Umlaut

噂は飛ぶ - Remember fear - 03

 蒼の派閥の中には、極めて穏健な一派がある。『成り上がり』だろうがなんだろうが、召喚師として育て、研究に努める姿勢を後押しし、一人前にする。そんな、懐の深い人に引き取られたのがネスティとトリスだ。私が師事した人も彼らの師範と兄弟弟子という関係で、仲はさして悪くない……と、思う。私の兄弟子に当たる先輩達は今でこそ大らかだけど、基本的には真面目で冷静な人達だから、雰囲気は異なるけれど。
 師範こそ違えど、私と似たような境遇だったのが目の前にいる二人だ。二人はまだ蒼の派閥に所属する召喚師見習いであったはず。
 でも、サプレスの召喚獣を連れているのはトリスだろうから……一人前になったのだ。彼女も。ネスティが同行していると言うことは彼も既に一人の召喚師として認められたのだろう。
「君は……サイジェントに行ったと聞いていたが」
「……ええ、この間帰ってきたところよ」
「そうか」
キョウコだあ! 久しぶり」
 ネスティと言葉少なにやりとりをする。……私は出自がはぐれ召喚獣だと言うこともあって、蒼の派閥の中での自由は殆ど無く、半分以上が研究対象のそれに近かったのを、彼はよく知っている。サイジェントに行って、先輩達は蒼の派閥の命令に背いた。その上、私が蒼の派閥から離れることを黙認している。先輩たちは大丈夫だと言ってくれたけれど、彼らはともかく、私は除名処分になっていてもおかしくはない。別に、だからと言って悲しくはないけれど。
 その沙汰を、ネスティなら知っているだろうか。
「……久しぶり」
 ぎこちなく笑みを浮かべる。トリスは昔から明るくて、しなやかな強さを持つ女の子だった。頻繁に勉強をサボって、たまにふらっと私の所へ来て一緒に稽古をしたり、私が刺繍をする横で、気ままに本を読んだり。彼女の明るさは当時の私には眩しくて、正直、居心地が悪かったのを覚えている。
 召喚師としての歴史もなく、後ろ盾を持たない中で、『成り上がり』は身を寄せ合うかといえば、そうでもない。多分そうならないように人事的に仕組まれているのだろうし、肩を寄せ合ったところで得られるものはなにもない。
 そもそも、『成り上がり』の中には野心に燃える人もいる。私みたいな……召喚術に複雑な思いを抱いている人は少数だろう。きっと、普通ならば『選ばれた人間だ』と思うはずだ。実際、『成り上がり』の中でも上下関係はあったし、私はその中でも下の方で、名前を呼ばれることさえも殆ど無かったほどだった。
 トリスはそんな私を対等な存在として扱ったし、なんのてらいも無く名前を呼んでくれた希有な人間の一人だ。
「なんじゃ、キョウコ。知り合いか?」
「ええ。蒼の派閥の頃の」
 なるほど、とアグラバインさんが言う。
「そういえば、君はレルムの村の出身だったな」
「そうだっけ?」
「トリス……」
 ネスティがふと口にした言葉に、トリスが首をかしげる。その姿にため息をつくネスティを見て、懐かしいなと思った。派閥時代から何度も見た光景だ。どうやら、二人の関係は変わっていないらしい。
 なんだかんだでトリスの面倒を見続けているネスティは、トリスに救われている部分があるのだろう。召喚師でさえなければ、きっと私もそうだった。アメル達がそうだったから。
「まあまあ。二人は……というか、皆さんはどういうご関係?」
「まあ、縁があって少しな」
 冒険者風の男が答えた。その横で、綺麗な黒髪の女性が困った顔で笑った。
「その辺りのお話も含めて、自己紹介でもしましょうか」


 トリスと、その護衛獣・サプレスの悪魔バルレルは、蒼の派閥を出て見聞の旅を始めたところなのだそうだ。ネスティはお目付役。トリスは、「まあ出てけってことよね」、と随分軽い調子で肩をすくめていたけれど……彼女が、あまりにも昔そうだったように明るく、力強い笑顔を見せてくれるから。私は、少しだけほっとしていた。
 派閥に居た頃、ずっと息苦しさを感じていた。それを、多分彼女も感じていたと思う。でも、トリスは潰されなかった。
「んで、そんなトリス達と盗賊団狩りで縁ができてな。オレの連れ合いが記憶喪失なもんで、記憶を取り戻す手がかりがないか、聖女の奇跡を頼ってこの村を目指してるって話をしたら、一緒に行動することになってな」
 冒険者然とした男性はフォルテ、その連れだというシルターンの女性はケイナと名乗った。話を主導で展開したのはフォルテさんのようだ。随分と世間慣れしているように見えた。……多分、彼の話術もあるのだろう。それにトリスが興味を示したと。
 ……一瞬、蒼の派閥から咎を受けるのではないか、と思ったけれど、全くの別件で私が安心したのは言うまでも無いだろう。二人が蒼の派閥からの使者でなくて本当に良かった。
「なるほどね」
 ケイナさんに関しては、シルターンの召喚獣で間違いないとは思う。それを伝えることもできるけれど……それ以上のことは、私には分からない。順番を待って貰って、アメルにみてもらったほうがいいだろうか。
キョウコは里帰り中だったの? 折角なら顔出してくれたら良かったのに」
「うん、まあ……そう思ったんだけどね」
 言葉を濁すと、ネスティは合点がいったように理解を示してくれた。
「どうせ君が抜け出した時にでも来てくれていたんだろう」
「あはは……ごめんね?」
 そうして、トリスと二人、まるで示し合わせたかのようにそう取り繕った。……いや、本当にそう思ってくれたのかもしれない。
 フォルテさんが、随分やんちゃだなと軽口を叩き、ネスティがやれやれと息をつく。そのやりとりに不自然さはなかった。
 わざわざ訂正する気も起きず、そのまま曖昧に笑って流す。そうして、話は聖女の奇跡について移っていった。

 トリスは散策中、アメルと偶然出会ったらしい。木から下りられなくなった猫を助けようと木登りしていたら、足を滑らせてしまい、たまたまそこにトリスが鉢合わせたようだった。
 木に登るなんて! 元気そうで、変わらなさそうなアメルの様子にほっとする。アグラバインさんも、ぽつぽつとアメルとの関係を語って、孫娘といえど遠い存在になってしまった現状に対して、あまり歓迎しているわけではないと、珍しくはっきりと漏らした。村の人達と対立したいわけではないから、黙っていただけなのだろう。リューグもそうだ。ロッカも、きっとはっきりと口にしないだけで。アメルがそうしたいのだと言うから飲み込んでいるだけで。
 トリス達も、アメルが孫娘なのだと聞いた後だからだろうか、アグラバインさんに同情的で、私は細く息を吐いた。

 話もそこそこに、私は夕飯の支度があるからと席を立った。手伝おうかとトリスが申し出てくれたけれど、レルムまでの道はそれなりに険しい。ゆっくりしてくれと言うと、トリスは頷いて待っていてくれた。
 並んだ料理には芋が多く入っていたものの、マッシュポテトにしたり、焼いたり、煮たりしたおかげか、感想の中には芋が多いという声はなかった。唸りながらメニューを考えた甲斐があるというもの
だ。
 ……でも、朝食用に芋の粉を練り込んだパンを用意しているから、多分「お芋だらけ!」という言葉は明日以降に聞くことになるだろう。これが今のレルムの村だから、まあ、楽しんで欲しい。

 食事が一息つくと、アグラバインさんは先に休むと部屋へ引き上げた。もしかしたら、私の知り合いだったことで気を回してくれたのかもしれない。といって、積もる話があるわけではないのだけれど。
キョウコ、いい?」
 順番にお風呂に入り、そうなるとあとは就寝の流れになる。旅の疲れを癒やしてくれとゆっくり過ごして貰うように言って、私も自室へ引っ込んだら、トリスが訊ねてきた。
「どうぞ入って」
「お邪魔します」
 部屋に招き入れる。護衛獣は連れていないけれど、家の中にはいるのだろう。
 私の部屋は多少荷ほどきをした程度で、『私の部屋』と言うほどたいそうな物はない。……派閥にいる間に、すっかり私物を持たないようにする癖がついてしまっていた。宝物のように大事にとっておいてるのは手紙くらいだろうか。
 トリスはしげしげと部屋を眺めた後、椅子に座った。私もベッドへと腰掛け、お互い向き合うような形で視線を交わす。
「元気そうでなによりだわ」
 ふふ、と彼女が笑う。師範が違うし、お互いそれなりに厳しく監視されていた立場だったから、毎日たっぷり交流があったとは言いがたい関係だ。多分、私よりも先輩達の方がよく話していたんじゃないかと思うくらい。それでもトリスは分け隔ての無い態度で笑いかけてくれる。それはきっと、彼女の性質。持ち得た輝きなのだろう。
「トリスは無事に一人前になれたようで良かった」
「そうね。あたしが一番びっくりしてるかも?」
「バルレルくんとは仲良くやっていけそう?」
「どうかなあ? まだ、会ったばかりだし……これからよ、これから」
 不安そうな色はどこにもない。少なくともトリスはそんな気持ちを外に出したりする様子はなかった。
 強いなと、改めて思う。羨ましくて、眩しい。私が訓練に明け暮れても持ち得ないものが、彼女にはあった。
「トリスは、ケイナさんの件が一段落ついたらどうするの?」
「……なんにも決めてない」
 彼女の笑顔が、取り繕うようなそれに変わる。
「だあって! 召喚師としての実力を認められたはいいけど、一番最初の任務として命じられたのが『見聞を深めるための視察の旅に出ろ』、『期限は無し』、挙げ句『蒼の派閥の一員としてふさわしい活躍ができたら任務達成』よ? ネスにも言われたけどさ、実質追放なんだもの。誰に急かされるわけでも無し、気楽に行けば良いのよ。
 ……ネスには、付き合わせちゃって本当に悪いと思ってるの。だから、さっさと達成したいのは山々なんだけど……流砂の谷の盗賊団を捕まえても、ダメだったしなあ」
「ああ、それでフォルテさんたちと……」
「そうそう」
 ネスティが盗賊団を捕まえる提案をするはずがないから、トリスが言い出したんだろうとは思っていたけれど、そういう理由だったのかと合点がいく。……トリスは、蒼の派閥から追放されたって、全然構わないんだろう。やっと自由になれたとさえ思っているのかもしれない。だからこそ余計にネスティのことが心苦しいのだ。
 彼女は、そういう所がある。
 自分は良いけど、自分のせいで師範や兄弟子の立場が悪くなるような事は一切やらなかった。良く抜け出して私の所へ来ていたのに、彼女の所属する一派の人達が処罰の対象になったりするような沙汰は聞いたことがない。彼女の口から、愚痴めいた言葉を聞くときもそうだった。足をすくわれることのないように、特定の人間の名前を出したりすることはなくて――もしかしたら、本当に個人ではなく環境や行為に対する文句だったのかも知れないけれど――私は、彼女の強かさがすごいと思ったものだ。
 どうしてそんな風にいられるのか……蒼の派閥で過ごしていた頃は怖く感じた事もあった。でも、ゼラムを出て、サイジェントで出会った同じ世界のはぐれ召喚獣、ハヤトに会ったとき……彼女の持つ強さは彼女特有のものではないことを知った。
 どんな結果でも、自分が信じようと決めて、そのことに自分で責任を持つ。それができるから彼らは強いんだって。眩しいんだって。羨ましくて仕方が無いんだって。分かった今は、怖くはない。

キョウコの時はどうだったの?」
「え?」
 不意に話を振られて、私は首をかしげた。トリスの顔は興味津々という感じで……そう、サイジェントに居た頃の写真を見て「好きな人はいないの?」と聞いてきたアメルのような。
「初めての任務よ! 先輩達と任務に行く前に試験は通ったんでしょう?」
「ああ、……うん。そうね」
 一年前、蒼の派閥本部に安置されていたサプレスの悪魔を自在に操るほどの力を持つ大きなサモナイト石、『魅魔の宝玉』が盗まれ、それを取り戻すために私の兄弟子達であるギブソン先輩とミモザ先輩はゼラムを発った。そこに私が加えられたのは、いろんなタイミングや意図があってのことだったと思う。そもそも、召喚師としての実力をみる試験を実施するかどうかでさえも、かなり長い間意見がまとまらずに話し合いは荒れたと聞く。
 いろんな人の思惑はあれど、見習いに下される沙汰は殆ど全て蒼の派閥の幹部による協議によって決定される。特に『成り上がり』に関しては風当たりが強いのは暗黙の了解でさえある。
 渋々私が召喚師を名乗ることを許した人達にとっては、直後、宝玉が盗まれたことはある意味で好都合だっただろう。特にサイジェントに随行することになったのは、任務中私が死んでもよし、無事任務が果たされれば勿論それはそれでよし。そういうことだと、私は考えている。そしてその任務を先輩達が果たせるように十全にサポートすることが、私に与えられた最初の任務。完遂できれば今頃は、今は許されていない家名を名乗ることが許されていた。
 私が名乗る予定だったのは、自分自身が自分の世界で持っていた名字だ。
 でも、私は、先輩達は、命令違反をした。そのことに後悔はない。どうせ、先輩達が任務を達成したところで私の初めての任務が完遂されたかどうかの判断は幹部がするのだ。難癖つけられて至らなかったことにされるのが関の山。
 それに、最終的に、私たちの任務は魅魔の宝玉の奪還と、魔王召喚として無色の派閥が行った儀式により現れたハヤト及び、儀式を行った生き残りのキールを蒼の派閥本部へ連れ帰ることになったから。彼らを信頼する仲間達から引き離すことが疑問だった。特にハヤトに関しては殆ど私が派閥へ行った経緯と同じだったから、本当に良いのかってずっと思っていた。かと言って命令に違反できるような胆力もなくて。ミモザ先輩があっさりと違反を決めていなければ、私は自分のことを嫌いになっていたかもしれない。
 最終的に、ハヤト達を黙認することで私は、昔の私を少しだけ救えた気がしている。
「先輩達から聞いてない?」
「ギブソン先輩と、ミモザ先輩? ゼラムを発つときに会ったけど、何も……」
「そう」
 私は逡巡の後、唇に力を込めた。可愛い後輩……というには、トリスになにかしてあげたことなんてないけれど。私と親しくしてくれた彼女に、私は何も返さなかった。自分の気持ちを吐露するようなことは、何も。返せるものがあるなら、今しかない。
「トリス。ここだけの話にしてくれる?」
「もちろんよ」
 任務に背いたまま帰っていない私は、一人前の召喚師として力があることを蒼の派閥の中で証明できたけれど、家名を名乗る……召喚師の家系であることを認められていない状態だ。これだけなら別にどうと言うことはないけれど、報告もしないまま出奔しているので、処罰の対象なのは間違いない。
 そのことを伝えたら、トリスはどんな反応をするだろう。きっと吃驚するだろうけど、軽蔑するようなタイプには思えない。……やるじゃないって、にやりと笑うだろうか。こっちのほうがよほど想像できる。
 どきどきと逸る胸を押さえながら、私は口を開いた。
「あのね、実は、」
 彼女の双眸が食い入るように私の唇を見る。そして私が初めて彼女に自分の話を始めようとした時、静かな夜に似つかわしくない轟音が空気を震わせた。

2020/06/15 : UP

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