光の旋律
地上軍拠点へは直ぐに着いた。二度目になる道は例え吹雪いていても、気を抜くことさえしなければさほど厳しい道のりではなかった。
「戻ってると良いわね」
「あら、戻ってるわよ。誰が造ったと思ってるの?」
自信満々、と言うハロルドの笑みに、言ったリアラは思わず口元に手をやって笑った。地上軍拠点跡地にはやはり兵士が立っていて、以前に持たされた勅命状を形式張った動きで見せると、兵士達はやはり形式張った動きと言葉でカイル達へ道を譲った。
「面倒臭いけど、規則は規則だからな」
苦笑気味に、彼らにとってはつい先日見たカイル達に言う。カイル達にとって彼らの顔を見るのは久しかった所為か、その言葉にぎこちなく笑った。
「さて……アレに乗ってたってことは一度は封印を解いたってことよね」
「うん。もう直接イクシフォスラーの所へ行けばいいと思う」
カイルは頷きと共に返事を寄越した。ハロルドは変わらないわねぇ、と呟きながら歩を進める。足取りはしっかりとしていた。
反対に、道中休息を取りながら今後のことを聞いた莢の足取りは軽やかとは言い難く、顔色も幾分か悪い。皆はそれに気付いていたが、敢えて何も言わなかったし、また何か言えるはずもなかった。ジューダスも、何も言わなかった。
生きている皆とは違い、二人は既に死んだ人間であり、そして莢にいたっては所謂『この』世界の人間ではないのだ。今後のことを考えることもあるだろう。
けれど莢にとって気にしていることはそれではなかった。
天地戦争時代へ行く前にエルレインに向けていった自らの言葉。
【もしも幸福というものが誰かによって与えられるものなら。私は、あなたにこそ捧げられるべきだと思うよ】
エルレインはきっと何かに愛されたことがないだろう。なぜならば彼女は人間を愛すべき存在であって、人間から愛されるべき存在ではないからだ。多くの人間にとって彼女は求め、そしてそうあるべき存在であり、愛する存在ではないのだ。
そう、リアラとは、違って。
そうだとすれば彼女たちの存在とは一体何なのだろうか。
エルレインは数多の人間から『求め』られる。
リアラは片手の指の数ほどの人間から『愛』される。
けれど確かに彼女たちは幸せではないだろうか。
エルレインは自分の存在がどうあるべきか知っていて、そしてそうであれることで幸せであろうし、またリアラは彼女を真っ直ぐ見つめ支えてくれる存在がいることで幸せだろう。彼女の存在を思い、怒り、悲しみ、泣き、笑ってくれる人に、少なからずリアラは心地よさも感じているはずだった。
彼女たちの行く末はジューダスとの会話からでも見通せた。エルレインと対立することはつまり、フォルトゥナとも対立することに繋がるはずだ。なぜならばリアラは、人間は自分達の手で歴史を作り、悲しみ、愛すことの中に幸せがあるのだと考えているから。そしてそれはフォルトゥナは必要ないと、結論付けられるからだ。
それは、自己否定にも近い考えだった。
勿論リアラがどう考えているのかを、莢が全て知っているはずもない。しかしカイルやリアラを見ていて思うことがあるのも事実だった。
この旅はスタン達とのそれとは大きく異なる。
カイルは、スタンとは違う。
だからこの旅の終わりは、きっと違うものになるだろうと、莢は考えていた。
Event No.57 かみさま
あったわよ、とハロルドがイクシフォスラーを指差した。どことなく皆の顔が緩んだのに、ハロルドは信用しなさいよね、と少し顔を膨らませて拗ねる。
カイルがそれに素直に謝って、まだ文句を言うハロルドがイクシフォスラーからレンズを取りだしてくるのを見送った。
「10年後の世界か……ナナリーの生きる時代だよね」
「そっか、莢は初めてだね」
「うん。ナナリーは熱いところに住んでる……ん、だよね?」
莢が遠慮がちに尋ねて、ナナリーが目を開いて何故と尋ねると
「ナナリーの服装だと、寒いところはないかなって」
そう言って笑った。
ナナリーは正解だよと微笑んで、そしてジューダスは
「……まさか莢がそんなことに気付けるとはな」
と、驚きを隠せない様子で告げた。莢は失礼な、と心外そうにしていたが、ジューダスに戦闘以外に関してはてんで鈍かったのはどこのどいつだと問われ言葉を詰まらせるしかなかった。
「……ナナリーはどんな風に暮らしてたの?」
莢は結局そうやって話題をそらすことでジューダスから逃げる。ナナリーはそんな莢の姿に苦笑して答えた。
「そうだねぇ……莢は、チェリク知ってる?」
「うん」
懐かしい名だと思いながら、莢はナナリーの言葉に頷く。
「私の住んでるところはね、そこから少し歩いたところにある、ホープタウンって所さ。いくら植物を植えても枯れてしまう地面とか、むき出しになった岩とか、そう言う色気もへったくれもないところでね」
「ああ、だからお前にも色気が」
「……あんたは黙ってな!」
ロニが茶化すように口を挟んだのに、ナナリーは綺麗なボディブローを決めて、莢は言葉もなく呆れて曖昧に笑った。
ナナリーは、それで、と再び口を開く。
「正直、生活するには辛いところさ。でも……なんて言うかな、ファンダリアとは真逆の気候だけど、そこに生きてる人達の本質は似たようなものだよ。アイグレッテでの生活が嫌で、みんなそこで生きてた」
「へぇ」
「……ま、元々閉鎖的なというか、外部からの人間を快く思わなかったヤツらが住んでいたところだから、当たり前と言えば当たり前だったのかもね」
ナナリーが少し呆れた風に笑う。と言って大部分の人間はアイグレッテに移り住んだはずだが。
「ホープタウン、か」
「多分、莢も行けると思うわ」
「……え?」
莢の思考を遮ったのはリアラだった。ハロルドは既に戻っていて、リアラにレンズを渡している。彼女はそれを両手の平に乗せていた。
「今から10年後のストレイライズ大神殿へ行こうと思っているの。エルレインがどうしているかも分かるだろうし……分からなければホープタウン経由でカタコンベへ……フォルトゥナに、彼女の動きを教えて貰うわ」
「あ、そうか。10年後じゃ誕生してるんだっけ」
「厳密には完全光臨するまでにはまだ時間があった」
莢の言葉をジューダスが引き継いで、リアラはそれに頷いた。
「……いい?みんな」
皆を見渡し、リアラは一人一人の顔を見る。他の六人も同じようにそれぞれの顔を見て、そして最後にカイルの顔を見た。
「カイル、私に誓って欲しいことがあるの」
急な言葉に、カイルは驚いたようにリアラを見つめた。何処か厳しい表情で、けれどその顔は静かそのもので、ただカイルを見る瞳だけが強く存在していた。
「何があっても……エルレインを止めると、誓って。彼女がやろうとしていることを……いいえ、この世界を、護って」
彼女の態度と共に、その言葉もまた、静かだった。
カイルはリアラのそれに何を感じたのか、やはり真っ直ぐにリアラを見つめて、一つ頷いた。
「誓うよ。俺は、この世界を護る。エルレインを止めて、俺の大切な人を護る」
カイルもまた真剣な表情で、誰もそれを邪魔しなかった。リアラは満足そうに頷いた。有り難う、と言って、笑った。
「それじゃ、行きます。10年後のアイグレッテへ!」
彼女の首を飾るペンダントが光るのを莢は見た。呼応するように掌に載せられたレンズも光を発して、莢の目は強すぎる光に視力を失って、堪えきれずに瞼が覆われた。
瞼を伏せても耐えない光に、莢はどうしたものかと考えた。寒いという感覚は徐々に無くなり、そして再び光の中で感覚が戻ってくる。先ずは自らの血潮。そして平衡感覚。次に皮膚感覚。続いて聴覚。最後に莢は目を開けて、視界が色を取り戻したのを確認した。
「……上手く行った、かな」
「そのようだな」
アイグレッテの近郊、草原の上に莢達は立っていた。心地良く莢の首もとから髪を持っていく風を感じる。防寒着は必要なかった。
「ストレイライズ大神殿へ行きましょう」
静かで強い声だった。
リアラが真っ先に歩を進めるのを見て、莢とジューダスは後ろを歩いた。
「……エルレインは今どうしているかな」
声は平常時のそれと同じで、ジューダスは少し間を空けて口を開く。
「さあな。『失敗作達』に失望して、躍起になって髪を振り乱しているかも」
「有り得るね」
くすり、と莢は笑う。
「でも、彼女たちも不完全作だよ」
次の瞬間、莢から出た言葉にジューダスが絶句したのを莢は気にしなかった。ジューダスはただまじまじと莢を見たが、莢は歩を進める足を止めることはしなかった。
「完璧な存在なんて居ないよ。みんな、完璧じゃないから一緒に居るんだもの。完璧じゃないから、共存して居るんだもの。だから、今ここに存在している聖女も不完全。勿論、フォルトゥナもね」
「……お前には驚かされることばかりだ」
その声は幾分か笑いの色を帯びていて、莢はジューダスを見ると、笑った。
「完全な存在には何も必要ないの。でもね、神様は人間が必要としなければ存在出来ない。だから、フォルトゥナも、不完全。人間が居なければ、フォルトゥナも存在し得ない」
「……偶に莢は16の少女には見えないと思う時がある」
「ん?私なんてしょっちゅう、ジューダスもリオンも、16には見えないなって思うけど」
「嫌味か?」
「かも」
莢の声に少しからかいが含まれてるのを見て、ジューダスも笑う。けれどその顔も直ぐに消えて、驚きの表情に染まる。
微笑んだ莢の笑顔は穏やかな気候が作る風の中に混じって穏やかで、そして心の底から楽しそうだった。
アイグレッテに入るところで、莢はまたジューダスを見た。
「ねえジューダス」
そして隣の少年の名を呼ぶ。ジューダスはなんだ、となんとなく少女を見た。
「ジューダスが私を覚えていなくても、私はジューダスのこと、覚えているから。だから、私にさよならは言わせてね」
ジューダスの目は再び驚きで見開かれた。そしてその口がその意味を問いただす前に、莢は前を行く仲間に追いつこうと先を走っていた。
ジューダスは唖然としたままその姿を見て、彼女の名を呟いた。
ストレイライズ大神殿に入ってまず、リアラはその辺を巡回していた神官を問い質した。10年後、フォルトゥナから生まれた聖女達の存在は公に知られており、誰もが皆リアラを聖女様、と呼ぶことに莢は驚いた。
リアラもリアラで強い瞳のまま、言葉遣いなど少女のそれとは思えないほどに毅然としていた。
普段とのギャップに驚きながら、神官がエルレインはフォルトゥナの光臨の為にカタコンベで籠もっていると言う旨の内容を聞き逃しはしなかった。
リアラはカイルを振り返って、行きましょうと急かす。莢がようやっと皆と思考を揃えたのはアイグレッテ港を出発する頃だった。
甲板に立てば少しきついと感じる海風が莢に絡んでくる。その後ろ姿に声を掛けたのはリアラだった。
「驚いた?」
悪戯っぽく笑むリアラに、莢は参ったなあと声を上げる。
「私も10年後のここに、みんなと一緒に来れば良かったかな」
「あら、でも莢とアルフレッドさんが居たからウッドロウ王は助かったんでしょう?」
「そうかも知れないけど、そうじゃないかも知れないでしょ?」
莢は隣に立ったリアラに目線だけを投げかけてそう言った。リアラはそれを受けて笑う。綺麗な笑顔だった。
初めて会った頃にはもっと影のある表情だったのに、と莢は思う。
「ねぇリアラ。私はどうして此処に居るんだろう」
海鳥が船の側で一声、鳴いた。海原を掻き分ける波の音が嫌に莢の耳についた。
「……分からない」
リアラの答えに、莢は目を閉じた。強い風の所為で、少し目が乾燥していた所為だったのかも知れなかった。
「そう。……良かった」
「え?」
リアラは莢の表情を伺い見た。莢は目こそ閉じていたが、その口元には確かに笑みと言える表情があって。
「もし答えがあったらって思うとちょっと、怖かったから。……18年前、まだ私が生きていた頃にね、夢の中で声が言うんだ。【私はあなた。あなたは私】って。私の身体能力はね、私のものじゃない気がしてたの。だって私は、普通の人間だったから」
莢は呟きのようなそれを、リアラに言った。リアラでなくても良いような言い方だったが、恐らく莢は話す相手がジューダスなら言わなかっただろう。
「色々あって、私は記憶喪失で、それはその声の所為だと分かった。……その声は、もしかすると私自身かも知れなくて……。フォルトゥナ……神様が存在するって聞いて、もしかしたらその声が私をここに連れてきたのかも、って、思った。勿論違うかも知れないけど」
「莢……」
「だってね、人の想いが神様みたいに形になって現れるなら、私の思いもそんな風に、私から独立して一人歩きすると思わない?」
幾分か寂しそうに莢は水平線を見つめる。
「多分、私は死ぬと思うんだ。だって、一度死んでいるから」
何か避けようのないものに、正面から向かい合った人間のする眼だった。けれどリアラのそれとは、少し形を異にしていた。
「でも、私はこの世界の人間ではないから、きっとこの世界からもなくなると思う。みんなの記憶からも。多分、歴史に名を残したりもしない」
自分がこの場にいるはずのない存在であることを莢は知っていた。蘇ったその時から。
「だからね、さよならを、言わせてね」
約束、と莢はリアラに言う。リアラは首を振った。ただただ、莢、と少女の名を呼ぶことしかしないリアラを、莢はじっと見つめる。
「リアラは、きっとこの世界に『生まれる』よ。その時は幸せになってね」
シャルティエが紡いだものと同じそれを、莢はリアラに告げる。彼女の言葉は『託す』に近かった。
「ジューダスとはね、スタンと、ルーティの居る、その二人の子どもに生まれ変われたらいいねって話を、したの。でもね、多分私は出来ない」
莢はそこで言葉を区切って、リアラの背を撫でた。
「みんな、全部、忘れると思うの。だから……せめて今だけでも良いから幸せを願わせて」
穏やかな声に、リアラは身体を震わせる。
「そんな……莢、そんな事言わないで」
「リアラ」
首を振る少女に莢は言う。
「今を、大切にしよう。噛みしめて生きよう。ね?」
その言葉はもう、仲間達と過ごしたあの時がずっと続くと思っていた少女のそれではなかった。
莢はリアラをその場に残して甲板から船室へ。リアラの隣にいるのは相応しくないと感じていた。
「盗み聞きって趣味、悪いよね。リオンの頃の名残?」
「それを言うなら莢だって盗み聞きしたことがあるんじゃないのか?」
「痛いところ、突くよね」
莢は苦笑して、船室へ続く廊下に立っていたジューダスを見た。
「この世界を護って、それで、おしまい」
莢は両手を開いて顔を歪めた。
「……シャルの言葉を忘れたか?」
「……幸せには、なれないよ。だから私はリアラに託したいの」
「何故だ」
静かに、僅かに波の音がそこにまで届いていた。二人はそれに包まれながら会話を続ける。
「だって死んだんだよ?」
「違う。そう言うことは聞いてない」
「じゃぁ、何?」
はぐらかそうとしているようには見えない莢に、ジューダスはやや苛立ったように舌打ちをして、その腕を掴んだ。
「お前らしくないな」
「……あの頃は、世界なんて大きすぎて、私には分からなかった」
呟いた莢の肩に、ジューダスは何かが見えた気がした。
「世界が生きるか死ぬかの時に、私は居なかった。でも、この旅で見てきたたくさんの世界で……私は……死ぬのが、こわい」
顔を歪めて、幾分か高くなった声色にジューダスはその表情を覗き込むように、莢と視線を合わせようとした。莢はそのアメジストの瞳を視界に入れる。
「……お前が死ぬのがか?それとも、世界が?」
「分からない。どっちにしても、あなたも一度死んでいるから」
悲しんでいるような虚ろな瞳に、ジューダスは眉をひそめるしかなかった。
「……大丈夫。世界を護るのは、手伝うよ」
莢はそんなジューダスを見て、僅かに笑みを零した。控えめな笑みだった。
「有り難う。私、十分すぎるほど、幸せ。だから、幸せにはなれない」
「……お前がそうだというのなら、僕も幸せだ」
眉をひそめ訝る表情から、ジューダスはやや辛さを耐えるように顔を歪めた。一度瞳を隠して、俯く。
先に顔を上げたのはジューダスで、彼はやや視線を下げたままの莢を見て
「有り難う、莢」
「……え?」
今まで告げられなかったそれを、言葉に乗せた。
「僕を好いてくれて、有り難う」
「あ……」
控えめだった。そして仮面越しでもあった。
それでも莢が顔を上げたその先にはジューダスは笑っていて、それは常の笑顔とは異なる、柔らかいそれだった。
莢はそれを見て、視界が歪み、鼻の奥が痛くなるのを感じる。
「……僕は泣かせてばかりだな」
溢れ出したそれを莢は止めることが出来なかった。ジューダスは酷くぎこちない動作で、その涙を指で拭う。慣れないのか、莢を傷つけぬようにと触れたジューダスの指は莢には心地良く、莢は一度鼻を啜る。
「私……わた、しっ」
言葉を紡ごうとすればするほど、音として吐き出される文字は詰まってしまって、嗚咽は酷くなった。
――あなたのその笑顔が私に向けられるなんて思いもしなかった。
「どうすればお前は笑うんだ」
それを幸せと呼ぶには余りにも溢れ出してくる感情に、莢はジューダスの言葉に応えられないまま泣くしかなかった。その頭に、やはり慣れない様子でジューダスの手が伸びた。
2006/12/23 : UP