Umlaut
嗚呼、愛しき日々よ - In the small world - R
最近、キョウコの様子がおかしい。
おかしいと言うほど普段を知っているとは言いがたいかもしれないが、シルターンの……シノビとか言ったか。そいつと面識を持ち始めてからのことだ。なんというか、昔村に居た頃に近いものを感じる。
十年以上前、ジジイがアイツを保護してから、召喚師があいつを連れて行くまでは恐らく一年くらい間があった。
村を出て行く前のアイツは今のアイツとは少し違っていて、年上ながらアメルの後ろをついていくような奴だった。活発なアメルが怪我をしないようにいつも心配していて……アメルに対しては世話焼きな方だったか。気を許した奴以外の男にはこっちが緊張するほど警戒心が強くて、ただ好奇心は人一倍強かった。ジジイに懐いた後はなんでもかんでもジジイに聞きまくり、ジジイもいちいち教えるもんだからそりゃもう「なにこれ?」「どうして?」の嵐。村の連中に言ってもわからんだろうとあしらわれたりすると、怯んだように引き下がるくせに、不服そうな顔をしていたのに笑った覚えがある。
だからだろうか、派閥のやつらが来るような事態になっちまったんだが。
アイツがはぐれになった理由は詳しくは聞いてない。そもそもまずはぐれだと知ったのは拙い字で書かれた手紙を読んだ時だ。ジジイが簡単な文字を書けるように教えてはいたが、蒼の派閥とやらでさらにあれこれ詰め込まれたのだろう。もしかしたらアイツが村を出てから一年くらいは経っていたかもしれない。アイツが向こうへいって初めて書いたその手紙を受け取って読む前に親が死んで、弔いだのなんだのとがあって読めていなかった、まさにその中に、本人もまだ分かってないような文面でその旨が書かれていた。丁度入れ違いで、親の訃報を知らせる手紙を出した後の話だ。それから、あいつがはぐれ召喚獣について触れることはなかった。
別にアイツを、オレ達の親を殺したはぐれ召喚獣と同じものだと思ったわけじゃない。流石に混同するにはアイツは無害だったし、特別悪ガキってわけでもなかった。兄貴とアメルの方がよほど手がつけられなかったしな。……ある程度時間が経った後は、アイツについて知っていることも殆ど無いということも分かり始めたが。まあ、キョウコを良く思ってないヤツも村の中にはいて、そういう話にムカついたことは覚えている。
村に帰ってきたアイツは、当然だが年相応に育っていたし、顔つきに幼さはなく、黙っているならオレ達と同じ年くらいのひょろい男に見えなくもなかった。名を呼ばれなければ気づかなかっただろうし、もしかしたら声を聞いても男だと思い込んでいた可能性もある。そのくらいおどおどとした様子はなく、旅慣れしているように見えた。サイジェントという街からこっちへ来る際は原則一人旅だって話を聞いて納得はしたが、今考えても女の一人旅をやりきる根性と力があることが信じられない。……が、それはそれとして、本来のキョウコの気質は鍛練だの召喚術だのと戦いに身を投じるようなものじゃあねえんだろう。アイツも言っていた通り、必要だったから身につけただけで。最初はなんだそりゃ、と思ったが……
とにかく、だ。
帰ってきてから稽古相手として何回も手合わせしてるが、アイツは強かった。自分がはぐれってことでオレ達に対して妙な引け目を感じてこそいやがったが、基本的に、おかしなところは無かった。
流石にはぐれになった経緯の話になったときは顔を曇らせていたから召喚師となにかあったのだろうと考えるものの、行きあたる推測は徐々に絞られてしまい、俺は胸糞が悪くなった。外れている気がしないのが余計に苛立ちを募らせる。本人が言いたくなさそうなのもあるが、無理に聞き出そうとは思えなかった。少なくとも、気持ちのいい話のはずがない。
それでも、最近のようなどこか、なにかに怯えているような素振りはなかった。
もう二度と帰れねえ、元いた世界の話をしていたときだってそうだ。サイジェントで知り合ったという同じ世界出身のヤツからの受け売りも含めて、酷く、嬉しそうにしていた。ガキのころにこっちに来たんだ、もうほとんど覚えてることなんざないだろうに、確認する術もねえってのにまるでその話が自分の記憶しているもののようにして。
気づいてるのかは分からない。が、どれだけそれを言ってやりたかったか。それでも言えばきっと曇るどころじゃなくなるだろう顔を思うと、俺はやっぱり口を開く気にはなれなかった。本当かどうか確認できねえってんなら、嘘かどうかを疑うのはくだらねえとも思えた。何よりキョウコの嬉しそうな表情を見ていると、口が重くなった。でも心のどこかでは浮かんだ疑問を反芻している自分自身がいて、アイツの顔を見ているのが耐えられなかった。バカばっかりかよと、言うのは流石に野暮だろう。兄貴ならともかく、キョウコが何を考えているのかなんてわかりはしない。分かった上で言ってるのかなんざ、知りようがなかった。
キョウコは、言いたくないことは口を割らない。昔召喚師が来てアイツが村にくるまでの事を全部ジジイにバラした時は物凄い顔をしていたが、昔からそれは変わってない。一方で、『嫌だが言わなければならないこと』があれば、気乗りしない様子ながら誰かしらには言う。
今回もそうだ。なにがあったのかは全く言わなかったくせに、兄貴にはシノビにつきまとわれて迷惑してる話を苦情として伝えていたらしい。内容は……これがアメル相手だったなら、シノビをぶっ飛ばしにいくくらいのモンだった。八つ当たりがどうとか言いながら珍しく稽古で強く踏み込んできた背景としてピンときたが、あれは八つ当たりなんかじゃない。口にできない、したくないものを吐き出すための、アイツの気持ちそのものだった。
「とっとと言えよな、ったく……」
「今まで危害を加えられたわけでもなかったことを言って、こっちの手を煩わせたくなかったんだろう。実際何かしらの手伝いをしていたのは事実で、会話も別に非常識だったわけじゃないらしい。流石に今回は度が過ぎてるから、素直に言ってもらえて助かった。ただ、未遂で目撃者もいないとなると言い出しにくいのも分かる」
「それだって早く言えば防げただろうが?」
シノビの野郎をどうこう言えねえぜ、と内心で悪態をつく。キョウコくらい戦えるヤツが、と最初は思ったが、アイツの気質を思えばさしておかしいことでもないのか。
「内容が内容だからな……」
兄貴が苦い顔をする。
……村の奴らと余所者の性交渉ってのは、今は暗黙の了解というか、公然の秘密になっているというか。ガキはともかくそこそこの歳のヤツなら全員知っている話だ。元々オレ達くらいの年になると結婚の話になり、その前に男も女も『経験を積む』。その中で身体の相性がいいだとか、気が合うだとかで一緒になるって習慣がある。聖女騒ぎでアメルだけはもはや例外だが、それは今でも変わってない。どころか、村興しの一環としてか、一応村の総意としては好い仲になり村で一緒になるのを狙って、余所者相手でも極端にやりとりを制限することはしていない。自警団の奴らも昼夜問わずふらっと楽しみに行くヤツもいるくらいだ。遊び慣れている人間だと、仕事として金品のやりとりを伴うこともあるらしい。
ただまあ、そういう習慣のない人間とはトラブルになることもそれなりにあるのがこの話の面倒くさいところなんだが。
キョウコがそっちに弱いのは、多少薄着した程度でぎゃあぎゃあと騒いでいたことから察せられた。大げさなほどの反応から、知識が全くないとか、疎いというようなことはないはずだ。寧ろ知識だけはある、とみていいだろう。どういう風に過ごしていたのかは知らないが、随分とその手のことには触れたくないような振る舞いは、アイツが家の中でも全く薄着をしないことからも分かる。
「で? 話つけんのか」
「ああ。追い出すのは無理だろうが」
面倒ごとを起こす連中を一括して叩き出せればもっと楽だってのに。
そう思ったのが顔に出ていたのだろう。自警団側からは手を出すなと釘を刺された。分かっちゃいるが、面倒で仕方が無い。無闇に強く出れば誘拐や力ずくでどうこうされる危険性があるのは、頭では分かっちゃいるんだが……。多少戦えると言っても長旅をこなせる護衛連中とやり合うには分が悪い。随分と回りくどいやり方だが、アメルを守るためだ。
それでもたまに、こんなことで本当にあいつを守ってやれるのか疑問が湧く。
夜勤の日は順繰りに見回りをして、仮眠を取る。昼に比べれば格段に静かになるが、ぴりぴりしているとなかなか寝付けない。一度水でも飲もうと寝具から出ると、不意に詰所の入り口の方から声が聞こえてきた。
「キョウコもそろそろだな」
「ああ」
若い奴の声じゃない。どうやら何人か村の上役が酒盛りをしているらしかった。……家の一部や軒下を貸している所も多いから、原則身内で固めている詰所でひっそりと酒を酌み交わすことは珍しくない。その話の内容がなんでもないことなら、オレもそのまま出て行っていた。
さほど大きな声じゃない。それを拾おうと耳を澄ます。
「どうだ、頃合いの奴は誰がいたか」
「同じ年頃の男は大体もう一緒になってるな。ロッカ達なら釣り合いは取れるが……」
「村に居着くかどうかもまだわからん。畑を作ったらしいが」
「……今のところ問題なさそうだが、なあ」
何でも無いことのように話す奴と、どこか声を落とし、懐疑的な感情の乗る声が混じる。ジジイがこの村に住むとなった時はオレ達の親が取りなしたらしいが、アイツの時は一悶着あった。なにせ、どう見てもどこかから逃げ出してきた、ぼろ切れのような布を身体に纏ったガキを拾ったんだ。厄介事の気配しかない。当時は何も知らなかったが、キョウコからの手紙が来てアイツは元気にやっているようだと話す兄貴やジジイとその相手を見ていると、そもそも厄介事に巻き込まれたくない奴と、厄介事は困るがそれとは別にみすぼらしいガキを心配していた奴と、事情は分からないがとにかく保護してやらなければと思ってた奴とで異なる反応があることを知った。面子の大体は頭の中にあるが、それは村の上役もそうらしい。特に今の村長は保守的な方で、余所者を嫌う。今大量に村にいる一時的な旅人はともかく、素性の分からない人間を村に引き入れることをあまりよしとしない。村長の役目も持ち回りで、任期の間に問題があればその責任を問われるから、余計にキョウコを見る目が厳しいのだろう。
「しかしアメルの力ばかり頼れんからな。医者のようなことができるならありがたい話だ」
「召喚術も、滅多に見られるもんじゃないらしいが、心強い。流砂の谷の盗賊団が捕まったとはいえ、また時間があけば別の誰かが住み着きよる」
比較的キョウコに対して寛容な声は、素直に有り難がっているようだ。……実戦経験があって怪我も直せる。縫い物も料理もできるとなれば、嫁の条件としちゃ引く手数多だ。本人がどうにも一歩引いて構えているから、そこだけは難ありってところだが。
「だが、あのとき村に来た奴が本当に召喚師だったかは分からん」
「いやいや、わしらにも詳しく説明しとったじゃないか。キョウコも怯えとったが、最後にはアグラ爺さんもキョウコも納得ずくで別れただろう?」
「どうだかわからんさ。うまいこと言われても、こっちにゃ本当かどうかわからんのだからな。召喚術の暴発だのなんだの言ってたが、本当は変な輩を呼び出すのに成功してたかもしれんじゃないか。尻尾捕まえられなくて、体裁を保つために言った嘘かもしれん」
そんなはずはない。召喚術はなんにもしらねえガキが成功させられるほど簡単なもんじゃねえって、村に来たヤツがいってたじゃねえか。だから素人は召喚術も召喚獣も畏怖してるんだって、そう言ったのは村長、あんたじゃねえか。
「流石にそりゃあないだろう。勘ぐりすぎだぞ。何の得があって村に戻ってきたって話だ」
「アメルの話を聞いたからかもしれんだろう。昔馴染みだ、村の皆も殆ど全員警戒なんぞせん。……キョウコが怪しいのは変わらん。ロッカたちの親はキョウコの……そうでなかったら迎えに来たあの召喚師の召喚獣で死んだかもしれんのだぞ」
ぐっと手に力がこもった。時期が時期だったからだろう。後にも先にも、ここがはぐれに襲われたことはなかった。確かにその線は否定できない。だが、それで行くならジジイだってそうだろう。オレ達の親を襲ったはぐれは強かった。それをぶっ殺したんだ。ジジイの強さは並大抵のもんじゃねえ。
親がジジイを見つけたときはボロボロだったって話だ。だったら、村に来るまでになにかやらかして……って話はジジイにも当てはまる。どっちにしたってタイミングがおかしい。村から居なくなって一年。一年だ。村を襲うつもりならそんなに間をあけるものだろうか。結局襲われたのは親だけで、その後十年、なんの被害もない。あまりにも不自然だ。
「とにかくまだ見張っとくに越したこたぁねえ。部外者にまた村をかき乱されちゃかなわんからな」
――握り締めた手を、ほどく。
俺だって素人だ。専門家である召喚師の言うことを信用するしかない立場である以上、否定の一つもしてやれないのが現実だ。
ここにいたのが兄貴じゃなくて良かったと考えるべきだろう。兄貴やアメルが……そして何よりもキョウコが、こんなことを聞かずにすんで、よかったと思え。
仮にもし村長の言うことが事実だったとして、もしアイツがなにか仕出かそうとしたときは……
俺が、汚れ役でもなんでもしてやる。そのために武器を手にしたんだ。
2020/05/17 : UP