Umlaut

帰郷 - The place and her grace - 04

 台所に立ち、腕捲り。捕まえた川魚人数分に兎二匹を、さくさくと捌いていく。昔は家事なんて全くできなかったけれど、ゼラムやサイジェントで鍛えたせいかもう抵抗はなかった。特にサイジェントでは半分自給自足みたいなところもあったし……そこの狩人と知り合いになって、狩りの基本を教わることができたのは助かった。毛皮をはいだり、内蔵を取りだしたり、臭みを抜く方法も一緒に学べたし。
 魚は切り身にして、薬味のハーブを揉み込んでキノコを添えたら塩コショウ。その上にバターをのせて蒸し焼きにするつもりだ。
 兎は一部を細切れにしてシチューに。残りは魚と同じように調味料を揉み込んで照り焼きにしよう。
 芋は勿論、シチューにいれて、卵は山菜をたっぷり混ぜたふわふわオムレツに。山菜の一部はおひたしにして……ああ、アメルは芋好きだったから、魚と一緒にバターと塩をのせて焼いたら喜ぶかな。……食べ過ぎで嫌いになったとかじゃなければいいんだけど。
 その他の細々としたものは、ゼラムで買った保存食もあるからなんとかなるはず。
 頭の中でやることを組み立てつつ、私は最初の仕事に取りかかった。



 そういや、お風呂はどうなってるんだろう?

 大方の仕込みも終わり、あとはシチューを煮込んで、照り焼き・蒸し焼きが頃合いになるのを待つだけになった。オムレツはギリギリに作ろうと決めて準備はできている。
 使った調理道具を片付けながらふとよぎったのは、疲れて帰ってくるだろう皆の顔だった。
 必要な食器をテーブルに置き、記憶を便りにお風呂場まで移動する。当然ながらお湯が張ってあるわけもなく、除湿のために開けてあった窓を見る。
 ……帰ってきて直ぐにお風呂に入れた方が、いいよね?
 とにかく浴槽に水を貯めなきゃと私は井戸水を汲み上げる作業を開始した。
 お風呂の支度はなかなかに重労働だ。金の派閥――蒼の派閥が学術的機関として世界の真理を追求する閉鎖的な組織であるのに対し、召喚術を積極的に利用し、貴族のような社会的地位を得たり、政治に介入する召喚師らによるもう一つの大きな組織である――が強い発言権を持つ都市では、召喚獣で水を浄化したり、お風呂だって召喚獣の力を借りることで直ぐに沸かせたりするのだけれど……。まあ言うまでもなくそういった技術が高度になればなるほど、それにありつけるのは特権階級だけに絞られてくる。金の派閥と対立関係にある蒼の派閥では、そういったあまりにも利権に走ったやり方は歓迎されないのだけど、それでも大きな都市ではロレイラルという機械の世界から持ち込まれた技術を用いて、かなり便利な暮らしが出来ると言っていい。ゼラムや派閥にいた頃は随分と楽な生活をしていたのだなあと思うと同時に、幼い頃はこれをほぼすべてアグラバインさんがしていたのだと思い胸が熱くなった。
 大きな桶に水をため、浴槽へ入れる。それを何度も繰り返して、ようやく小さな浴槽が水でいっぱいになった。あとは火をつけて温めればいい。
 一度台所に戻り火元を確認すると、私はお風呂の裏手に回って、火をつけた。


 お風呂の用意も出来たし、日ももう落ちようとしている。台所で火を一度止めてから、皆へのお土産を確認しようとしたところで、玄関の戸が開いた。入ってきたのはリューグで、ロッカやアメルはと聞くより先にアイツらはあとで一緒に帰ってくると告げられた。
「じゃあお風呂できてるから先に入りなよ。洗濯物はかごにまとめて入れといて」
「……おう」
「あ、あとタオル。これね」
 どことなく気圧された様子のリューグを見送って、ふと奇妙な感覚に見舞われた。
 もしかして、もっと客らしくしていた方がよかっただろうか?
 ゼラムじゃ毎日お風呂に入っていたけれど、よく考えたらあそこが特殊だったのだ。サイジェントに行ったときは体を洗うのはともかく、お風呂は贅沢だったし……レルムも毎日入る習慣はなかったかもしれない。……よく覚えてない。
 いよいよもってここでの生活を忘れていることに気付いて、私は頭を抱えた。でも多分、迷惑ではないはず……だ。疲れていたらお湯に浸かるのは効果があるし、一日中自警団の仕事をしていれば汗もかくだろうし。
 ……でも、やっぱりちゃんとあとで聞いてみよう。皆の生活のリズムを邪魔しないように。
 それに、お風呂以外にも私には疲れを癒す手段がある。少なからずこの家に住む人間はアメルに宿った癒しの力を無闇に使わせるのを嫌うだろうから、多分それについては歓迎してくれるはずだ。

 再会の時は近い。けれど、そわそわしながら人を待つというのは酷く時間を長く感じさせるものだ。それが会いたくてたまらない人なら、尚のこと。

 リューグをお風呂場へ見送って、しばらく。無駄とも思えるほど何度も火加減を確かめていると、
キョウコ! おかえり!」
 バン、と元気よく戸を開けて飛び込んできたのは、優しい茶色の髪をふわりとなびかせた、可愛らしい女の子だった。――……アメル。アメルだ。
 両手を広げて、胸に飛び込んできた彼女をぎゅっと抱きしめる。ロッカが戸口に立っているのが見えた。彼女の背を撫でながら、労いの言葉をかけた。
「ただいま。ロッカもアメルもお疲れさまだったね。おかえり」
「ふふっ ただいま」
「ただいま。……リューグは? 先に帰ってると思うんだけど」
「今お風呂だよ。順番に入ったら?」
「あたしはあとでいいよ」
「それじゃ、僕は先に準備しようかな」
「ん」
 リューグにそうしたように同じ言葉を復唱すると、ロッカはありがとう、と笑って奥へ消えた。その背をやはり同じように見送って、そこでようやく私たちはお互いの身体を離した。
「アメル、久しぶりだね。可愛くなった」
「ほんと? ふふっ、嬉しいな。キョウコは垢抜けたよね……ちょっと、うらやましい」
 唇を尖らせて拗ねたふりをする彼女は愛くるしい以外の言葉もない。……村を出る機会は多分、なかっただろう。これからもないかもしれない。そんな彼女の現状を思うと、私はその言葉が彼女の本音のように思えて、一瞬、言葉を失った。
 それでも、すぐに言うべきことを思い出す。
「私が垢抜けたかはともかく……そういうと思って、お土産、持って帰ってきたよ」
「わぁ! 見たい!」
「部屋に荷物があるから、ちょっと取ってく……」
 はしゃぐアメルに気をよくして部屋に向かおうとすると、風呂場の方からリューグが歩いてきた。……歩いてきたのは良いのだけれど、私は彼の恰好に思わず悲鳴を上げた。
「……りゅ、リューグ! なんてカッコしてんのッ!」
「ああ? なにもおかしいこたねえだろうが?」
 不満そうな声に臆しているほどの余裕もない。……なにせ、リューグはズボンこそはいているものの、上は薄いタンクトップ一枚だったのだ。……あまり、その、異性のそういう露出した姿を見ること自体が慣れない私にとって、彼の姿はあまりにも衝撃的だった。
 いや、ゼラムにも、サイジェントにだってそういう人はいるには、いた。いたけれど、そのほとんどと関わり合うことはなかったし、知り合った人に対してでさえ私が慣れることはなかったのだ。だって派閥本部での生活が一番長くて、寮の中でも、勿論本部のどこにいたって、ここまで薄着なのはついぞ一度も見たことがなかったんだもの。
「薄着過ぎ! せ、せめてもう一枚上に着てよ! 寒くないの!?」
「俺はこんくらいでちょうどいいんだよ」
 憮然とした顔のまま、リューグは居間までやってくる。まさかそのままでこの後過ごすつもりなのかと私は横にいるアメルに目を走らせた。
「あ、アメルだっているんだから……」
「リューグはいつもこんな感じよ?」
「ええ!? 今までずっと!?」
「うん」
 ……救いを求めて私が口にしたその子は、あっけらかんと、私を地の底に叩きつけた。
 まさか、そんな。
 私がおかしいってことはないはずだ。年頃の女性としては異性のその、そういう、薄着姿に恥じらうことは。
「……考えられない……! も、もしかしてロッカも……?」
「あ、うん。近いかな」
「……!!! えええええ……」
「ギャーギャーうるせえな……ったく」
「だ、だって……」
 どうしても目が、その、リューグの肌を滑っていく。それを頭ごとそらすことで無理矢理彼の身体を視界から排除して、私は叫んだ。
「と、とにかくっ 私は慣れてないから、その、何か羽織って……お願いだから」
 耐えられなくて両手で顔を覆う。
「ふふ、キョウコ耳まで真っ赤だよ?」
「なんでアメルは平気なの……」
「……うーん、慣れ、かなぁ? 家族だし……」
「……」
 最早言葉もない私の様子に、折れてくれたのはリューグだった。舌打ちが聞こえたけれど、自分の部屋へ引っ込んで行く足音が聞こえる。それが居間から出るころに、私はようやく顔を上げることが出来た。
 ああ、恥ずかしかった。しかも一人で騒いで、これじゃ私が変な人だ。
 手で顔に風を送っていると、アメルがくすくすとまだ笑っている。
「そんなに笑わなくたっていいじゃない?」
「だって、キョウコが可愛くて」
 まあ、確かに堂々としたアメルの態度を思えば、私の反応はあまりにも幼かったかもしれない、けれど。
 なんとも言葉を返せないでいると、リューグが上着を着てくれた状態で今に戻ってきた。私を一瞥すると、そっけなく風呂の火を見てくると言ってそのまま外へ。あ、そういや私もそろそろ火にかけたもの、あげておかなきゃ。
「そうそう、今日は夕飯張り切ってみたよ。全員そろったらオムレツ作るからね」
「はぁい」
 嬉しそうなアメルの声に、私はようやく心を落ち着けて笑い返した。


 結局風呂釜の火がもったいないと言うことで、その後帰宅したアグラバインさんも含め、みんな先にお風呂に入ってからの夕食と相成った。幸いにも私が作った料理は受け入れてもらえて、特にアメルはしきりに作り方を気にしていた。……やっぱり女の子だ。
 聞くと、お芋料理もすごく上手らしい。……私こそ料理を教えてもらわなくちゃいけないかもしれない。私のはなんだかんだ言ってゼラム風なのだけれど、レルムの村では得られる食料の種類が、ゼラムとは大きく異なる。
 もっとも、昔あまりにもお芋料理ばかりで、そのことでアメルと喧嘩さえしてしまったらしいリューグは、私がお芋料理を習いたいと口にした瞬間、なんとも言えない顔をしていたけれど。

 食後、私はアグラバインさんやアメル、それにロッカやリューグに囲まれる形で、なんとなく気まずいような恥ずかしいような心地になって身を縮めた。久しぶりというにはあまりにも空きすぎた時間を切々と感じてしまう。
「ねえ、ゼラムではどんな風に暮らしてたの?」
 聞かれ、間をもたせるように淹れなおしたお茶の入ったコップを両手で包みこむ。ふとアメルに目をやると、私をじっと見ていたらしい彼女が笑った。その顔と同じように、いつの間にか萎縮した心が緩むのを感じる。……アメルは、不思議な子だ。
「えっと、……そうだね、なにから話せば、いいかな」
 手紙でのやり取りはほんの些細なことを書き連ねた日記のようなものだったはずだし、もちろん書けないことや意図的に書かなかったこともあった。そもそも自分が手紙にどんなことを書いたのかなんてほとんど覚えてないから、どこからどう話し出せばいいのか検討もつかなかった。……話をうまく筋道立てて伝える自信がない。
 助けを求めるようにアグラバインさんを見ると、話しやすいところから話せばええ、と一番困る答えが返ってきた。

 では、何から話したものか。

 そもそも私が村を出て蒼の派閥に身を寄せることになったのは、召喚術の暴発を起こしたからだ。
 もっとも、森の奥深くでやらかしたために派閥の召喚師がそれを知り、私を見つけ出すまでにはかなりの時間を要したらしいのだけど。
 だから時間軸を整理すると、私は森の奥深くで召喚術を暴発させた後、宛もなく森をさ迷っていたところを運良くアグラバインさんに拾ってもらい、村で暮らすようになったというわけだ。それから大分経って、蒼の派閥に暴発させた犯人として特定されるに至る、と。
 私がしでかしたことは、当時の私の精神状態が不安定だったこともあって村の人たちやアグラバインさんには言えなかった。そんな風にして一度機を逃すと、必要に迫られでもしない限り言わなくても良いかという甘えも生じてしまって……私が子供だったこともあるだろう、アグラバインさんは黙って私を受け入れてくれたし、私もまた自分のやったことなんて忘れてしまいたかった。
 けれど、村にやって来た召喚師はご丁寧にも、保護者として私を拾ってくれたアグラバインさんに私が黙っていたことを一から十まで説明してくれた。そして、私は召喚術を扱う素質があるために、再び暴発など起こしてしまわないようにと、派閥で修行する運びになって村を出たのだ。選択肢なんてなかったようなものだけれど、誘拐のようにして有無を言わさず連れて行かれなかったのは、ひとえにアグラバインさんが私を守ってくれたおかげだと思うし、そのことは今でも感謝している。
 私がはぐれだと知らされたのは、ゼラムの、蒼の派閥本部に連れていかれてから。
 彼らは私の召喚主が無色の派閥――これはいくつか存在する召喚師たちによる派閥のなかでももっとも統率のない、召喚術による破壊活動を目的としたテロリスト集団の総称だ――の召喚師だということが分かっていたらしく、時間がかかっても私を探し続けていたのはそういう理由からだったことも知らされた。彼らは魔王を呼び出す儀式など、長年にわたり危険な思想を抱いて召喚術を行使してきた。だから、そんな者に呼び出されたものが何なのか、派閥は神経質になるほど知りたがっていたのだ。村に来たときにそれを言わなかったのは、不必要に周囲を怯えさせないためだとも言っていた。……だから私も、召喚主のことは手紙には書いてない。
 さんざっぱら調べられて漸く私自身に凶悪な力がないことがわかった後も、当初召喚師が言ったように、召喚術を扱うすべを叩きこまれた。派閥時代は寮に幽閉されるようにして過ごしていたから、あまり特筆すべきことはなかった。……なのに手紙を書いていたことは良く覚えている。リューグの言う通り、ひたすら帰りたいと泣き言を綴っていたのだろう。召喚術のいろはを学んで元の世界には帰れないことは良くわかったから、この村が唯一、私の帰る場所になったのだ。だから、余計に。

 ううん、と首を捻る。私が知る限り、召喚術を除き、蒼の派閥に関することで口外してはいけないことなんてほとんどない。まあ、単に守秘義務が発生するほどの知識を得る権限もないような、下っ端の立場だから当然と言えば当然だ。
 ただ、そのことと、話したくないことというのは別なわけだけれど。
「見習いの間は、ゼラムの街には殆ど行けなかったよ。向こうに行った直後はずっと蒼の派閥のなかにいて……ゼラムにある蒼の派閥の本部はすごく大きなところでね。綺麗で、大きな図書館があった。静かだけど、暗かったかな。初めは、それが怖くて。村に来た人のお弟子さんによくお世話してもらってた。まずはこの世界の常識を少しずつ教えてもらったりね。当時外出っていうと、その時くらい」
 ぽつりぽつりと、記憶の意図を手繰り寄せる。みんなは、黙って聞いてくれてた。
「蒼の派閥に入ってすぐの頃は、徹底的に私自身について調べられたりしたかな。魔力のこともだけど、なにか特殊な力があるはずだからって。結局大したことはなくて、がっかりされちゃったけど……あと、それがわかってからは自分の身は自分で守れるようにって、戦闘訓練もしたっけ。他にもいろんなことを叩き込まれて……」
 蒼の派閥にいて分かったこと。私は、普通の人間だと言うこと。ただの人間以上の力なんてなくて、私自身には、悪魔や鬼、魔獣のような恐ろしい力も、天使や龍神のような、優しい力も、なにもないこと。
 それは私をひどく落胆させ、また同時にこれ以上ないほど安堵させた。はぐれ召喚獣、と言う呼び名に怯えていたのかもしれない。人間以外のなにかなんじゃないかと。そういう扱われ方をするのではないかと。
 ただ、それでも召喚術の素質としてはいいものをもっていたらしく、暴発することがないようにとみっちり指導を受けた。
 私の面倒を見てくれた人たちは、懇切丁寧に私にこの世界のことを教えてくれた。私が派閥の監視と保護の目から解放されたとき、一人で生きていけるようにと、導いてくれた。派閥ははぐれ召喚獣の保護施設などではないし、それは私にとっても願ったりかなったりだった。そうすれば私はレルム村に戻れる。そう思ったから。

 知識において開けている蒼の派閥の内部にも、権威主義者というのはいる。
 彼らはただでさえ家名を持たない平民が召喚師になることを煙たがる。いわんや、はぐれ召喚獣をや。
 例え一般人が無闇に召喚術を行使しないようにするためだ、という建前があるとはいえ、蒼の派閥は、召喚術は召喚師の家系に脈々と繋がる特別な技だ、と謳っている。私のように家名や家系という背景が無いにもかかわらず召喚師の育成として連れて行かれるものが少なからずいるように、実は召喚術というのは、仕組みさえ分かっていれば誰にでも使えるものなのだ。
 要は召喚術の価値や、それを扱える立場であると言うことに箔をつけたいのである。実際、高度な召喚術を扱うには、素質に依存する部分が大きいのも事実だから間違いではないけど。
 兎に角そういう人たちは上層部の中にもいて、平民上がりの召喚師を『成り上がり』と呼んで毛嫌いしているため、彼らの采配により成り上がりは雑務を押しつけられたり、よほどのことでもない限りは昇格できないようになっている。出世とはかけ離れた場所に、嫌でも立たされてしまうのだ。
 でも、出世が目当てでない成り上がりがいれば? 自分たちの地位を脅かすことのない、寧ろ平穏に暮らしたいと思っているものがいれば?
 権威主義者たちからすれば、そういう者を派閥にしばりつけておく利点は何もない。あえて言うなら、小間使いが減る程度か。だから、一人前になりさえすればきっと村に帰ることが出来るんだと、それは当時の私にとって、唯一の希望でもあった。

 私は指導してもらうがままに召喚術について知識を深め、その他のことについても、何でも一人で出来るようにと体術や薬草の知識、サバイバル方法などを頭と体に叩きこんだ。勿論派閥の召喚師が全く畑違いの人脈を持っているなんてことは考えられないわけで、教わった相手というのはシルターンという異世界に住まう人間なのだけど。
 特に戦闘訓練については初めは嫌で仕方がなかったのだけれど、生きるために、生かすために人殺しの知識を身に付けろと諭された。人殺しの知識は、そのまま医学の勉強にもなった。何はなくてもまず知ること。それをどう使うかが大切なのだと厳しく言われたのも懐かしい。

 派閥には嫌な印象が強いし、実際に嫌な目にあったりすることも多かったけれど、私が密にお世話になった人達は皆厳しいけれど優しかったと痛感する。

「それで、一年前くらいに私を引き取りに来た人とそのお弟子さん達……私からすれば兄弟子、先輩にあたる人たちね。彼らの任務を手伝って、聖王国領の一番西にあるサイジェントって街に行って、そこで、彼らとは別れたの」
「……キョウコが一人前になったってこと?」
「ん、まあそんなところかな……召喚師として認められたのはそれよりもずっと前だったんだけど……勉強することが、たくさんあってね。それで、サイジェントから一人で帰れるようにって、暫くの間、訓練がてらそこで知り合った人たちと稽古して、戻ってきたってわけね」
「で? 結局テメエは何者だったんだよ」
 リューグの言葉に、私は一度机に目を落として。
「……特別危険な力は持ってないって、言われたわ。長い間かけて調べられたから、それは間違いないと思う。私もこっちに召喚されるまで、自分がなにか特別な存在だって思ったことなかったし」
 でも、知らされなかったことがあったとして、それを私が知る術はない。
「じゃあ、召喚されてからはどうなんだよ?」
「リューグ、言葉を選べ」
「こいつがなんなのか、俺たちは知る権利があるだろうが」
 声こそあまり大きくはならなかったけれど、リューグの言葉にはどこか威圧するような響きが含まれていた。その根っこには、少なからず両親のことがあるのだろうと頭の片隅で推測する。昼間、ああ言われはしたけれど、やっぱりこういうことは頭では分かっていても心で納得できない部分はあるはずだ。……その苛立ちにも似た疑問は、余所者で溢れ返ったこの村の現状に疲れているようにも見えた。
「……戦闘では丸で役に立たないような力があることが分かったの。この世界の成り立ちって知ってるよね? 私たちが今いる世界、『リィンバウム』の他に、大きく分けて四つの世界がある。機械仕掛けの世界ロレイラル、獣が住むメイトルパ、霊的な生命の集うサプレス、鬼や妖怪、変わった武術を扱う人間の共存するシルターン。私は、どうもこの四つの世界のものに対して、鼻がきくらしいのよ」
 役に立たないでしょ、と笑うと、リューグは片眉を吊り上げた。
「鼻がきくってのは」
「言葉通りの意味よ。臭うの。言葉じゃ上手く言えないんだけどね……」
 私の言葉を聞いて、ロッカは少しホッとしてるようだ。それを確認できただけでも嬉しかった。けれど、リューグの表情は微塵も動かない。
「それだけか?」
「他にもあったよ。でも、こっちは言えない。口外しないようにってきつく言われているし、私も、言いたくない」
 それだけで誰かを傷つけるようなものじゃないけどね、と弁解のように呟くと、リューグは私をじっと見つめて、それから
「それが言える範囲の限界か?」
 と、まっすぐな瞳で私を見た。そこでふと妙な言い回しをする彼に引っ掛かりを覚えた。

 ――……あ。

 多分、これはリューグなりの気遣いだ。
 両親のことで私を警戒していると言うのなら、もっと言葉が厳しくなったり、責めるような声色になったりするだろう。
 昼間の彼の言葉が浮かんでくる。……彼はもう、子どもじゃない。
 ロッカに比べ厳しく見える顔つきは、真剣なだけ。そして今の彼は不機嫌でもない。じっと静かに私を見るその姿は、ただひたすら真摯だと思えた。
「うん。具体的には無理。ただ、特に派閥に属さない召喚師には気を付けるようにって」
 そう告げると、リューグは黙って私の言葉を噛みしめるように、そうか、と、引いてくれた。

2011/05/03 : UP

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