は頷いた。
「歴史は、事実を全て語っている訳じゃないって、知ったから。少し気になったの」
「あ……」
合点がいったように、ロニが声を漏らした。莢は18年後のリオンの扱いを知っている。ジューダスは何もリオンのことだけではないのだと知っていたが、口には出さなかった。
「二つの勢力があって、それは何かしらの対立があって争った。歴史はそれを教えてくれるけど、一人一人の人間の、ちょっとした仕草とか、癖とか、趣味とか、そう言ったことを全て、把握してる訳じゃないよね」
莢は、リオンの癖を思い浮かべながら、そう言った。
前髪をかき上げる仕草。
鼻を鳴らす癖。
歴史は恐らく、そんなところには興味がない。
「ハロルドのことだって、そうでしょ。後世の人は男だと思っていて、ジューダスがそうだったみたいに、もっと理性的で機知に富んだ落ち着いた雰囲気を持っている人だと。そう思っていたみたいに」
指摘され、ジューダスは僅かに頷いた。ハロルドの場合は勿論、彼女自身の意図があったので当然かも知れないが。歴史はそんなところでも、操ろうと思えば、案外簡単に、思うように操れるものなのだと莢は知った。
「ミクトランは、具体的にどんな人間だったのか。私は知らない。知っているのは、歴史が綴っている、その部分だけ」
何も歴史上の人間に限らず、人とは皆そう言った要素があると莢は思う。分かりやすく言えば、リオンが母親やマリアンからの愛を欲した一面があったように。きっとそれは、スタン達からは絶対に、少なくともオベロン社の秘密工場の時までは、分からないはずだった。
誰も知らないかも知れない人間性を持っている。それは人間皆に言えることであると。同じくジューダスとて、莢について分からない部分が多いことは承知していた。
それでも成り立ってしまう人間の関係というのは、実は極めて薄いものであるかも知れないと言う、一縷の恐怖さえ抱いて。
「……ごめん!なんか、変な話しちゃったよね。うんと、少し興味が膨らんで出た言葉だったんだけど」
どことなく重かった雰囲気を、飛ばしたのは莢自身だった。
ロニはそれに載るように、顎に手を掛けた。
「……でも確かにそうだよな。地上を支配しようとしたとか、そう言う差別的な政策を企んでいたってのは知ってるけど。人柄ってなると、ちょっと違うかも知れないよな」
リオンのことを思い出したのか、ロニは少しばかり感心したように頷いた。カイルは、複雑な表情で――皆が知っている歴史というものは実は、いとも簡単に操作出来るのだとこの旅で知ったからだろう――相づちを打っていた。
「さて!話に区切りがついたって事で良いのかしら、莢?」
「あ、うん。もともと単なる呟きだったんだし……」
「……本当か?」
「?うん」
本人に大した意図が無くとも、ジューダスには何か引っかかっているように思えた。しかしそれが分かるはずもなく、再び皆は監視ロボットのカメラの前にその身を躍らせることとなる。
ダイクロフトに潜入してどのくらい経っただろうか、格納庫の奥ではカーレルが思案顔で、廊下の途中にある扉の前にいた。側にはディムロス達もいたが、深く考えているのはカーレルだけだった。
「兄貴!そんなところで何やってるの?」
散々暴れ回った後に着いたその場所で、ハロルドは声を掛けた。声を受けてカーレルはハロルドを見た。まず無事を喜ぶ言葉を述べて、そして話は扉へ向けられた。
「実は……この奥にクレメンテ老とアトワイト大佐が居る筈なんだが……開けられなくてね。パスワードが必要らしいんだが」
「ふぅん」
「幾らやっても開けられないんだ。ハロルドならどうかと思うんだけれど、一度やってみて……」
「開いたわよ」
カーレルの言葉が全て終わりきらない内に、扉を弄っていたハロルドがカーレルを振り向いた。ものの十秒ほどで開けてしまったハロルドに、カーレルは一度驚きのあまり閉口して。
「……流石は」
苦笑混じりに言って、中に飛び込んだ。
中には確かにアトワイトとクレメンテの姿があった。それにソーディアン開発チームだろう、同じような制服を着た人間が数人いた。
「大丈夫か?助けに来たぞ!」
ディムロスが声を挙げた。歓喜の声があがる。それをカーレルが制した。
「時間は余り取りたくない。急いで戻ろう」
「……兄貴、ちょっと寄りたいところがあるんだけど、良い?」
カーレルに意見したのはハロルドだった。ダイクロフト到着後に言った、私達の仕事はこれだけじゃ無いというのは、このことなのだろう。
「どのくらい掛かりそうだ?」
「そうね……多目に見積もって十分弱って所かしら」
「何とかいけるだろう。こちらも大人数の移動になるから、少し時間を取るかも知れない」
「ありがと」
ハロルドは片手を挙げて、カイル達を引っ張った。
向かう先は今居る場所よりも更に奥まっている場所らしく、巨大なエレベータを動かし、上の階へ移動した。
「ハロルド、何をするの?」
「んっふっふ!それは言ってからのお楽しみって事で」
酷く楽しそうな様子に、カイルは曖昧に相づちを打った。
エレベータはぐんぐんと上へ上っていく。一度見晴らしの良い場所もあったが、それも直ぐに消えた。
目的の階へ到着すると、直ぐにハロルドはそのフロアにあった扉の中に入った。続くようにしてカイル達も足を踏み入れる。
「ここは?」
カイルが尋ねた。
「制御室よ。ここでダイクロフト全体のコンピュータを制御出来るってワケ」
「……それで?」
「ここのシステムやらをちょっとコピーさせて貰って、最後にちょっとシステムの回線とかを壊して、仕事は終わり」
酷く楽しそうにパネルを弄り出すハロルドに、天才ならではの所業だとジューダスは思う。
「うわわ、なんか来たよ!」
「あー多分衛兵ロボットでしょ。私の邪魔させないように壊してってくれない?」
「壊してって、って……どのくらい掛かりそう?」
カイルが、剣を抜きながら尋ねる。
「そうねぇ……五分って所かしら」
パネルから目を離さずに、ハロルドは応えた。んげぇ、とロニが嫌そうな声を挙げて、けれど仕方なさそうに、斧を構えた。
幸い、ずば抜けて高い能力を持つ機体は出てこなかった。六人は一体一体確実に仕留めて、破壊していった。
機体を壁に打ち付ける音や、回線をショートさせる音で五月蝿くなったものの、ハロルドの手は止まることのないまま、しっかり五分後に、彼女は声を挙げた。
「出来た!」
手には、なにやらチップのようなものが握られている。
そして、行きましょ、と綺麗に笑った。
2006/01/06 : UP