Umlaut

嗚呼、愛しき日々よ - In the small world - 04

 村に来る旅人たちから得た噂話を本当かどうか確かめる。そのための調査は、自警団の団長としてのロッカに伝えるだけでは『待った』が掛かるだろう。許可を得るには、それなりに時間がかかる筈だ。ロッカは慎重だし、団員の命を預かる者としてあれこれ考えることは多いと思うから。
 けど、私たち二人で考えてさえ、看過できないことであるのは明白だ。最終的に許可は下りるだろうから、私はそれに備えて装備を整えることにした。と言って、武器や防具を揃えるとかではない。薬の準備だ。
 戦闘は無いに越したことはない。でも、何があるか分からない以上ある程度対応できるように想定しておかなければ、それはただの無謀と同じだ。
 毒や麻痺など、ならず者が武器に仕込むのが大好きなものを打ち消せるように、それぞれの用途に合わせた薬草の採集をしておく。レルムは土地が痩せているけれど、かと言って何もないわけでもない。採り尽くしてしまわないように気を付けながら、注意深く葉を観察して、取り急ぎ必要になるかもしれない分だけを確保。

 ……する、つもりだったのだけど。
 これを機にいくつか、家の側で栽培してみるのもいいかもしれないと、株ごと持ち帰ろうか悩んでしまう。結局、自分の身の振り方が決まらないためにこうして迷うのだろう。結婚のことがなくたって、一度きちんと考えた方が良い時期なのかもしれない。

 これからどういう風に生きていくのか。どう、過ごしたいのか。

 自分で何事かを決められるような環境になかったから、与えられた環境にまず適応しようとしてしまう。今まではそれでも良かった。
 でも、もう違う。
 医者は要らない。腕っぷしもそんなにあるわけじゃない。じゃあ、私にあるものってなんだろう。必死で勉強した召喚術しか、ないのではないか。そんな風に思う。
 召喚術で何ができるだろう。蒼の派閥に居た頃に散々言われてきたせいで、召喚獣たちや、外道召喚師たちから押収した誓約済みのサモナイト石に対する責任の重さが凄くて、あまり気乗りはしない。ロッカとリューグのご両親の事もあるし、召喚獣が有益であると感じる人が村にどれだけいることやら。

 私って、本当にアグラバインさんの所へ帰りたくて帰ってきただけで、他に何もないんだな。

 ふと、腑に落ちる。落ち込まないこともないけど、私が私で居ていいのだったら、寧ろその方が良いのかもしれない。アメルには悪いけれど、例えいろんな人の役に立てたとしても、私にはここまで持て囃されるのは荷が重い。
「あ」
 ぶち、と嫌な指先の感覚に意識を目の前へ戻す。案の定、薬草を摘むのに失敗して指先が緑色に染まっていた。……これ、臭いんだよね。



「バカ兄貴を頷かせてきたぜ」
 リューグがそう言って私の所にやってきたのは、ある程度薬草を乾かし終え、心の準備も整えた日の事だった。朝の鍛錬も、朝食も取り終えて、村の中が騒がしくなり始める、そんなころ。
「早かったわね」
「遅いだろ。二日も掛かっちまった」
「説得に?」
「まさか。普段の仕事と並行して、まとまった時間もないってのにそんな悠長なことしてられるかよ」
 鼻を鳴らすリューグが続ける。
「今まで自警団でやり合う時は防戦か、こっちから迎え撃つにしても結構な仕込みの上で掛かってたしな。確証もない噂話を根拠に、偵察だけとは言えオレとテメエの二人で賊探しとあっちゃあ、団長としては不安だったんだろ。
 かなり渋ってたが、そうしたところで解決するもんでもねえのは承知の通りさ。今までと違って、とっとと動かねえと死活問題にもなる」
 その通りだ。私もそうだけれど、ロッカも、積極的に賛成はできないけど、やらざるを得ないことというのは分かっているらしい。意識共有というか、その辺りの理解が早くて何より。時間が掛かったのは、聖女目的の人たちの対応で忙殺されてる……って所かな。待っている人たちの間でのトラブルが多いみたいだし。
「じゃあ、行く?」
「確認するまでもねえ」
 即答したリューグに、私は苦笑と共に装備の最終確認をした。

 噂話、というのはあてにはならないと同時に、放っておいても良いものではない。特に今回のような安全面や生活面にダメージが入るようなものであれば尚更だ。良からぬ噂そのものも含め、きちんと不安を払拭できるようにしておかなければならない。だって、他人事じゃないんだから。
 レルムの土地は痩せているけれど、森を形成する木々は元気なものだ。やはり、土に関しては流砂の谷の影響を受けているように思う。土砂災害の危険が常にある。エレナさんは辺鄙な所、と言ったけど、本来人が暮らすには不向きだ。
 それでも、故郷は故郷。皆愛着を持って住んでいる。それぞれの思惑はどうであれ、より良い場所にしたいと思っているのは同じだ。――……私だって。

 準備を終えると、私たちは早速森へ入った。村へ来る旅人のほとんどは、私がそうだったように一度ゼラムに入ることが多い。小さな村であるし、村の存在を知っているのはそう多くないからだ。行商人の案内を頼むためであったり、食料や装備を整えるためにゼラムへ入り、そこで改めて村へと出立する。それまでが長旅であるならば尚の事。だから、不審な影がないかどうかを調べるにあたって、まず真っ先にゼラム方面から村へ来るルートを見ることにした。特に今回は行商人が狙われているということらしいので、ファナンから直接村へ来るルートはあまり考えられなかったのもある。
「流石に気配くらい消して潜んでるわよね」
「つっても、ジジイの仕事の近くはねえだろう。隠れるにしたってどこにねぐらを構えてやがんだかな」
「滞在者の中からの線は薄いけど、まぎれてるかもしれないと思うとゾッとするわね」
「そっちは手数がある分どうにかなるだろ。戦えるヤツの少ない道中を狙うのも頷ける話だ」
 話しながら、特に気配を消すことも無く歩き回る。
 調べ方は至ってシンプルだ。既に人の往来が激しくなり、獣道よりもはっきりと『道』と分かるようになった道中を歩く。それだけ。というか、森の中は道からそれると村人でも迷う。
 嫌だけど、襲ってきてくれるなら話は早い。こっちは相手の居場所もなにも分からないから、気配を消して探り当てようとするのは無謀というものだ。

「……整備されたとは言い難いけど、余程歩きやすくなったわね」
「まあな」

 幾度も人に踏まれ、先を示す地面を眺めながらつぶやくと、リューグが返事をしてくれた。現状がこの一年のことなのが信じられない。それほど多くの人が、ここを通ったということになる。
「その内、案内人を用立てる必要もなくなりそう……」
「……そうとくりゃ、今よりももっと人が増えるだろうな」
 喜ぶべきなのだろうか。分からなかった。
 村興しをするのはいい。人を呼んで、村が賑わえばもしかしたら村に住む人も出てくるかもしれない。けれど外貨を得て、じゃあ、それをどう使うと言うのだろう。物々交換も多い村で貨幣を使うとなると、金の派閥の召喚師に頼んで、思い切った開墾でもするのだろうか。……そもそも、アメルの奇跡の力の対価として、何を得ているのだろう。幾ばくかの金銭だとは思うけれど……アメル本人が受け取っているような話は聞かないし、誰が管理しているのか。それを、どうするつもりなのだろうか。それを、リューグたちは知っているのだろうか。
「そう言えば、リューグ」
「なんだよ」
「アメルの力って――」
 思い浮かんだ疑問を口にしようとした直後、私は鼻腔をくすぐる香りに言葉を止めた。息を詰めた私に、リューグが警戒をあらわにする。
「おい、キョウコ?」
「……」
 気配はない。微かに風に乗ってくるほど強い香りでもない。これは、この、匂いは。
「おい!」
 黙って足を動かそうとすると、リューグに肩を掴まれた。押し殺した声に微かな苛立ちを感じて、目を向ける。リューグはじっと私を見て、説明しろと、その意志の強い目で語っていた。
「……異界の匂いがする。シルターンの。どこかに潜んでる」
「そいつを叩けばいいんだな?」
「分からないけど、気配を消せる以上、怪しいことは間違いないわ。はぐれ召喚獣かもしれない」
 シルターンの匂いは干し草が焦げたような……もぐさのような匂いだ。どこかからりと乾いているような、樹の匂いめいている。けれど私がその匂いを間違えることはない。リィンバイムの空気ではないのだと、分かってしまう。今回もそう。
 蒼の派閥にいた頃、サイジェントにいた頃、様々な召喚獣と出会ってきたけれど、私が嗅ぎ分けることのできるこの匂いは、どうやら消せる類のものではないらしい。気配がないのに異界の匂いがするということは、つまり、そう言うことだ。
「何をしているのかしら……?」
 もしかしたら召喚師もいるのかもしれないということをリューグにも共有する。さて、鬼が出るか蛇が出るか……。
 私が先頭に立ち、リューグが後に続く。ぴりぴりとした雰囲気を後ろから感じつつ、どこからか漂ってくる香りを辿り歩を進める。と、不意にその匂いと共に気配が現れた。
「……シノビ?」
 茂みと樹の影に、リィンバウムでは見慣れない異界の装束を着た人が顔を覆って座り込んでいた。しっかりと着込んだ姿からは、髪の色や肌の色はおろか、男か女かを判じることさえ難しい。かろうじて纏う衣がシノビのものであると分かるのは、サイジェントでシノビと行動を共にしたことがあるためだった。
 いかついお面を覆う手をずらして、指先の間、お面の更に奥から、目が覗く。
「参ったな……」
 声は、男性のものだった。どこか白々しく呟かれた言葉に、首を傾げる。それとなく装備を目視で確認した限りでは、戦闘を行ったような痕跡はなかった。
「失礼ですが、あなたは?」
「見ての通り、今し方キミにプライドを砕かれたしがないシノビだよ。なんでバレたかねえ」
 男性は名乗る事も無く言葉を寄越してくる。リューグと顔を見合わせると、しょっ引いてもいいのか、とでも言いたげな表情で眉をひそめていた。
「こちらとしてはどうしてこんなところで気配を隠し身を潜める必要があったのか伺いたいですね」
「キミらに言う義務が?」
「自警団員なんでな。近頃この辺りを荒らす野郎がいるって話だ。迷惑なんだよ」
「ああ、なるほど」
 仮面の男性は手を打ち、私たちをこれ以上警戒させないためだろうか、わざとらしいほどにゆっくりと立ち上がった。……身長が、物凄く高い。リューグよりも、頭一つ分くらい。わざとなのか猫背気味に頭を垂れていて、不気味な雰囲気さえあった。なのに、声は軽い調子で、ちぐはぐだ。
「とある御仁に雇われてる召喚獣ってヤツだ。自警団員ってことはレルム村の住人か。俺の主人も聖女の奇跡を求めてきたクチでね。そこに滞在している。会わせられんがね」
「はっ、口じゃどうとでも言える」
「まさしく。口八丁は苦手なんでね、これで信じて貰おうとは思っちゃいないさ」
 彼はどこかさっぱりとした声色で肩をすくめた。何か身の潔白を証明できるカードがあるようだし、賊にしては力に物を言わせるような素振りも、粗暴な部分もない。
「どうだい? キミらの仕事を手伝うというのは」
「味方だって確証もねえのにか?」
「後ろから襲われないのならありがたいですが」
「はっは! まあそりゃそうか。いやしかし、疑われたまんまでいるのもな。雇い主が聖女の奇跡に与(あずか)れるまではまだ随分と掛かるようだし」
 ……。素性の分からないシノビと行動を共にするのは、どう考えたってあまり良いとは言えない。かといって、野放しにするのも難しい。私は匂いが分かっただけで、彼らは殺気も含めて気配を消せるのだ。それに、現状彼は誰も攻撃していない。仮にしていたとして、その証拠もない。いくらリューグが自警団員だからと言って、ここで一方的に身柄を拘束するわけにもいかない。
「怪しい奴ら全員ふん縛って良いならこっちも楽なんだがな」
「リューグ」
 鼻を鳴らし、リューグが発言を撤回する意思がないことを主張する。……リューグの苛立ちは日々募るばかりだ。仕事として、村人としてやるべき事をこなしているけれど、村の現状はリューグの望むものではないし、これからもそうならないことは明らかだ。一番の懸念事項であるアメルが少しでも弱音を吐けば、誰を敵に回しても一切アメルの力を使わせないようにする気概を感じる。比喩じゃなく。
「いいっていいって、そっちの坊主の気持ちもよっく分かる。……んで? 俺は同行させて貰ってもいいのかな?」
「……分かりました。私たちの指示に従っていただくことになりますし、基本的に私たちの視界に入るように居ていただきますが」
「りょーかい」
 あっさりと頷かれる。体格差もあるし、熟練度的にも急に襲われたら対処できるかどうか、正直不安だ。組み付かれたら、振りほどけないだろう。
「では、お名前を伺っても?」
「名前を呼ばれるのは嫌いなんだ。かと言って安易に偽名でも使ってしまえば何かあったときに俺の心証が悪くなる。おい、とかお前とかでいいから好きに呼んでくれ」
 ――本当に、変わったシノビだ。



「で? 結局の所あいつは信用できんのか」
「微妙」
「だろうな。なんだかんだはぐらかしやがったし、テメエもおとなしくはぐらかされやがって」
「ごめん」
 本当に指示通り前を歩くシノビの後ろで、ひそひそと話し合う。
 ……シノビはシルターンにいる召喚獣の中でも、サムライと並んで戦闘能力が高く隠密行動に長ける。斥候として情報収集をしたりと、どちらかと言えば人目を忍んで活動するのが特徴だ。サムライに比べて『仕える相手』を持っていることが多い印象がある。そういう点でも、さっきまで身を隠していた様子で、誰からかは特定できなくてももしかしたら私たちこそやりすごすつもりでいたかもしれないというのはきちんと頭の隅に置いておくべきだ。口八丁が苦手と口にしていたのも軽い調子を装っているのも、真意をつかませないためのものかもしれない。
「まあでも、私たちの目的だったとして、私たちと一戦構えるつもりはないってこともあり得るから」
 村での噂も今回調査する案件以外で不穏なものはなかった。極端に言うなら『人知れずレルム村へやってきた人たちを殺している』というようなことはないと見ていいと思う。彼の主人がレルム村に聖女目当てで滞在している話が本当だとして、の話だけれど。
 旅人や行商人を襲って村に寄せ付けないようにしているだけなら、村人と対立することは望んでいない可能性もあるだろうってことだ。シノビといえばシルターンの召喚獣で、彼が実際召喚獣であることは匂いからも明らか。普通に考えれば野良……外道召喚師に召喚されて盗賊業に加担している線の方が濃厚だ。
 そしてこのシノビが一個人として信用できるかと言われると全くの別問題で、だから考えあぐねている。
「そうだ、話のついでと言っちゃなんなんだが」
 ふとシノビが私たちを振り返る。
「流砂の谷の盗賊団が聖王都にしょっ引かれたって話は知ってるかい?」
「……」
「本当ですか? 結構な規模だったと思いますが。……騎士団に?」
「いいや、冒険者らしい」
 にわかには信じがたい話だ。
「テメエがその残党じゃねえって証拠にはならねえがな」
「そりゃそうだ」
 かみつくようなリューグの物言いに、まるで気にした様子もなく軽く肩をすくめるだけのシノビは、怪しすぎて怪しくないように見える。大体、盗賊団の残党として召喚師が逃げおおせることは少ないし、もしそれが可能なら召喚獣をおとりに使うはず――
「そうだ」
「?」
「あなたを囮にしてあなたの雇い主は今逃げてる真っ最中、って事もありえますね。あなた方は私たちが近づいてきたので身を隠した。雇い主を逃がす一方で、あなたは私たちをやり過ごすか、襲う算段をつけていた」
 まあ、だったらあっさり私に見つかるはずがない。私が近づいたことには気づいていたはずだ。戦闘能力のあるシノビが理由もなくじっとしているわけがない。自分が見つかることで、気を引くことで達成される事柄があるとすればその辺りしかないだろう。
 かなり失礼ながら、既にシノビを疑っていることを知られているのだから、この際突っ込んでしまった方がいい。いつまでも疑ってばかりでは気疲れしてしまう。相手が消耗戦を狙っている場合、思うつぼだし。
「参ったねえ、いや本当に雇い主は村にいるんだが」
 シノビが困った風に頭巾の上から頭をかく。……。わざとそうしているのかと思っていたが、なんだか違和感があった。動きがぎこちない。
「……あなた、怪我してますね?」
 猫背気味でどこか気怠げに思えた立ち姿。怪我をかばってそうなのだとしたら?
「どうして隠して……いや、それよりもどこで怪我を? 見た限り切り傷ではないですし、打撲……ですか? 骨は無事かも知れませんが、安静にしていた方がいいです」
「手伝うとか言っておきながら手負いだったのかよ」
 少し呆れたようにリューグが声を上げる。まあ、もっともだ。
「怪我を隠してまで私たちと接触したくなかった。つまり、私たちとは敵対している可能性があるわけですけど」
 仮面越しに目を見てそう伝えると、何やら仮面の中から小さく音が響いた。……舌打ち?
「あーあーあーあー、参った参った、降参だ!」
 どこか軽い調子だったのとは異なり、その語気は荒く、投げやりにも思える。私とリューグがすわ戦闘かと身体を強ばらせると、シノビはその場によろよろと座り込んだ。大柄な分、動作に粗野な部分が出るとそれだけで威圧感がすごい。
「お嬢ちゃんの言うとおり、この間ちょいとヘマしてな。まあ誰とやり合ってたかって言えば件の盗賊団だ」
「仲間割れかよ」
「坊主はいい加減その線を捨ててくれや。……さっきの話は嘘じゃない。雇い主の安全を守るのも務めの内なんでな、自分であれこれ情報を集めて、露払いをしたりもするわけだ。勿論腕にはそれなりに自信があるが、騎士団に捕まらないように上手くやりおおせる連中と一人でやり合うほど無謀じゃあない。様子を伺ってたら冒険者が報奨金狙いで現れて、その後加勢に来た奴らと組んでやり合って盗賊団を蹴散らしたわけ」
 いでででで、とシノビは声を上げつつ木の幹にもたれかかった。真に迫ったため息をしているが、仮面のこともあって私とリューグでは真意をつかめない。
「そこまでは良かったんだが、連中の打ち漏らしが何人かいてな。奴らにゃ俺も冒険者一味だと思われたらしくて、地の利がないなりに二人ほど相手する羽目になった。結果、流砂に足を取られて脇腹をやられちまったってわけだ。その上さらに冒険者連中に盗賊団の一人だと思われたらかなわんし、とっとと村へ戻ったんだが、雇い主からは説教食らってよ。仕方が無いから人目のないところで手当と療養をな」
「雇い主の護衛はいいんですか?」
「一通り調べた後だし、基本的に道中の護衛が主だった仕事なんでね」
「なるほど」
 ……まあ、今のところこれが本当のところだと見てもいい、かな。喧嘩腰のリューグの言葉や態度にもいつまで経っても食ってかかってこないし、その辺の荒くれ者でないことは確かだ。なんなら、滞在者よりもずっと寛容だ。いい人かどうかはまだ変わらないけど。
 リューグに目配せをして、シノビへ声を掛ける。
「脇腹を見せてください」
「……はいよ」
 シノビは装束を緩め、身につけたいくつかの防具を外しながら、ストリップは趣味じゃないんだが、と軽口めいたことを口にする。そうして露わになった肌には、痛々しいほどの青痣ができていた。なんなら、灰色にも見えるほど。いっそ禍々しさまで感じる。リューグとの稽古でも見ることがないほど……武器の柄で目一杯殴られたような。あまり、見て良い気分ではないことは確かだ。
「大きいですね。触れると痛みますか?」
「頼むから流石にそれは止めてくれ」
 手のひらをかざすと、見えなくても顔をしかめているだろうと分かる声色で、制止がかかった。そうだろうなと思う。
「触りません。他に傷は? 切り傷などはないですか?」
「無くはないが、どれも深くない」
「なるほど」
 まあ、大した問題でないならそっちはかまわないか。
「……いいのか?」
「リューグは警戒しておいて」
 私のやろうとしていることに気づいたリューグの声には、賛成しないという気持ちが込められていた。気持ちはよく分かる。でも、タイミングが悪かっただけで相手が本当のことを言っている可能性だってないわけじゃない。今だって怪しんでいるのだから、疑った非を詫びることもしかねる。せめて怪我の治療にあたることが、最大限譲歩できる態度だと思った。

 集中し、『気』を感じる。純度を高めるイメージを乗せながら、シノビへ向かってその『気』を当てた。呼吸を乱さず、流し込み続ける。

 ストラは本来高めた『気』で自分の身体を活性化させ、結果的に強化するものだ。癒やしたり治療に使うというのはその副次的な効果というか……。性質上、一時的に弱まっている部分――怪我には特に顕著に効果が現れるので、私は重宝している。解毒や麻痺の改善はできないものの、熟練度が上がれば効果はより強くなり、瀕死の重傷を癒やしたり、とんでもない怪力を出せたりする。使うと疲れるけれど、連発しないならさほど負担でもないし、意図せず誰かを巻き込んで怪我をさせるような力ではないから、私は召喚術よりもこちらの方が好きだ。

 目に見えて痣の色が薄くなり、見分けがつかなくなった辺りで止める。痣は止め時がわかりやすいから、治療する目安としては楽かな。今回は触診してないから、身体の中がどの程度痛んでいるのか分からないけど、シノビが息をのむような気配がしたから、痛みは引いているはずだ。
「ほお……こいつは驚いた。あんた聖女かい?」
「まさか! これはストラといって、格闘家の方々が好んで習得される技術です。聞いたことないですか?」
 召喚獣だし、召喚されてから時間が長くないのであれば知らなくても不思議ではない。流石に聖女云々は冗談だろうけど。
「なるほどねえ……ありがとさん」
「いえ、素直に言わせて貰うと、こちらにできる精一杯の譲歩ですから。気にしないでください」
 ふと、近い距離でシノビと目が合う。その目は軽く見開かれていて、驚いている様子だった。
「……参ったな、ホントに」
「え?」
 仮面の中でくぐもった声が響いたけれど、上手く聞き取れずに思わず聞き返す。けど、シノビは言い直すつもりはないようだった。
「宿屋のご婦人」
「え、」
「何度か適当に狩った獣を持ってったことがある。確認するなり、好きにしてくれ」
 俺ってばかっこ悪いにもほどがあるな。
 そんな口を耳に感じながら、私とリューグは思わず顔を見合わせていた。
「そんなことならさっさと言やいいだろうが……」
 今回ばかりは、リューグと全くの同意見だった。自分の身の潔白を晴らすのにどこか自信があったように見えたのはそういうことね。

2020/05/10 : UP

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