Umlaut

嗚呼、愛しき日々よ - In the small world - 03

 村に帰ってきて三週間が経とうとしていた。アグラバインさんたちがそう言っていた通り、アメルにはほとんど会えてない。……昼間の休憩時間に、アメルが昔よく遊んだあの場所に抜け出してこない限りは。
『ねえ、キョウコ。お願いがあるんだけど……』
 そう言って、昼には気の知れた人と息抜きがしたいのだと頼まれたのは記憶に新しい。
 本当ならこんな役を請け負うのはロッカたちの方が適任なのだろうけど、彼らには自警団の仕事がある手前言えなかったのだろう。だから昼時はアメルに会えようが会えまいが、彼女のための時間として私は森でストラのための瞑想や、魔力量を上げるための精神統一をするようにしていた。リューグとの鍛錬もあれからずっと続けているのだけれど、朝、彼は面倒臭がってあまりじっくりとできないから丁度いい。

 ……リューグと言えば、どこか焦っているように見えるのはきっと気のせいではないのだろうけど、本人には言ってない。リューグにはリューグの考え方があって、それを誰かに伝えるつもりがないのは大体わかったし。それに万が一焦る理由が、私から一回も勝ち星を取れないことだったならヤブヘビと言うものだ。
 リューグは基本的に生真面目だ。それが自分が決めたことに関してなら尚の事。自警団の仕事でロッカ共々家にいない事もあるのに、毎朝必ずこの場所に来る。もしかしたら私が帰る以前から、リューグはここで一人、自分を鍛えていたのかもしれない。

 基礎訓練は大切だ。リューグたちはアグラバインさんに教わったと言っていたけれど、基礎はかなりしっかりしていた。聞けば、自警団は皆アグラバインさんの指導を受けたとか。アグラバインさんが元々の村人でないこと、どこかで戦闘に関する訓練を受けたことがあることは知ってはいたけれど、もしかすると元々誰かに教えられるほどの立場だったのかもしれない。その手解きを受けている以上、場数を踏めば化けるだろう。

 けれど、村にいる限りそうなるのは難しそうだ。村に滞在する人たちとのいざこざの場合でも手は出すなと決まりがあると言っていたし、そうなると対人戦ができるのは村にたかりに来る野盗くらいしかない。
 それも自警団の戦力が上がってからは少なくなり、ついには縄張りを移動したらしいし、やっぱり厳しいか。
 聖女としてのアメルに不埒な理由で近づく輩もいるようだから、特にリューグの腕が上がれば安心も出来るのだけど。……昔そうだったように、これからも私がこの村に居続けられるとは限らないから。

キョウコ
「アメル」
 昼休憩にまで稽古を付けろとやってきたリューグとの訓練の名残もそこそこに、あれこれと物思いに耽っていると、かさかさと茂みを掻き分けてアメルが姿を現した。今日はどうやら抜け出せる日だったらしい。彼女の息抜きになるようにと、私は敢えて咎めることはないけれど、
「抜け出すなとは言わねえが、あんまり心配かけるなよ?」
「はーい。ふふ」
 リューグの小言に、アメルは『良い子』の返事をして私たちの間に座った。ちゃっかり自分のお昼ご飯を持参している辺りアメルらしい。
「どう、調子は?」
 アメルの治癒の力は使いすぎると倒れてしまうそうで、一日当たりに力を使う回数や時間などが決められている。普通、滅多とない力なのだから当然だろう。無限に使える力なんて、人の身には余る。
「大丈夫だよ。お腹ぺこぺこ!」
「あはは、お疲れさま」
 手軽に取れるから、と一度丁寧に潰して塩でシンプルに味付けた焼いた芋を齧る。美味しいよね、ハッシュドポテト。
「二人ともまた稽古?」
「まあね」
「毎日飽きないね」
「それを言ったらアメルもでしょ」
「そうでした」
 この一年ほどはずっとこの調子だ、と教えてもらったものの、こんな毎日で辛くないだろうか、こうして抜け出してガス抜きが出来ている内はいいけれど、アメルは聖女という役回りに縛られている。それはきっと、私が思うよりもアメルにとっては苦じゃないことで、今だって何の陰りもない笑顔を見せてくれる以上、私たちが口を出しても仕方がないことだ。
 それにしても、アメルに掛けられる言葉の、なんて少ないことだろう。
 アメルが求めてなかったとしても、労わってあげたい。でも、どういう風に言葉を掛けることがアメルにとって喜ばしいことなのか、私には想像もつかなかった。
 聖女と言われるのはその能力だけじゃない。アメルの心根が、今の環境に耐えられているのが凄い。そんな彼女に相応しい言葉なんて、私はきっと持ち合わせてない。だから、こうしてアメルを一人の女の子にするのが、私にできる最大限の事なのだろう。

 アメルは、癒した相手の事を語らない。そもそも、事情を聞いたりする必要もないらしい。聖女の癒しという奇跡を必要とする人たちが負ったものが症状にしろ、環境にしろ、恐らくどれも重いものばかりだというのは実際に見なくても察せられる。わざわざ聞きたい話でもないし、みだりに話すようなものでもない。
 でも、経緯をいちいち聞くことが無くたって、彼らの心や身体の傷をたった一人受け止め続けるアメルが心配になる。嫌にならないのだろうかという疑問はアメルの表情を見ていれば失せてしまうとは言っても、何か我慢していることがあるのなら、話を聞く位しか力にはきっとなれないけれど、話してほしいと思う。例え彼女が明るく笑っていても、きっと大丈夫だと頭で分かっていてもそんな風に考えてしまうのは、私だったら耐えられないと思うからだ。
「アメル、ちょっと背中借りるわね」
「うん?」
 彼女の背に手を当てて気を流す。これは、私がしたいからするのだ。
「あ……、すごい、暖かい」
「午後も、体調には気を付けて」
「うん」
 村に帰ってからストラの習熟度が上がった気がするのは多分、気のせいじゃないだろう。少しでもアメルに元気でいて欲しくて、上手く伝えられない代わりに掌に気持ちを込めた。
 優しく何度か撫でて、呼吸と共に練り上げた気を、ゆるく、優しくアメルへ注ぐイメージで。
 丁寧に気を送り終えると、手を放す。
「ありがとう、キョウコ
「ううん」
「午後も張りきっちゃう」
「……無理するならもうやらないでおこうかなあ」
「むう」
「嘘。いくらでもやるから。でも、無理はしないでよね?」
 軽口を叩いていると、少し遠くから微かに人の呼び声が聞こえた。多分、アメルを探す類のものだろう。
「そろそろいかなくちゃ」
「もう? ……って言っても、引き留めるのも難しいか」
 そそくさと残りのご飯を食べきり、アメルがスカートをはたきながら立ち上がる。
「この場所、見つかりたくないの。それに、ここで見つかっちゃったらリューグとキョウコも怒られちゃいそうだし。だから、少し向こうで見つかりに行くね」
「うん」
「今度時間が取れたら、キョウコと一緒にお料理したいなあ」
「勿論。楽しみにしてる」
「……うん! じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
 ひらひらと手を振り、走っていくアメルの背を見送る。リューグを振り返ると、既に彼は食べ終わっていて、胡坐をかいた膝で頬杖をついていた。
「あんまり喋れなかったわね?」
「一人だけ調子よく話しといてよく言うぜ」
「あら、拗ねてる?」
「ハッ、テメエと違って話すことなんかねえよ、今更」
 強がりなのか微妙なラインだけど、嘘ではなさそうだ。今までずっと一緒だったとは言っても、アメルと中々会えなくなったのはリューグも一緒だろうに。まあ、かと言って今のリューグを見ていると、アメルと会う度にあれこれ口を出したりにこやかに話を聞く感じでもなさそうだけど。でも、だからこそ、それが十年以上続く彼ら家族の形なんだと思える。
「譲ってくれてありがとう」
 言うと、ふん、と鼻を鳴らされた。



 朝、いつも通りリューグと稽古をした。彼の希望で、短いスパンで一方が一方にどんどん打ち込んでいくタイプのかかり稽古を入れることが殆どだ。一息も入れられないほど激しく攻める訓練でもあるので、気力と体力を一気に消耗する。他にもお互い隙があればそこに攻撃をする。隙が無ければ、隙を作る。そう言う立ち回りの訓練。
 勿論殺し合いではないから、私は短剣を鞘に入れ抜けることが無いように縛って、リューグも両手斧の刃に革袋を被せた状態でだ。

 リューグの強みは、自分よりも強い相手でも臆することがないところにある。防御が粗いのが気になるけれど、心の持ちようと言うのはなかなか鍛えようと思って身に付くものではないから、これは立派な長所だと言える。
 それに斧のリーチは槍よりも短い。それをして尚ロッカから勝ちを取れたと言うのなら、リューグは剣士としての素質が高いかもしれない。アグラバインさんがそれぞれに与えた武器も合っていたんだろう。勿論、ここまで二人を鍛えられるほど強いらしいあの人が何も考えずにそんなことをするとも思えないから、これは当然の結果でもある。
 臆せずに飛び込んでくるリューグの一撃を寸でのところでかわし、私は空いたその脇腹に一撃を入れた。
「甘い!」
「ぐ、っ?!」
 大振りな動きは見切りやすい。と言って、避けれなければ致命傷を負うのはこちらだ。まず相手の攻撃を避けるところから私の戦いは始まる。そうして攻撃のチャンスを窺って、隙が出来ればそこへ叩き込む!
 鞘に入れたままとは言え、対した装備もつけていない脇腹にはそのまま内臓にもダメージが入る。これが実際の戦闘なら、まず間違いなく私が優位になっただろうことは誰が見ても明白だった。
 けれど、リューグは目に見えて歯を食いしばり、腹筋に力を入れてこれを踏ん張った。
「はぁぁああッ!!」
「っく……!」
 力任せに薙いだ彼の一撃は、私が握った鞘入りの短刀をもぐように奪い去った。そのまま自らも斧を手放し、続けざまに未だ痺れのとれない右腕をとられる。
 地面に叩きつけられるようにして私はリューグに取り押さえられた。
「勝負ありだな」
「……はぁ、そうね」
 ぐるじい、と声を上げると、リューグは嬉しさからか軽やかに私の上から退いた。
「流石に毎日両手斧振り回すような相手に、力じゃ敵わないわね……」
 短剣を振るうと言っても、実践になった時に私が最も得意とするのは中距離から遠距離だ。近距離が得意なリューグ相手ではやはり力の差も大きく、競り負けてしまう。だからこそ、そこに持ち込まれないように立ちまわっていたのだけど。
「欲を出したのが間違いね。あーやだやだ、欲張りはやっぱりだめだわ」
「はっ、何を言っても負けは負けだぜ?」
「分かってるわよ」
 薙ぎ払われた短刀を拾い上げ、私は一度大きく深呼吸をした。
 鍛錬に怪我は付き物だ。怪我や負傷に至らないまでも体の節々を痛めるなんてことはないほうが珍しいくらいで、特にリューグ相手だと多いかもしれない。別に、リューグが殊更に下手だとか、実力差があるとかそう言うことではなくて、多分、気質というか。そう言うものの違いなんだろう。何かに追い立てられるように向かってくるリューグは、稽古だろうと実践のような気概で最後まで立っているから。遠慮がないというか。まあ私も怪我をしているから、怪我をしないように立ち回れるほどの実力が無いというのは間違いでもない。
 最初の時にやってしまった、変な気遣いが本当に馬鹿だと思うほど、真っ直ぐな姿勢に目が逸らせない……と言えばいいだろうか。私の気持ちまで引っ張られるから、余計に怪我が絶えないのかも知れない。
「はあ。……リューグ、こっち座って。やるわよ」
 だから……という程でもないけれど、身体の傷を癒すついでに、気の流れを感じる訓練を兼ねて、リューグにストラをかけることも多かった。
 呼吸を整え、深く息を。気を練る前段階は魔力を感知する時の感覚に近い。召喚師としての訓練が功を奏していた。空気中の魔力を感じるように、自分の気を拾う。感覚が掴めたら、それを練り上げて身体の隅々まで巡らせる。それをリューグへ伝えて、気を流しこむ。
「どう? 分かってきた?」
「……肩」
「あたり。左右はわかる?」
「……」
 まだそこまでは分からないか。
「はい、今日は終わり」
「ん……何回されてもすげえな、ストラってのは」
 遠慮なく打ち込んだ脇腹の痛みが引いたことに感心しながら、リューグは息をついた。毎日鍛錬してても痛いものは痛いし、痛いのが好きなわけではないから当然だ。
 身体の調子を確認していたリューグは、ふと私へ話を振ってきた。
「そういや、知ってるか? あの話」
「あの話?」
「なんでもこっちにくる道中、旅人が襲われてるらしい。最近行商人の類いがあんまり来ねえのはそれが原因らしいんだがよ」
 その割に、聖女目当ての人間は一向に減る様子が無いんだけど?
 だからこそ、行商人が来てくれないのは困る。村にいる人間の数は余りにも多い。村の備蓄はあっという間に底をつくし、ちょっとした道具や調味料なんかは行商人頼りなのだ。それに、手紙なども持ってきてくれるし、外の情報も教えてもらえる。
「……旅人が、ねえ。野盗の仕業じゃない? 私も来るとき追われたし……」
「それがどうもレルムに来る奴等だけ狙ってるらしい。わざわざ行き先を聞いたりするんだとよ」
「……流砂の谷周辺に、大きな窃盗集団がいるとは聞いたことあるけど、その一派かな……」
 ゼラムで少しだけ仕入れた情報だけれど、でも、確かそろそろ騎士団の遠征があったような気がする。その遠征も、相手側に知られてしまえば意味がなくなってしまうものだけれど。
「一度調べてみるのも悪くねえかもな……聖女狙いかはともかく、行商人が来ねえのは痛手だ」
「でも、自警団の人員をそっちに割くのは現実的じゃないでしょ。窃盗団に目を付けられでもしたら村もタダじゃすまない」
 今村に滞在している要人警護やら護衛の人たちが、村のためにどれだけ積極的になってくれるかなんて未知数だし、やる気を出してくれても連携が取れないのなら森の中、しかも相手の規模も分からないまま流砂の谷のような足場が不安定な場所で戦闘を行うのは得策ではない。単独で強い人がいたとして、まさか一人で集団を圧倒できるほどではないだろう。
「……お前はどうなんだ?」
「え?」
「戦えるだろ」
「はあ? 本気で言ってるの?」
 少し意外だった。私の気質を知っているリューグが、そんな風に持ち掛けてくるとは思わなかった。
「絶対に嫌」
「なんでだよ」
「怖いからに決まってるじゃない」
 なぜ戦えるのに戦わないのか、とでも言いたそうなリューグに、私も何故そんな当たり前のことが分からないのか、という気持ちで答えた。私が鍛錬をするのは、自分を守るためでしかない。積極的に戦いに出るなんてとんでもない。
「……そうかよ」
 言うと、リューグは肩をすくめた。この反応、どう受け取ったらいいんだろう。
「あ、単独行動は駄目だからね」
「言われなくてもしねえ。バレたときバカ兄貴がうるせえからな。言ったら言ったで、どうせ止められる。どうすっか……」
 バレなきゃするんじゃない。と言いそうになったので、どうにか飲み込む。
 と、すると、現状私たちに取れる手段はない。下手にこの不確かな話を広めて、不安を煽るようなことがあってもいけない。けど、どうにかしなくちゃいけないことであるのは確かで。
 だから、つまり。
「……飽くまで調べるだけ。戦闘にならないように動くのなら、協力する」
「!」
 この話を聞いた時点で、この流れは確定していたのだ。
「ただし! きちんとロッカにその旨伝えておくこと! リューグの口から!」
「……チッ 分かった。仕方ねえ」
 こういう、逆らえない流れに乗ることはサイジェントですっかり慣れてしまったけれど、リューグは私にもっと感謝してもいいと思う。何事もなく済めば、肩もみの一つでもしてもらおうか?

2019/03/10 : UP

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