光の旋律

「っとと……!ハロルド、来た道を引き返せば良いんだよね?」
「そうよ、兄貴達も待ってると思うからちゃっちゃとね」
 走りながら達は頷いて、再び格納庫に飛び込んだ。
 衛兵ロボットは幾分か数を減らして居たが、再び補充されたのか自棄に新しく見えるものから、壊れた機体もそのままに浮遊するものもあった。
 無視していこうか、とが言って、先陣を切る。焦ったような制止の声を上げるロニには構わず、は軽く機体を弾くだけで、ロボット達が追いかけてくるのも構わず来た道を辿る様にして入り口へ走り出した。既に彼女は階段を駆け上がっている。
 ジューダスがそれに続き、更にカイルが続いた。女性陣もそれに続きだして、ロニは最終的に、ああもうバカか、と叫んでから勢いよく走り出した。



 自分達が乗ってきた船が大破しているのが、入ってきた入り口から見えた。開け放たれたままだったのか、それとも先に脱出ポッドで準備をしているカーレル達が開けておいたのか――何にせよ扉から中を伺っている様子の誰かの影が、の視界に入った。
「早く!」
 急かす声が響いた。カーレルだった。ディムロスとアトワイトも同じように彼らを見ながら脱出ポッドの直ぐ脇で待っていた。
 は真っ先に格納庫の扉を抜けると、近くにあった武器の類を数本持ち、最後に格納庫を抜けるロニとのタイミングを見計らって、勢いよく扉を閉めた。素早く武器を扉の施錠に使って何とかロボット達が追いかけてくるのを防ぐ。支えている武器はしかし、このままでは直ぐに突破されてしまうだろう。格納庫の中には大型の、モンスターと呼んで差し支えないものが居たことも既に確認してあった。それが扉にぶつかってくればいとも容易く彼らは窮地に陥ることになる。
「遅くなっちゃったかしら?」
「いや、時間ぴったりだ、……今の内に早く脱出しよう」
 ガンガンと扉を突き破ろうとする金属音が響いていた。何処か平凡な会話をするハロルドとカーレルの声を聞きながら、達が乗り込んだ。その後にディムロスとアトワイト、カーレルが乗り込む。其の、筈だった。
「アトワイト!」
 ディムロスの声が飛んだ。達は狭い脱出ポッドの中で僅かに身をよじりディムロスが睨んでいる方向を見る。
 バルバトス、と、カイルが吐き出すのを聞いた。
 バルバトスの腕の中には、先ほど助け出したばかりのアトワイトがいた。彼女がアトワイトであり、且つまたバルバトスの腕の中にいるという状況把握の後に直ぐ、の耳に格納庫から扉を破ろうとその機体や身体を当ててくる酷く鈍い嫌な金属音と、僅かな唸り声さえ聞こえてきた。
 まずい。
「貴様はバルバトス……!確かにあの時死んだはずでは!」
「ほう……中将ともあろう御方が、しがない小官のことなどを覚えていらっしゃるとは、光栄の極み……」
 バルバトスは余裕のある笑みをたたえながら、剣を抜いたディムロスとほぼ同時に一歩下がった。
「おおっと!それ以上近づけばこの女の命はない」
「……っ」
 面白いほど身を固くし、バルバトスを睨み付けるしかないディムロスに、更にバルバトスの笑みは深まって行く。
「ディムロス!もう時間がない、彼女のことは」
 カーレルが声を掛ける。ディムロスは歯がゆそうに一度カーレルを見て、それから再びバルバトスを見た。
 それから歯ぎしりの音が聞こえる。衛兵ロボットが近く扉を開けるだろう。既に何かの方向が聞こえた。もう時間がない。
「ディムロス中将!自分の立場を弁えて、私のことは良いから早く脱出を!」
「おおっと、中将ともあろう御方が、大事な部下を置き去りにして逃げるおつもりで?」
「っ!クソ……!」
「ディムロス、挑発だ」
「分かっている!」
 ディムロスが震える体を無理矢理に落ち着かせて、踵を返し、脱出ポッドに乗り込んだ。バルバトスの高笑いが聞こえる。は一瞬だけアトワイトの表情を伺い見た。それで良いのよ、とでも言うように、彼女はうっすらと笑みすら浮かべながらディムロスを見ていた。
 脱出ポッドの扉が閉まっていく。バルバトスは襲っては来なかった。まず視界から、降りてくるシャッターでバルバトスの顔が見えなくなり、そして直ぐに彼らの痕跡はかき消える様にして無くなった。の視界はシャッターと同時に狭くなっていき
、頭を抱えてろ」
 ジューダスが言いながらの頭を伏せさせた。視界が暗転する。直ぐに衝撃が襲って、は何も考えられなくなった。



Event No.50 影



 気分は吹雪の様に陰鬱で、は物資保管所の直ぐ側に一人で居た。
 あの後脱出ポッドで地上に帰ってきたのは良かったが、ディムロスは最終的にアトワイト救出を断念した。中将という地位は大将の次に高い身分。そして、それ故に多くの人命を預かっていた。立場に縛られ身動きすることもままならず、藻掻き、苦しみ、最愛の人を犠牲にしなければいけない痛みは一体、どれほどのことだろうかとは考えていた。というのはカイルが、ディムロスの下した判断に異議を申し立て、講義したからだった。
 カイルにとって、親愛なる人間の命を犠牲にするということは許し難い事だった。そして何よりも、自分の父と冠する名を同じくするディムロスが、そんな決断をしたことが衝撃だったのだ。その後息を荒げて自室へ引き上げたディムロスの背中を、直ぐにフォローして言葉を与えたのはカーレルだった。
 中将という立場の重み。既に絶大な信頼と実力を持つディムロスは、まだ彼が小部隊の隊長だった頃よりも遙かに把握せねばならないことが多くある。元より突っ走りがちなディムロスにとっても今の状況は非常に辛い所にあるのだと、カーレルはとても穏やかな目でカイルに話した。
 その後には物資保管所へ行くから着いてきてくれと言うハロルドの言葉に頷いて、しかしどことなく物憂げな表情でこっそりとジューダスに気にかけられつつ、自分は物資保管所の中には入っていけないのでパナシーアボトルを抱えて皆を待っている。
 少し揺らすとたぷり、と液体特有の感触が瓶越しに伝わってくる。不思議と凍らないそれにはまた少し口の中で中身を弄んで、飲み干した。
 エミリオなら、今のディムロスの気持ちが分かるんだろうか。
 ふとそう思い当たり、は丸めていた身体を更に丸め、瓦礫に身を寄せた。
 最愛の人だけが生きる意味といっても良いほどに、依存していたエミリオ。しかし、彼は後悔など、していないだろう。
 それとただそれだけが全てではないのだと、身に染みるほど理解しているディムロス。自らの感情とは違う選択を強いる理性は、どれほど彼を後悔させるだろう?
 果たしてどちらが良いのか。
 には朧気ながら分かることが一つあった。一度人を好きになってしまえば、善悪や世の中一般の価値など何の意味も成さないものになると。ただ想い人だけがその人間の中で絶対の価値となり、何ものにも代え難いのだと。
 だからどちらが良いのかなど、世間一般の物差しなどで元より、測れるはずもないのだ。
 18年前にが『敢えて』リオンに刺されたことも。あの時は抵抗しなかった。それは万が一、本当に、微塵もないかも知れない可能性。自分の死により、リオンが違う選択をしてくれるかも知れないと。しかしそれは逆にリオンの意志を固める結果となってしまった。それだけではない。からしてみれば、リオン、あるいはエミリオにとってのの存在は仲間でも何でもなく単なる他人に過ぎないと言う彼女にとっての事実をその心の中に植え付けた。ジューダスの言葉によりそれは大分修正されたが、それでも今はとてもジューダスにとっての特別な存在とは思えなかった。自惚れや自意識過剰の思考など、本人も意識していない部分で抑圧していた。
 マリアンとの間に存在する越えられない壁。自分ならばどうしただろうと今のは考えた。
 きっと自分ならば、エミリオを取る。間違いなく。
 奇妙な自信だけが存在していた。18年前。無防備に刺されたのは自らの思いに囚われ、一瞬、虚しさが過ぎったからだった。
 エミリオに焦がれていた自分。しかし想いは恐らくこの先永遠に報われることはない。揺るぎない事実は愕然と、を絶望の『縁』に立たせるには十分過ぎていた。だから動くことを躊躇った。そしてあの短剣の刃を、甘んじて受けた。
 けれど今は違う。
 焦がれては居ない自分。何よりも、幸せになって欲しいとひたすらに願う自分の気持ち。確かに彼に執着する気持ちは存在こそすれ、は守りたかったのだ。護りたかった。エミリオの心が崩壊寸前の所で揺れているのも、その彼が唯一少年に戻り暖かで柔らかい笑顔をこぼせる場所も。
 だからその為に周囲のことなど構っていられるはずもない。自らが幸せに出来なくとも、彼が幸せで、笑顔を目一杯浮かべ、そして自身がそれを知っているという状況があればそれ以上のことなど。
「……」
 ふとついた溜め息に苦笑が零れた。いつからそんな綺麗事を言える人間になったのだろう。しかしのその気持ちは真実で、その真実がの胸を頻りに痛めつけているのも本当だった。
 嗚呼何と、人を愛すると言うことは痛みを伴い、そしてそれ以上の何か穏やかで満ち足りた気持ちになり、その痛みを大したことのないものとして捉えてしまうのだろうか。
 愛すると言うことはある意味で中毒だ。最終的に自分のためのものであり、けれどはそれに関しては不快ではなかった。
「……」
 今自分は泣いている。それは愛情の証なのだ。
 悲しむことは愛情と同一のもの。別の言葉で、慈悲と呼ばれる。

 護りたかったのは誰
 救いたかったのは誰
 愛したかったのは誰

 悲しんだのは、何故

 が、彼に愛の情を抱いているからだ。
 それが根底でどれほどエゴにまみれたものであろうと、なりに彼が好きで、今は比較的楽な気持ちでその事を受け止め、その気持ちを彼に伝えられる。彼は答えこそしないが、その空間はにとっては心地良く、幸せなことには変わりなく。
……?」
 名を呼ばれは僅かに顔を上げる。滑り落ちていく涙を止めることもせず、その視界にジューダスの姿が揺れ入った。その涙と、何処か嬉しそうな表情に瞬間ジューダスは言葉を無くす。はただ一言
「おかえり」
 と、掠れた声で告げた。何処かそれが幸福な様子で、ジューダスはが消えてしまう様な感覚に陥った。
 操られた命。いつ消え失せるかも分からない。少しの間薄れていた、そのあまりの脆さにジューダスは酷く焦った様子でを立たせた。涙をふき取り、パナシーアボトルの瓶を回収する。このところ情緒不安定とも取れるにジューダスはジューダスなりに気を配っているつもりだったが、肝心な所ではいつも一人なのだと歯を噛みしめた。
「これからどうするって?」
 まるで何事もない様に普通に尋ねてくるに、ジューダスは一度大きな声を上げそうになり、それを直ぐには答えないことで押し込めた。表情を見れど、特に辛そうにしている様子もない。
「全く……これだから天才というものは嫌になる」
「?」
 ジューダスは何かを呆れた様に溜め息に言葉を乗せた。が不思議そうに首を傾げるのも見ずに、もう一度息を吸って。
「焚き付けられたんだ。ディムロス中将とアトワイト大佐は婚約していたのだとな」
「……それで?」
「聞き返したが独り言だという一言で一蹴されたさ。婚約までした二人が引き裂かれ、一人が犠牲になる。……これを聞いて、カイルが黙っていられると思うか?」
「英雄は一人の犠牲も見捨てちゃいけないって?」
 が聞くと、ジューダスは肩を竦めるだけに止めて、既に先を行っていたカイルの声を受けて足を進めた。つられる様にしても足を前に出したが、
「理想、でしかないんだよね。やっぱり」
 ぽつりと、そう呟いた。
「そう言うと思った」
 ジューダスが僅かに、笑う。独り言だよと、も僅かに笑みを見せた。



 地上軍拠点に戻り、ディムロスに意見してくると言い出したカイルに、は同行を辞退した。現状、あまり大勢でどやどやと押しかけるのも、ただでさえ追いつめられているディムロスを更に追いつめることになるだろうというなりの配慮だった。だが以外の面々は皆着いていくというのだから変わりはないだろう。ただは、配慮という言葉を盾にして追いつめられているディムロスをこれ以上見たくなかっただけだった。
 今のディムロスはあの時のリオン、エミリオとは違う。分かっているのに、はどうしても二人を重ねてしまっていた。恐らく、あの海底洞窟で追いつめられたリオンの、背を押したのははそれを薄々気づいていたから尚のこと、ディムロスが暴走しないかが心配だった。
 たかだか少女に、心配される謂われはないのだが。しかし。
「 」
 が少し落ち着かない気持ちでカイル達が戻るのを待っていると、異常に慌てた様子で兵士が一人、ラディスロウの奥へ走っていくのが見えた。
 は首を傾げ、自らの記憶を少し探った。しかし今までどんなときも、先ほど必死の形相で走り去っていった兵士以上に焦燥を露わにしていた兵士の姿など無かった。
 ラディスロウの奥には上官の部屋――勿論ディムロスの私室兼公務室も――がある。奇妙な違和感と、今の状況を打破出来るだけの動きがあったと、は殆ど願望に近い思いで兵士の後を追った。入り口をくぐっても先ほどの兵士の姿はなく、は迷うことなく階段を駆け下りた。
 兵士の姿はもう無い。は一体あの兵士が何処へ行ったのか辺りを見渡した。しかし情報が入ってきたのは視界からではなく、耳だった。
 よく知ったカイルの声が響く。何処かそれは怒りにも似ていて、は声のした方を見た。階段を下りて真っ直ぐの所にある扉。その奥にカイル達がいる。
 少しだけ入るのを躊躇していると、しかし直ぐに、カイルが部屋を飛び出してきた。
「わっ」
 勢いよくにぶつかり、ふらつきながらもはカイルを支える。カイルが、と驚嘆の声を上げるのを聞いた。
「……何かあった?さっき兵士の一人が慌てて走ってたから追いかけてきたんだけど」
「それがッ……アトワイトさんがスパイラルケイブにいるって。バルバトスもそこに入るんだ、きっと。でもディムロスさんは助けに行かない、行けないんだって。……だから、オレ達は正式な軍の兵士じゃないから、軍の命令と関係なく勝手にスパイラルケイブに行くんだ」
「……地上軍の兵士としてじゃなくて、カイルとして?」
「うん」
 素直な上に硬く決めている様子の表情に、は一度だけ頷いた。直ぐに他のメンバーも部屋から退室し、とカイルの様子を見て説明は不要と、少し笑う。カイルは皆を振り返ってから、急に顔を破綻させた。
「……て、オレ、勝手に決めちゃったけど……いいかな」
 その様子がまだ少年のそれで、は思わず笑ってしまった。
「リーダーは、カイルだよ」
「そうそう、それにあたしたちだって同じ意見さ?」
「ま、言い出したら気かねェ奴ってのは重々承知の上で一緒にいるんだし」
「アトワイトさんが犠牲になれば、歴史も変わってしまうんだから」
「イレギュラーな僕達が、イレギュラーな出来事を修正することには何の問題も生じない」
 一人一人が各々に目配せをして、言葉を繋ぐ。最後にカイルは、嬉しそうに笑顔を見せて
「――行こう、スパイラルケイブへ!」
 拳を強く、顔の前で掲げた。
 ちなみに何処にあるのか分かっているかというジューダスの冷静な突っ込みに、知らないとカイルは答えたが、やはりそれも皆の穏やかな笑いの前に包まれてしまった。

 戦況を打破する駒となり、勝利へと誘うべく彼らは動き出す。

2006/07/12 : UP

«Prev Top Next»