Umlaut
嗚呼、愛しき日々よ - In the small world - 05
シノビの言っていたことは本当だった。
結局あの後気が抜けてしまった私たちは村まで戻ることにした。自警団の詰所で、他の団員の目もある中シノビと共に待っていると、宿屋の女将さんに確認が取れたとリューグが悔しそうな表情で教えてくれた。流砂の谷周辺をねぐらにしていた盗賊団の多くが捕まった話も、自警団の数人と滞在者の護衛の一部で調べたところ、まだ残党がいて詳しく『聞いた』ため裏が取れた。私がゼラムを出る頃にも騎士団による討伐のお触れが出ていたし、賞金が出る冒険者が反応するのもおかしな話ではない。
確証を得られたことは間違いなく朗報だと思うから、私は、そう悪くない結果で良かったと思う。……まあ、リューグにとっては『村に来る行商人が襲われている』件が解決したわけではないから、警戒を解けないというのは当然だ。あれから改めてリューグと調べてみてはいるものの、成果は上げられていない。当然そうなると、人手が足りない自警団からすれば村の中で仕事をしてくれとなるわけで。
その上、行商人もレルム村を目指す護衛付きの旅人と共に村へ来るようになり、そうなると表面上は何の問題もないじゃないか、という意識へ変わってくる。それを、いつまでも警戒できるほど自警団の皆は訓練されているわけじゃない。
そして、私も新たな問題に直面していた。
「……またですか」
「まあそう邪険にしなさんなって」
あれから、妙にシノビに懐かれている。
朝の鍛錬の間は平和だ。夜も。けれど、アグラバインさんに了承して貰って少し小さい畑で薬草の世話をしていると、どこからともなくシルターンの香りがして、シノビが現れるようになった。気づいたら草引きだのなんだのと、作業を手伝われている。その上狩りにもついてくるし……。
「あなたシノビでしょう。私から何を知ろうとしてるんですか」
「おいおい、個人的な興味で嬢ちゃんのところに来てるとは思わないのか?」
「思いませんね」
自惚れるほど明るい生活は送ってこなかった。正体不明の誰かの手先なんて、怪しさしかない。
それに、『個人的な興味』なんていうもので、つつかれたくないものが私には多すぎる。
率直に言って煩わしいという気持ちがじわじわと頭を占め始めていた。
とは言え、第三者から見て決して不愉快なことをされているわけではなかった。ただただ困惑してしまう。真意が見えず、意図がくめず、はっきりとしない立場の人から向けられる興味は恐怖ですらある。
「つれないねえ」
「……答えられるかどうかはともかく、私に何か聞きたいことがあるならどうぞ遠慮無く。こうして毎日なにかしら探りを入れられるよりは、はっきり聞いて貰った方がまだマシです。今なら失礼なことを言われても黙ってますよ。私も、先日は随分と無礼だったと思ってますので」
不躾な視線でこそないけれど、シノビはそれとなく私を観察しているようだった。なんというか、一挙手一投足全てを観察されている気分になって、本当にいたたまれない。嫌なことを思い出すし。
理由は分からないが、何か彼のお眼鏡にかなうものがあったらしい。ストラか、匂いの件しか思い当たらないけれど。……あ、そうか。どうしてシノビたる彼の居場所が分かったのか、それを知りたいのか。もしくは、昔シルターンの召喚獣にあれこれと教えて貰ったから、もしかして私の振る舞いや言動からシルターンっぽさを感じて、私も召喚獣だと思われているとか? だとすると嫌だな。いよいよもって興味を抱かれること自体苦痛になりそう。
「取り付く島もないってのはこういうことかい」
飄々とした態度を変えないまま、シノビは気分を害した様子もなくため息をついた。
彼を見ていると胸の内にざわざわとしたものを感じる。不安にも似ていて、もう、これ以上彼に話しかけられたくないと思う。彼を見ていたくないし、声だって感じたくない。どちらかと言えば親近感さえあったシルターンの匂いも、緊張するようになってしまった。
私はこの感覚を知っている。何回も味わってきた。
羨ましい。妬ましい。
心をかき乱されることが、自分の中の見たくないものを突きつけられるのが苦しい。召喚師がいて、何を恨むこともなくこの世界に居られる姿がいっそ憎たらしくさえある。自分でも制御の難しい、激しい嫉妬心。
苦みさえ感じるほどにせり上がってくる心の内を、誰にも暴かれたくなかった。だから、もう関わり合いたくない。
「真剣に惚れたって言ったら?」
「は……」
胸の中の淀みが凍てつく。シノビの声が頭に届く頃には、お腹の辺りと足先が冷えているように感じた。
はくはくと、唇が震える。空気を吸うことも吐くこともなく、声を出すこともなく。
ふざけないで、ばかにしないで、かまわないで、ほうっておいて!
頭の中にぐるぐると勢いのいい文句が並ぶのに、そのどれもがふさわしくないような気がして私は何も言えなかった。得体の知れない気味の悪さが、怖気のようにして身体を這うようだった。
「なぁ、……」
シノビの声にびくりと体が震えた。それとなく距離をとっても、それを上回る早さでつめられてしまう。
彼が私に触れ、腕の中に捕まりそうになるのを必死で振り払った。……つもりだったけれど、力ではかなわず、捕まれた手首が自由になることはなかった。
「っ! やめてください」
「つれないねえ。……って言っても、俺も男だからな」
――押し切られる。
判断した直後、私は武器を手に取っていた。
「なかなかいい反応だ。だが……膝が笑ってるぜ?」
「……」
返す言葉が浮かばない。必要もなかった。隙を見せてはいけない。彼が一歩踏み出したら、切りかかるつもりだった。
けれど、彼はふと力を抜いて、やる気のなさそうに頭をかいた。
「はぁ、やれやれ……今日のところは引くことにするか。ま、惚れた腫れたがなくても、嬢ちゃんとあともう一歩親密になりたいのは嘘じゃない」
「なにを、」
「それと、そう警戒されると嗜虐心が擽られるやつもいるから覚えておくといい。無理強いが好きな奴もいるからな」
不穏な言葉を残して、彼の姿はさっと目の前から消えた。
「……なんなの……」
怖かった。
私を脅かす存在がいることも、どんなに戦闘訓練を積んでも、力ずくで私を支配しようとする存在がなくならないことも。
シノビが居なくなって、匂いが消えて、森の気持ちのいい空気が身体の中に入ってくる。そうしてやっと、私はへなへなとその場に座り込んだ。
あなたに言われたくない。
言いそびれた言葉が舌に乗る前に消えた。
その後の私が、自警団の団長としてのロッカに相談したのは言うまでも無いことだろう。失礼なことを聞かれても答えるとは言ったけれど、あんな風に言い寄られるのは範囲外だ。
加えて、極力一人になるのは止めることにした。アグラバインさんの側か、人目のつくところになるべくいるようにして。
意外だったのは、滞在者の中でも特に護衛として村まで来ている人たちと、村の人が合意の上で『親密になる』のはままあることらしかった。気持ちを通わせて……というよりは、その、一夜限りの関係……というか。勿論、旅人同士でも珍しいことではないようだ。恐らく滞在期間が長く、大した娯楽もない環境のためなのだろう。シノビのことだから、その辺の事情を分かってのことだったのだろうか。個人的には絶対ごめんだから、結論は変わらないけれど。
「ちょっと憂鬱だな……」
「キョウコに伝えてなくてごめん。その……正直村の人間と、ってなると大体は女性から声が掛かることが多くて」
「ううん、言いにくいことだと思うし、気にしないで」
申し訳なさそうにロッカが目を伏せる。団長としての職務もあるので、ロッカは手が空くことがあまりない。稽古もリューグとはしているけれど、私とはしたことがなかった。聞けば、リューグが村の中でも一番強くて、稽古となるとロッカかアグラバインさんしか相手にできないそうだ。最近は忙しさもあってあまり時間が取れていないと言うけれど、素直にすごい。というか、そんなリューグと私が稽古できているの、すごいことなんじゃない? ついて行けるのは実戦経験の差だろうか。
「それよりその……村の風紀的には大丈夫なの……?」
訊ねると、困ったように笑うロッカに苦労がうかがえて、それ以上深くは聞けなかった。トラブルがそれなりにあるというのは聞いていたが、そっちの案件も加味された上での話らしい。そりゃ大変だよね……。
それにしても、困ったことになった。
一度ゼラムに行こう、と思ってたのだけど。こうなると一人で村を発てば、あのシノビが出てきそうだ。ある意味そうやっておびき寄せれば、本当のところを教えてくれるかもしれないけれど。安全でない以上やる気はしない。かと言って、他の滞在者や行商人の人と都合をつけて一緒に行くというのも私にとってはシノビと同じくらいの安全度しかない。危険……というより、そう、『大して安全ではない』のだ。信用できない人間と連れ立って行くくらいなら、一人旅をした方がまだいくらかマシ。
薬草は勿論毎日面倒を見る方がいいけど、水やりくらいならアグラバインさんにお願いできるし、この忙しさの中、村を空けるのは心苦しいけれど、別に新参者の私程度、居ないところで村の都合的に日々の仕事を回せなくなるほどではない。
なのに、完全にタイミングを逸している。私は息をついた。
あのシノビの召喚師の姿は見たことがない。誰かも分からない。本当にいるのかさえも。
その上、私よりも遙かに場慣れし、距離を詰める事に長けていた様子が頭の中で思い起こされて、身震いをした。振りほどけなかった。叶わない。私では彼をやり過ごすことはできない。
あんなに必死に戦闘訓練をして、サイジェントで実際に戦ったこともあるのに、到底足りないことに歯噛みする。圧倒的な力を求めた、私によく似た人がサイジェントにいたことを思い出す。今はもういない。寂しくて悲しい、けれど、狂おしいほど共感してしまう思いの果てに破滅した。
誰にも脅かされることのない強さがあれば、もう少し生きやすかったのだろうか。深呼吸をした。
鞘に収めたままの短刀を振りかぶる。受け止められるのは想定済み。寧ろ弾かれなかったのをよしとしてもう一歩踏み込み、勢いを乗せる。
「くっ……?!」
リューグの声に困惑が浮かぶ。それを聞き逃さずに、冷静に対処される前に短刀を翻し、顔の前へ二度、三度とフェイントを入れ、のけぞったところに深く腕を突き出した。それでも短刀の鞘はリューグにはかすりもせず、私はそれ以上深追いすることができなかった。
どさ、とリューグの身体が地面へと倒れる。受け身を取って素早く起き上がり、斧を構え直した彼を前に、私は逆に、短刀を手から落とした。
「どうした、終わりか?」
「……ごめん、」
息が上がる。リューグは斧で激しく打ち込む稽古をやりきる体力も根性もあるけれど、私は短刀でさえ難しい。そもそも、斧を持っている相手にこんな風に強く攻めるなんて、滅多にしない。武器の強度もそうだし、短刀の刃が折れでもしたら困る。
基本は一撃離脱戦法というか、攻撃したら直ぐに逃げる。逃げて隙をうかがい、無理な攻撃はしない。相手を消耗させて、チャンスをうかがう。これが私の戦い方だ。お互いどんな特徴があるかくらい、もう分かる。それを崩したのは、リューグの相手として不意を突こうだとか、そういうことではなかった。そういう風に相手になろうと思うなら、ここまで呼吸が乱れることはない。
手が震えて、膝をついた。深呼吸を繰り返していると、リューグが斧を降ろしたのが分かった。
「大丈夫か、キョウコ」
「ん」
短刀を回収し、腰を下ろす。がむしゃらに相手に向かうことで何が見えるのだろう。見えるものがあるのだろうか。そんな気持ちで打ち込んでみたが、分かったのは自分の頼りなさばかりで歯がゆかった。こちらの攻撃でリューグは確かに姿勢を崩したけれど、私の鞘がリューグの顔や首にあたることはなかった。結果がどうであれ、私の攻撃はリューグに避けられ、私は最後まで決め打つこともできずに終わった。
リューグはすごい。最後まで打ち続けられる強さは、長い間かけて培われたたゆまぬ努力の結果だと、改めて理解させられた。一朝一夕でできるものじゃないし、強い意志がなければ、強い攻撃を繰り出し続けて踏ん張ることなんてできないのだ。
リューグをそこまで突き動かすもの。気持ちの強さ、深さを想わずにはいられなかった。
「ごめん、なんか、……八つ当たりみたいなこと」
「八つ当たりだったのかよ? ったく……むしゃくしゃしてんならそうだって言えよな。オレもそのつもりで相手にできるだろ」
「うん……」
何かあったのかは聞かれないけれど、あまり考えたくないことだから正直助かる。息を整えようと何度も口で息をしてながら水筒に手を伸ばし、喉を潤す。
ぎゅっぎゅっと水を流し込む。身体の中を水が落ちていくのが分かる。心の内に淀む不安な気持ちは、少しだけ収まった。あるいはもっと没頭できる刺繍や編み物にすべきだったかもしれないけれど、一人になるのは嫌だったし、この村で自然に近くにいられる存在は少ない。アメルは最近は会えてないけれど、シノビのことを考えると良かったとも思う。あんな人、絶対近づけたくないし、仮に私たちやアメルの関係を既に知られていたとしても、近づいてこられる隙を見せたくない。
「何があったか知らねえが、稽古したいってんなら付き合うぜ。ここまで乗り気なのは初めてだろ」
「いや、うん、そうね……そうだけど。もういいわ、今ので十分 分かったから」
言うと、何のことか分からないと表情だけで返事をされた。……うん、大丈夫。誰も彼もを、嫌になったわけじゃない。
「……あ、そうだ、リューグ」
手招きをすると、リューグはしばらくそのまま動かずにいた。けれど、根負けしたのか、私がしきりに手を振るからか、諦めたようにこっちへと来てくれた。私も息が整ったので立ち上がり、腰につけたポーチから一つ、とあるものを取り出した。
「なんだよ?」
「これあげる。お土産と、あと、お礼も兼ねて」
手渡したのは、鉱石の一種。サモナイト石のような、特殊な石だ。緑色に輝くそれは、メイトルパ縁(ゆかり)の攻撃に対して少し耐性を持つ性質がある。カッティングも終わり、装飾品としての加工が終わっているもの。
「……宝石、か?」
「惜しい。……サイジェントは鉱業も有名でね、土地の荒れ具合もすごいけど、やっぱりそれに見合ったものがあったりするのよ。調査って名目でそういうところも見てみたんだけど、偶然これを発見してね。それ、護りの指輪って言って……本当は、指にはめるんだけど。柄を持つのに邪魔だったらと思って、革紐も用意してあるわ。身につけた人の身体を守ってくれるものなんだけど、リューグが持ってる方がいいかなって」
自警団は基本的に男性のみで構成されている。女は入れないとかではなくて、単純に女と言うだけで高圧的な態度を取る人間が一定数いて、そういう人間といちいち衝突していられないということのようだ。今の村は、あまりにも余所者が多い。予想されるトラブルを回避できるのならばそうするのは自然な流れだ。そして、村の人間でまともに戦える女衆はいない。私が自警団で役立てることは限られる。
ならば、矢面に立ち、切り込み隊長とも言うべき気質のリューグこそこれを持っていたほうがいいだろう。いざとなれば私は援護に回ればいい。
「テメエにこそ必要なんじゃねえか?」
「まあ、要らないとは言わないけど。私は他にもいくつか持ってるから」
「……なら、持っといてやるよ」
「うん」
ピン、と器用に指輪を弾き、ぱしっと手の中に握り直したと思ったら、そのまま人差し指と親指で挟んで改めて指輪を見遣るリューグを見ながら、革紐を手渡す。役に立つといいのだけれど。
「それにしても、指輪みたいな物を綺麗に指で弾くなんて、本当に器用ね」
「テメエだって縫い物あれだけできるだろうが? 慣れだよ、慣れ」
少し照れくさそうにする顔が新鮮で、私の顔は自然と綻んでいた。
2020/05/17 : UP