光の旋律

「……リアラ?ナナリー……それにハロルドも……」
 が女性へと宛われたという部屋に行くと、そこにはやはり煌々と燃える暖炉の前に、ナナリーとリアラ、ハロルドが座っていた。三人はの姿を認めると一様に顔を輝かせて
「あ、やっと帰ってきたね!」
「お風呂に入ろうと思って、アンタを待ってたんだけど」
「……行かない?」
 順番に言われて、は思わず顔を歪めた。
「あ……なんか、悪い事言ったかい?」
「ううん……違う……違うよ……」
 なんだか最近涙腺が緩んできたような気がする、とは思いながら
「ちょっとね、デジャ・ビュ。……いいよ、お風呂、入ろう」
 笑顔に持ち直してそう告げた。
 浮かぶのはルーティ達との約束。
 果たされなかった、約束。
【……フィリアとマリーと、また、お風呂に入りたいな】
【そんなのすぐに出来るわよ】
 あの時が続くと、どうして思ったのだろう。だってあの時確かに私達は仲間で、友人で、誰もが生きていたから。

 それを壊したのは私。

 は風呂場へと向かう途中、どんな風呂なのかを口々に検討し合う三人の後ろで顔を暗くした。浮かぶのはウッドロウの夢かと首を振る寂しげな顔。ルーティの涙。フィリアの安堵した溜め息。
 彼らは18年経っても彼らだった。は改めてそう思ったのだ。
 彼らがリオン・マグナスを、エミリオ・カトレットを未だ仲間だと信じているように。友人だと、心に秘めているように。もまた、彼らに大切に思われていた。
 エミリオを独りで死なせたくないと、自己満足で振り払った彼らにはいくら謝罪をしてもし尽くせないのだと思う。仮に謝罪をすれば彼らは笑って、謝るな、と言うだろう。
 にはそれがとても眩しく思えて、そしてにとってもやはり彼らは大切な存在であったことを自覚させた。
?早く来なさい、置いてくわよ?」
 前の方でハロルドが振り返ってを呼ぶ。は少しの笑みを浮かべて頷き、彼女たちの横を歩いた。
 風呂場の脱衣場までは直ぐにたどり着き、衣服を脱ぎ去る。着替えは既に用意されており、着ていた衣服は洗うために一緒に持ち込んで、ハロルドが真っ先に風呂場への扉を開けた。そこはまるでトウケイ領のそれを彷彿とさせたが、ファンダリアのそれは石造りだった。
「流石ねぇ。大きさも申し分ないし……あら、このお湯は源泉から引いてきたのかしら?」
 ハロルドの言葉にはウッドロウもトウケイ領で味わった温泉に感化されたのかと思ったが、よく考えてこの城は昔からこの場所にあったのだと頭を振った。
「ふむふむ……お湯の成分も気になるわね……それにこの石造りも余り見ない素材だし……」
「あらら」
「出た。いつもの悪い癖」
 リアラが言って、くすりと笑う。は駆け湯をしてからそっと足を湯船に忍ばせた。瞬間の足をお湯が包み込んで、引き込まれるようにそのままは身を沈める。
 血行が一気に良くなった所為で痒くなる全身に顔をしかめて、そうして息を吐いた。
「ね、……このお湯、熱くない?」
「……そう?私はこのくらいだと思うけど……。身体が冷えてるからそう感じるんじゃない?」
「うん……」
 リアラが浴槽の縁で入りづらそうなのを見て、はその足先にそっとお湯を掛ける。
「こうやって慣らしていけば入れると思うよ?」
「有り難う」
「どういたしまして」
 お互いに笑みを浮かべて、そしてリアラが湯船に身を滑り込ませたのは直ぐだった。
「もう、旅も終わるんだね」
 ナナリーの感慨深そうな表情に、とリアラはそれぞれに反応した。ハロルドは未だに浴槽の中に足を突っ込んでその成分について検討している。
「そうだね……」
「ええ……そうしたら、お別れね」
 何時だったかそうだったように、世代を超え、そして時代をも超えて為された似たような雰囲気には思わす笑ってしまう。
「泣いても笑っても、もう終わり。私達が、終わりにするんだ」
 の言葉に二人は頷く。けれどそれは直ぐに終わってしまって。
「ねぇ、のこと、聞いても良いかい?」
 少しばかり遠慮がちなナナリーの言葉に、は勿論と笑顔を浮かべた。
「神の眼を巡る騒乱の……グレバムを追いかけた時の旅……はどんなことを感じていたか、知りたいんだ。参考までにさ」
 何の参考にするのかなど、言わなくとも承知していた。は頷いて、ウッドロウに拾われトーンの小屋で生活していた頃の話から始めた。



Event No.56 キミのとなり



 全てを聞き終え、ナナリーとリアラは溜め息を。
「……は……本当に、リオンのことが好きだったんだね」
 少しばかり寂しそうに、そして誇らしそうに告げるナナリーには恥ずかしくなって身を縮めた。
「にしても……心中なんてロマンティックで青臭いこと、あのリオンが許しちゃうなんてねぇ」
「……そう思うと、確かに」
 いつの間にか話の聞き手にいたハロルドの言葉に、は苦笑する。
「でもね、後悔したんだよ。私」
「え?」
「あれから18年経って、こうして今私は確かにここにいて……でもね、だから、あれからみんながどうなっちゃったか知ってしまった。だから……あの時私はリオンを引きずってでも、生きなくちゃ行けなかったんじゃないかって、思うの。だって……ルーティは今一人なんだもの。スタンは……もういないし、カイルだって私達と一緒にいて沢山危ない目に遭ってるでしょう」
「あ……」
 の言葉に、リアラは口元に手を当てた。
「カイルだけは失わさせちゃいけない、……なんて、多分本当は、ジューダスに仲間を失う悲しさをもう、させたくないだけかもしれないけど」
 やや自嘲気味に笑ったを、しかし誰も笑いはしなかった。
「いいんだよ、それで」
「そうそう。結局人間なんて自分の自己満足でしか行動出来ないのよ」
「……ハロルド、そんな言い方しなくても良いんじゃないかい?」
「あら、結構的を射ていると思うけど?」
 にや、とハロルドは笑う。はその様子を見て少し目を瞬かせた後、綺麗に笑った。
「……うん、そうだよね、自己満足でもいいや。自己満足でも良いから……もう、後悔だけはしたくない」
 声を立てて笑うに、ナナリーもハロルドも笑って頷いた。リアラは一人で何かを考えるように口元に手をやり、
「自己満足でしか行動出来ない……そうよね……うん。それでも……後悔は、したくないのよ……」
 一人でそう頷きながら、ふと顔を上げて、
「ハロルドもも、素敵な言葉を言ったわね」
「……へ?」
 やはり鮮やかに笑うリアラに、ナナリーだけが気の抜けた返事をした。
 それでも何とか持ち直し、そろそろ風呂から出ようと名残を惜しむように湯船から出る。温まりすぎたと言っても過言ではないほどに身体はふやけていて、苦笑を漏らさざるを得ない。
 体を拭き洗った衣服を持って用意された着替えを身につける。
 来た道を戻って、客間へと戻り、身体の暖かいうちにそれぞれベッドへと潜り込んだ。
 身体を沈めればベッドは音を立てることもなくその身体を包み込んで、柔らかすぎる感触に、けれどは嫌に気持ち良く眠りにつくことが出来た。
"私はあなた。あなたは私"
 いつか聞いた声。
"来るべき、時は満ちました。私とあなたは一つになり、そうして……袂を分かつ時が来るでしょう。けれど嘆く必要はありません。フォルトゥナの力が……"
 声はそこで途切れた。は更に深い眠りへ。
"事実は揺るぎない、けれどそれを変えるのが記憶です"
 声はそのまま小さく弾けて、しかしがそれを聞くことはなかった。ただ沈んでいく意識の中、夜は更ける。
「……後悔はしたくない……自己満足でも、いい」
 の隣のベッドへと潜り込んだリアラが、彼女を見ていた。



 翌朝になってもはなかなか起きることが出来なかった。ベッドが気持ち良すぎた所為かもしれない。
「……、起きたか?」
 少年が部屋の入り口でノックしていても、は返事すら出来ないほど心地の良い微睡みの中にいた。
 ふわふわと柔らかい布団が身体を包み、いっそ下着だけになってその感触を味わいたいとさえ思う。
……?」
 少年の呼びかけにもは応えない。ただ意味の成さない、心地の良さだけを表現するような声で鳴いた。猫のように丸まる。
 少年は部屋の中まで入ってきていた。実を言えばそろそろ今後のことについて話をしておきたいから起こしに行くようにと何故か彼が選ばれ、その際姉貴分の少女が意味深長な笑みをして少年を見ていたのでおおよそ彼女か、或いは才女の仕業だろうと少年は見当をつけていた。
 心地よさそうに眠る少女の寝顔を少年は改めて見つめた。今は長きを共にした良き剣も居ない。部屋は静かだった。
「……」
 少年はベッドの縁に腰掛け、少女の髪を払う。普段は綺麗なその髪は、今は気ままにベッドの上に散らばっていた。
 彼女の寝顔を見るのは初めてではなかったが、カルビオラでもその暑さの所為か、は少し寝苦しそうにしていた。
 初めて見るかも知れない心地よさそうなその寝顔に、少年はどうしたものかと戸惑った。
「……、起きろ」
 もう一度呼び掛けるが、からの反応はほとんど無い。常に早起きで、少年よりも遥か早い時間に起床し朝に鍛錬を行っていた彼女が、こんな姿を少年に晒したのは初めてだろう。

 もう一度呼びかけを。
 少女は少し反応して、少年は彼女が布団にくるまったまま瞼だけを持ち上げ、暫くそのまま瞬きするのをじっと見ていた。それから不意には少年の方をみて
「エ……。……。……じゅー、だす?」
「そうだ、僕だ。変なところで名前を区切るな」
 ジューダスはそう言ってみたが、はそれでも眠そうに目を擦る。上半身だけを起こして、寝間着姿のまま、焦点の合わない目で何処かを見ていた。
「……ほら、起きろ。もう全員起きてる」
「ん……ごめ、ん」
「気にするな。疲れが溜まってたんだろう」
 ジューダスは言って、殆ど無意識だったのか、の髪を何度か撫でるように手で梳いて、驚いているには気付かず部屋を出た。も反射のように、ジューダスが撫でていった頭に手を置いて。
 嬉しいかも、と思って、直ぐに支度をし始めた。
 一方ジューダスはと言えば自分のしたことをからかう相手も居ないまま、自分の行動に今更ながら恥ずかしがっていた。マリアン相手にもしなかったことを、と思って、そうしてなんとなく心を温めているそれに顔を綻ばせる。
 何処か満たされたような気持ちの名前をジューダスは知らない。けれど確かにそれを感じていた。

 の支度も済み、全員が揃ったところでカイルが告げる。
「これから10年後の世界に行って、歪みが出来てしまうくらい凄い歴史改変をしようとしてるエルレインを追いかける。あいつを止めなくちゃ」
「で、そこへ行くためのエネルギーだけど、確か地上軍があった場所にイクシフォスラーって飛行艇があると思うのよね。アレは私が作ったんだけど、結構純度の高いレンズを使ってるから、それで十分だと思うわ」
「げ」
 カイルに続いたハロルドの言葉に思わずロニは顔をしかめた。
「イクシフォスラーって……俺達が天地戦争時代に吹っ飛ばされた時あの爆風に巻き込まれてなかったか?」
「んー……もしかして飛行艇ごと飛んで来ちゃった?」
「いや……飛ばされた後飛行艇はなかったけどよ……」
「なら大丈夫よ」
 ハロルドは言ってウインクを一つ。
「私の趣味でね、一定時間操作が行われないと所定の位置に戻るようにプログラムをセットしておいたの。だからもう地上軍拠点に戻っているはずよ」
 ハロルドの言葉には全員が安堵の笑みを零すしかなかった。
「リアラ……大丈夫?」
「ええ、有り難う、カイル。一晩休んだし、わたしなら大丈夫よ」
 リアラはそう言って、今まで見せたどの表情よりも力に満ちた顔で頷き答えた。カイルはそれに頷きを一つ返して。
「それじゃ、出発しても良いかな?……は……俺よりもまだ眠そうだけど」
 くす、と笑ったカイルに、は立つ瀬の無いように頬を掻く仕草をした。どことなく口元に浮かべた笑みは引きつって、目線はあらぬ方向へ。
「あー……っと、眠気の方はもう大丈夫なんだけど……今度はちゃんと、出発を言いたい人が居るから、ちょっと時間貰っても良いかな?」
「ん、分かった。じゃぁ俺達その間ここに居るから、他のみんなも何か用事があったら今の内に行くって言うことで良いよね」
「オッケー」
「そう言うわけだから、、行ってらっしゃい」
 カイルは笑顔のままにそう言って、送り出す。
「有り難う、カイル。行ってくるね」
 はそれに答えて駆けだした。ジューダスはその背を見送る。
「……あれ?ジューダス、お前はいかねぇのかよ?」
「……何故だ」
「ジューダスはとワンセットって感じだったしなあ。ハイデルベルグに戻ってからは結構別行動だったがよ」
「……」
 ロニの言葉にジューダスは応えないまま、黙ってが駆けていった方を見ていた。

 は宿舎の方へと足を伸ばしていた。入ると直ぐに歓迎されたが、はその一つ一つを丁寧に受けながら、アルフレッドとヴィルヘルムは何処にいるのか尋ねた。質問された兵士達は顔を見合わせて、
「……ヴィルヘルム隊長とアルフレッドなら、さっきマリアちゃんが出発するのを聞いて慌てて城の方へ行ったけど?」
「……そうですか」
「入れ違いっぽいな」
「徒労ってヤツだな。まあ今から行けば見つかるだろうし、行ってこい」
「有り難う御座います」
 は苦笑して、一つ礼をして宿舎を出る。
 来た道を引き返して、英雄門をくぐったところで、前から歩いてくる二人の影に気が付き、手を振った。人影もに気付き、駆け足で近寄ってくる。
「マリア!」
 早かったのはアルフレッドの方で、
「今日発つって聞いたんだ。今から?」
「はい。だから、一応それを言わないと、と思って、宿舎まで行ったんですけど……」
「入れ違いになってしまったな」
 追いついたヴィルヘルムが付け加える。はその言葉に頷いて、
「……行ってきます」
 そう告げた。
「帰ってくる予定は?」
「有ると言えばありますし、無いと言えば無いような気もしますね」
「うわあ凄い曖昧だな」
 アルフレッドは言って顔をしかめる。は苦笑気味にすいませんと頭を下げた。
「……気をつけて行ってくるんだよ」
「はい」
 ヴィルヘルムはただ一言そう言って、笑顔のままを送る。
「……行ってらっしゃい。って、俺に言わせるからには帰ってきてくれよ。あんまり期待しないで待ってるし」
 アルフレッドは軽い口調でそう言って、一つの頭を叩く。叩くと言うよりは置くに近いものがあったが、はそれに笑顔を浮かべた。
「アルは結構適当ですよね」
「言ったな。じゃぁ絶対にまた帰ってきなさい」
「……私はファンダリア出身じゃないですけど」
「じゃあここがマリアの第二の故郷ってことで」
「……訂正。適当且つ強引」
「そんな事言って実はちょっと俺の言葉に嬉しくなってたりとか」
「すみません、確かにファンダリア出身じゃないですけど、ここは第一の私の故郷ですから」
 は言って、にやりとアルフレッドを見上げた。アルフレッドは目を丸くして、それからまたの頭を撫でる。
「ちなみに個人的に故郷にしたいのはクレスタのデュナミス孤児院ですね」
「……そりゃ光栄だ」
 アルフレッドがかき乱した髪の毛を直しては笑う。それに答えるようにアルフレッドも笑って、英雄門の下で、ヴィルヘルムと共に手を振った。
 はそれに手を振り替えしながら城の方へと向かう。
「どうか無事で」
 二人の声は重なって、背を向けて駆け出した少女の背に送られた。

 ただいま、とは旅の仲間に声を掛けた。あの二人には申し訳ないが、これを言うのは彼らか、或いはスタン達に向けての方が余程馴染むように思えた。
「もういいの?」
「うん。有り難う」
「……それじゃ、行こうか」
「目指すは地上軍拠点!イクシフォスラーだ!」
 元気の良いカイルの声がホールに響いて、皆は再びハイデルベルグを発った。前回発ったのが大分前のように思えて、なんとなく笑ってしまう。
「……良かったのか?」
「うん?」
「アルフレッドの所へ行っていたんだろう」
「……うん。いいんだ。前は急すぎて出発を言えなくて、結構心配かけたみたいなんだけど……今回は言えたし」
「……そうか」
「まるでジューダスは、私にはついてきて欲しくないみたいな言い方だね」
「そうは言ってない!」
 は少し寂しそうに笑う。けれどジューダスは直ぐにそれを否定した。思いのほか声が大きくなり、ジューダスは直ぐに口を噤む。そして再び開いて
「……泣くな」
「……え?」
 ばつの悪そうにジューダスはから目を逸らして、それだけを。は急に言われ、面食らったように呆けた声を出した。
「……えっと?」
 意味が分からない、とは尋ねる。ジューダスは消え入りそうな声で、以前白雲の尾根でこの話をした時が酷く傷ついて表情をしたことを告げた。
 それを言うならジューダスこそ、言いながら酷く傷ついた表情をしていたとは言ったが、ジューダスはそれには答えなかった。はそれにむっとして、
「ジューダスの側にいるって、約束したもの」
「……?」
「シャルティエに、約束したもの。最後まで、一緒にいるよ。ジューダスの側にいるから。……居させて」
 萎んでいくように小さくなった声に、ジューダスは黙って、けれど直に
「ああ。……悪かったから、泣くな」
 返事をした。からは直ぐに泣いてないと返ってきて、どちらとも無く顔を見合わせ、笑う。

2006/12/16 : UP

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