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嫉妬だというのは直ぐに分かるだろうに、しかし分からないのが彼であると言う話

 事の始まりは、多分私からだったのだと思う。
「喋らないで。耳障り」
 まぁ、誰でも癇に障るような内容で、そして言い方だったのは事実。
 でも、向こうだって悪いと思う。
 四六時中人を散々と貶した挙げ句に、アルルの素晴らしさを説くのだもの。
 お前の頭には一人の女のことしかないのか、と言えばあっさり頷かれ、多分彼の中では違うのだろうけれども少なくとも私の中では違う意味に解釈されたわけだ。
 爆弾発言を投下することは彼の得意技なのだ。気にしてはいけない。
 ……まさか、気にしないはずもなかった。
 彼は激怒した挙げ句に、私の頬を殴って出ていった。元々短気な彼なのだ。今まで良く私は生きてこられたと思う。今も生きているけど。
 平手打ちだっただけ頬の痛みはマシだった。

 一人は、惨めだ。

 場合にもよるが、今なんてまさにそうだ。
 一人をこよなく愛している私でも、独りになったことはなかった。
 けれど、彼は違うのだと、今日気づいた。
 喧嘩別れのような形で彼が私の元から去って、そうやって気づけた。
 独りでいたらもう、一人になるなんて事もなくなるだろう。
 でも、私の知る彼はいつも一人で。独りじゃなかった。
「またお前はトラブルを起こして……」
「ごめんサタン。悪気はなかった。……いや、あの時はあったけど」
 苦笑気味のサタンには申し訳ないと思う。世界を管理する彼にとって、私という存在は非常に厄介だろうと思う。帰れればいいのに。
 ラグナスのように、自在に世界すら行き来出来たらいいのに。
 それをいうと、サタンはまた笑った。
「そうそう世界を渡る者など、必要ない」
 お前はお前のままでよいのだと言われた。こういう変に寛容な、優しいところにルルーは惹かれているのだろうと思う。私ももう少しマシな人に惚れたら良かったと後悔した。
「闇の魔導師も少なくともお前よりは生きている。また頭を冷やして戻ってくるだろう」
「そうかな。彼は、きっと怒ったまま私を捨て置く」
 言ってしまえば、本当にそうなる気がした。実際既に捨て置かれているのだ。
 後悔先発たず、とは良く言う。
 私は彼の存在すら否定した言葉を吐きながら、今更それを悔いているのだ。彼が死んでいればもっと酷くなったろう。取り返しのつかないことをしていた。
 サタン用のキングサイズの豪華なベッドにダイブした。ふわふわのそれは彼と過ごした間の寝床とは随分違って、寝やすかった。
 意識が徐々に、闇の中へ沈殿して行く。
 サタンが私に寝るなと言うのが聞こえる。止まらない。
 私はそのまま睡魔に攫われた。

 次に目を開けた瞬間、私は彼に酷く怒られ酷い扱いを受けるのだが、この時ばかりはひたすらに耐えたのは言うまでもなかった。

ぼくをみて しらないだれかをおもうのはやめて

「世界の何処かでまた出会えたら、素敵だと思わない?」
 ふと、そんなことを漏らした。
 ロマンティストでもないシェゾにこんな事を言っても、とても鼻持ちならない言い回しでこけにすると思うので、独り言として声に出した。
 一応シェゾを見上げると、彼は思いきり眉をひそめて
「ンな事、二度と起こらなくて良い。……面倒臭ェ」
 ぼそりと言った言葉尻に噛みついて、明らかに私のことを言ってるだろ、とちょっと足で蹴った。すらりと伸びている綺麗な足は、いかにもな金属のブーツに覆われて(装備の一つだ。野球とかのキャッチャーが足につける奴と似ている。スネを覆うヤツ)、びくともしない。でもシェゾは痛いと不機嫌そうな声で私の頭を叩いた。
 生きる時代の違う私達にとっては、一度の別れはつまり、今生の別れを指すと言っても過言ではないのだ。だって私は大昔の人間で、手違いで遠い、そう、とても遠い時代にまで吹っ飛ばされてきたのだから。その危険因子である私の監視役が、シェゾなのだから。私とこの闇の魔導師様が離れるその時は、私が死ぬか、元の時代に帰れる目途が立った時が、二つに一つなのだ。
 だからシェゾはもう一度出会うと言うことはつまり、私を連想したのだろう。この上もなく嫌なことのようだ。誰も私とだなんて言っては居ないのに。
「私はもう二度と時間転移なんて起こらなくて良い。……気が、滅入る」
 ふと、あの狭苦しい施設を思い出して、私は息をついた。何か黒いものが溢れそうになって、慌てて思い出を掘り出すのをやめた。
 シェゾは黙っていたが、不思議そうな顔をしているのは見て取れた。
「世界の何処かでまた出会えたら、素敵だと思わない」
 これは疑問ではない。シェゾには私が誰を言っているのか分からないだろう。それで良い。

「もしも時代を超える方法が発見されたその時は、ヤミノマドウシサマに殺して貰おう」

 名案とばかりに思い立ったそれに、私は本当に名案かも知れないとぼんやり思った。

不意に現れる復元前のそれは危険因子による誘発なのかどちらにせよそれを誘っていることは間違いない。

 不意に、闇色を帯びたアイス・ブルーの瞳が私を捕らえた。
 問答無用で手首を捕まれ、虚空から出されたクリスタルの輝きが私の首元を彩った。
「――……どうしたの」
 静かに言えば、シェゾは黙って私を見続けた。
 威嚇ではなかった。
 しかし、本気の目だったと思う。確信が持てないのは、シェゾの本心など私が知るはずもないからだ。
 暫く私は冷たいかどうか感じることさえ分からないほどひたりと添えられたクリスタルの一片の向こうを見ていた、その向こうには柄を握る手があり、腕があり。シェゾが居た。
 血が見たくなったのだろうかと考えを巡らせたが、彼が快楽殺人者であるとか、血を見ることで何らかの欲求を抑えようとか、それを鎮静剤代わりにしようとしているとか、そう言うことをするような人間ではないことは理解しているつもりだった。シェゾは何時だって魔導力のために行動していたし。血を見ることが目的なのではないことは。私は。
 シェゾは剣を退けた。僅かに、クリスタルが赤く染まり、シェゾはそれを指先で払った。
「殺せたら楽だったのにな」
 不意に、クリスタルを見つめていたシェゾが言った。
 何故、と言葉が出てこなかった。シェゾがこんな突発的な行動をするのには、何か理由があるのは見て取れた。周期というものはなく、とても突然に、その理由のようなものはシェゾの元へ舞い込んでくるらしかった。
「殺せたら」
 シェゾは言いながら、クリスタルを虚空へ戻した。
 願望を表すその言い回しは、現実には叶わないことを暗示していた。
「殺せない」
 呟かれた言葉。それは彼が作られた存在だからなのか?
 全てはサタンの思うままで、サタンが禁止したことは誰にも逆らえないようになっているからなのか?
 答えは、否であるはずだ。
 だってもしそうなら、この世界はもっと幸せで良いはずだ。そう、"幸せ"で。
 でも、そうじゃないからきっと違う。サタンは、きっと真理までは壊さなかったはずだ。時間以外の真理に関しては。
「シェゾが見たかったな」
「……?」
「シェゾが、見てみたかった」
 一度世界が終わる前の。俗に言うオリジナルの彼。それを感じてみたいと思った。今目の前に存在しているシェゾを否定するわけじゃない。でも、もしかしたら、オリジナルな彼は、少しでも私を見てくれたろうか。
 間抜けで人一倍シリアスなのに周りには全然伝わって無くて、一生懸命さが仇になって笑いを誘う。そんなところは変わっていないに違いない。
 でもきっと、シェゾがたまにするような突拍子のない行動は、オリジナルの時には常に、取っていたものであったのかも知れない。
 もし彼が一度世界が滅ぶ前に存在していた彼なら、私は彼に殺されていただろうか。
「神を穢す華やかなる者……それを愛した人間もやっぱり、神を穢すことになると思う?」
 神様なんてクソくらえだ。所詮は人間が作り出した逃げ道だ。体の良い、責任転嫁するためだけの、哀れな役割にいる。
 シェゾは私を見て、破綻した。
「阿呆か……」
 呆れの混じったそれは、シェゾの軽い調子の時のそれで。
「愛す者など存在しない」
 つまりそれは、私がここに存在しないことを意味する者ものであったかも知れない。だって私は何時か神の見えざる手によって今ここにいることを消されてしまうだろう。神を穢す華やかなる者を愛した私は、歴史に修正の手が入って。多分良いトコサタンくらいしか、私の存在を知る人は居なくなるだろう。

 そう思うと、何だって出来る気がした。
「愛してる」

決定的な溝は恐らくどれほど永久的に時間を費やそうとも埋まらない。

 この世界で私の役割など考えつくはずもない。
 もしも今ここにこの時この瞬間に存在する私が何らかの役割を持っているとすれば、それはこの男を骨の髄まで愛してやると言うことである。と言えば言い過ぎだが、あながち間違っていないはずだ。
 私はいずれ歴史上の全てから消えるのであり、だからこそ神と相対するこの男を愛していると公言出来るのだ。絶対悪は二人も要らない。だからその内神は私を消すだろう。そして悪を愛する存在はやはり消えて無くなり、悪はいつまで経っても愛されることはないだろう。
 知らず記憶の改ざんが行われ、そしてこの世界はそれでのみ成り立っている。
「いきなり、何を言うんだお前は」
 シェゾは少しばかり狼狽えた様子で私を見た。無理もない。突発的なシェゾを越えるまでに衝撃的な一言だっただろう。今まで生きてきて、私はこんなに真正面から直線的な愛情表現など行ったことがない。
「別に」
「何か魂胆でもあるのか?」
「失礼な」
 少々心外である。仮に魂胆があるとすればそれは、下心という言葉の中に括られるだろう。しかしそれはきっとシェゾにとっては酷く不快なもので、彼の中での利害関係が有利である、と判断された場合にのみそれは享受されるのだ。しかし不快には違いないので、有益ではないと判断されたなら、即座に私は堕ちていくだろう。シェゾなら、あるいは、それすら望むかも知れない。
「誰かから与えられたものに価値は見いだせない。私は私の中でヤミノマドウシサマを構築した。そして展開して出した結果が、たまたまさっきの言葉だったと言う、ただそれだけ」
 そう、全ては簡単なことである。
 ただ、"そうである"ことなのだ。全ては。そこに意味だとか正義だとか、人間特有のわけの分からない意図だとか思惑だとか言ったものが組み込まれてややこしくなるのだ。
「俺の何が分かる」
「知らないよ。特に知りたいとも思わないし。知っても多分いずれは知らないままになるから、それなら初めから知らない方が良い」
「?」
 仮にシェゾの全てを知ったとして、しかし私は消去されるべきウイルスのような存在であるから、結局はなかったものとしてまた世界は回り続ける。シェゾは私がシェゾの全てを知ったと言うことを知っているが、それも削除される。だから結局彼を知るものは居ないと彼は知っていることになるのだ。無意味だ。けど欲しくて仕方がない。
 ウイルスは常に変わっている。ワクチンが開発される何十倍ものスピードで。だからきっと私も全てが終わるわけではないのだろう。
「人間は自分が見渡せる範囲でしか判断出来ないからいいんだ。これで。なにも誰もを許さなくて良い。なにも誰もを愛さなくて良い。私は私の範囲で物事を見て判断して許したり許さなかったりするし、愛したり嫌悪したりするだろう。そしてそれが一番良いことを知ってる」
 シェゾはわけの分からない、と言うような顔をして私を見た。ああもう私だってよく分かっちゃ居ないよ。この世の何をも分かるわけもない。でも分かった風をしてなくちゃ自分を保てないんだから仕方がないんだ。
 怖いんだ。知ってる。分かってるよ。でもシェゾみたいに強くないよ。長い間封印されていたとしてもシェゾみたいに強く在れはしない。気高い尊ばしい存在のように、そう、いっそ神をも超越するほどの神々しさを持ってして君臨するその背中は、いつでも清々しいほど綺麗だ。これは私だけが知っていることであって欲しい。いや、サタンなら分かっているかな。
「愛してる」
 もう一度繰り返した。シェゾは一層に顔をしかめて私の真意を量ろうとしていた。
 私は与えられた役割に満足などしない。危険因子なんて言う枠すら越えて、この男を感じるのだ。だから私を枠にはめ込んでみようとするお前になんか分かりはしないよ私の真意など。そんな奴に汲み取らせてたまるものか。意地だ。プライドでもある。
「愛してる。シェゾ」
「……死にたいのか」
「知らないよ」
 細められた目は酷く濁っていて、当然私が彼の真意を量ることなど出来はしなかった。

意味のない存在だと認めることは狂うよりも存外簡単で

 気が付けばサタン愛用のキングサイズの贅沢なベッドの上だった。
「全く……要らないことばかりをしてくれるな」
「馬鹿に付ける薬はないって言うでしょ」
「さて、誰のことだか」
「さあ、誰のことだか」
 口だけは妙に動いたので命に別状はないのだろう。サタンに私は何故こんな所にいるのかと尋ねた。すると彼は珍しく狼狽した様子で(ああそう言えば先刻シェゾのそんな顔も見た気がする)、私の頭を一撫でした。
「発作」
 短く呟かれた言葉が空気中に放り出される間に、サタンの手は私の頭から外され、カーバンクルのぬいぐるみを包んでいた。
 ルルーが、ノックの後入ってきた。彼女も戸惑っている様子だった。レモンの飴をくれた彼女の瞳は優しかった。普段の彼女の瞳は強く輝いていた。サタンの側にいる時の彼女の目は、複雑で余り読みとることは出来なかった。
 そのルルーの瞳が、今は揺れている。酷く、不安定に。
 彼女はしかし、紅茶を淹れてきてくれたらしい。私とサタンは何を言うでもなくお茶会の状態に入った。ルルーも、そこに在籍していて。
 ただ、いつも側にいた漆黒の闇が、居なかった。彼だけが。
「発作を煩ってしまったらしくてな」
 サタンが、急に口を開けた。まるで思い出話をするかのように、穏やかな声だった。
「どうやら、お前の存在が急速にこの世界に負担を掛けているらしい。この先、お前が何かするたびに、お前は発作に襲われるだろう」
 何か直す方法はないのか。無いに決まっている。スケールの大きさが違うのだ。
「発作が起きると記憶が徐々に無くなり始めたり、ごく一部だけ抜け落ちたりする」
「……彼に影響は?」
「今のところ出ていない。これからも恐らくは出ないだろう」
「私を消せば害はないわけだしね」
 肩を竦めると、サタンは微妙な顔をした。
「取り乱さないのだな」
「それだけの覚悟はあった。予感もしていた。やるせなくて何もかもがどうでも良くなってきてしまうような馬鹿馬鹿しさも感じないではないけど、それでも生きるしかないんだからしょうがない。死にたくないよ。でも、私には生きている意味がない。全くない」
 声が震えた。鼻の奥が熱くなって痛い。喉が閉まる。声が出せない。胃の中から何か出してはいけない感情が漏れだしている気がする。
「ルルー、気遣ってくれてありがと。ちょっと今は席、外してくれないかな。サタンにだけは、話しておかなくちゃいけないことがあるんだ」
 彼女は実際、気の利かないサタンの代わりに良くしてくれただろう。ルルーは私を一瞥してから、まだ無理しない方が良いわよと席を立った。聡明な彼女は19と言うには少々大人びている気がした。……いや、18だったか?
「……ルルーが出ていってくれて助かった。彼女は本当に賢い人だ」
「……」
 目から涙がこぼれた。
「一人時間という真理の中にいる私は、何時か老いて消えるだろう。でも、時間が存在しないに等しいここで、私は真理の介入を手伝うことになる」
「……分かっているのか」
「一応はね」
 分からずにいられるか。そんなものはひしひしと感じていたのだ。
「彼はどうしてる?」
「お前を慌てた様子で担ぎ込んで以来、ここに立ち入らせては居ない」
「そう」
 安心した。シェゾはそう在らねばならないから。
「気持ちを告げた。だからだろうね」
 私が言うと、サタンは信じられない、と目をむいた。私は苦笑する。命を賭しても何の価値もないことだ。しかし結局の所歪んだ存在である私は、何かせずには居られなかったのだ。何か、何でも良い。何か、したかったのだ。
 それはあるいは、この世界の破壊なのかも知れないけれど。
「そうか、発作か。……やあ、なんだかもっと何でも出来そうな気がしてきたよ。今ならきっとシェゾに抱きついて殺してくれと哀願さえ出来るだろう」
 そうなれば私はもう、終わるだろう。
「そうしてサタンの許可すら無理に下ろさせて、私はシェゾの腕の中で息絶えるだろう。シェゾは私の死体を抱きながらいつの間にかそこに立っていた自分に気付き、少し不思議そうな顔をして歩き出すだろう。私の存在は消されて、万々歳というわけ」
 涙は溢れる。止める理由はなかった。
「……綺麗に死んでみたかった。サタン、出来ることなら、世界が改ざん作業を始める前に、私を花葬してくれないかな。そして川に流して欲しい。綺麗に死んで行きたいんだ。綺麗に、逝きたいんだ。ゆく場所なんて、ないんだけど」
 言った後、寂しい気がした。一瞬サタンに、私も作り出してよと頼もうとしたが、そんなものは無意味だと言うことにすぐに気が付いた。だってそれは私ではないのだから。きっと"私"なら、そんなことをしたサタンを馬鹿だと罵るだろう。でもシェゾと共にいる自分を想像すると、少し幸せのような気がして、笑みが浮かんだ。

2006/01/07 : UP

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