光の旋律
綺麗に笑ったハロルドに、しかし莢は何処か晴れない気持ちを抱いていた。ハロルドは勘付いているだろうか?
ジューダスとてそれは同じことだった。天才とは自分の役割を把握しているものなのだろうか?その先にあるものが望まないものだとしても?
どれだけ大切な人が居ても世界のために自分の気持ちを押し込めなければならない時が、あるのだと言うことを莢は知った。かつてならば反発すら抱いていたそんなことを、しかし今は肯定するしかできなかった。
歴史を正しに来た人間が、改変を報せてはならない。
想いと立場がすれ違っていた。
幸か不幸か、制御室までの道のりは前回奇襲作戦でダイクロフトに侵入した時のものとは異なっていた。階段を駆け上がったり梯子を下りたりしながら着実に目的地を目指す。
はやる皆の心を阻むように、ただでさえ複雑に上下を繰り返すダイクロフト構内で、警護ロボットやモンスター達は容赦なく一行を襲い足止めをした。自然と足が速くなった。誰とはなく顔が歪んだ。息切れのそれではなかった。
ダイクロフト中腹部、そこに上へ行くためのエレベータがあった。カイルは顔を輝かせ、跳ねるようにそこへ。しかし
「!」
エレベータがある部屋のドアが閉まる。逃げられなかった。警報が鳴り響き莢の心音と重なる。部屋の中に幾つもあった模様のような凹凸はオブジェではなく、有事の際にトラップとしてモンスターを送り込むための通路だった。そこから、つまり皆の足元から次々とロボットやモンスターが現れる。ハロルドがエレベータに近づいた。
「……この罠が解除されるまでの大凡の時間は四分ってところかしら……?割り込んでもっと早く動けるように命令してみるわ」
「よし、僕達はヤツらを引き付けて時間を稼ぐ」
言ってハロルドの意図を汲んだジューダスが真っ先に彼女を背にし剣を構えた。莢がそれに習う。カイル達もならって、リアラとナナリーはハロルドの直ぐ近くでそれぞれ構えを。
莢の振った剣は真っ先に目の前の敵に突き刺さり、機械仕掛けのそれは奇怪な音を立てて煙を上げた。
Event No.53 天上の国の崩壊
「オッケー、プログラム割り込み完了!急いで乗って!」
ハロルドが声を上げたのはそれから間もなく。ナナリーは弓を放ちながら乗り、リアラもエレベータの上で詠唱を続ける。
「バーンストライク!」
放った昌術が広い部屋に打たれた。ロニやカイルはその隙にエレベータへ。そこでエレベータが起動する音がした。莢とジューダスはエレベータが動き始める直前に滑り込むように乗り込んで、追跡しようと飛行するタイプのロボットを剣でなぎ払った。
息をついて暫くの安全に目を閉じる。
「今回は地上軍が天上軍制圧のために乗り出した大規模な進軍よ。だから制御室にも警備兵が居ると見て間違いないわ」
「今度は人間相手、か」
「いいえ」
ハロルドの言葉にジューダスは首を傾げた。ハロルドは一呼吸置いて口を開く。
「よく考えて頂戴な。元々天上に住むようになったのは貴族を中心としたほんの一握りの金持ちなのよ?それがこうやって戦争へと発展してしまった今、果たして天上に『兵士』と呼べる屈強な人間がいると思う?」
「あ」
「加えて、今まで遭遇した警備兵と呼ばれるものの中に人間の姿があったかしら?」
「そういや」
「いなかったね」
ロニと莢が顔を見合わせ、今ようやっと気付いた風に目を見開いた。
「恐らく人員の殆どは自分で戦うことの出来ない人間。この間助けに向かったソーディアン開発チームとか、技術者なら居るでしょうけれどね。『軍』とか、『兵』と言うほどの人間は、この天上には居ないのよ」
同じスピードで上がっていくエレベータが中間地点に差し掛かり空の蒼がよく見えた。まるで今まさに歴史が変動する慌ただしさを知らぬように、ただただ青く広がる空が、雲の上に広がっていた。
「天上軍にとって、技術者達と制御室、そしてミクトランの負けこそが敗北を意味するの。前回の進軍でもう九割ほど負けたも同然なのよ。そんな状況で敢えて命を危険にさらすかしら?ほぼ確実に全員大人しく降伏するわ」
「……無血の勝利?」
「そうねー。でも地上軍への攻撃でこっちには何百人、何千人と死者が出ているから、そんな綺麗な物じゃないんだけどね。それに、死んだのは軍の人間だけじゃないし」
そう言って、そこまでハロルドが言ってエレベータは上階に到着した。ハロルドの言うように、そこには酷く不安そうな顔をした天上人が何人も座っていた。皆一様にカイル達を見て途方に暮れた顔をする。ハロルドは気にしないというように真っ先に制御室への扉を開けた。なぜならば、彼らは剣を腰に引っかけ、そして抜くことが出来たものの、勝敗は明らかだった。誰も皆、死にたくて戦っているわけではなかった。
先を行ったカイル達を尻目に、莢は天上人の様子を伺おうと膝をついた。ジューダスがそれを咎めようとしたが、
「無条件降伏して、外まで行かなくちゃ。天上人がみんな、地上を支配しようとする動きに肯定的だったとは、思えないし思いたくない」
「……仕方ないな」
今は伏せられた制御室への扉。固く閉ざされたそこでハロルドは順調にプログラミングを相手にダイクロフトの、ベルクラントの操作を掌握しているだろう。
ジューダスは莢の隣に膝をついて、天上人の一人から武器を奪った。
「全員、持っている武器はこちらに渡して貰う。それが済み次第捕虜として地上へ来て貰う。異論はないな」
「ジューダス……」
静かに告げたジューダスの声は、静かな――僅かに、ダイクロフト制圧の音がしたが――構内に響いた。負傷はしていないものの疲労はあるだろう、天上人は酷くゆっくりとジューダスと莢に武器を手渡した。
そのどれを確認しても、お世辞にも素晴らしいとは言い難い、どう見てもお粗末な武器ばかりだった。
「あの……これで戦おうとしていたんですか?」
思わず莢は一番早く様子を見ようと屈んだ相手にそう尋ねた。
「……俺達は武器の精製よりもダイクロフトに配置する警備ロボットや、ベルクラントの威力向上に力を入れていた。何より、それが強みだったからな」
「ベルクラントは本来天上に陸地を作る目的だったものだ。それを悪用し、兵器へと改悪した。……首謀者はミクトランだな?」
「ああ、そうだ」
「今、他の天上人は何処にいる」
ジューダスの問いに天上人は一様に顔を強張らせた。
「……そう言えば、ダイクロフトは今は要塞代わりなんだよね……?今エレベータを使ってきたところを見ても、綺麗に空は澄んでいたし……。ベルクラントで吸い上げた時の陸地に住んで居るんじゃないの?」
「どうだかな。仮に地上軍が勝利すれば――その陸地は崩れ落ちることになる。しかも前回の地上軍がダイクロフトで制御室を一時的だったが乗っ取ったのは皆知っているはずだ。ハロルドもそれは天上軍にとって既に負けを意味していると言っていた。ならばそんな場所にいるのはおかしい。せめてダイクロフト内にいなければ、何時陸地が崩れるかさえ分からないんだぞ」
「そっか……。じゃぁ、まだこの構内には沢山天上人が?」
「恐らくはな。死んだとも考えられない」
莢とジューダスの会話に、天上人の一人が、答えた。
「眠っている。……眠ったよ、他のヤツらは」
それは酷く抽象的にも聞こえて、ジューダスは仮面の下で眉を寄せた。
「どういう意味だ?既に死んだのか?」
「違う」
顔色の悪い男は首を振った。莢達地上軍の人間と何も変わらない。人間だった。
「まさに『眠って』いるんだ」
男がそれについて言及することを躊躇しているのは見て取れた。だがそれで話が進むはずもない。
「永遠の眠りだよ……。コールド・スリープと人は言う」
「……!仮死状態にするのか!?」
ジューダスが合点が言ったように口を開いた。莢は戸惑いながらそこに割って入る。
「それって……氷点下何百度の中に入るって事……だよね?」
「ああ……。そうすれば人間の生物的な動きは全て止まる。腐敗もない。死ぬ訳じゃない、と文献には載っていたが……どうだか分からないな」
莢とジューダスが話し合う中で、まるで縋ってくるように集まった天上人達は口を揃えて言った。今ダイクロフト内にいる人間は皆金のない者達であると。
「ミクトラン様はコールド・スリープに掛ける装置は一台につき、一人が入れるものだと仰いました。そして眠りについた者は再びミクトラン様によって呼び起こされ、そして天上の王となった彼の、選ばれた民となって暮らせるというのです」
一人の、さも穏やかそうな雰囲気を持った青年がそう告げた。莢とジューダスは呆気にとられる他なく、唖然とその顔を見つめた。すると別の一人が青年の言葉を受けて口を開く。
「だから皆こぞってコールド・スリープの装置の中へ入るために金を振りまきました。そして自らが選ばれた民となるべく、その装置の中へ。……僕達は天上に上がった人間でも比較的地位の低い貴族です。数の制限されたあの装置には入れませんでした」
その言葉を聞いて、ジューダスは暫く間を置いて、それから
「呆れて、どう言えばいいのか言葉も出ないな」
言って、その人間がいる場所は何処か尋ねた。それが真実であるならば、そんな馬鹿馬鹿しいことは今すぐにやめさせなければならない。
「それが……あの、制御室でその扉はしっかりと閉められているので、そう簡単には……」
「ジューダス」
そこで莢がジューダスを呼び止めた。ひそ、とその耳元で声をひそめる。
「ハロルドはその人達のこと知らないんでしょう?だったら変に私達が助言して元にはなかったことをしたら、危ないんじゃない?」
「だが……」
「生きてる人間が増えたら、カイル達の存在だって危なくなるかも知れない」
莢が言って、そこでようやくジューダスは口を噤んだ。
コールド・スリープの話が真実ならば、スタン達は彼らを見ただろうか。そして、葬ってやっただろうか。分かるはずもなかった。莢にもまた、そのような細かい部分まで分かるはずもなかった。
「……僕達は生憎と傭兵でな。彼らの処分は上に報告しないと如何ともしがたい。兎に角今は僕達の船に――」
ジューダスがそこまで行って、急に制御室の扉が開いた。真っ先に掛けていったのはハロルドその人。
「あ、何やってたんだよお前ら!こっちはバルバトスが来て大変だったっつーの!」
「五月蝿い。捕虜への対応も軍の仕事だ」
「私達傭兵だけどね」
「兎に角!今ハロルドが……!」
「分かっている。もう少し落ち着け。……急ぎたいが彼女が降りた所為でエレベータが上がってくるのを待たなければならない。その間に捕虜達の身体を拘束させて貰う。何分人数が多いからな。彼女を追うのはそれからだ」
「ジューダス!」
急くようなカイルの声を、ジューダスは再び分かっていると押さえつけた。
「そこに抜け道がある。そこからなら神の眼へ早くに辿り着けるだろう。一人分しか通れないが、お前達はそこから神の眼が安置されている広間へ急げ。ハロルドの操作で今ダイクロフト内の機械はほぼ全てロックを解除してあるはずだからな」
「……!ホント!?有り難うジューダス!」
弾けるように響くカイルの声は少しばかり木霊するように響いて、そして四人はジューダスの指差した狭い通路に消えていった。
「……ジューダス、カイルに懐かれて嬉しいでしょ」
「五月蝿い」
後に残った莢とジューダスはここぞとばかりに話を続けるのだが、まさか捕虜にそれが何の話であるか分かるはずもなく、再び浮上してきたエレベータに乗り込んで、今度は敵も何も出てこないダイクロフト内を歩き始めた。
「ハロルド、大丈夫かな」
「大丈夫なんじゃないか、案外」
「いいの、そんな適当で……」
「僕らが行ったところで、彼女にしてやれることなんてないだろう?」
「そうだけど」
「あの」
会話の途中、天上人の一人が声を上げた。
「僕達は……どうなるんでしょうか」
あの青年だった。酷く丁寧な口調は教養故だろうか。ジューダスは彼を一瞥すると、やはり歩みは止めないまま鼻を鳴らした。
「生憎とそれも、僕らの一存では決めかねることだ。本来、軍で行われる軍法会議と言うものはお前達が思うより遥かに厳しく甘いものではない。期待しない方が良い」
「ジューダス!」
莢が声を上げ、ジューダスは素知らぬふりで、莢を見ることはなかった。
「もうちょっと言い方を和らげても良いんじゃない?そんな怖がらせるような事言わなくても……」
「僕は僕の考えを言ったまでだ。僕が知っている軍法会議は情状酌量の余地なんて存在しない。それに変に淡い期待でも抱かせて、結果が最悪なら莢はどうするんだ?」
「それは……そう、だけど」
「一時の優しさがどんな暴力よりも辛い時だってある」
ジューダスの言葉に、莢は口を紡ぐしかなかった。ジューダスが何を見て何を聞き、何を思い生きていたか莢がその全てを知るはずもない。
捕虜達を全てラディスロウに残っていた兵士に引き渡し、莢とジューダスはディムロス達が乗り込んでいったエレベータに乗り込んだ。
そうしてたどり着いたのは、酷く静まり返ってしまった神の眼の前。
横たわる二人の男と、その上に頭を乗せている女性の姿が真っ先に視界の中に飛び込んできた。
どれほどそうしていたのだろう、嗚咽を引きずりながら一向に顔を上げようとしない女性を、莢はただただ見つめていた。先に行っていたであろうカイル達や、共に戦っていたディムロス達でさえも、誰も、彼女を立ち上がらせようとはしなかった。
莢はたまらなくなって、俯いた。その際に眼にため込んだ涙が落ちたが、それを拭うことはしなかった。
ディムロス達は顔を合わせ、その場を後にする。神の眼、そしてダイクロフト如何について兵士達に命令を出さなければならなかった。
カイル達もそっとその場を後にする。彼らは莢を見て声を出そうと試みたが、それは彼女、ハロルドのために伏せられた。それを受けてジューダスが、莢の肩に触れる。引き寄せて、今し方通ったばかりの道を引き返そうと後ろを振り向いた。そこで莢は自分の目を手の甲で擦った。エレベータには乗らず、そこでハロルドを待つ。莢が鼻を啜る音が酷く大きく聞こえた。
ジューダスも何も言わなかった。泣くな、とも、何も言わずに、ただ莢に触れている部分だけは離さないまま。そこから徐々に体温が服を通して莢の肌に触れる。それが酷く心地良いことに、莢は気付いた。
「……あれは、ルーティだよ、ジューダス」
鼻に掛かった声。声を出すことで再び涙が溢れたのか、ジューダスを呼ぶ声は酷く不安定に揺れた。
「ルーティ、泣いてた。クレスタで。リオン……エミリオも、ヒューゴだって、代えられない血の繋がった父親と、弟だったのに……スタンだって、バルバトスの所為で……だから、ねえ、ジューダス」
震える声は、止められないままジューダスの耳の中へ入ってくる。
「私、後悔してる」
その一言が、自棄に大きく響いた。今まで以上にか細い声だったのに、ジューダスはその声をいとも容易く拾い上げた。
「あんなルーティの姿が見たかったんじゃないよ……。私、目の前のことしか見えてなかった!エミリオのことばっかり考えて、ルーティが、スタン達が、どんな気持ちであれから過ごしていたかなんて、考えもしなかった……!」
「莢、もういい」
「あのハロルドは、ルーティと一緒なんだよ……。私、また同じことして」
「莢」
ジューダスは莢の肩に触れている手に力を込めた。
「それ以上言うな。莢が悪い訳じゃない」
それしか言えない、自分への腹立たしさなのかも知れなかった。それでもジューダスは一つしか残されていなかった言葉を音に乗せる。自分の存在を歪めてまで自分の目の前に居ようとしてそれでも迷いのなかった少女が今、腕の中で後悔の二文字を口にする。
何故自分にはこの涙を止める術がないのだろうと、ジューダスは思った。
2006/11/11 : UP