光の旋律

 遠く、喧噪が耳に届いていた。
 ダイクロフトや神の眼に関しての処置はひとまずの所後に置かれ、人々はこの地上軍勝利の喜びをささやかながらに分かち合っていた。
 元より物資の不足で満足に宴も催せなかったが、ディムロスによる勝利宣言を受けて、兵は元より、非戦闘員の顔が綻んだことは言うまでもなかった。
 ただ、カーレルの死という傷が癒えることもなかった。
「……落ち着いたか?」
「ごめん……」
「謝られるよりも、僕は無理されない方が嬉しいんだが」
 ジューダスの屋や棘を含んだ言い方に、は黙って目を伏せた。
『駄目ですよ坊っちゃん、女の子にそんな辛く当たっては。こう言う時はもっと優しく声を掛けないと』
 すかさずそこでシャルティエが、ジューダスの背中から声を上げた。ここはラディスロウの、カーレルの部屋だった。
「……休む場所を間違えはしなかったか」
 シャルティエの言葉を聞き流してジューダスは一つ息を吐き、尋ねた。は僅かに首を振りただ一言、大丈夫、と。
「ジューダスこそ、カイル達と行かなくて良かったの?」
「僕にあの馬鹿騒ぎの中突っ込めとでも?」
「……」
 ラディスロウの奥からでも聞こえてくる喧噪には苦笑するしかなかった。何を言うでもなく、沈黙が降る。
「未来を知れば楽になれると、思ってた」
 それでも伏せた目は開けられることのないまま、の声がジューダスの耳に届く。それは記憶を失っていた間から彼女が感じていたことなのかは定かではなかったが、ジューダスはの脇で呟いた。
「奇遇だな。僕もそう思っていた」
 ジューダスにとってその言葉は偽りではなかった。彼はを見つめ、仮面の下で密かに眼を細める。は首を傾げるしかなかった。
 ただ静かにの側に座り床を見つめるジューダスが、喪に服しているように、彼の黒が、カーレルの死を悼んでいるように、の目には見えた。



Event No.54 友の元へ



「――、ジューダス」
 声を掛けたのはカイルだった。夜中、未だ暖かな空気の漂う地上軍拠点の片隅で。とジューダスは、カイル達がダイクロフトの制御室でバルバトスと戦い、そしてバルバトスは恐らく18年前――神の眼を巡る騒乱の時代――へと飛んだ可能性が高いことを示唆した。
 既にバルバトスは如何にして死ぬか、と言うことに重きを置いているのだ、と。
「カイルに勝てないから、カイルの存在を無かったことにするつもりだな。だからカイルの生まれる前のスタン達を殺そうとして居るんだ」
「そんな!」
 が顔を歪めた。ジューダスの顔も、言いながら仮面の下では歪んでいた。
「フン……そうすれば神の眼の破壊は阻止され世界も混乱の中に貶められる。エルレイン的にもそうすることによって救いを求める人間が増え、そこにつけ込んで人々の信仰心を煽り更に力を強化出来る……一石二鳥だな」
「なら……急ごうぜ。ここはもう大丈夫だろ」
 僅か、ハロルドの顔が過ぎったが、ジューダスはそれを見ぬふりをしてリアラに告げた。リアラはそれに頷いて
「な~に面白そうなコトしてるわけ?」
「きゃぁ!」
 突如降りかかった当人の声に肩を震わせた。
「ハロルド!?」
「おま……なんで!?」
 誰も驚きを隠せなかった。ハロルドは全員の視線を受けて、そうして一つウインクを。
「だぁって、アンタ達は未来からやってきたんでしょ?それがどういう原理であれ、大量のエネルギーが必要なことはまず間違いない。とすれば、神の眼もソーディアンも使えないはずでしょう?ジューダスがシャルティエを持って居るんですもの。そして神の眼は軍法会議によってダイクロフトごと海へ沈めることが決定した。……ついさっきね」
 そこでハロルドの笑みは深くなる。
「ならば一層のことエネルギー不足は明らか。……私が提供しないで、誰が提供するって言うのかしら?」
 そして彼女が取りだしたのは、彼女が試験的にソーディアン完成に先駆けて作った物の、レンズ。
「ソーディアンに使ったレンズは神の眼ほどじゃないけど、それに準ずるくらいの純度はあるのよ。加えてこれは試作品。……勿論、私も連れてくでしょ?」
 ハロルドは依然、綺麗に口元に笑みを浮かべ続けていた。カイル達は誰とも無く顔を見合わせて、そうして最終的にその首を縦に振った。
「……いいの、ハロルド?」
 はこっそりとハロルドに耳打ちを。ハロルドはおかしな子ね、とを見てやはり笑う。
「少しは……面白いことに首を突っ込んで、憂さを晴らしたいこともあるでしょう?」
 大人っぽく、と額を付き合わせて目を閉じたハロルドは、にとってどんな直球な言葉よりも説得力を持っていた。はただ一言そうだね、と相づちを打って
「行くわ、18年前の、神の眼を巡る騒乱の時代へ――!」
 リアラの声を耳にして、その視界は一面の光によって埋め尽くされた。


 大切な人を失うのはどんなときだって辛い。幾つ年を重ねても、辛い。だからもう、大切な人が死ぬのを、殺されるのを、黙って見てなど居られなかった。


 次に視界が彩られたのは空の上。否、雲の上だった。地平線のようなものがあって、水溜まりかと思ったものは空に出来た地表の穴だった。
「……ここは」
「僕達からすれば死後の世界だ」
「……天国?」
「一歩間違えれば地獄だ」
 言ってジューダスが笑った。それを見るのは久しいと、は思う。マリアンに見せていたような、ややあどけなさの残る微笑だった。
 達が飛んだのはダイクロフトへと繋がる地表の上で、ダイクロフトは直ぐ目の前だった。
「わたし達が飛んだのは四英雄が神の眼の破壊のためにダイクロフトへ乗り込む直前。急ぎましょう。今からだとわたし達は四英雄の後を追いかけることになるわ」
 リアラのはっきりとした声がの耳に届いて、そして皆は走り出した。外殻の完成はまだだった。の記憶に遠い映像が浮かび上がる。
 記憶違いでなければ、リオンが居るはずだ。ダイクロフトには。しかしそれを見たいとは微塵も思わなかった。寧ろ早急にスタン達に解放されるはずである彼の身体の消滅を見たくなかった。
 確かに側にいるジューダスの体温は紛れもないはずだというのに、リオンを前にした時自分がどうなってしまうのか、は不安だった。
「……?」
 その声には弾かれたように顔を上げた。
「どうかしたのか?」
 見るとジューダスが訝るようにを見ていた。は曖昧に笑って、何でもないからと中途半端な笑顔を作った。ジューダスは何も言わなかったが、何か言いたそうにしているのはまず間違いなく。
 はもう一度、今度は自分に言い聞かせるように、何でもないから、と呟いた。
 ――今度は私が隠し事をする番だ。
 はそれに腹が重くなるのを感じる。リオンも同じだったかどうかは分からなかったが、お世辞にも気分が良いと言えるはずもなかった。
「スタン達、元気かな」
「……僕達は、その為に居るんだろ」
「でも、私達が出て行ったらスタン達泣いちゃうかもね」
「馬鹿が。カイル達なら兎も角、僕達は隠れるに決まってるだろう」
 ジューダスの声色と表情が呆れに変わったのを見ては安堵の息を漏らした。嘘はついていないが、何かをひた隠すことへの罪悪感が紛れた気がしたから。



 声が聞こえていた。ひっそりと、しめやかに。
 ダイクロフトを揺るがす大震動が起こったのはつい先ほど。辺りは砂埃が舞い、時折電撃の走る音がしていた。綻んだ部分から小さな石つぶてが降ってくる。
『信じているのよ、あなた達を』
『なぁに、そんな辛そうな顔をすることはない』
『私達は元よりこのために作られたのです。それに……オリジナルとしての私達はとうの昔に死んでいるのですよ』
『……ま、私達をも人のように扱うのがスタンの良いところなのかも知れないがな。正直、こんな風に扱ってくれたのは嬉しかった』
『……そうね。ねぇ、私達、何時だってあなた達に道具扱いされたことはなかったわ。このコアに宿る人格を一つの命として扱ってくれたあなた達を、失いたくはないのよ』
『さあ……もう、行け』
 神の眼にその姿を沈めているのはソーディアン達。その前に数人の人間が立っていた。
 泣き腫らした目。そこまでは行かなくとも寄せられた眉と伏せられた瞳が沈痛な面持ちを作っていた。
『どうか後悔しないで下さい。私達はあなた達に、私達と関わってしまったことを悔いて欲しくない』
『勿論……リオンのことも……ね、ルーティ』
 辺りは絶えず小刻みに震動しているというのに、何処かそこだけは静かだった。つい先にカーレルが横たわっていた場所で再び『命』との別れが行われていることに、密かに身を寄せ合う者達の顔は歪んでいた。
「……後悔なんかしないわよ!どれだけ……どれだけ一緒にいたと思ってるの。ばか」
「……わたくしも……クレメンテ老と出会えたこと、感謝こそすれどうして後悔なんて……」
 よく知った、けれどもう随分と聞かない声が少女の耳をくすぐった。溜まらずに溢れてくる涙を止められない。その肩を、側にいた少年が包んだ。
「ここに、リオンが居たらな」
 少女の肩を引き寄せていた少年の瞳が見開かれ、その手に力がこもった。少女も同じく弾かれたようにして少年を見る。
「そうよ。かっこつけて死んじゃったりしてさ、ホント馬鹿みたいよね」
 二人に届いてくる声は震えていて、少年の目は細められた。
『だが今思えば、彼に殉じたシャルティエも……後悔していなかったのではないかと思う』
「……そうかもしれないわね」
「元気にしてたらいいよな、二人。今度はさ、笑って」
 心なしか意図的に気持ちを奮わせたような青年の声が聞こえた。少女はそれを聞きながら目を伏せる。涙が頬を伝った。
「一度、みんなで集まる機会があれば良かったな」
『……確かに、あの時私は壊れてソーディアンとして機能していませんでしたからね』
 嗚呼ここで出て行くことが許されるならばどんなに良いだろう。
 必死で嗚咽すら噛み殺す少女の髪を、少年は乱暴に一撫でした。
 穏やかだった声が、一つ空白を残して変化する。
『さあ、スタン。行くんだ』
「……ああ」
 いよいよ崩壊が間近になったダイクロフトで別れが告げられた。彼らは神の眼に背を向けて走り出す。
 ――その背後の空間が歪むや否や、カイルは飛び出した。
 無言で振り下ろされた其の剣を、重い斧が受け止める。その音がする前に若き英雄達の姿は消えていた。
「ッバルバトス……!」
「クククククッ!!そうだ、その眼だ!……来い、カイル・デュナミス!」
『……!?その声は!』
 急に姿を見せたカイル達にソーディアンが声を上げる。
「やっほー、ディムロス」
『ハロルド……!黙って行くとは水くさいじゃないか!後追い自殺でもしたかと思って皆心配していたんだぞ』
「馬鹿ねェ、歴史に名高いこの私がそんなことするわけないじゃないの。……言わなかったのは気分じゃなかったのよ。心配かけて悪かったわね。私からすると同じ日だから感覚沸かないけど」
『ふふふ……カイル君達にも会えて、こんなに喜ばしい日はそうそう無いわね』
 アトワイトの落ち着いた声色。ルーティに見せた年上の姉のような声ではなくそれは、限りなくオリジナルの人格に近しいアトワイト・エックス大佐の声だった。
『それにしても……まさかバルバトス、貴様までやってくるとはな』
 ディムロスの厳しい声が響いた。幾分かノイズがかっているのは神の眼によるものなのだろうか。しかしバルバトスは気にも留めずに鼻で笑う。
「ご心配なく、ディムロス中将。俺が今倒すべき人間は……カイル・デュナミス、貴様だ!」
「カイル!」
 笑みさえも浮かべ、不安定なダイクロフトの中でバルバトスは斧を振り上げた。カイルは剣でそれを受け流し攻撃を避ける。
「昌術を……!?」
 が言ってレンズを手にした瞬間、遮ったのはジューダスだった。
「馬鹿がッ!グレバムの二の舞になりたいのか!」
「でもッ」
「……チャンスをうかがえ。隙は全て見落とすな」
 ジューダスは言って、先にバルバトスへと突っ込んでいく。はそれに続いて剣を持ち直した。
 ハロルドとリアラが、それを見送る。
と……彼は今はどう言うべきか。生きていたんだな』
「……いいえ……彼らはエルレイン……彼女によって死者の目覚めを受けました」
『じゃぁ……』
「はい。……この戦いを終えた時、恐らく彼らも」
『そうか……辛いのう……。辛いことはもう、儂らの代だけで十分じゃったのに……』
「……」
 リアラは、俯く。代わるようにハロルドが口を開いた。
「甘いわねクレメンテ。辛くないことなんて、この世が続く限り有りはしないわ」
『ほっほ、そうじゃの。まさかハロルドがそう言うとは思わなんだが』
「どういう意味よ」
『そのままじゃよ』
 まるで祖父と孫のような会話に、リアラは僅かに口元に歪んだ笑みを。そして直ぐに顔を上げた。
 ジューダスの短剣が、バルバトスの腹を割いた。
 その身体はしかし、すんでの所で支えられた。ただもう痛みに力を入れることも出来ないのか、斧はそのまま床へ。
 彼はもう、何も見ては居なかった。誰かを人質にすることすらも、何も。ただ何かに取り憑かれたようにカイルだけを見据えて。
「……俺は……俺は……!俺は!!!誰にも殺されはせん!!!!カイル!お前にもだ!!!!!!!!!」
 吠えたバルバトスの声はこれまで聞いたどんな声よりも力が込められていた。吠えた瞬間に腹からは大量の出血が見られたが、バルバトスはそんなことも気にならないと言う風に神の眼に歩み寄る。それから一度、思わず戦慄する程に口元を歪めて笑って見せた。死にかけているというのに眼だけはぎょろぎょろと絶えず皆を見つめ続ける。
「俺を殺せるのは俺だけだ!」
 そしてバルバトスは一際強く吠えると、その身を神の眼に向けて躍らせた。足には殆ど力が入らなかっただろう。くずおれるようにしてその身体は神の眼へ。
 彼の身体はグレバムの時のように、しかし目でも追えないほどの速さで神の眼へ吸収された。
 カイルはバルバトスの眼を忘れられなかった。気が触れたように、けれど嫌にぎらついた眼をしていた。死にかけている者の眼では、無かった。

 硬直していた皆を解したのはジューダスだった。その背からシャルティエが取り出される。
「あ……」
 が思わず声を出した。
「……さあ、シャル。お前が本来居るべき場所だ」
『そうですね。まさかここに来る日がやってくるなんて、とても思えませんでしたよ』
「責めているのか?」
『そう聞こえますか?』
 質問を質問で返したシェルティエに、ジューダスは顔を歪めて笑った。
「お前が僕を責めたことは今まで一度もなかったな」
『全く、坊っちゃんのお守りをするのに責めていたら、坊っちゃんは言うことを聞いてくれませんからね!何とかは使いようです』
「言うじゃないか」
 今までにないほど軽く言い合いをする『二人』を、は黙って見ていた。
「今まで、世話になったな」
『……いいえ。僕は、坊っちゃんと今まで一緒にいることが出来て幸せです。だから……だから、坊っちゃんも幸せに』
「何言ってる。僕は十分すぎるほど幸せだった」
『ほら、その過去形ですよ』
 シャルティエの指摘に、ジューダスは思わず息を詰まらせた。
『幸せで在って下さい』
「……有り難う」
 はにかんだように、ジューダスは笑った。そうしてシャルティエの柄を握ったまま、の方へそれを差し出す。は驚いたが、じっとシャルティエを見た。
、ホントは一人だけに坊っちゃんの面倒見させるのは心苦しいんだけど、僕はもうここまでだから』
「うん」
「シャル」
『今度こそ、最後のその時まで坊っちゃんの側にいてね。あと、どうか幸せに』
「……有り難う。エミリオは私がちゃんと面倒見るから、シャルティエも安心してね」
『ああ、その言葉を聞いて僕は安心したよ』
「シャル。……もだ」
 居心地の悪そうに、ソーディアン・シャルティエの使い手は口を歪ませる。
『じゃぁね、
「うん」
 短い言葉だった。ジューダスはそれを聞き届けると、にシャルティエの柄を向ける。は遠慮がちにシャルティエの柄を持つジューダスの手に添える。
 神の眼にシャルティエが突き刺さり、揃ったソーディアン達はスタン達が救いたかった世界を彼らごと護るために一斉に動き出す。
「……さあ、私達も帰りましょう。神の眼のエネルギーに乗って」
 リアラの言葉で、カイル達は寄り添うようにして神の眼の前に立つ。先ほど、スタン達がそうしていたように。
 そしてもう言葉はなかった。ただソーディアン達が神の眼を壊すための動きに合わせ、リアラはそっと息を吸う。

2006/12/02 : UP

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