Umlaut

噂は飛ぶ - Remember fear - 02

 普段、レルムの村で異界の匂いを感じることは殆ど無い。シルターンの匂いもシノビだけのものではないから、もしかしたら違う召喚獣が混じっているのかもしれない。でも、その判別は私には不可能だ。
 あとは……シルターンの他にはサプレスの匂いがすることがあるくらいだろうか。この二つ、召喚獣を対象に憑依させる召喚術『憑依召喚術』として使われることもあって、外道の術として派閥の人間からは忌避されている。対象が死体でもいい、というのが大きな理由だ。この憑依召喚術が使われている場合も私に匂いは分からない。術を使った直後ならともかく。まあ、そもそもこれは憑依の対象の様子がおかしいことが殆どだし、対象が生きている場合、長い間憑依が続くと魂が変質し悪鬼や悪魔になってしまうというから、無色の派閥の召喚師や、帝国の軍人が実験・研究と称して意図的にでもなければ使われることはほぼない。だから、こんなのどかな村で使う理由なんてもっとないのだ。延命に使われた事例の文献も見たことがあるけれど、術者によって上手く憑依を解消できても、体力も気力も消耗するから待っているのは悲しい結末だけ。
 と、話がそれた。
 ゼラムやファナンなど、大きな街、召喚師の派閥があったりするところでは、それがどんな目的であれ召喚獣の匂いがすることが殆どだ。異界の匂いが混じり合い、得も言われぬ空気が日常的に鼻を刺激し、胸を満たす。
 極めて異界の者の匂いのないレルムは過ごしやすい。やはり長く住むことになるのなら、田舎暮らしが理想かなと思う。不特定多数の人の目に晒されるのも、それを気にしながら過ごすのも遠慮したいし。
 ただ、最近ふと異界の香りを拾うことがままあった。このまま行けばこの村も過ごしやすいとは言えなくなるのだろう。


 肩透かしを食らうように別れを告げられた翌日。一緒に昼食をとりながら、昨日心配してくれたアグラバインさんに御礼を言っていると、ばん、と家のドアが開いた。不機嫌な足音と共に入って来たのはリューグだ。
「どうしたの?」
「……別に」
 どうしたってなにかありそうなほどの機嫌で入って来たにもかかわらず、リューグは口にするのも腹立たしいというような感じで口を引き結んだ。なにかトラブルがあったらしいけれど、私が知る限りここまで不機嫌なリューグは初めてだ。
「おいキョウコ
「なに?」
「稽古、付き合えよ」
 挑むような目だった。……。リューグには、色々と受け止めて貰っている。
「八つ当たりでもする?」
 少し明るい調子で言うと、リューグは少し目を見張ってからにやりと笑った。私の声にたしなめるようなものが無いことを感じ取ってくれたらしい。
「……二人とも、相手をよく見て励むんじゃよ」
 私たちがやる気なのを感じ取ってか、アグラバインさんがため息をつきながら渋い声をだした。アグラバインさんも、ここ最近は思うところがあるのか、リューグの苛立ちをたしなめることは口にしない。私たちはそれぞれに返事をして、家を出た。

 さっと場所を移し、構える。スゥ、と息を吸い込み、私は気を練った。
「ストラかよ!」
 リューグが踏み込んでくる。振り下ろされた斧は咄嗟に振るわれたせいか精彩を欠き、私はひょいと後ろへ下がった。
「その方がリューグも思いっきり打ち込めるでしょ!」
 言いながら、高めた気が十全に身体にみなぎるのを感じる。よし。
 脇腹を狙って、短刀を突き立てるように横にひと薙ぎ。振りかぶった斧を盛大に地面にめり込ませたリューグは、そのまま斧を無理に動かすことなく、軸にして身体を浮かせ、柄で弾いた。
「ハッ、ちがいねえ!」
 斧が勢いよく引き抜かれて、そのまま回転を加えて下から勢いよく私の胴体へ。受け止めるのは難しく、どうにか弾くようにして軌道を変える。一撃の重みに手が痺れた。それでも、武器を手放すほどじゃない。
 顔を狙って蹴りを入れる。顔への攻撃を無視することはできない。当たっても当たらなくても有用な手だ。
 リューグは片肘で私の蹴りを受け止めると、斧を握り直した。そして私が距離を取ると、そうはさせまいと突っ込んでくる。
「ウオオオオオッ!!!」
 迸るような苛烈な気配だ。じっと斧と、リューグを観察する。どんな風に身体を動かすつもりなのか、目線、力の入り方、いろんな部分を瞬時に判断しながら防御に入る。できるだけ勢いを殺せるようにじりじりと距離を取りながらも、完全には逃げない。――否。完全に逃げようとするのを、リューグが許さない。
「くっ、っふ、ったァッ!」
 小刻みに息を止めて、攻撃に合わせてまともに食らわないように短刀を滑らせる。大ぶりな武器だからこそ対応できるけど、これが剣だったらこうはいかない。
 攻撃の手を休めず、リューグはそのまま私に迫る。彼の意識が全て私に向けられているのを感じて、変な気分になった。
 がち、と固い物がぶつかる音がして、私の短刀がもぎ取られる。それでも尚、リューグの目が私からそれることはなかった。
 妙な高揚感を覚える。戦うことは好きじゃないのに、本当に変な感じだ。まるでリューグに触発されたような。
 武器を失って、私はもう一度息を整えた。最後にリューグからとどめの一撃を貰う前にぐっと気を溜める。さらに強く練り上げたその気を、手から放つようにしてリューグへ押し出した。丁度、無防備な腹へ向かって。
「ぐっ?!」
 入った。
 そう思ったけれど、リューグの斧を握る手が緩むことはなかった。力が入らないだろうに、殆ど足と気力だけで踏ん張ると、多少威力は落ちるものの、斧で私を捉えようと腕を振った。
「わ、っと!」
 とは言え、リューグは直ぐに膝をついた。
「……っ、はあ、はあ……」
 荒い息だ。いつもよりずっと短い時間で息が乱れているのは、感情によるものだろう。それに、最後まで私を仕留めようという気概の凄さが、集中力を高めた結果だ。
 私も息を整えて、短刀を回収する。こんなとき、真っ向からやりあえるほど強ければ良かった。誰かに脅かされるんじゃなくて、誰かを受け止められるほど揺るがない強さがあれば。……ロッカやアグラバインさんなら、こういうとき受け止めながらも諫めるのだろうけど。どうしようもないことを認めるのが嫌なのに、認めるしかない、そんな気持ちの発露を、止めさせることは酷だと思った。
 一際大きく、リューグが深呼吸をする。
「効いた?」
「まあな」
 ストラでの攻撃は基本的に鋭さや重さが違う。それを腹に打ち込んだのだからそれなりにダメージはある。耐えきるなんて、並大抵の人じゃ無理だ。
「最後すごかったわね」
「ああ? 勝ったテメエに言われても嬉しくねえな」
「まあそう言わずに」
 素直な悪態に笑みがこぼれる。地面に座り直したリューグに改めて訊ねた。
「まだやる?」
「いや……」
 その返事に、私も座り込む。
「日に日に道理もなにもねえ奴らが増えてやがる」
 ぽつりと、呟くような声だった。どうやら、聖女の奇跡を求める人達の一部と、なにか一悶着あったらしい。まあ、このところの様子を察するに見とがめたリューグが村から追い出そうとした……ってところだろうか。ロッカに対する不満がこぼれるのをみて、ロッカが間に入って後を引き継いだんだろうことも分かった。
「決まり事を守れないのは困るね」
 聖女は一人しかいない。順番ができるのは仕方の無いことだ。道理だとか、決まり事を守ることが随分とレベルの高い生き方なのを知っている。みんなやらないだけで、しようと思えばできる自己中心的で暴力的な手段。
 私は、場を乱し、不快にさせる人にまで手を差し伸べることはできない。けれど……アメルは違うのだろう。アメルの癒やしの力を求められたなら、癒やして欲しいと、救いが欲しいのだと渇望されたなら、そっと包み込んでくれるのかもしれない。
 この、あまりにも多い人だかりの中、今も懸命に自分の力をふるっているだろうアメルを想う。
「これから……そういう連中が増えてくるのかもな」
 リューグの声は少し低くて、考え事をしているようだった。
「多分ね。もしかしたら、本当に戦うことになるかもしれない」
「ハッ、上等だぜ。話が早くていい」
「私たちで追い返せる程度ならいいけど」
 言うと、リューグがむっとする気配がした。それでも、私の意見がリューグと同じ方向の物であるからか、それ以上何か言うつもりはないらしい。つい口が滑ってしまったことを申し訳なく思うけれど、本当に、武力で解決できる範囲なら……ちょっとは胸がすくだろう。でも、いつまでもそれでどうにかし続けられるとは、とても思えなかった。サイジェントの街で欲望に目がくらんだ人間が狂い落ちていく姿を、私は見たばかりだったから。

 リューグのどうしようもない気持ちを受け止めたいと思っていたのに、どうしてそんなことを言ってしまったのかは分からない。不安を感じていたのだろうか。嫌な予感がしていた……わけでは、ない、と、思う。
 ただ、村興しといいながら一向に具体的な仕組みが出てこないこと。人は増えるばかりで、まるで落ち着く気配がないこと。決まり事を破る人がいて、今後村へ来る人間が爆発的に増加するとして、その割合が増えていくだろうこと。噂が広がれば、良からぬ事を企む輩出てくること。徒党を組むかもしれないこと……。
 不安と不満、どちらが大きいかなんて分からない。不信に近い。けれど、このままじゃ駄目だという漠然とした思いがあった。


 多少気は晴れたのか、気持ちを落ち着けたのか、リューグは少しして詰所へ戻っていった。私も、家に戻る。今日の晩ご飯はどうしようかと考えを巡らせていると、アグラバインさんから、部屋を貸すことになったと告げられた。アメル、ロッカ、リューグの部屋をそれぞれ、新しく村に来た旅人に貸し、共に生活することになるという。ロッカもリューグも、最近、夜警に忙しくしていて、皆でそろってご飯を食べることがなくなったとは思っていたけれど……家を空けることが多くなる自警団の面々の家では、旅人を泊めることが少なくないのだそうだ。
「そういえば最初リューグにそんなことを言われたような……」
キョウコが帰ってきてからは初めてじゃな。とは言え、今までいっぺんに貸すことはなかったんじゃが……」
「人、随分多くなりましたものね」
 アグラバインさんが鷹揚に頷く。
「一応、ここに泊めることになるのは五人じゃが、全員連れ合いだそうじゃ。大したもんはないが、アメル達の部屋から、私物を出しておかんとな」
「はい」
「大抵のもんは既に整理しとるし、蔵の中にしもうとる。確認だけしてくれんか」
「分かりました」
 言われて、部屋へ向かう。私とアメルの部屋はそれぞれ個室。ロッカとリューグの部屋は相部屋で、衝立で仕切られている。
 まず手始めにアメルの部屋に入って、ざっと部屋を見渡した。……ぬいぐるみとか、アクセサリーとか。匂い袋、私服……それなりにあると思ったけれど、アグラバインさんの言うとおり既に生理が終わっているからか、思い出の品、と言われてピンとくる物はなかった。日記の類いもなさそうだ。
 アメルらしいな、って思うものがあまりにもないことに無性に寂しさがこみ上げるのは……蒼の派閥での自分の部屋を思い出すからだろう。この部屋になんの愛着もない、私物を増やすことに意味を見いだせない。好きな物を側に置くことを許されない。そんな……ここに居ることを否定されているようにさえ感じる。
 勿論、ここはアメルの家で、アメルの部屋だ。分かっている。私の、蒼の派閥のあの部屋とは事情も違うって。
 でも、追い出されるようにして後にしたあの部屋が思い出されてしまって仕方が無い。

 異性の部屋と言うことで少しおっかなびっくりになったけれど、ロッカとリューグの部屋も似たような感じだった。ただ、アグラバインさんの手によるものか、ロッカとリューグによる好みの問題なのか、アメルの部屋の方が家具のデザインが丸みを帯びているのが印象に残っていた。そういや私の部屋だと言われた室内のデザインもアメルの部屋とそう変わらなかった。私物がない部屋が味気なく感じるのは同じだけれど。
 宿屋の個室……に近いのかな。
「部屋、特に私物は残ってなかったです。私も自分の部屋を整理しておいた方がいいですか?」
「構わんよ。キョウコの部屋には入れんつもりじゃ。鍵だけ気をつけておくれ」
「分かりました」
 ……五人組か。それなりに上手く付き合っていければ良いけれど。
「じゃあ、今日は夕飯多く作らなきゃですね。ちょっと調達してきます」
 待っているだけなのもそわそわしてしまう。
「なら、わしは風呂の支度をしておこうかの」
「はい!」
 正直お風呂の準備は本当に肉体労働なので、トレーニングでもない限りは遠慮したいところだった。その点、アグラバインさんは遠慮無く頼っても問題ないからありがたい。
 一応部屋の施錠をして、鍵を持って外に出た。狩りでウサギをとるか、村の鶏を絞めるか悩ましいところだったから、宿屋の女将さんに伝えてみよう。鳥にせよウサギにせよ魚にせよ、肉類やその他食料の調達は今後難しくなるだろう。今だって芋料理でなんとか資源を狩り尽くさないように努めているのだ。それを取り尽くしてしまったら村興しどころではなくなる。
 仮に食べ物の入手を完全に輸入で済ませるとしても、村単位で行商人に仕入れをお願いしたとしてその分配はどうなるのだろうか。実際に金銭を管理しているのは上役だろう。彼らは良い。旅人からは商売をするとして、じゃあ、他の村の人は?
 村にいる人間の数は、貨幣を運用していかないと難しい規模になりつつある。それは既に知っているはずだ。いよいよ村興しの本番が始まる。ここからお金を回して、経済を活性化させて、村をもり立てていくことになる。そのノウハウもない状態で、どこまでできるのだろう。商売っ気のない村の人に、最初からうまくできるのか、なんてことは思わないけれど。
 村興しをしようと行った人たちがどんな風に村を運営していくつもりなのか分からないけれど、私がそれを聞いていいものか分からない。私も、多分村の人も。私がこの村の住人だという意識は薄いだろう。
 ……昔のレルムのままだったら、挨拶をしにいったり、もしかしたらまとめてみんなで集まってそういう場を設けることもあったかもしれないけれど。今、私が村に帰ってきたことに反応をする余裕は村にはない。そもそも村人と言うには既に、村で過ごしていたよりも遙かに長い時間を蒼の派閥で過ごしていた。余所者の意見、として見られるかもしれないと思うと、とてもじゃないがわざわざ確認する気にはなれなかった。あまり良い考えではないけれど、私が考えているくらいなのだ。村のことを考えている上役なら当然、考えているのだろうとも思う。

 村に来て最初に振る舞われる食事は、まあ、極端に質素じゃない方が良い。そのことは村の人の共通認識のようで、流石に現状で一ヶ月以上村で待つようなことはないとは行っても、最初の宿泊日は客人としてもてなす方向らしく、食材は直ぐに手配して貰えた。女将さん曰く、今は宿や、旅人を受け入れている家には優先して食材を都合しているらしい。まあ、そうしないと野宿になったりするしね……。家も直ぐに建てられるわけじゃ無し。
 最近、アグラバインさんのところで旅人を泊めることがなかったのは私への気遣いだったのかもしれない。まあ、それに加えてアグラバインさんの家は村の外れにあるしね。

 あれこれと女将さんに持たされた私は、せっせと帰路についていた。早くしないとあっという間に夜になってしまう。食事を気に入ってもらえるかは分からないけれど、まあ、精一杯作ってみよう。一応、そこそこの量の料理を作るのは経験がある。
 頭の中で段取りを決めつつ、家を視界に入れる。と、不意にサプレスの匂いを感じた。ん、……? シルターンの匂いもする。
 どんどん濃くなる匂いと共に、足音が複数。話し声も聞こえはじめた。……そうして、玄関口まで回り込んでようやく、五人ほどの人間がアグラバインさんと話しているのが見えた。成る程、今日から生活を共にする人たちのようだ。長い黒髪の女性と、体格の良い冒険者然とした男性の背中が印象的だった。女性の方は袴を穿いていて、シルターンの出身であることが分かる。匂いはこの女性のものだろう。とすると、召喚獣か。男性との距離が近いのは、主従関係のためだろうか。剣を得意とする召喚師はいないわけではないし。サプレスの匂いがするのは、他にも一緒に召喚した何某かがいるのだろう。
 そんなことを考えながら、足音を立てて近づき声を掛けた。
「ただいま戻りました。……今日からしばらくの間ここに泊まることになった方々……で、お間違いないでしょう、……か……?」
 一番最初に私に気づいたのは冒険者風の男性だった。その次にシルターンの女性。二人がこちらを振り返ると、その奥にいた人の姿が見えた。

 よく知る意匠を身につけた男女。その側に不本意そうに立っている、匂いなど無くても一目でサプレスの悪魔だと分かる少年。
「……トリス……ネスティ……」
 久しぶりに見る、知った姿がそこにあった。……どうして?

2020/05/24 : UP

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