光の旋律
踏みしめると砂のような地面に足が沈んだ。久方ぶりの地に、莢は深く息を吸って、吐いた。
「ナナリーの……えっと、ホープタウン?に寄るんだっけ?」
「そうだな……直接カルビオラに向かっても良いが……この気候だと体力的にも辛くなるだろうしな」
莢の問いにジューダスがそつなく答え、誰とも無くホープタウンの方角へと足を向ける。別れや終わりが近いのを、言わなくとも皆が承知していた。
途中ヒートリバーと呼ばれる灼熱の谷を通ることを莢に告げ、ナナリーは先立って案内をする。莢は全く聞き慣れないその地名に興味を示し、ナナリーの話に聞き入っていた。
踏みしめるその都度、癖のない砂が足を覆う。けれど莢が以前にここへ来た時よりも風の通りは良くなっていた。舐めるように身体を包む風に、時折汗が攫われていくように落ちる。
「そうだ、莢は知らなかったろうけど、あたしには弟が居てね。……もう死んじゃったんだけど、良かったら挨拶してくれないかな」
はにかむように笑うナナリーに、莢は深く頷いた。
この地に家族と呼べる人間が居ない莢にとっては、少しこそばゆく感じるその言葉。それを噛みしめるように笑って、汗を拭う。
「この辺は昼間暑い分、夜は結構冷え込むんだよね」
「そうそう!よく知ってるじゃないか」
楽しそうに会話をする二人を、ジューダスは後ろからそっと見つめていた。
「懐かしいな……」
「そう言えばあの時、奇妙な占い師に何か言われていなかったか?」
「……うん。ちょっと」
思いだしたようなジューダスの声色に、莢は曖昧に笑った。まるでそれ以上の追求は止してくれ、と、そう言われているようでジューダスは口を噤む。
「あの時は……スタンが居て、ルーティが居て、フィリアが居て……マリーも一緒で、リオンが、居たよね」
寂しそうな声色は、恐らくはそのうちの二人が既にこの世にないことを憂いているのだろう。自らもその三人目に入っていることなどまるで気にもせずに、そう言う莢の背中を、やはりジューダスは見つめることしかできなかった。
ホープタウンへの道のりは莢が思っていた以上に危険だった。途中通らねばならないヒートリバーは所々熱風が吹き荒れて、莢は危うく全身に火傷を追いかけたし、何よりも谷と言うこともあってモンスターと戦う際にも十分に場所が確保出来ない。迂闊に動けば熱風に晒されかけ、戦闘に集中出来ず莢は何度かジューダスに救われた。
「全く……兎に角今は目の前のことに集中しろ!こんな所で死にたいのかお前は!」
珍しく声を荒くしたジューダスに、莢は済まなさそうに眉を下げた。
「……少なくとも以前は僕よりもお前の方が剣技に優れて居たろうに」
あの時のお前は何処に行ったのか、とジューダスに問われ、莢は肩を震わせた。
「……ごめん」
目線を下げて謝罪を口にする莢に、ジューダスは責めたい訳じゃないと溜め息を一つ。
「まあまあ、莢だって調子の悪い時はあるだろうし。ね?」
「カイル……」
フォローに入ったのはカイルで、そう言えば前は莢がしょっちゅうフォロー役に回っていたことをジューダスは思いだした。
「……戦闘中にぼけっとするな」
「うん。……ごめんね」
なんとなく顔を見たくなくなり、ジューダスはマントを翻して先を行く。息を一つ吐いた莢の元にナナリーが忍び寄って、その肩を叩いた。莢は顔を上げ、ナナリーを見る。
「そんな落ち込むことないよ。ジューダスも莢のことが心配だから言ってるんだ」
「うん……でも、私が集中してなかったのは事実だし」
莢の返答にナナリーは顔をしかめる。
「真面目だねぇ。……なにか、心配事でもあるんだろ」
急に真顔になって問うてきたナナリーに、莢は僅かに息を詰まらせた。そして、頷く。それでも自分の問題だからと、莢がナナリーにそれを打ち明けることはなかった。ナナリーもそれ以上追求せずに、無理はしないように言って莢の背を押す。
生暖かい風が莢の体にまとわりついて、莢の頬から汗が落ちた。
Event No.58 その先にあるもの
ホープタウンに立ち寄った皆はそれぞれ休息を取ることになった。まだ道のりは遠く、トラッシュマウンテンというそこかしこから毒ガスの吹き出る山を越えなければならないとあって、今の内に心身ともに休めなければ長くは保ちそうになかった。
莢はまずナナリーの弟の墓へ挨拶に向かった。それはホープタウンの入り口付近にしめやかに立てられていて、まだ幼い子供たちの声が良く届く、良い場所だった。
そこで莢は膝をついて、地下水脈から引っ張ってきているという水場でくんだ冷水をその墓に掛けた。両掌を合わせてしばらく黙祷を。道中で聞いた弟の情報を脳内で繰り返しながら、最後に目を開ける直前、莢はあなたは幸せでしたか、と問うた。返答はなかった。
莢は立ち上がり、桶を片手に来た道を戻る。そこでロニが待っていた。
「よ」
「?……どうかした?」
ロニはもたれていた壁から身を引き離すと、莢に向けて白い歯を出して笑った。
「ちょっといいか?」
「?はい」
莢は不思議そうな顔をして首を傾げたが、断る理由があるはずもなくロニの言葉に頷いた。
ロニは莢を手頃な日陰にまで連れて行った。草木の育たないこの辺一帯の気候のなかで、たくましく緑の葉を茂らせている木の下だった。そこに腰を下ろし、莢もその隣に腰を下ろす。ロニは切り出した。
「……あー……なんていうか、さ。莢、悩み事でもあるのか?」
そうしてロニの口から出てきた言葉に、莢は目を丸くしてしばらく瞬きをして、それから笑った。
「ナナリーにもそれ、言われた」
「マジか」
「マジ」
「……で、どうなんだ?」
互いに互いの顔を見ることはなかったが、莢はそれを心地よく感じた。あくまでも無理に聞き出そうとはしない隣の男に、ああ良い人なのだなと思う。
「……ちょっと、不安かな」
「不安?」
「うん」
呟いた言葉を、ロニは正確に拾い上げた。元々マメで良く気が付く男であることは確かなのだ。
「エルレインの歴史介入を止めるってことは、少なくとも彼女と対立するってことでしょう。対立して、戦って、もし彼女が消滅したら」
莢は一度そこで言葉を句切った。そしてしばらく間をおいて、子供たちのけたたましいくらいの笑い声を遠く感じながら、告げる。
「私も、消える」
莢が告げたことそれ自体はたいしたことではなかった。ロニでも、カイルでも、誰だって一度死んだ人間がもう一度生き返ることを肯定できるはずがない。寧ろ今の莢とジューダスという存在を否定しなければならない立場の人間だった。だからロニは何も言わないことで先を促す。
「そのこと自体は、出来るだけ……もう、受け入れているつもり。もしかしたら逆にもう二度と死ねないかも知れないけど……エルレインの力で蘇ったんだから、多分消える。問題はね」
気落ちし始めた莢の声色。
「私が、この世界の人間ではないということ」
諦めと、悔しさの入り交じった声だった。
「元の世界にも帰れないかも知れないんだよね。……私の存在は多分もう歪みきっていて、この世界にも、私が住んでいた世界にも、合わない存在なんだと思う。だから……魂、っていうのかな。そう言うものごと、私って存在は、消えてなくなるんだと思う」
それでも静かな莢の声は、ロニの耳に良く届いた。どう返して良いか分からないのか、ロニはただただ沈黙を守る。莢は一度出し始めた言葉を皮切りに、更に口を開いた。
「だからもう、本当に、本当に、ジューダスの側にいられなくなっちゃう」
高く、震えた声は直後の嗚咽に消える。
自覚したのはつい先ほど。船の上でジューダスの笑顔を見たときからだった。望んだものが手に入った。それを放棄するどころか初めから無かったものになってしまうかも知れない、紛れもない恐怖だった。
「独りは、寂しいよ……」
膝をかかえた莢から、ロニの表情は見えない。莢の表情もまたロニからは見えなかった。
「……よく言ったな」
ただロニはそう言って、莢の背を撫でた。それから頭を撫でて、引き寄せる。ロニはアルフレッドの気持ちが分かるぜ、と笑った。莢はそれに不思議そうな顔をする。ロニは多分ナナリーも同じ気持ちなんだろ、とだけ言って、莢の頭をかき回した。
「正直、俺は莢の不安とか……そう言うものを全部拭ってやれねぇけど、言ってくれたのは嬉しかったぜ。だから、あんま自分で追い詰めんな」
「……うーん……」
「そこは素直に頷くとこじゃねぇ?」
返答を渋る莢にロニは顔を破綻させて、おどけたように笑った。莢もそれに笑って
「はい」
と、答えた。
「……ロニは、優しいね」
「ん、そうか?」
「うん。……女の人を見かけたらすぐに声を掛ける悪癖さえ直せば、もてると思うんだけどな」
「……」
笑いながらアドバイスをした莢に、真剣に考え始めたロニを莢は笑う。
「だって、女の人には優しいでしょ?あと結構細かいところにも気が付いてくれるし、表情も豊かだし、たくましいし、大人だし、背も高いし、よく笑顔を見せてくれるから親しみやすいし」
「……莢、おま、それ誰かと比べてるんじゃねぇ?」
「そう?ロニの気のせいだよ。多分ね」
くすり、とそう笑う莢に、ロニもそうかもな、多分。とそう答えて苦笑する。
「あーあ、慰めるつもりで慰められたって感じだな」
「そんなことないけど」
「そうか?」
「うん。ありがとう」
「……どういたしまして」
ロニは少し照れたように笑う。その顔は確かに成人男性のそれで、莢はわずかに若い頃のウッドロウを思い出した。けれどそれはすぐに消えて、ロニが少し照れながら莢を見る。
「少なくとも俺は、莢が元から居なかったことになるとしても、今こうやって一緒にいてしゃべって笑ってること……出会えたことを後悔するつもりはねぇかんな!なにか、意味があったんだってよ。前向きに行こうぜ。莢はあんまり笑わないからな」
その言葉に莢は目を丸くした。
「……そうだっけ?」
「そうだよ」
気付いてなかったのか、とロニに指摘され、莢は首を傾げる。
「そもそも、俺とこうやってゆっくり話する機会だって滅多になかったろ。俺だけじゃねぇ。莢はずーっとジューダスといたからな」
「……。……そんなこと……。……。……あるかも……」
「かも、じゃなくてそうなんだよ。……大体莢は寂しそうってか……控え目に、悲しそうに笑ってたぜ」
もっと沢山笑えよ、とロニに言われ、莢は再び礼を言った。本当に細かいところまで見ているのだなと感じて、そうしてカイルは幸せな環境で育ってきたのだとしみじみ思う。
「一応、私、生きてるとロニよりも年上なんだけどな」
莢は言って、立ち上がる。ロニはそれを受けて顔をしかめた。
「げっ……あんま想像したくねぇな、そりゃ」
数歩、莢が前に出た。そして振り返って、笑う。
「あれ?おばさんは口説いてくれない?」
若干の茶目っ気さえ含んだその笑みに、ロニは一瞬面食らったような顔をしたが、すぐに持ち直して不適に笑んだ。
「甘いな」
そして指を顔の近くで一本立てて、振る。
「俺の守備範囲は14歳以上からだぜ?」
「――ッ……!あはは!そっか!」
快活に笑って見せた莢に、ロニは眩しそうに微笑みを返した。
その日の夜は幾分か穏やかな気候だった。星空の下で莢は大の字になって寝ころぶ。ホープタウンを形成する岸壁の頂上だった。勿論そのまま寝入ることはなかったが、綺麗に輝く星々を見つめてそっと息を吐いた。
「眠れないのか」
そこに声を掛けたのはジューダスで。
「あ、何でここが分かったの?」
「……探した」
仏頂面をしてみせるジューダスに、莢は至極おかしそうに笑った。謝るが、反省の色は窺えない。
「調子に乗って長く外にいると体を冷やすぞ」
「大丈夫」
「根拠は」
「ないよ」
「……やれやれ」
ジューダスはあきれたようにため息をつくと、莢の隣に腰を下ろした。莢は寝ころんだ姿勢のままでそれを見やる。
「今日、ロニに言われた」
「なんて?」
「『ぼさっとしてると捕られるぜ』だそうだ」
「……ッはは」
楽しそうな莢の笑い声とは裏腹に、ジューダスの眉間の皺は深くなる。不機嫌がそのまま態度に出ているジューダスに、それでも昔よりもよほどわかりやすくなったな、と莢は思った。リオンとして行動していた頃はもっと刺々しかったし、何よりも余裕がなかった。それは勿論、莢にも言えることではあったが。
ロニが莢の存在云々に関してジューダスに言ってないことを薄々と感じて、莢はやはりロニは良い配慮の出来る人なのだなと密やかに笑う。目敏くもジューダスはそれを見つけて、やけに楽しそうだなと鼻を鳴らした。
「楽しいよ。今はね。……でも、これからは分からないから、嫌だな」
その声にはまだ余韻が残っていて、決して沈んだそれではない。けれどそれ故にどこか胸を締め付けられ、ジューダスはたまらず息を吐いた。
「……側に、居る」
最後の一息。ジューダスは吐息と共にそれを吐き出した。莢は寝ころんだまま、じっと空を見つめていた。
「ありがとう」
それを否定することはしたくなくて、莢はただ、それだけを。叶わないかも知れないけれど、ジューダスの言葉を、無下にはしたくなかった。
「……エミリオ」
ふと、たまらなく寂しくなって、そうして、感傷的になったのだろう。莢はやはり呼吸と共にその名を口にする。なんだ、とジューダスは返事をして、莢はそれを受けてから
「エミリオは……格好良くなったね」
「……は?」
のんびりとした声に、ジューダスは思わず寝ころぶ莢を振り返った。莢は相変わらず空を見上げたまま、けれどジューダスは視界に入っているのだろう、くすりと笑みをこぼした。
「大人に、なったよ。カイルを見守っているところとか。スタン達のこと、すごく大事にしているところとか。贔屓目かも知れないけど、すごく格好いいと思うとき、ある」
さも誇りだと言わんばかりのその笑みに、ジューダスはどうして良いか分からずに顔を背けた。誤魔化すように、大げさに息をついて。
「そうやってすぐにため息付くところは変わらないけど」
「……莢も、変わったと思うが」
「そう?」
「ああ。……遠く感じるようになった」
ぽつりと、呟かれた言葉に莢は目を閉じた。何も言わない莢に、ジューダスは少し言葉を重ねる。
「僕は……あの頃とあまり大差ない。と、思う。ただ……その、なんだ」
口ごもったジューダスに、けれど莢は何も言わない。ジューダスはあきらめたように沈黙を置いて、そして、意を決したように口を開いた。
「昔僕は莢に隠し事をしていた。……だが、今はその逆だろう。だから、遠い」
その声が酷く寂しそうに聞こえて、莢は上半身を起こした。もしかしたらそれは、ただ単に莢の耳にそう聞こえただけで、実際にはもっと淡々としていたかも知れなかった。けれど莢にとってそれは問題ではなかった。
昔莢が感じたことを、ジューダスが今感じている。
「それでも私は、エミリオが好きなまま、変わってないよ」
幸せを噛みしめるように、莢はジューダスの目を見て、言った。
「莢……」
「それだけは忘れないで」
「……僕は暗に、何を隠しているのかと問い質したかったんだが?」
「言うよ。でも、今日は無理」
「なぜだ」
「気分」
「……」
「本当だよ。……もう少ししないと、無理かな」
「……分かった」
ジューダスが頷くのを見て、莢は納得してくれて良かったとばかりに微笑んだ。そして立ち上がって、告げる。
「もう寝よっか。ね」
「……ああ」
翌朝、莢たちは早朝に目を覚まし、まだ気温が上がらないうちにホープタウンを出た。涼しいとすら感じる中、順調に足は進む。今日は莢も集中して先頭に挑めたし、何よりもヒートリバーのように集中力を欠く要素もなかったために、カイルはいつも通り先陣を切ってモンスターの群れに突っ込んでいった。
その様子を見たナナリーはあきれたようにカイルを見る。
「ありゃりゃ……昨日フォローに回って成長したと思ったんだけどねぇ……勘違いだったかな」
「いいじゃねぇか。あれがカイルだろ」
「そうね。カイルが元気じゃないと、なんだかこっちも調子が出なくなるものね」
続いたロニの言葉を補うように言うリアラを、ロニとナナリーは瞬きをしてみた。リアラはとても幸せそうに笑っていて、そして何よりも楽しそうだった。
二人は不思議がったが、莢はそれに頷いて
「まだまだ子供の内はやんちゃすぎるくらいが良いよ。……スタンも似たような感じだったしね」
やはり楽しそうに笑っていた。莢は言葉に反して、カイルにスタンを見ているわけではない。けれどあまりにも似ている所為だろうか、すこしはルーティに似ても良かったんじゃないかと続けた。
「僕もそれは同感だな。……まあ間違っても守銭奴の部分は似なくて良かったような気もするが」
「でも、あんまりざっくばらんでもね」
「大体子供なんだから半々ずつくらいでちょうど良い子供でも良かったんじゃないのか」
「でもカイルはあれでこそカイルだしね。……ジューダスもそこを否定する気はないんでしょ」
「……」
「あらあら、莢はすべてお見通しね?ジューダス」
意味深長に笑うハロルドに、ジューダスは仏頂面だけを向ける。
莢とロニは少し目配せをして。急に仲良くなったね、といつの間にか皆の元へ帰ってきているカイルに言われて、笑った。
2006/12/31 : UP