光の旋律
凍てつく空気に気をつけて息を吸い込んだ。
スパイラルケイブは地上軍拠点から北西の方角にある。面々はそこを目指して歩いていた。聞く所によれば、スパイラルケイブは鍾乳洞の様な洞窟なのだそうだ。
「なんかよ、こういうのって悪くねェな」
ふとロニが、口を開いた。その直ぐ隣を歩いていた莢とジューダスが、何の気なしに彼を見た。
「正義とか、そう言う格好良いもんじゃねーけど。俺達がこうして一緒にいられるって、幸せなんだよな」
「……寒気が」
「なんだよ、今俺結構本気で言ってるんだぜ」
そう言うロニの顔は普段の様な快活で愉快な部分は幾分か影を薄め、成人した男性の、穏やかな笑みに近かった。
「憑き物が落ちたってか、腹ン中に抱えてたもんもなくなったし、ジューダスとマリアの正体も分かった今じゃ、気兼ねしねーってか」
「疑心暗鬼もようやく終わりか」
「あ、やっぱり私も疑われてましたよね」
莢は僅かに苦笑して、特に騙していたわけではないのだがと続けた。ロニが莢の頭に手を置いて、その髪を撫でる。
「まーな。アルもいたしジューダスほどは気にしなかった。……そのジューダスといつも居られたんじゃ、警戒しないわけなかったけどな」
「でしょうね。……でも確かに、前よりはみんなうち解けたんじゃないですか?」
莢の言葉に、反応したのはナナリーの方だった。
「そりゃ、毎日一緒に居りゃうち解けない方がおかしいってもんさ。でも……ジューダスと莢に関しては、あたしはそうは思わないね」
「?」
少しナナリーが渋面を作ったので、莢はやや首を傾げ訳を話す様促す。ナナリーは莢の頭を撫でた。ロニに引き続き、やけに頭を撫でられ莢は益々首を捻った。
「……あのさ、確かに莢とジューダスは一度死んでる。でもね、だからって、今を楽しめないこと、ないだろ?いつか必ず離れる時が来てもさ、その時に辛くなってもさ、楽しめるうちは楽しんだ方が良いと思うよ。……アンタ達は互いが揃ってれば幸せかもしんないけどね?」
「そ、んなことっ」
「いや、結構あると思うぜ?なんだかんだで莢はジューダスとばっかり一緒だしなー」
言いながら笑みの絶えない二人に莢は記憶を辿って、それが間違いないことを理解すると口を噤んだ。
「あたしが言いたいのはね、いつか離れるからって距離を置いて欲しくないって事なんだよ。仲間だろう?……もっと、沢山愚痴言っても良いんだよ?ジューダスの」
「僕か」
「莢が愚痴をこぼせる内容は大抵お前だろ」
「いや、それ以外のことでもよく愚痴は聞いてる」
「ありゃ、そうなのかい?」
「え、っと……」
莢は言葉に詰まって、本当に他愛のないことだしと胸の前で手を振った。だが曖昧にはぐらかしても兄貴分と姉御肌からの追及の手は衰えることなく彼女を包み込む。
それが優しいものであることに涙が出そうになったのは、彼女しか知らないけれど。
Event No.51 カタルシスの余韻
天候により少々足止めを食らいつつ、その日皆が疲れ果て休憩する場所を探していると、カイルが何かを発見した。声を上げたカイルに反応したのは後続組のロニや莢で、カイルが見つけたものが空中都市の残骸であることが分かると安堵の息がもれた。
モンスターと戦うことはさほど苦しくは感じられなかったが、何分吹雪が酷くなり視界も利かず、心中では不安だったのは皆同じで。
それ故に急く様にして巨大な無機質の固まりの中に入って、へたり込んだ。特に疲労が酷かったのはカイルを含む前衛組で、直にモンスターと接触することから相当無駄な体力を使ったのだろう。少しだけグミを食べると直ぐに眠ってしまった。莢は身体を少し解してからの方が良いのではと提案しようと思ったが、カイルが寝る方が早かった。
健やかに眠るカイルに残骸の中にあったお粗末な布を引っ張り出し、かけてやる。無いよりは格段に良いだろう。
「……アトワイトさん……無事でいるよね」
「心配しなくとも、わざわざ報せに来たんだ。罠があることは間違いなくても、彼女が生きていることは保証されている。そもそも殺しては人質としての価値が無くなる。そこまで馬鹿じゃないだろう」
「うん……でも……酷いこととか……されてたら」
「……」
莢の言葉に、ジューダスはそこまで断言出来無かったのか口を噤んだ。アトワイトの生死は歴史にも大きく影響する。それでなくとも莢は今のディムロスにあまり近づきたくない。
愛しい人、恋仲であるならば尚のこと二人は祝福され、生きるべきだと莢は思う。
「兎に角、ここであたしらが気持ちだけ焦っててもしょうがないよ。軍の人間と違って、あたしたちは自由に動けるんだから。これはあたしたちにしか出来ないことなんだろ?じゃあ、今やるべき事は、ゆーっくり、休むことさ」
「うん……」
ジューダスは僅かに、何故莢がアトワイトの身をそこまで案じるのか掴めなかった。尋ねようと思うが、ジューダス自身の性格により口を開くも声が出ない。そこで出かかった声を、拡張期の様にして紡いだのは
「なんで……莢はアトワイトさんのこと、そこまで心配するの?」
リアラだった。無垢な瞳で莢を見つめ、じっとその回答を待っていた。だが皆の視線が集まったことを受けて、慌ててリアラは言葉を付け加えた。
「あ、別にアトワイトさんのこと心配してない訳じゃないけど……心配の仕方がカイルとは違うって言うか……莢を見てると追いつめてる様な気がして……。追いつめてるって、違うかも知れないけど、やけに焦ってて……変?……いつもの莢は落ち着いてるのに……」
「そりゃ、カイルと比べたら誰だって落ち着いてる様に見えるけどな」
ロニが横槍を入れたが、そこには苦笑が浮かんでいて揶揄する意図は見えなかった。莢はリアラの言葉に少し考え込んで、それから曖昧に笑いながら答えようと口を開け
「……」
そして、答えられなかった。ぎくりとしたように表情を凍らせ、そのまま口元には張り付いた笑みをつけて少し俯く。皆が訝るのは無理もないことで。しかし莢は直ぐに、取り繕う様にそうだね、と切り出した。
「ちょっと、ね」
だがそれもリアラの問いに答えるものではなく。少し影の差した莢の表情はいつものそれとは微妙に異なっていた。ロニは少し考えてから、息を吐いた。
「ま、そろそろ寝るか。……急がないと行けないしな」
それから莢の頭を妹にする様に一撫でして、自分はさっさと横になった。莢はロニの背中を見つめて、けれど何も言わなかった。
ロニもそれ以上何も言わなかったが、ただ、僅かにアルフレッドの姿を思い浮かべていた。
「ロニの言う通りだな。明日も天候が良いとは限らない」
ジューダスが促して、場を取り繕った。莢はまた曖昧に笑って、横になった。
言えるはずもない。自分と彼女を重ねていたなどとは。
バルバトスは平気で人を殺せる。斬られたことのある莢は薄々感づいていた。人質の価値を消失してでも、バルバトスが斬ると思ったものは斬り捨てられるのだろうと。
海底洞窟で一人横たわり死を受け入れるしかできなかった、悲しさと寂しさでいっぱいになったあの時の気持ち。想い人を想いながら、気持ちを告げることもないまま、涙にくれるしかなかったあの時間。
自分が選び導いた行為を悔いるつもりなど無い。ただ、とても悔しくてたまらなかった想い。
莢が感じたあの気持ちを絶望と呼ぶならば、もう、絶望を見るのは嫌だった。
次の日は幸いに酷く吹雪くこともなく、スパイラルケイブへは何とかたどり着くことが出来た。
「っ……わあ……」
スパイラルケイブは静かだった。想わず声を上げた莢の声が鍾乳洞内に響いて消える。どことなく海底洞窟を思い出させたが、鍾乳洞内の淡い緑の光や、偶に響く水の音は場合が場合でなければ大いに癒されるものだったろう。
淡く包み込まれる様な光に圧倒されながら歩を進めた。バルバトスが待っているとするならば最奥だろうと見当をつけ、自然に出来た段差を下っていく。
「きゃ」
「っ、大丈夫?」
「有り難う……うん、大丈夫」
莢はリアラに手を差し伸べ、前衛はカイルとロニ、ジューダスに任せることにした。足元が覚束無いのは不利だが、後衛がリアラ一人になってしまうのはもしもの時にリアラが危ない。
鍾乳洞の中はモンスターに出会す時以外は本当に静かだった。耳を澄ますまでもなく、寧ろ自分達の呼吸や衣擦れの音が気になるほどには。
雪の中にいる時とはまた違った静けさに、莢はまたファンダリアの雪を思い出した。どうにも、感慨に耽ってばかりの様な気がするのは気のせいではない。
「莢?」
ジューダスが名を呼び、莢は響いたそれに意識を戻す。
「ぼけっとするな、ヤツは最奥にいるだろうが、それ以外の可能性もなくはないんだぞ」
「うん、ごめん」
莢は苦笑して謝るが、ナナリーが心配するなら素直にしなよとジューダスに言って、更にそれを濃くした。ジューダスが莢を拒絶しないことに甘えている、自分自身の姿を莢は感じていた。けれどそれを振り払う強さもない自分の依存性。
「……そろそろか」
「へ?」
ジューダスが呟いた。少し会話があった、所為か、声の反響の差で分かったのだろう。
「入り口付近では消えた声が少し返り始めた。近いな」
緊張するでもなく淡々と分析するその姿からは、過去に見せた少年の姿など何処にもなかった。淋しい気もしたが、莢はその背を眩しそうに見つめた。
「カイル、慎重に行け。絶対に一人で走り出すな」
「うん!」
ジューダスのそれは過保護ではなく忠告。バルバトス相手に、少しの間でも一人になれば負けてしまう。幾分か皆の呼吸が押さえ込まれ、目指す方へと意識が集中していく。
奥まった所為か少しばかり暗くなっていた前方が、不意に光っていた。水面に反射する光を背負って、そこにいたのはアトワイトだった。
「ッアトワイトさん!」
「貴方は……!駄目、来ないで!」
思わず声を上げ駆け出しそうになったカイルを止めたのはアトワイト本人だった。いち早くアトワイトの言葉に反応したロニがカイルの腕を掴み引き戻す。
「馬鹿、カイル!」
寸前、カイルの髪が散った。直ぐそこにあったのは白く大きなボディ。莢は直ぐに攻撃を仕掛けようとして、思い切り振りかぶった所で動きを止めた。無理矢理ながらも防御に入り、飛んできた腕の攻撃をまともに食らう。そのまま吹っ飛んで、莢は湿って凹凸の酷い地面に身体を擦り付けられた。
「莢!」
後ろに控えていたリアラとナナリーが心配そうに莢を抱き起こす。莢はサーベルも使って何とか身体を持ち上げた。
「気をつけ……っ反応が早くて、攻撃がはいらなっ」
「ちっ……ロニ、代われ。僕とカイルで連携する。お前は回復役だ」
「へいへい……そいじゃリアラ!昌術で一発当ててくれ!莢は俺がヒールかけるから」
「っはい!」
リアラは少し莢を気遣ったが、莢は手を振ると支えていた手を外し、詠唱に入った。ナナリーも莢を支えていたのだが、前に出たジューダスやカイルも相手が自分達の動きを読み素早く攻撃してくるのに何とか耐えていたのを見て詠唱を始めた。
「行きますッ!バーンストライク!」
リアラが直ぐに昌術を放つ。ほぼ同じタイミングで、ナナリーがバーンストライクを打つ。莢はロニからヒールを受けて、少し回復したのを感じた。
「ご、めん」
「気にすんなって、大丈夫そうか?」
「うん」
力強く、言い聞かせる様に莢は声を出す。ロニが昌術でサポートに回ることを告げると、莢はカイルの後ろに移動した。三人ならば少なくともかく乱程度にかき回せるだろうと踏んでのことだった。
リアラの昌術の直ぐ後、仰け反った所を狙って連携が続く。莢は一度スペクタクルズから相手を覗いた。耐久力がある。名はハルファス。
「ジューダス、このハルファスって手こずりそう?」
「長期戦は確実だな。確実に弱い箇所を突いていけ、こいつは視野が広いし相手の動きを予測して直ぐに反応出来る」
「ん!」
「一旦退けよ!シャドウエッジ!」
ロニの声が聞こえて、莢達は脇へ散る。ハルファスがそれに反応しようとして昌術をまともに食らう。隙をついて、莢とジューダスが腕の細くなった部分に剣を突き立てた。歪な悲鳴が上がって、思わず耳を塞ぎたくなるそれに莢は顔をしかめる。
「もう一度ッ!行くよ!バーンストライク!」
「ッエンシェントノヴァ!」
畳みかける様に火の気がハルファスを襲う。莢は一瞬アトワイトの救出を優先させようとしたが、僅か目を走らせてそれが無理だと悟る。アトワイトの周りには結界の様なものが張られ、恐らく触ることも困難だったからだ。攻撃の余波に関しては安心出来るが、ハルファスを倒したからと言って解除出来るかと言われると、そう言うわけではないだろう。今全戦力を費やしてハルファスを倒したとしても、バルバトス自体を倒さないと意味がないのだ。
「まだまだ、フランブレイブ!!!」
「ッ」
リアラが続けざまに詠唱し、火気が強くなる。莢は腕で口元を覆い、更に一歩退いた。火気が弱まった瞬間を逃さず、熱気に籠もるハルファスの腰めがけてサーベルを振り切る。幾分か焼け焦げた匂いがして、奇妙な音と共にハルファスのボディが軋み、折れる。
「莢ッ!」
「!」
崩れながらハルファスが振るった腕。カイルが莢を庇う様に飛び出し、剣を突き出した。
「空破、絶風撃ッ!」
僅かな、しかし鋭い突風が現れ、ハルファスの腕を払った。莢は短く礼を言って、ハルファスの身体が崩れていくのを見ていた。アトワイトを覆う結界はまだ消えない。後ろにいたリアラ達が一所に集まる。不意に男の笑い声が聞こえた。
アトワイトの居る少し後ろ。空間が歪んで、バルバトスが独特の笑みを浮かべて現れた。莢の脳内でスタンが殺された時の光景が鮮明に思い出される。あの時もこの男は笑いながらスタンを殺した。
「ふん……中将様はアトワイト・エックス大佐を見捨てた様だな?」
「違う!ディムロスさんは、動けないから来られないだけだ!だからオレ達が来た」
「はん!たかだか15,6のガキが……」
バルバトスは手をかざし、莢とジューダスが殆ど反射で庇う様に前に出た。しかし襲ってくるのはあの斧ではなく。
「これは……」
「迂闊に触れるな、体力を吸い取られるぞ」
莢が触れようとして触れられなかったそれはアトワイトに張られているものと同じ、結界だった。
「触れるなっつっても……」
「どんどん……狭くなってくるよ?」
じり、と地面が音を立てた。寄り添う様に皆が固まっても、結界は容赦なく小さくなっていく。バルバトスの顔から笑みが消えない。
「邪魔しやがって……ガキはそこで大人しくくたばってろ」
「ッ畜生!」
カイルが叫ぶ。叫んでどうにかなる問題ではなかった。
「くっ……」
僅か、ナナリーが結界に触れたのか膝を突く、狭い中、ロニも器用に身を屈めその身体を引き寄せた。
「ククククク……ハハハハハ……そうだ、これで後は」
バルバトスの笑いは既に皆には聞こえては居なかった。だがその声が急に途絶え、莢達の耳に、鮮明で強く、真っ直ぐな声が届いた。
「ファイアーボール!」
2006/07/24 : UP