Umlaut
噂は飛ぶ - Remember fear - 01
聖女の奇跡を求める人々の数は日に日に増しているように思えた。私でさえそう感じるのだから、村のみんなもそうだろう。アメルは勿論、ロッカとリューグが家に帰ってくることも殆ど無い。
世の中には、アメルの力にいちるの望みを託してやってくる人がこんなにもいる。
今まで方々手を尽くしても良くならなかったそういうものを、癒してあげられるのは確かに良いことなんだろう。ただ、聖女の奇跡を宣伝することで、アメルは村の中もまともに歩けない.
それは囚われているようにも思われた。
彼女が納得した以上、他の人間がとやかく言うわけにもいかない。ただほんのわずかな時間、彼女が聖女から少女になる時間を私が作ってあげられるなら、私はそれを精一杯守りたいと思った。思っているだけで、アメルがお昼休みに抜け出してくる回数がぐっと減ってしまった今、それは一向に果たされていないじゃないかというもどかしさも感じていたけれど。
シノビはあれから面と向かって現れたことも、姿を見たこともない。一応自警団からはもし次近寄られるようなことがあれば遠慮無く攻撃してかまわないと言われたし、もしそんな場面に出くわしたときも、武力介入してよいとお墨付きを貰っている。
今のところ気配も感じないけれど、時折薄らとシルターンの匂いがすることがあって、物凄く落ち着かない。
シノビは気配を消せる。攻撃する瞬間まで、存在を悟らせない術を操れることを知っている。だから、匂いがすると身体が強ばった。多分、相手には筒抜けだと思う。
最初はそれとなく家の中に引っ込んだり、自警団の詰所へ向かったりしていたけれど、匂いが濃くなることはなくて、ここ数日はまだ心に余裕があるほうだ。
自警団と言えば、村に帰ってから一度も見せたことのない召喚術についても、昔村に来た蒼の派閥の召喚師……私がお世話になった方によってみだりに見せる物でも、使う物でもないという話は既に周知されているようで、そちらの期待は、実はあまりされていない。昔はぐれに襲われた件もあるし、有事の際でもなければ、シノビの件もあるので安易に使わないようにしたいところだ。
……どうやらアグラバインさんたちは私が手紙ではぐれだと伝えたことを、村の皆には言わなかったようだ。時期が時期だったからだというのもあるだろう。多分、私がはぐれ召喚獣だと知っているのは、この村だとアグラバインさんとアメル、ロッカ、リューグだけ。
それを感じたとき、ほっとした。同時に、言い様もないじわじわとした後ろめたさも。
かと言って素直に言えるかと言われると絶対に無理だと言うことも理解している。どうせなら、ただの余所者だと思われていた方がまだマシだ。
ありのままを曝け出して生きることって、どうしてこんなに難しいのだろう。
「キョウコ!」
「!」
畑の世話の後、匂いに気をつけながら休憩を取っていた最中、がさがさと茂みを揺らし、現れたのはリューグだった。
「急患だ。チビの一人が熱っぽいらしい。解熱薬は飲ませたらしいんだが」
「わかった」
子どもは環境の変化に敏感だ。こうして見知らぬ人が増え続ければ、ストレスが身体に現れることはある。話を聞いてても、この一年は大人も子どもも、滞在者でさえもストレスによる体調不良が頻発したらしいし。
リューグに案内される形で村へ向かいながら、私はふと浮かんだ疑問をそのまま口にのせた。
「リューグ、アメルの時もそうだけどさ、いつも何かあると呼びに来てくれるけど、役割決まってるの?」
「……兄貴はまとめ役だからそうあちこち動けねえんだよ。アメルやお前の行動範囲を把握してんのは俺たちくらいのもんだからな」
「消去法ってわけね」
「はっ、あいつら、アメルが聖女になってからは妙な印象押しつけてるからな。未だに木登りしてるなんざ知らねえだろ」
知ったらどんな顔するか、とリューグは溢す。アメルは聖女になってからはそれらしく振る舞っているようだし、確かに聖女の様子に慣れてしまえば彼女の行動を正しく予測するのは困難だろう。
「テメエもテメエであちこち動いてやがるから他のヤツらは見当がつかねえんだとさ」
「……そうかな? そこまで奇抜なことはしてないつもりなんだけど」
「帰って日が浅いせいだろ。俺はこの時間なら大体わかるがな」
リューグの言葉を聞きつつ、足を動かす。村の人ともっとじっくり話をするのも大事なことかな。
「集会とか、もっと顔出した方がいいの?」
「そりゃ男衆の仕事だな。……まあ、そうだな、もしテメエがもっと何かやりてえってんなら、宿屋の女将から色々聞いてみろ」
「わかった」
頷きを返すと、リューグは歩きながら私の方を見た。
「あの妙な奴の気配は今でもするのか?」
「たまに……匂いが」
声を潜めて伝えると、得心がいったようにして小さく首肯される。
「匂いだけか?」
「うん」
「そうか」
小さな声で、目線を交わしながら短くやりとりをする。私の力。異界の者に対して鼻がきくこの能力を、正しく把握しているのはレルムの村の中だとリューグだけだろう。披露する場がないし。リューグは私の立場を慮ってくれているらしい。リィンバウムでは異質な力をそっと匿われて、嬉しくなった。
「なにかありゃあ良いってわけでもねえけどよ……なにもねえってのも、鬱陶しいもんだぜ」
「うん……」
それがシノビのことを指していることは分かったけれど、体調不良は絶対にない方がいいけどね、とあえて続けると、軽く小突かれた。リューグの口元には本当に薄く笑みが乗っていて、目が穏やかに細められているのを認める。自然と笑えていた。
「はい、じゃあこれお薬ね」
「えーっ アメル姉ちゃんならすぐなおしてくれるのに……」
ストラで身体のだるさを治してあげて薬を煎じたものをだすと、ベッドで横になりながら、おチビさんはこれでもかと言うほど顔を歪めた。
子どもは正直だ。言葉も率直で、柔らかな言い方なんてわざわざ選ばない。知っている言葉で、知っているやり方で物を言ってくるから、時には痛く感じることもある。
「身体は楽になったんだから、あともう少しの辛抱だ。それにあんまりアイツに頼ってばっかだと、お前が頼りねえ男になっちまうぞ」
お前らがこれから村を背負っていくんだからな、と少々気が早いのではないかと思うものの、リューグが諭す。男の子は自尊心をくすぐられたのか、少し身じろぎながらも唇を尖らせて。
「うー……リューグだって、おくすりも、ちゅうしゃもきらいじゃんか。おいしゃさんも」
負けじとばかりに反抗する様子に、私は目を瞬いた。
「……そうなの?」
リューグをみると、なんだか眉間にシワをよせて、難しい顔をしている。
「誰から聞いたんだよ、そんなこと?」
「アメル姉ちゃん」
子どもの即答に、リューグはアイツかよと呟きながら頭を抱えた。……どうやら本当らしい。
「ふふ、じゃあリューグが熱だしたらとびきり苦いお薬だそうかな」
「……もう簡単にぶっ倒れたりしねえよ! とにかく、ちゃんとそれ飲めよ?」
「はぁい……」
にがぁい、と言いながらもちゃんと飲もうとする姿は子どもながら患者としては優秀だ。
彼がくい、と最後まで薬をあおると、リューグがその頭をわしわしと軽く撫でてやった。
「はい、よくできました。じゃあこれは頑張ったから、あげる」
手渡したのは村に来る行商人から買ったキャンディだ。甘いから大抵の子どもには合うと思う。
さっきまでぐずっていたのが嘘のように顔を綻ばせるその姿に、くすりと笑みがこぼれた。
「じゃ、あとはゆっくり寝ることね。もうしばらくはここにいるから」
暖かい手を握って、ベッドに潜り込む彼に布団をかけ直す。直に聞こえてきた規則正しい寝息に、ほっと息をついた。
子どもの容態は特に変化が激しい。誰かしらがそばにいた方がいいだろう。
幸いにも、寝付いてから容態が急に悪化するようなこともなく、手の空いたらしい母親が帰ってくると、私たちは家をあとにした。
「リューグ、ずっとついててくれたけど……仕事はよかったの?」
「今日は非番だ」
「えっ、あ、ありがとう。付き合ってくれて」
「そもそも非番だからってのもあってオレに声が掛かったんだから気にすんな。それに……一人にしてなんかやらかされたら余計手間がかかるってモンだろうが?」
仕方ない、と言いながらも今まで態度に出さなかったのは、なんだかんだ言ってあの子が心配だったからなんだろう。
「やらかすって何をよ?」
「ガキに言い負かされてベソかいたりだな」
「流石にそれはない!」
「ハッ、どうだか」
いやまあ、確かにアメルのような不思議な力はない――……あ。
そういえば、アメルの力って、サプレスの天使の持つそれにすごくよく似ている気がする。
癒やしの力を持つ召喚獣は実はかなりの数、いるらしい。けれど、力を持つ召喚獣はどの世界でも喚び出すのが難しい。召喚術は呼び出した対象に名前をつけてその力を発揮させる。その召喚獣が持つ真名に近ければ近いほど力は強くなり、相応しくない名付けをすれば暴走する。召喚師は長い年月と世代を経てこの真名を探り、召喚術を操るのだ。尋常じゃないほどの時間と労力、財産、時として犠牲を積み上げて成し得るこの儀式。安易に誰も彼もが使えるようになっては困るというのもあって、秘匿されているけれど。
でも、アメルからサプレスの匂いはしない。私と同じはぐれ召喚獣ではない。それに、アグラバインさんはまだ赤ん坊だったアメルを抱えてレルム村に来たという。召喚獣の線自体がないと見ていいだろう。そして繋がりはない。だったら……先祖返り? 先祖にサプレスの天使がいるとかなら……一応説明はつく、かな?
他にもアメルのようなケースがあるのか、サプレスに明るい先輩ならばもしかすると話を聞いたり、調べることもできるかもしれないけれど……今は無理だ。彼女の力が今後ずっと使えるのか、それともいつかは無くなってしまうものなのか……というのも気になるけれど。
「キョウコ?」
リューグの声に、我に返る。気になることができるとあれこれと考えてしまうのは悪い癖だ。派閥を出てから、どうも興味を持ったことをとりとめもなく考えてしまう。何かそれで有用な提案ができるわけでもないのに。
派閥を出たことで、意識しない所では自由を感じているのだろうか。……そうだったらいいな。
「ごめん、考え事してた」
「その割にしょぼくれてる感じじゃなかったがな」
「もうっ」
茶化してくれるリューグにありがたさを感じつつ、私たちは家へ向かった。……その後いつもよりみっちりと稽古することになったのは、まあ、悪くはなかった、かな?
このところアメルに全然会えてない。シノビに隙は見せたくないけれど、こうも会えないといい加減心配だし、大丈夫なのかなと思う。リューグやロッカも会えていないという。それでも、私よりは様子を聞いたりはできるようで、無理をしているような感じではないらしい。一日にみる人の数を少しだけ増やしたそうだけど、でも、それをこの先ずっと続けていくとなると物凄い負担だ。
心配している。声すら掛けられないことも含めて。アメルのためにできることはないか、と考えて、ないのだと頭が答えを出す。その正しい事実に歯噛みする……リューグの気持ちが、少し分かった。聖女の奇跡目当ての人たちがいなくなればいいのに、実際は噂が噂を呼び、実際に奇跡によってさまざまな癒やしを与えられた人たちによって拡散され、訪問者は増えるばかり。終わりなんてない。
たとえアメルが嫌がっていなくても、辛くなっていなくても、この状況を喜ぶことは難しかった。
ふと、シルターンの匂いがした。自分の部屋で、だ。
まさか中にまで入られているというようなことはないだろう。もしそうなら、精一杯暴れてやるけれど。
「……」
陽が落ちてまだ少ししか経ってない。西の空はまだじわりと朱く、それでも、太陽は山の向こうへと落ち、辺りはもう暗い。森の中だと言うこともあって、景色は深い紺色の中に薄らと朱色が滲む程度で、不気味さを感じる人も居るだろう。そういう時間帯。……黄昏時。オウマガトキ、って、誰に教えて貰ったのだっけ。とにかく。
装備を整えて、そっと部屋を出た。
「キョウコや、今から出かけるんか」
既に夕食も終えた時間だ。まだ温かさの残る居間でお茶を飲みながらくつろいでいたのはアグラバインさんで、大体は日が暮れてからまもなく寝る。その分朝は早いけど。
「ちょっと気になることがあって」
「……今日中にせんと駄目なことか?」
「はい」
アグラバインさんはじっと私をみると、そうか、と頷いた。
「気をつけて行ってくるんじゃぞ」
「……はい」
優しい声と目に、しっかりと頷きを返した。
さくさくと歩を進める。既に辺りは暗く、村の中に点々と灯された松明の頼りない揺らぎがあるだけだ。ふわ、と鼻腔を擽る香りは薄まることはなく、かと言って濃くなることもないまま。
家の中にいても香ることは今まではなかったことだ。家の中で暴れられては困る。どうせなら、誰にも迷惑が掛からない方が良かった。
迷い無く歩き、いつかリューグに連れられた滝から少し下った川の近くで足を止めた。
「……ここならどうですか」
言葉を投げかけると、匂いと共に木の葉が揺れた。もしかしたら優しいのかもしれないと思うほど、わかりやすい主張だった。
「怖がらせて悪かったよ」
声だけが返ってくる。それ以上動くつもりがないのか、じっと待っても音沙汰はなかった。
謝られても、なにも感じなかった。だからどうしようというのか。続く言葉もない。
「嬢ちゃんが何故俺の気配を把握できるのか――興味は尽きないが、そろそろ時間切れだ」
「……?」
「近々この村を発つことになった」
それは。
「よかったです」
素直に気持ちを吐露すれば、乾いた笑い声が響いた。
「傷の手当てしてくれた恩、返してねえな」
「頼んでもいないのになにくれとなく働いてくださったので、気にしないでください」
「あんなので足りたのか? 欲がないねえ」
どこか軽薄そうな声色だった。意図してそうしている……のだろう、きっと。だから、心を逆なでするような感覚に耐えなければ、思うつぼだ。
「……」
「嬢ちゃんをたぶらかせればよかったんだがなあ。そこまで警戒されると何言ったって聞いちゃくれないしな」
自業自得だ。それより、一体何の話だろう……? 私をたぶらかして、何かをそそのかそうとした?
「まあ、もう二度と会うこともないと思うからよ。今のうちに挨拶でもしとこうかと思ってな。ギリギリじゃ話聞いてくれないだろ?」
その通りだった。
男の話は妙に脈絡がなく、違和感を覚える。声を出そうと土を踏みしめると、じゃり、と小さく音が鳴った。
「おっと。やりあう気はねえよ。これ以上は近づかない」
「そうじゃないです。……結局、貴方は何者なんですか」
「そりゃ俺から嬢ちゃんに聞きてえなあ。蒼の派閥の召喚師さん」
ぐ、と奥歯を噛み締める。そっちは隠してるものでもない。その程度、シノビなら直ぐに分かることだっただろう。まだ想定の範囲内だ。
「そっちの召喚師事情って奴にも興味があったが……ま、仕方ない。じゃあな」
「っ、まっ……!!」
引き留めかけた身体と声をどうにか押さえつけるようにしてこらえる。聞いたって答えが返ってくるわけじゃない。それでも決して近寄らないまま去って行ったシノビの真意を探らずには居られなくて、私はしばらくその場に立ち尽くしていた。
2020/05/24 : UP