光の旋律
目的地に着いた莢は、自らの記憶を探りながら歩を進めジューダスを案内した。そこは確かに莢にとっては思い出深いであろう、場所。
今となっては記憶しか頼りにできるものはなくなってしまったが、それでも莢はそこに着いた。
忘れるはずもない。幾度と無く歩いた場所。
それはかつてのアルバ・トーンの小屋があった森だった。ウッドロウやチェルシーと、何度も散歩をして、狩りをして、そして戦い方も生活の仕方も、全てを教え込まれた思い出深い場所。
「私にとってこの世界の故郷は、ここだから」
ただ莢はそう言って笑う。ジューダスはそして、無言で先を促した。莢は変わってしまった地形の中で、それでもどこか面影のある森の中を案内する。比較的森の奥にまで分け入ったところで、洞窟が一つ、口を開けていた。
「ジューダスは知っているかも知れないけど、私はウッドロウさんに拾われて、スタンもウッドロウさんに助けられたの。ここ、スタンも知らないんだよ」
莢は言うと、奥まったところで立ち止まる。そこにはいくつもの薪が積んであって、莢は手早く火をおこす。ジューダスは黙ってそれを手伝い、莢はそれに無言で笑顔を作った。
「……私、これが終わったらきっと、消えると思うんだ」
たき火の火が落ち着いてきた頃、莢はジューダスの隣に腰を落ち着けて、そう切り出した。
「ロニにはもう言った。……私は本当はこの世界には居ない存在で、でももう今更元居た世界に戻ることも出来なくなってると……思うんだ。私はみんなの記憶からも居なくなって、初めから存在しないことになる」
「……それは飽くまでも可能性の話でしかないだろう?」
「うん。でも、そんな都合のいい話って無いよ。一度死んでるわけだし」
「奇跡があるかも知れないぞ」
「ジューダスらしくない言葉だね」
「そうだな。だが、僕はそれなりの確信があって言っているつもりだが」
「……え?」
思いがけないジューダスの言葉に、莢は思わずジューダスを見た。
「……まあ、莢の言う可能性の話と似たような確信だ。でも、僕はどうせならそっちの方を信じたい。僕もロニに言われてやっと気づけたんだが」
「……」
「エルレインは言ったな。一度この世界を滅ぼし新しい世界を作り直すと。そして莢、お前にはあるべき場所へ、時代へ戻ると言った」
ジューダスの口から出てくるその言葉一つ一つを聞き逃しまいと、莢はそこで一つ頷きを返した。ジューダスはまた口を開く。
「ここで一つ注目しておきたいのはエルレインの定義する『世界』という概念だ」
ジューダスはまっすぐに莢を見ていた。莢も、ジューダスを見ていた。
「奴の世界の定義はもしかすると、僕たち、或いは莢の定義するところのそれとは違う可能性がある」
「……うん」
「僕たちの言う異世界とは、時限さえも超越した先にある世界のことだ。或いは異なる惑星。そうだな?」
「うん」
「だがエルレインは世界を壊して作り直すと言った。そのためにこの惑星を壊すと言った。つまり、エルレインにとっての世界とはこの惑星を指すんだ」
ジューダスは言って
「莢は知らないかも知れないが、今でも知識の塔にならあるかも知れない。文献にはこうある。『遙か昔、この星には高度な文明が存在し、それを有していた人類は繁栄の極みにあった。しかし約千年前、この星に巨大な彗星が衝突したことで状況は一変した。衝突は当時の科学力をもってしても回避できるものではなかった』と、大まかにはそう言う内容のものだ。莢、お前の世界は科学が発達してたな?」
そう続けた。その言葉に、莢は信じられないというように目を見開いてわずかに頷きを。
「彗星の衝突があって、それまであった文明は消滅した。それはそれまでの国家や制度や常識や風習を全て無に帰すことを意味していた……。それはエルレインの言う世界が滅ぶことと同義じゃないか?」
「……でも……そんな、都合がいい話」
「だがあり得ない話じゃない。エルレインは異世界だと言ったな。なら千年以上前の世界もあいつにとっては異世界になるんじゃないのか」
「うそ……だ、って」
莢はエミリオを知っている。それはゲームを通してのことだった。ゲームの中の世界が現実に存在する可能性はない。けれどもし莢にとってのそんな『常識』が取り払われた、千年以上未来のこの世界なら?
「そうだとしても、あの声も、どうして私が千年以上も未来にやってきたのかさえも、全部分からないよ!」
「莢……」
「夢の中に出てきたあの声は……私だって、確かに」
「……お前の常識が通じないこの世界なら、幾らでもつじつまなんて合わせられる」
ジューダスの声に、莢はどうすればいいのか分からずに自分の体を抱きしめた。ジューダスはそんな莢に更に言葉を添えた。
「莢。莢はこれが終われば元居たところへ帰れる。お前の人生を歩めるんだ」
「だってそんな……そんなこと言われたら、また、未練が出来るよ」
「?」
「それじゃあ、私だけじゃなくて、エミリオにもまだチャンスがあるってことじゃないの!?私たち一度死んでるんだよ……その私が元の場所へ帰れるなら、エミリオだって……」
「……それは分からない。僕は莢と違ってこの時代の……18年前の人間だからな。それに莢とは訳が違う」
「……エミリオが独りになるのは、嫌」
呟いた莢の言葉に、ジューダスはただ、莢の頭を撫でてやることしかできなかった。莢の言葉を噛みしめて、やはり僕は幸せなのだと、心中で思いながら。
「僕は、カイルはエルレインを倒すと信じている。僕には出来なかった選択を、あいつなら出来ると思うんだ。だから……僕は今なら、様々なことを信じることが出来る。それがどんなに信憑性のない幻想でも」
ジューダスの言葉に、莢は顔を上げた。顔は歪んでいて、縋るようにジューダスを見ていたが、ジューダスの唇はわずかに弧を描いた。
「消えることは怖くない。それが自然の摂理だ。……だが、僕は希望を持てた。何かを強く信じることも。莢、お前やスタン達のお陰だ。本当に、感謝している」
「……うん」
「会えてよかった。例えなかったことになっても、僕は感謝している」
そこでようやく莢がいびつに笑った。皮肉っているような、ジューダスのよくする笑い方だった。
「それは誰に感謝してる?」
「神とやらがいるのなら、それに。運命が存在するなら、それに」
「……熱でもあるの?」
「不満か?」
「……私も、あなたに会えてよかった」
莢は言って、今度は嬉しそうに、笑った。
Event No.60 全ては、泡沫
それから二人はハイデルベルグに立ち寄った。ロニ達もウッドロウに話を聞きに立ち寄るだろうが、莢もジューダスも合流するつもりはなかった。折角年配組が気を利かせてくれたのだからと、まっすぐに宿屋に入って宿を取った。必要分だけガルドを手渡して、部屋に入る。二人部屋だった。
「……二つ取らなかったのか?」
「一つで充分じゃない?確かに贅沢してもよかったけど……」
不思議そうに、何か問題でもあるのかというような顔でそう言う莢に、ジューダスは深く息をつく。ここに相方の剣が居たらまず間違いなく何か横やりを入れたに違いない。
「年頃の女が男と同室で宿を取るなんて聞いたことがない」
「あれ?ジューダスでもそんなこと気にするんだ」
「……どういう意味だ」
「もっと……リアリストというか、合理的思考の極みみたいな人だと思ってたから。二人なら一緒の部屋を取った方が安い!みたいな」
「僕にだって常識と配慮はある。寧ろそれは今の莢だろう」
不服そうなジューダスを見て莢は少し笑う。それから自身は風呂を借りるといって先に部屋を出て行った。一人残されたジューダスはまだ納得がいかないように眉間に皺を寄せていたが、一人で気にしているのも馬鹿馬鹿しくなり、その身をベッドの上に投げ打った。
そうして静かになった部屋で、先ほど洞窟の中での莢を思い出した。
莢の思いに、自らはまだ明確な返事をしていない。けれど莢はそれを気にしないとでも言うように振る舞っていた。
ジューダスの中で答えは出ている。しかし敢えて言う気にもなれなかった。言葉にするには思うところがありすぎて、どの言葉も的確に思いを表せないと思ったから。
どの言葉もジューダスには噛み合わず、そのまま引きずるようにしてこの時まで過ごしてきた。タイミングがなかった訳ではないし、幾度か思いを伝えようとしても、のど元でいつも言葉が詰まってしまうのが常だった。
ジューダスにとって莢は確かに大切な存在で、それはスタン達とのそれよりも若干異なる。勿論マリアンのそれとも異なっていた。
握り拳を作り、静かに押し殺した息を吐く。
莢に言った『仮説』を何よりも信じたいのはジューダスだった。
翌日の朝、ジューダスと莢はクレスタに向けてハイデルベルグを発った。挨拶はしなくても良かったのかとジューダスは尋ねたが、莢は笑って頷くだけだった。
クレスタまでの道のりは二人だったが厳しいものではなかった。ダリルシェイドを抜け、その日の夜にはクレスタの明かりが見えるほどの距離を歩いた。そこからクレスタには言ったのは深夜をとうに回った頃で、見るだけと言って立ち寄った孤児院の脇にイクシフォスラーが置いてあるのを見て、二人は顔を見合わせた。既に宿屋は閉まっている。
「……孤児院、入る?」
「僕は遠慮する。この辺一帯の気候なら外で寝ても」
「ダメだよ!ちゃんとしたところで寝ないと、今回は訳が違うんだよ」
「……僕に、あそこに入れと?」
「それは……」
言葉に詰まる莢を見て、ジューダスはため息をつく。あそこにはルーティが居るのだから、入りたくないというジューダスの気持ちは充分すぎるほどにわかる。
それでももう、世界を救うための戦いまで時間がない。体を休められるときに休めないと、万全な態勢で臨まなければ死んでしまうのは自分たちの方だった。
「あら、莢にジューダスじゃない。遅かったわね。楽しめた?」
「!」
そんな二人に声を掛けたのは、イクシフォスラーから姿を現したハロルドだった。
「みんなはもう寝ちゃった?」
「さあね~。起きてるかも知れないし、寝てるかもね。……カイルはどうやら、エルレインを倒すって決めたみたいよ。アンタ達は分かってたと思うけどね、一応、報告」
「有り難う」
ウインクをして見せたハロルドに莢は礼を一つ。
「さっき計測してみたんだけど、エルレインはどうやら彗星の衝突と併せて、そのエネルギーを利用して世界を作り直すみたいよ。明日の昼頃には……そうね、ホープタウンの上空あたりに凄まじい歪みが出来るわ。そこで彗星の衝突を待つつもりみたい」
「……そう」
「カイルが決めたのなら、もう何も足踏みをする必要はないな」
「そうね。決行は明日の昼過ぎ。歪み出現と同時にイクシフォスラーを稼動させるわ」
「そう言えばハロルドはイクシフォスラーから出てきたけど、何をしてたの?」
酷く真剣なハロルドの声に、ふと莢は思い浮かんだ質問を投げかけた。ハロルドは大してなんでもないことのように手を振って
「改良してたのよ。歪みの中に突っ込まないとエルレインとは戦えないから、歪みの大きさを計測しながら、それに耐えられるだけの装置をつけてたって訳。歪みは大気圏を抜けないと届かないから、その辺もね。もう完成したわ」
言って、神様と喧嘩なんて最高に面白そうよね!と莢に笑いかけた。
莢とジューダスは面食らって、そしてそれぞれに笑った。
「ハロルドらしいね」
「あら、私は何時だって私らしいわよ?……さ、もう寝ましょう」
「うん。あ、ルーティは起きてる?」
「さっき寝たわよ。ロニがアンタ達のことは頭数に数えるように言ってたから部屋もあるみたいだし、気兼ねしなくて良いわ」
「だって、ジューダス」
「……」
そして日はまた昇る。莢達は朝に目を覚まして、軽く体を動かした。ハロルドは常に計測器に目を光らせ、今か今かと歪みが出来るのを待っている。その顔には既に興奮と期待で奇っ怪な笑みさえ浮かんでいた。
静かに、静かに時間は過ぎる。エルレインがリアラの存在をカイルに告げてから、既に数日が過ぎようとしていた。
「秘技・死者の目覚め!」
それはいつかの旅立ちの日。奇しくもカイルは自らが以前クレスタを発つ前の日の昼と同じだった。ロニなどは懐かしさすら覚えていたが、この日常が終わるかも知れないことを感じていた。そしてそれを絶対に阻止してみせる、とも。
日常が壊れそうになっているのを知っているのはこの世界でたった七人。年齢も、育ちも、時代すら違う七人だった。四英雄とは違い、彼らには死という形以外の別れが待っている。
「ごっめん!寝坊した!」
孤児院の扉をけたたましく開けて、カイルは飛び出してきた。それを受けて、真っ先に笑顔をこぼしたのはリアラ。
「カイルらしいわ」
「だな。ま、そうでなくちゃいけねぇよ」
ロニが呆れたように、けれどおかしそうに続けた。そこにハロルドが楽しそうな声を響かせる。
「歪みを関知したわ!場所は予測通りホープタウン付近の上空ッ!」
「……準備は、聞かなくても良いよね?」
「無論だ」
莢が続いて、ジューダスがくくる。カイルが最後に告げた。
「行こう。これ以上あいつの好きなようにはさせない!」
振り上げた拳を、リアラは眩しそうに見つめていた。
歪みの奥。神秘的に光細長い球体の前にエルレインは立っていた。既に祈りはなく、真正面からカイル達がくるのを待っていた。
「どうしようもなく、愚かな人間達だ。……だからこそ、神の愛を受けるべき価値がある」
「……フン、そんな宗教かぶれな発言は止した方が良い。貴様はそう言ってどれだけの人間の存在を蹂躙してきた?ミクトランやヒューゴの愚行など足元にも及ばない。貴様こそが大罪人だ!!」
「笑わせるな!!!!」
ジューダスの檄にエルレインは声を大にして怒りをあらわにした。
「私は人々に求められた存在だ……。その私を大罪人というならば、この世の人間という人間こそが全ての元凶!違うか、リオン・マグナス!」
「そうやって責任をオレたち人間に押しつけて、自分は悪くないって言うのか!?お前はオレ達を殺そうとしている張本人のくせに!!!」
「黙れ!!!貴様に何が分かる!!!もとより私の存在する意味はそれだけなのだ!聖女はフォルトゥナ降臨のためだけに!!!!違うか、リアラ!!!!」
その言葉は悲痛さをも含んでいた。そしてその場は一度静まる。リアラは、静かに言葉を紡いだ。
「……エルレイン。わたし達は人間が求めた結果生まれたフォルトゥナによって生み出されて、人々の幸福とは何か、その答えを見つけ出すためにこうして過ごしてきたわよね。わたしはその中でカイルと出会って、たくさんの彼の気持ちを知って、彼を見て、思ったわ。神様なんて、人間には必要ないんじゃないかって」
エルレインは、リアラの静かな言葉を、歪んだ顔で聞き続けていた。何か感情が爆発してしまいそうになるのを必死でこらえているようにも見えた。
「だって……カイルは、カイル達は、ただ一生懸命生きて居るんだもの。喧嘩もしたわ。信じられなくてわたしは勝手な行動をしたし、でも、それでもカイルはわたしの側にいてくれた。カイルは、わたしだけの英雄になってくれた。エルレイン、あなたを倒して、この世界を護るって言ってくれた。わたしは……今、とても幸せだわ」
「な、にを……馬鹿なことを……」
「エルレイン。わたしは、聖女であることを放棄します。……カイルは聖女としてのわたしじゃなくて、リアラを好きになってくれたの。わたしもありのままのカイルが大好きだから。……愛して、居るから……だから」
「自分が何を言っているのか分かっているのか!フォルトゥナを否定すると言うことは、リアラ、お前も……ッ」
「分かってるわ!」
静かだったリアラの声はひときわ強く響いて、エルレインは口をつぐんだ。
「だからわたしは……幸せなの。だって他でもないカイルの手で、わたしは消えることが出来るんですもの」
少しはにかんだリアラは、確かに笑っていて。カイルがその名を呟いたのを、莢は聞き逃さなかった。そして、エルレインの顔が苦痛に歪んでいるのも。
「エルレイン」
彼女が何かを言う前に、莢は彼女の名を呼んだ。
「あなたは誰にも愛されなかった。あなたは、こんなに人間を愛しているのに」
静かな声に、エルレインは戸惑うように莢を見た。
「私は誰かを好きになることを知って、誰かに大切に思われていることも知った。嬉しかったし、幸せ。充分、幸せだよ」
「……」
「人間にとっての幸福は、誰かを愛して、誰かに愛されることじゃないかって思うんだ。勿論、これは私だけの答え。甘いって言われても良い。愛なんていらないって、もしかしたら別の誰かは言うかも知れない。でも、愛情って、どんなに素敵なことか、あなたは知っている?」
一歩、莢が前に出た。エルレインは警戒するように一歩下がって。
「あなたは愛されたことがないから、愛されるってことが、それがどんなに嬉しいことか、分からないかも知れない」
「違う……私は……」
「エルレイン、あなたのしたことは許せない。あなたはスタンを殺して、歴史を自分のしたいように変えて、この世界を滅ぼそうとしてる。そして勝手に作り直して……まるで、私達は何度でも作り直せる粘土細工だっていうみたいに。でも、私はあなたの存在を身勝手に否定することはしたくない。……あなたが人間のことを考えているのは、知っているつもりだから。ただ私は人間で、聖女としてのあなたの決断には納得できない」
莢は一歩一歩前に進み、エルレインはその都度後ろに下がった。その足が、背後にあった細長い球体にぶつかり、止まる。
「神様は要らない。でも、エルレインが要らない訳じゃない」
「莢、何言って……」
「だってカイル。私の言っていることは、カイルがリアラに言いたいことと一緒じゃない?カイルは神様は要らないって言った。でも、リアラが要らない訳じゃない」
「それ、は」
カイルが言葉に詰まった。その時、エルレインの背後の球体が光る。それは丁度エルレインと莢の間に降りて、そしてそれは姿を現した。背後でリアラがフォルトゥナ、と呟くのを莢は耳にする。フォルトゥナは女性のような姿をしていた。
「……リアラ、あなたには失望しました。折角もう一度チャンスを、と思い送り出したというのに……。あなたはもう必要ありません」
荘厳で、蒼い衣に身を包んだフォルトゥナの目は厳しくリアラを射抜く。カイルはそれに噛みつこうとしたが、他でもないリアラがそれを制した。
「フォルトゥナ、わたしは確かに幸福を見つけたわ。……その幸福に、少なくとも神は要らない」
「リアラ……」
「確かに生きていると苦しいことや辛いことがある。……死にたいと、思うこともあるかも知れない。でも人を好きになって、人に好きになってもらって、それは何よりの歓びだとわたしは知ってる」
リアラは、そこで言葉を切った。
「人間は自分たちの幸福をそれぞれの形で持っているし、それを見つける力もある。幸福は自分たちの手で創り出すもの。そして、自らの内からあふれ出てくるもの。だから何者かによって与えてやる必要も、導いてやる必要もない。それがわたしの答え。わたしは使命を果たしました」
まっすぐにフォルトゥナを見つめたリアラは、震えても居なければ迷いもなかった。
「だが!私の元へとやってきた者達は安息を求めていた。安息こそが、幸福だ!!安息を得るには絶対的な、恒久的な平和が要る。それには神による完璧な秩序と統治が必要だ!」
エルレインが叫んだ。ジューダスはそれを受けて、口を開いた。
「誰も皆、それを望んでいるわけではない」
「だな。バルバトスみてぇな奴もいたことだし」
「ミクトランとかね」
「おう」
ナナリーとロニがそう言って笑った。ただハロルドだけは少しつまらなさそうにしている。
「神様に喧嘩吹っかけるんじゃなかったの?」
「……これだよ」
「安息よりも自身の好奇心に何より忠実な奴もいる、というところか」
呆れたように笑って、けれど誰もそれを咎めはしなかった。そうしてフォルトゥナは顔をゆがめる。
「なぜです?私の存在する意義は、人々を幸福へと導くため……。それは他ならぬ人間がそう望んだから!それだというのに何故、何故他でもないその人間が、私の否定するのです!……このような歴史は……早急に幕を下ろすべきです。エルレインがそう決断したように」
フォルトゥナの叫びを莢は聞いていた。この存在もエルレインと同じだった。存在意義が無くなってしまう恐怖をかかえて、否定された事実を見たくないから全てを無かったことにする。無邪気な子供が考えるように。
「……?なんだ?」
不意にカイルが声を上げた。耳を澄ませば、そして体の平衡感覚が告げる。『それ』は動いていた。ハロルドは計測器を作動させてそれをとらえる。
「この場所が……歪みが動いてるわ。速度は加速中。このままだと大気圏に突入、衝突は避けられない」
「……地表に向かってるのか!?」
「これが彗星そのものって訳ね」
肩をすくめたハロルドに、カイルが唇をかんだ。
「千年前にそうだったように、これが終わればすぐにまた次の歴史は始まる。何も恐れることはないのです」
「ふざけるな!オレ達の歴史は誰にも渡さない!」
「……役目を失った歴史に価値などありません。失敗作に存在する意味がないように」
フォルトゥナの言葉にカイルはいよいよ声を荒げた。
「価値?存在する意味?そんなの、お前に決められてたまるか!!!そんなものはオレ達が作るんだ!!」
「……消えなさい。古の歴史の中に」
「フォルトゥナ!」
リアラの叫びは、彼女のペンダントから発せられた光によって遮られた。目も開けられないほどに光り輝くそれに、リアラは戸惑う。そしてそれはエルレインも同じだった。
二人の聖女のペンダントは共鳴するように光る。フォルトゥナの姿が光に消えた。
「私……私は……」
「カイル!」
狼狽するエルレインを余所に、リアラはカイルを呼んだ。
「さあ、もう時間がないわ」
「リアラ……」
悲しそうに顔をゆがめたカイルに、リアラはそっと微笑む。そしてその頬を包み込んだ。
「カイル、私には奇跡を起こす力があるの。でもね、それは人が昔から持っていた力。だからきっと、きっと……私が消えてしまっても、奇跡は起こり続けるわ。信じていて」
「……」
「エルレイン、あなたもよ」
リアラは言って、エルレインに微笑みかけた。その表情は酷く満足そうで、彼女は自らカイルに剣を握らせる。
「これを壊せば全ては終わるわ。……あなたの手で、終わらせて欲しいの」
リアラとカイルのやりとりを見て、莢はジューダスに向かって笑った。
「……言っても良いかな」
「まだだ」
即座に返ってくるその返答に、莢は苦笑するしかない。
カイルが、剣を振り上げた。他の五人は、カイルに寄り添って、そしてエルレインと手をつなぐリアラの小さな背中をじっと見ていた。
剣が、光り輝く球体に刺さった。
瞬間、あたりは先ほどのペンダントの光など比にもならないほどの白に包まれた。輝く光の中、真っ先に声を上げたのは莢。すでにリアラとエルレインの姿はなかった。
「フォルトゥナの力が介入した歴史の修正が始まったのよ。……その様子だと、莢も何らかの影響を受けていたようね」
「……じゃぁ、お別れだね」
ハロルドの言葉に、莢は息を一つ吐く。そしてまた吸い込んで
「ジューダス、さよなら。みんなも」
一人一人の顔を見て、莢はそう言った。微笑んでいたが、寂しそうだった。それを見て、ジューダスは莢の名を呼ぶ。ジューダスを見た莢の体は光に包まれて、既に足先は消えかかっていた。
「……何?」
首を少し傾けて、莢は尋ねた。
「あいしている」
ジューダスはただそれだけを。そして莢は目を見開いて、いよいよ消え始めた身体で
「わたしも」
と、そう唇を動かした。
******
ぴぴっ。
電子音が響く。ベッドの中でもぞりと身をよじった少女は音の元をたどり、それを押さえつけた。
「……あさ」
寝ぼけているのか、酷く怠慢な動作で起きあがり着るべき衣服を身につける。洗面台で髪を整え、顔を洗って、自身の顔を見た。
酷い顔、と少女は思いながら、何か怠い身体とどこかすがすがしい気持ちを引きずって朝食を口にする。今日は月曜日。まだ一週間は始まったばかりで、彼女はすぐに憂鬱になった。
「行ってきまーす」
眠たそうな声を上げて家を後にする。いつもと変わらない毎日の中で、少女は密やかにため息をついた。何かとても幸せな夢心地だったのは覚えているが、どんなものだったのかが思い出せない。ただ酷く長い夢だったような気がした。
いつもの道のりで、ふと少女は頭が痛くなり、そこを押さえた。すぐに治るかと思ったが、急に指すように痛んで、その場にしゃがみ込む。人はまばらだったが、誰も少女に声を掛けようとはしなかった。ちらちらと少女に目をやってはそのままその脇を通っていく。
少女は何とか立ち上がろうとしたが、脈打つように痛む頭を抱えどうすることも出来なかった。
「――大丈夫か?」
不意に少女の元に影が出来、足が見えた。くらくらする頭を何とか奮い立たせて少女は顔を上げる。顔は窺えるが頭痛の所為で誰かを認識できない。少年のようだったが、少女はそれ以上分からなかった。
「……まさか僕のことを覚えてないわけはないだろう?莢」
そこで急に少女が頭にかかえた痛みはひいていく。差し伸べられている手とその顔を見比べ、少女は目を見開いた。
そしてその唇が、少年の名を紡ぐ。
2006/12/31 : UP 第二章fin